第10話「第三世代型トール〈四号機〉―1」
訓練が始まってから一週間と二日、バルトは遂に、ナオトが待ち望んでいたであろう言葉を掛けてやる事にした。
「これで基礎訓練は終了だ」
「え」
途端にナオトの顔からは緊張が抜けて行き、嬉しさであったり、満足感であったり、そういった自己肯定の情がありありと表れて来る。
それは、バルトが予想していたよりもやや大きな反応だったが、だからと言って注意を与えるといった考えは浮かばなかった。決してお喋りな人間とは言えないナオトだが、だからこそ無意識に発揮される素直さが重要だと思えたからだ。他方、バルトも口が達者な方では無かったから、こういった部下を持つことが出来たのは彼にとっての幸運でもあった。
ナオトは再び表情を引き締めると、バルトの方に向き直る。少なくともその目付きは、戦場で容易く死にゆく男のそれでは無い――――とバルトには思えた。否、そう願った。
「これでようやく、第三世代型の〈四号機〉に触れられるな。戦力が増えるのは、俺にとっても頼もしい。ひとまず解散だ」
「ハッ、ありがとうございました!」
ナオトは駆け出さんばかりの勢いで、去って行った。その背中を見送るバルトの心中には、「まだ訓練を終えるには早かっただろうか」という微かな懸念が過る。が、それは老婆心に近い感情なのだと決め込んで、敢えて無視する。
「そういえば、バルト大尉――――」
バルトはリーグの呼び掛けに応えて、斜め後方の長椅子を振り返る。
現在、パイロットルームに居るのは、たまたまパイロットスーツの点検に来ていたリーグとバルト自身という二人だけだ。リーグは亀裂が入っていないかどうか、まさに点検途中だったセラミックプレートを長椅子の上に放り出すと、何やら一枚の書類を引っ張り出してきた。
「これは控えですけどね、バルト大尉から頼まれていたものです」
「ああ、済まない。部隊演習の申請書類だったな?」
「ええ、エドモンド中佐からの許可は既に下りていますよ。今日の14:00から可能だ、とのことです」
バルトは手渡された書類控えに目を通すと、午後から演習が可能だという表記をきっちり確かめた。これで艦長たるエドモンドの許可は取った事になる。
母艦の艦長が許可を出し、そして部隊の隊長たるバルト自身が演習を行おうとしている。だから、これで何の不備も無くなった事には違いないのだが、それが全てという訳でも無い。決して書類上には表れない部分で、心配すべき懸念があるのも確かだった。特に整備班の気苦労も知るバルトにとっては、その懸念がたとえ小さくとも、無視するような真似は出来ない。
「分かった、ご苦労。しかし……何か言われなかったか?」
そんなバルトの心配を見通すかのように、「隊長もそう思ってましたか」とリーグは苦笑する。
「さすがにこの頻度での演習は珍しいですからね。中佐は何も言って来ませんでしたが、整備班がピリピリしてきて敵いませんよ」
それはそうだろうな、とバルトは予想通りの事態を受け止めた。
なにもトールに限った話ではないが、演習戦を行った後の機体というのは、多かれ少なかれ疲労を蓄積してしまう。その疲労蓄積を抑える為に、機動に一定の制限を設けたり、実戦使用されるような弾薬を用いたりしないというのは、演習戦を行う際の基本だ。だが、たとえそういった対策を取ったとしても、結局は演習後の機体を入念に整備しなければならないというのが現実だった。だから、こうも頻繁に整備や出撃準備を行う必要があるとなると、整備班の気が立つのも無理からぬ話と言えた。
しかし、パイロットにはパイロットの事情がある。演習を怠って実戦で撃破されるような事があっては元も子も無いのだし、機体フレームに蓄積した亀裂が原因でいきなり脚が折れようものなら、パイロットは笑い話にも出来ずに死ぬしかない。やはりここは整備班には我慢してもらうより他に無いと、バルトは気持ちを割り切った。
「整備班の苦労も、わからなくは無いがな。まあ、いい。演習は予定通りだ。13:40にブリーフィングルームに集まるように、ナオト少尉とルーカス少尉にも伝えておいてくれ」
「分かりました、ルーカスなら端末で伝えておけば気付くでしょう」
「連携も含めた部隊行動をやるからな、隊の全員にも参加してもらわなければ」
「勿論です。では、これから二号機を見てきますので」
リーグの手からは、既にパイロットスーツの装備一式が無くなっていた。トール操縦兵随一のベテランらしい手際で点検を終えていた彼は、格納庫へ向かう為に部屋を抜けていく。するとパイロットルームに残るは一人だけとなって、バルトは改めてこれからの問題点に向き合わざるを得なくなった。
〈デルタ3〉攻略任務の開始まであと数日、無事にナオトの訓練メニューを消化できたことは何よりだ。バルトは心底そう思っていたし、期間こそ短かったが、これ以上訓練を続けても得るものが薄いのは分かっていた。パイロットとしてこれ以上の成長を望むならば、まずは実戦に臨むほか有り得ないと思えるほどに。いずれにせよ、ナオトの意気込みが良い方向へと作用しているのはまず間違い無かった。しかし、――あるいはだからこそ――ナオトがトール四号機を乗りこなせるかどうかは、全くの別問題だった。バルトが頭を悩ませているのもその点に他ならない。
実は今朝、バルトの下にコリンド軍曹が訪ねて来ていた。
その理由はただ一つ、ようやく調整を終えた四号機に関する報告資料を届ける為だ。整備班をまとめる彼がわざわざやって来たという事実からして、四号機がいかに手強い機体であるかが予告されているようなものだった。実際、報告書を読み終えたバルトは、今こうして悩みの種を抱える事となっている。
「第三世代型トール〈四号機〉の調整、並びに基本改修の完了」と題された報告書は、機体が根本的に抱える危うさをも指摘するものだった。
それは、四号機という機体が、徹底した白兵戦仕様の機体として設計されていること。トール対トールという戦闘の構図において、白兵戦に特化した仕様というのはそれだけで大きな武器足り得る。相手を圧倒する大出力スラスターによる機動性、柔軟な機動を可能とする運動性など、それ自体は全くデメリットでは無い――――しかし、問題なのは、その特性を引き出す為にMNCSをより高感度にセッティングしなければならないという点だった。要するに、MNCSで拾う信号の受信感度を上げて、機体の機動性に見合うだけの反応速度・情報量を引き出そうというものだ。そういった措置を施せば、反応速度の上昇が見込まれる反面、パイロットの神経系への負担増加を避けられない。故に、機体の危うさというのは、そういったセッティングにしなければ真価を引き出せないという設計思想そのものにあった。
機体の真価を発揮するには、パイロットへの負担増を避けられない。
逆にパイロットへの負担を減らせば、機体の特性を殺しかねない。ならばどうするか。
そこで整備班が出した答えは、『四号機にリミッターを設ける』という一種の妥協案だった。
本来、完成された工業製品にリミッターは要らない。製品は設計に見合う能力だけを持てば良いのだし、適切な能力を持つ工業製品に機能制限など不要だ。しばしば過剰性能と揶揄されるような工業製品が、無駄に高価になったり、複雑で扱い辛くなったりするというのに、わざわざ過剰性能を持つ製品にリミッターを設けるのは、ある意味で技術の敗北を意味する烙印だった。だから、四号機へリミッターを設けるという策は、妥協案と呼ぶしかないのだ。
しかし、この場合は相応のメリットがあるという点も否定は出来ない。それは、平常時はパイロットへの負担を減らしつつ、必要な時には機体特性を発揮できるというリミッターの仕組みにある。
然るに、今回考えられている『リミッター』とは、永久的に機能を封印するような類のものでは無かった。具体的には、MNCSへの機能制限システム、そして駆動モーターの動作速度制限システムからなるリミッターを、コックピット側からの操作でコンマ数秒と置かずに解除できるという仕組みだ。こうする事で、普段はパイロットへ負担を掛けない範囲の性能で対処し、緊急時には機体特性を真に開放して戦闘を行うスタイルが可能となる。
こうなるとむしろ問題になって来るのは、パイロット自身の戦術判断能力だ。どうしても機能制限の解除には、非常に高度な戦術判断が必要とされてしまう。
つまり、必要とあらば躊躇いなくリミッターを解除し、不要な時には決して解除しないという判断が、本当に新米操縦兵たるナオトに出来るのかどうか――――これは言うほど易しく無い問題だと、バルトにはよく分かっていた。戦場に放り込まれた新兵が、敵に対する不安と判断能力の欠如から多くの無駄弾を撃ってしまったり、潜水経験の浅い潜水士が、必要以上に酸素を消費して潜水可能時間を縮めてしまうというのは、よく知られた事例だったからだ。この事例に従うなら、大きな脅威にはならない敵を目の前にしたナオトが、不用意にリミッターを解除してしまうような事態も充分に考えられる。むしろそうならなければ不自然だ、とさえバルトは考えざるを得なかった。
だからこそ、訓練の中で判断力も育てていかなければならない。だがそれは、通常の訓練に加え、更なる負担をナオトに強いる事を意味する。正直なところ、バルトとしても、これだけの事を新兵がこなせるのかどうかは判断しかねていた。
……いっそ、任意に解除できるリミッターとしての運用を取り止めてしまおうか。そうすれば、高度な戦術的判断は求められなくなる。
だがその時、バルトの脳裏を過ったのは、数日前に聞いたナオトの言葉だった――――「全力で取り組みます!」
あの言葉に嘘は無かった、少なくともバルトにはそう思えた。
そして、ナオトにはそれだけの実力があると信じている。これもまた事実だった。ならば、やるべき事は決まっていた。
……元はといえば、自分が提出した改修案が発端なのだ。ここまで早い実戦を想定していなかったとはいえ、ナオト少尉を一人前に育てる義務が、自分にはある。
下士官部屋の机には、大量の書類が積み上げられていた。その全てが、新しくロールアウトしたトール四号機に関する報告資料だ。
部屋の主たるナオトは机に向かい、勉学に励む学生さながら必死に書類に目を通しているところだった。四号機のパイロットは他ならぬナオトだから、この書類の山から逃れる真似が出来るはずもない。特に、先日の訓練で自らの勉強不足を思い知らされたばかりだったから、余計に逃げ出す訳にはいかなかったのだ。
ナオトは不意に息を吐くと、凝った身体を伸ばすように天井を向いた。先ほどになって、ようやく資料の2/3程度に目を通し終えていたのだった。あまりに情報が多く、全てを理解し切れた訳では無かったが、パイロットとして知っておかなければならない部分については、既に頭に入っている。
四号機の基本的な操作系統は、――四号機の方が遥かに洗練されていないとはいえ――ただの訓練用トール〈MH―T7〉と変わりない。例えば、バルトの乗る一号機や、ルーカスの乗る三号機のように、何か特殊な大型装備が組み込まれている訳でも無い。
ただし、装備し得る武装に関しては、やや制限の大きい機体だという事が判明していた。端的に言えば、四号機はガトリング砲や狙撃ライフルといった大型火器が運用出来ないのだ。機体フレームの剛性が足りないから運用出来ないのではなく、応答速度に重点を置いて設計された専用駆動モーターが、そういった大型火砲の反動軽減を行える仕様では無いのが直接の原因だった。瞬発力に長けてはいるが比較的非力で、徹底的に相手の懐に飛び込まなければ戦えない機体、それが四号機という機体なのだ。
しかし、それを差し引いても目立つ特徴といえば、やはり追加改修が施されたMNCSだった。簡潔に言うなら、四号機のMNCSとは、『思考深度』が大きいMNCSと表現できる代物になる。
そもそもMNCSとは、『体性・交感神経反射』という人間に備わっている反射機構などを介して、動作情報を抽出するブレイン・マシン・インターフェースだ。平たく言えば、パイロットの思考や意志を機体動作に反映するように働いている。ただし、MNCSは人間の思考を一から十まで完璧に読み取っているのではない。機体動作を補正するプロセスは秒間辺り十回以上という極短時間のスパンで行われている為、そもそも明確な反射が発生していないという問題があるのだ。
その不足分を補うために、MNCSには極めて重要な機能として、欠損した信号を補うための推論エンジンが搭載されている。これは、パイロット自身がはっきりした反射を出力出来ていなくとも、M.N.C.S.側が運動野の兆候からその信号を読みとり、推論した結果を機体動作として出力するというシステムだ。これが機能するおかげで、ようやくトールは歩く以上の動作が可能になる。
この『思考深度が大きい』というのは、つまりパイロットの曖昧な信号をも拾い上げて、機体動作に反映するという意味になる。しかし、曖昧であればあるほどノイズは大きくなってしまい、推論エンジンはその不足を更に補おうとする為に、MNCSとパイロット間のやり取り回数を増やすように機能する。結果、MNCS側の推論とパイロットの思考との齟齬を埋めるための修正が、極短時間の内に何度も何度も行われる事になる。
しかし、これはパイロット自身にすら自覚できていない間に起こる措置であり、脳への負担、精神的負担が大きくなってしまう。最悪、無意識下での膨大な情報処理が脳のオーバーフローを起こし、意識を失ってしまうことも。
だから、思考深度の大きいMNCSというのは、危険な代物だった。その上、リミッター掛ける必要が生じたほどに鋭敏なMNCS制御系となれば――――言うなれば、気が触れかけている暴れ馬を任されたようなものだ。それが果たして自分に使いこなせるのかどうか、ナオトには不安でたまらなかった。
しかし、それが愛機ともなれば興味は湧く。まだまともに触れてすらいないのに、愛着すら湧いて来ている。彼の中で渦巻く葛藤は、部屋にアラーム音が響くまで打ち破られることは無かった。
極めて義務的に、そして電子的に、ピピピッと鳴り続けるアラームを止める為にナオトは立ち上がる。それは、集合時刻が迫っている事を知らせるものだった。




