第102話「記憶と呼ぶにはあまりに儚く―2」
四号機の頭部が横を振り向き、MNCSとの全面リンクの影響で『見えていた』弾道へと左腕を伸ばす。その手に握られていたのは、最後に残されたグレネード弾頭の一つ。出来るだけ機体から離した位置でグレネードは起爆され、ほぼ同時に着弾したHEAT弾頭が左手ごと機体を吹き飛ばしていった。
今までにない衝撃がナオトを襲い、四号機に砲撃が直撃した事を理解させる。
分厚い複合装甲の鎧をまとうトールすら易々と粉砕してみせる一号機の多薬室砲、その一撃を喰らったなら第三世代型といえどもただでは済まない。特に撃ち出されたのがAPFSDS弾頭や自己鍛造弾などであったなら、こんな受け止め方では命が幾つあっても消し飛ばされかねない程だ。だが、比較的有効範囲の狭いHEAT弾頭であったなら――。
機体から出来るだけ離れた場所で起爆させるようにと突き出した左腕は、ナオトの目の前で粉砕されるように破片と化した。それでも、撃ち出されたHEAT弾頭はコックピットまでは突き破る事が出来ず、空中へとメタルジェットを飛散させるに留まった。同時に、ほとんど一瞬で辺りを覆うほどに拡散した白煙が、両腕を失った四号機と未確認機を覆い隠す。
着弾時のはずみで頭を打ち付けたナオトは、今度こそ喪失を免れない意識の狭間でメイカの姿を見た。白煙の中に隠されるまでの一瞬、彼女は突然の衝撃に身をすくめ――しかし、怪我一つない姿を四号機のメインモニターに晒していたのだ。
素直に「良かった」とだけ思えたのも束の間、薄れゆく意識を自覚しながらも、ナオトは最後の気力を振り絞って懸命に口を動かそうと試みた。
「はやくここから離れてくれ、メイカ」
言い終える事が出来たかどうか、果たして彼女にそれが伝わったかどうかは、遂に分からなかった。夢と現の奇妙な符号に不可解さを覚えるより、敵として出会わねばならなかった運命を呪うより――ナオトはただ、彼女がひとまず生き延びてくれる事だけを祈った。祈りながらも、彼はそのまま無意識の海底へと沈んでいったのだった。
今度こそ力尽きたかのように機体も崩れ落ちる。Level4〈継戦不可能〉をモニターに表示した四号機もまた、その目に灯していた微光をふっと消し去った。
未確認機をかばう盾のように立ちはだかった四号機の背姿は、バルトにとって一瞬思考を停止させる程に衝撃的なものだった。何故、という疑問が浮かぶ間もなく、直前に押し込んでしまったトリガーボタンの感触がひどく嫌なものへと変わる。十二年来の仇敵へ撃ち込むはずだった弾頭が、よりにもよって部下の駆る機体へと――。
昏い喜びさえ伴っていたはずの感情が一気に温度を下げ、まるで氷水をぶちまけられたかのように急激に理性が戻ってくる。しかし、撃ち込んだ弾頭が今さら戻るものでは無い。状況を飲み込めたのは、山の中腹へと着弾の衝撃が撃ち込まれた後だったのだから。
大きく巻き上げられた土煙と白煙の中へセンサーを向けつつ、バルトは必死に呼び掛ける。
「ナオト、ナオト少尉‼聞こえているのなら応答しろ!」
損傷による細かな数値誤差をも補正した一撃、多薬室砲の狙いが正確であったことは、誰よりも彼自身がよく知っていた。未確認機があのまま動いていなかったのなら、この距離で外したという事は有り得ない。未確認機をかばうように飛び出したのなら、四号機への着弾もほぼ確実に違いない。僅かな希望を自分自身でへし折るような真似をしながらも、バルトは部下の無事を願わずにはいられなかった。
『う……』
「声……応答できるのか? 無事なのかナオト少尉は⁉」
滑らかな通信の中に呻くような声を聞き取り、バルトはひとまず安堵した。とりあえずは生きている。コックピット内の通信機器が健在であるのなら、パイロットの身体が吹き飛んでいるという可能性も低い。実際にコックピットハッチをこじ開けるまで分かったものではないが、ナオトは無事と言っても良い状況だろう。四号機から送信されてくるデータに目を通しつつも、まずは部下の無事を喜べたという事実が、彼の心に細やかな救いをもたらす。
が、そんな自分が居るのと同様、四号機よりも先に未確認機を探す自分が居たという事実も認めねばならなかった。茶色く視界を濁らせる土煙と白煙が混じり合う中に、黒曜石の装甲が浮かんでこないかと探す自分が居る。本心からナオトの安否を気遣いつつも、多薬室砲への次弾装填を既に終えてしまっているという事実がある。もし未確認機を見かけたなら、その瞬間にもう一弾を叩き込みたいという衝動すら、全く否定出来るものでは無い。
だが、白煙が晴れた後にあったのは、半壊したまま稼働停止した四号機のみ。黒曜石のトールなど影も形も無く、今さら追撃が出来ない事は明白だった。
「もう追えない、か」
命を削りながら未確認機と相対していた時には、腹の底に感じられていたはずの炎。喜びと憎悪とがないまぜになったような、全身の血管を内から焼き尽くさんとする感情の沸騰。あの熱はいつしか消え失せ、どこか身体の外へと霧散していってしまったようだった。
一時は軍人である事など忘れていいとすら思った。
だが、そんな状態ですら、軍人としての大義を外れて動く事は出来なかった。
ならば、十二年前から抱いていた執着とは何だったのか。と、バルトは自身の行動の意味を自問せざるを得ない。軍人としての立場を纏いつつ、私人として仇敵に執着した姿勢は何だったのか。目を閉じ、すっかり冷え切った心に問うてみたが、今の彼に出せる結論では無かった。
決して忘れる事の叶わない私情と、軍人として生きるというささやかな希望の未来。縛るものと見据えるものの間で揺れ動き、どちらか一方を選び取る事すら出来ない中途半端な男には結論する事すら許されない。バルトにはもう、何もかもが分からなくなっていた。
「また奴に届かなかった、一体何が足りなかったんだ……‼どう生きれば、俺は……」
十二年前の光景を思い出した時には確かにあったはずの炎を感じられなければ、もはや理解する事さえ出来ない。狂気すら帯びた熱を見失い、一層凍てつく心に吹き込む風は、冷たかった。
遂に敵追撃部隊を退けたホエール艦内、その第二格納庫に響き渡る怒声は尋常では無かった。
「ナオト少尉、お前のやった事は味方の尽力全てを愚弄する行為だ、いったい何のための撤退戦だと思っている! 言え、あれは何のつもりだった」
「あれは撃ってはいけない人だったから……だから止めようとしました。本当にそれだけなんです、信じてください!」
両腕を失うほどの損傷を受けた四号機はもたれかかるように格納され、その隣には正面装甲を焼き尽くされた一号機が膝立ちでなんとか自立させられている。パイロットが昏倒した四号機を引きずるようにして回収して来たのは一号機だが、ホエールに降りて来た途端これだった。
バルトは、整備員に四号機のコックピットハッチを開放させ、自らはハッチの上に陣取るようにしてコックピット内を見下ろしている。その顔に浮かぶのは怒りと、一抹の後悔。当のナオトに意識が戻ったと見るや、広い格納庫内に反響する程の怒声は飛ばされ始めたのだ。
当然、多数の整備員にもそれは聞こえているはずだったが、今は聞こえない振りをして作業に没頭している。否、パイロット同士が怒鳴り合っている声など、本当に耳に入っていないのかもしれなかった。最初は聞き耳を立てていた者たちも、一号機と四号機の損壊状況を把握するなり顔を蒼ざめさせ、野次馬行為など放り出して作業に没頭し始める有様だったのだから。
「本当にお前はこの戦いの意味を分かっているのか……! 分かっていてあんな行動を取ったのなら、何のために四号機があると思っている!」
「大尉殿ォ、ちょっと落ち着いてくださいって」
敵増援部隊の中でもっとも執拗だった砲撃部隊を退け、ようやくホエールへと帰艦した三号機のパイロット――ルーカスが、地上から上官をなだめるような声を掛ける。その隣では、三号機と同様の経緯で、二号機共々到着したばかりのリーグが無言で事態を見つめていた。
「中尉殿もなんとか止めてくださいって。四号機があれだけ損傷を受けてるなら、ナオトだってまともに応えられる状態じゃないし。もしかしたらリミッターを外した可能性だって……そんなんだったらまた入院ものですよ?」
普段では有り得ないほどに激昂した上官の様子に戸惑いを隠せず、ルーカスは困り果てた様子でリーグの顔を見つめた。リーグの表情は険しい。が、その奥には哀しみのような色が漂っていて、ますますルーカスは混乱を加速させる。
「ルーカスは黙っている事だ。あんな様子を見ていれば分かるだろう? バルト大尉が言いたいのは、きっとあれだけ激怒しているのはそういう事じゃない。大尉が本当に怒りをぶつけているのは、ナオト少尉じゃない……」
「はい?」
バルトに長年連れ添った副官の言葉は、ルーカスが理解するにはあまりに含蓄の濃い内容であり過ぎた。意味がさっぱり理解できず、ルーカスは打つ手なしと踏んで再び頭上を見上げる。
「ナオトじゃないって……相手はナオトしか居ないじゃんなぁ」
「分からないか? バルト大尉自身さ。本当に不器用な人だから、ああするより他に自分を赦すことが出来ないんだ。自分の中途半端さがどうあっても赦せなくて、だからこそ潔癖であらねばならないなんて思ってしまってる」
「……はあ。じゃあ、大尉殿はどうなりたいと思ってるんです」
「さあな。ただ、もし大尉が大尉自身の行動を悔いているんだとしたら……それこそ軍人をやりたいんじゃないのか。俺にはそう見える」
言葉の端々に浮かぶ意味を完全には理解しきれなかったが、ルーカスはとりあえず発言に同意して見せた。決して適当にあしらった訳では無い。『バルト大尉は軍人には向いていない』とかつてリーグの言った事を思い出し、目の前の状況から本質を引き出そうと試みるだけである。
ただ、どうやっても――頭の中に浮かぶある人物の例を取り上げてみても、バルトが軍人に向いていない類の人間とは思えず、思考が止まった。少なくともルーカスの思い浮かべる『軍人に向いていない人間』とは、軍人としての理想も大義も忘れて府抜けた人間の事である。軍人としてうまくいかなくなったら酒浸りになり、支えようとした家族にすら情けない姿を見せ続け、挙句息子にさえ軽蔑されるような――。
「別に、親父みたいな人じゃないのになぁ」
「……なんだ?」
思わず呟いていた言葉は、隣に立つ上官の耳にも届いていたらしい。まだ身近な誰にも話してなかったのは、こういう時に同情されるような目を向けられるのが嫌だったからだ。
ルーカスは人知れず抱えていた悩みの種を久しく思い出し、バルトが軍人に向いているのかなどと考えてしまったことを後悔していた。だからこそ、その仔細を敢えて聞こうとしないリーグの姿勢は有り難い。
「いや、なんでもないですって。それよりもそろそろ大尉を止めないと、もうナオトは限界なんじゃないですかね。多分だけど」
見るに見かねて四号機の整備デッキへと走り出したルーカスの先で、遂にバルトが拳を振り上げる。来るだろうとは思っていたけどさ、と思わず目をつむりかけるが、その拳がナオトの顔面に振り下ろされる事は無かった。それこそ不可解な上官の行動をまじまじと見つめていたルーカスだったが、バルトの表情に深い自責の念が浮かんでいる事には気付けた。
「殴られなくてよかったな、ナオト少尉よ」などと一人茶化してはみるが、その行為の裏にある意味は彼が想像しているより重いのかもしれなかった。少なくとも彼の知るバルト大尉とは、たとえ部下であっても人を殴るような人物では無いし、ましてや一度殴ろうとした相手を気紛れで見逃すような人物などではない。ならば何が彼を踏みとどまらせたのか、これもルーカスには分からない事だ。
それから間を置かずして、足早に四号機のハッチから立ち去るバルト。上官の姿が視界から消えるや否や、緊張の糸が切れたかのように四号機のコックピットシートへと沈んでいくナオト。やはり、だった。戦闘の過労でまたもや意識を失ったのなら、誰かが医務室へとナオトを運び込んでやらねばならない。そして彼を医務室へ担ぎ込む役を買って出たのは、例の如くルーカスに他ならなかった。
同僚として、友人として、ルーカスがナオトに肩を貸してやるのはもはや何度目かもしれぬ事態となりきっていた。
国境パトロール部隊の二度に亘る襲撃、更に一大増援部隊による襲撃を退けた直後。試験先行運用部隊のパイロット全員が撤退戦を乗り切った、と言うにはあまりに後味の悪い空気が格納庫を満たしていたのは事実だ。しかしそれもやがて、機体修復に追われる整備班の活気に圧されて、徐々にではあるが薄められていく。撤退戦を乗り切ったという事実は、そうしてホエールのクルー達の中に浸透していく『実感』となっていった。
そのころには既に、ホエールは敵勢力圏を脱して次なる目的地を目指している最中だった。参謀指令本部からかねてより立ち寄るようにと指示されていた寄港地――歴代八番目に工廠としての指定を受けたG.K.company保有の一大軍需製品製造工場。通称〈第八工廠〉を目指して、遂に巨鯨は山の海を脱する。




