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竟憶のリトロス  作者: 鉄乃 鉄機
9章:撤退
106/123

第101話「記憶と呼ぶにはあまりに儚く―1」

 確かに四号機のコックピットに居たはずのナオトは、しかし、果て無き夢幻の沼へと引きずり込まれようとしていた。

 束の間、遊離していた意識は急速に収束していく。小さく、もっと小さく、まるで時間を巻き戻すかのように何もかもが縮んでいく。同時に、身体の実感が末端から戻ってくるのが感じられる。指から腕、爪先から脚全体へと、温かい湯を注ぎ込まれるかのような感覚だった。

 気付けば、ナオトの全ては子供時代へと戻っていた。自分を取り囲む家具、古木、青空、そして世界そのものが計り知れぬ大きさを以て彼を包み込む――単純な世界。そんな世界でやるべき事は一つしか思い当たらず、彼は身の回りをきょろきょろと見回した。

 がらんとして広い部屋に、散乱した遊び道具の数々。そこが孤児院の遊技部屋だという事は分かっていたが、そういう事では無かった。自分は遊び道具を探している訳じゃない。部屋に散らばっていたブロックの一つを乗り越えながら、ナオトは部屋を飛び出して廊下を走る。

 ドア、ドア、ドア……一つ一つが部屋へと通じる入口だったが、どれに入ればいいかは分からない。延々と設置された扉の数々は固く閉ざされ、とても開けられるものでは無い。

 どこかに開いている扉は無いか、探しているものはそこに無いものかと、彼は再び勢いよく駆け出した。いくら走れども、不思議と息が上がる事は無い。代わりに、幼い使命感が胸を詰まらせる。早くしなければ、暗い場所から探し出してあげなければ。自分と彼女(・・・・・)は、そういう約束をしていたのだから、と。

 果てなく続くように思える廊下の先からは、不気味に響く砲撃音が木霊していた。ナオト自身にはどうすることも出来ず、「はやく見つけなくちゃ」とだけ呟いて懸命に走り出す。自分にはもっと速く走るための手段があったように思えたが、それが何かは思い出せなかった。

 砲撃音はいつしか明確な声へと変わり、必死に駆けるナオトへと質問を投げかけて来る。

 ――どうして走っているの? 

 かくれんぼをしているから。はやく見つけてあげないと可哀そう、と思う。

 ――なにを? 

 小さな女の子。自分よりも小さくて、でも年が離れている訳じゃない。

 ――それは誰? 

 それは……。

 自分が探しているのは一体誰なのか。そこで、ナオトは初めて疑問に感じて足を止めた。思い出そうとする度、脳裏を掠める名前はある。だが、まるでそこだけ霧が掛かっているかのように、はっきりとした名前を思い出す事が出来なかった。否、名前だけでは無い――その顔も。

 頭の中にあるはずなのに、あと一歩のところで思い出せない。

「探しているのは一体……」

 そう呟いた瞬間だった。今までの世界は嘘のように消え失せ、ナオトは再び現実の世界へと引き戻されていた。機体ごと吹き飛ばされた衝撃で身体を打ったのか、全身が鈍痛に満たされている。呼吸をする度にぶり返して来る痛みで、まだ自分が生きているという事実を嫌と言うほど思い知らされるのだ。彼は間違いなく生きていた。同様に敵もまた、生きていた。

「て、敵はどこに!」

 噴き上がってくるイメージの焦点が合う間もなく、危機感だけが先走って背筋を冷たくする。敵が来る、その一念が混濁する思考の中を駆け巡り、隙を作るまいとしてナオトを突き動かした。無理を承知でフットペダルを思い切り踏込み、復旧したばかりの制御システムを伝って満身創痍の機体へと鞭が打たれる。

 仰向けに機能停止していた状態から、未確認機の方へと向き直ろうとする四号機。だが、その動きはひどい痙攣を起こしたかのようで、傍から見ても異常という他なかった。コックピットに居るナオトには、なおさら事態の深刻さが理解出来る。端的に言うならば、四号機は瀕死も同然の状態だったのだから。

「左腕、それに右腕も喪失、各部駆動モーターの反応速度は平均で19%にまで低減。いや、そもそも信号が届いていない……MNCSがダウンしたと思ったらこれか⁉自己診断システムは――」

 Level4〈継戦不可能〉

 サブモニターに表示された自己診断システムの判断は、これ以上の戦闘行為が不可能だという事を示していた。機体制御の中枢たるMNCSすら、一時的にシステムダウンしていたほどのダメージである。今まで蓄積した分の損傷も含めて、戦闘を継続出来ないほどの状態に陥っていてもなんら不自然な事では無い。が――。

「それでも、動いてくれ……‼」

 モニター越しに未確認機を見つめるナオトは、四号機へと願わずにいられなかった。

 未確認機はギクシャクとした動きで立ち上がると、こちらへと歩いて来る。装甲裏に血色を滲ませる禍々しさは鳴りを潜め、今や展開していた装甲の多くも閉じている。特徴的だった双眸も闇の中へと埋没し、中央には歪んだT字のメインカメラが浮かんでいるのみだ。どちらにせよ無傷とはいかなかったらしいが、今の四号機よりは遥かに動ける状態にあるようだった。四号機を確実に仕留めるためか、その歩みはこちらへと迫って止まることが無い。

 相変わらず震える左腕を押さえつけて、四号機のハンドガンが未確認機へと向けられる。駆動系に深刻なノイズが走っているのか、銃身は細かく震えて安定しない。辛うじて向けた銃身すら半ばからぐにゃりと歪んでおり、攻撃はおろか牽制にさえ用を果たさない事は明白だった。未確認機側でも気付いていない筈は無い、などと考えれば指一本動かせなくなってしまう。

 血の気の無くなったナオトの額を、冷たい汗が滑り落ちていった。

 未確認機との間で致命的な沈黙が流れたのち、左腕はやがて力尽きたかのように地面へと叩き付けられた。ようやく警告がLevel3〈一部機体機能の喪失〉まで引き下げられたものの、武器とてないこの状況で何ら慰めとなるものでは無い。未確認機は四号機から数歩のところで立ち止まり、睥睨するかのように半壊した機体を見つめていた。

 不思議とその姿から殺意が感じられないのは、もはやこちらと戦う気が無いからだとナオトは理解する。つまり、あとに残っているのは『狩り』であり、『後始末』だ。相手はこちらを始末するにも、戦う必要さえない。

 その時ふと、敵機の姿すら霞んで見えるようになったなら、ナオトは自身の限界が近い事を悟らざるを得なかった。考えても見れば、四号機のリミッターを解放してからとっくに二分以上が過ぎている。再起動したMNCSの設定も、システムダウンした直前の状態を再現するように設定されており――つまりは、現在もMNCS操縦系統のリミッターは解除されたままなのだ。皮肉にも、機体制御システムが一旦ダウンしたのが幸いしたようで、未だに意識は保てている。しかし、MNCSとの全面リンクが中断された影響を考慮しても、あまり長くは保ちそうになかった。リミッターを再び機能させようものなら今度こそ、辛うじて復旧したMNCSが落ちる危険性もある。迂闊に抑え込む訳にもいかない。

 モニターを見つめるナオトは、霞む視界を振り払うように頭を振った。こんな時だというのに現実感が喪失し始め、思考がまとまらなかった。考えてもいない言葉が脳裏を駆け巡り、気付けば独り言として呟き始めていたのだから、ナオト自身ぞっとせざるを得ない。MNCSと無理に全面リンクし続けていた反動が、ここになって表面化しているに違いなかった。

 意識そのものも、どこからか噴き上がって来たイメージに押し流され、首元にまで迫った命の危機がどこか遠くに思える。気を抜けば、再び幼少時の記憶へと引きずり込まれてしまいそうだった。

 ……でも、未確認機の様子はどうにも変だ。

 何故か、未確認機の姿から害意すら消え去ったように見え始めたナオトは、咄嗟に自らの考えを否定した。単に現実感を喪失し始めているからそんな感覚を覚えているに過ぎないのだ、と自身に言い聞かせる。

 それでも、四号機を目前に捉えたまま未確認機は動かなかった。その裏にある意図を全く理解出来ぬまま固まっていると、突如として未確認機ががっくりと膝を突いた。こちらに止めを刺すどころの話では無い。それどころか力尽きた人間を思わせるような動作で片膝立ちの姿勢を取ると、T字のカメラアイの光までもが消え失せた。

「え……?」

 ナオトがその様子を信じられぬ思いで見ていると、コックピット内のスピーカーが唐突に音声を出力してみせた。それは通信音声などではなく、機体外スピーカーが直接拾った音声であるらしい。つまり、相手は直接こちらに話し掛けようとしている。

『あなたは、誰?』

 不審を滲ませ、それでいて勇気を振り絞ったかのように呼びかけてくる儚げな声。思わず耳と自らの正気を疑うものの、発信源は紛れも無く目の前の未確認機であり、それでいて――これが最も信じられない事に――若い女性の声で呼びかけられているのだった。もっと言うならば、少女のそれと呼んでも差し支えないほどに若い声だ。

 ……まさか、そんなことある訳がない。

 その微かに震えている様までもが感じ取れる声音には、どこかで聞き覚えがあった。否、焦点のずれたままだったイメージにぴたりと当てはまる声だった。馬鹿馬鹿しいと一蹴しようにも何故かそれが出来ない。少なくとも声の正体について何も確かめないまま、今の未確認機へ向けて銃を向ける事はできそうになかった。

 このままでは戦えない。

 本当に、本当に愚かしい事をしていると自覚しつつも、彼は機体外スピーカーに、「ナオト=オウレン……少尉だ」と出力させた。少尉だ、と官姓名を付ける事へ酷く違和感を掻き立てられた理由は、彼自身にも全く理解出来ない事だった。頭は混乱で真っ白になりつつあるのに、何故か敵意よりも興味の方が尽きない。遂には、ナオトからも相手の正体を問い掛けねば気が済まなくなって、

「君は誰なんだ?」

 戦場にあってはふざけているとしか思えない言葉が、自然と唇から漏れ出てくる。

 しかし、その答えは既に分かっていたのかもしれなかった。なにしろつい先ほど見たばかりの幼少時の記憶は、ある一つの名前の存在を強烈に示し続けている。問い掛けられた途端にその名前が思い浮かんだのだから、今さら無関係と切り捨てる事も出来ない。それこそは、幼少時の記憶にこびりつく女の子の名前、そして自分が探し出さなければならない人の名前であるはずなのだ。

 互いに、互いを試すかのような沈黙が走る。そして全く同時に、同じ名が二つの唇より紡ぎ出された。

「メイカ……?」

『メイカ』

 何を恐れているのか。弱弱しい名乗りの声が、ぽつりとこぼれ出て来た。次の瞬間には何かを決意したかのように、震える声の中にも芯を感じさせる言葉が紡ぎだされた。

『メイカ=アシュレイ。あなたも……ナオトも私を知っているの?』

 突拍子もない事を言っているという羞恥などどこにも感じさせず、メイカと名乗る少女は語り掛けてくる。未確認機の腹部付近に光の筋が走ったかと思うと、まるで黒曜石が裏から押し出されるかのように、装甲の一部が前面へと展開する。それがコックピットを保護する外部装甲板の展開であろう事は、ナオトにも理解できた。機体外のスピーカー越しではもはや不足だったのか、遂にコックピットハッチまでも開放しようと言うのだ。軍人としてのナオトは驚愕しつつ、私人としての彼は半ばその事態を受け入れて、その光景を見つめていた。

 未確認機のパイロット――メイカと名乗る少女――は、まるで黒曜石から抜け出して来るように、その華奢な姿を天光の下に晒す。痛々しいまでの重装備を施されたパイロットスーツは、まるで枷か何かであるかの如く彼女を絡め取って離そうとしない。それはナオトにとって、彼女を縛る呪いが具現化したもののように見えて仕方が無かった。

 ある種の罪悪感すら喚起されるような姿に、とにかく隠そうともしない必死さがナオトにも伝わって来る。ナオトも同じようにハッチを開放して、記憶の中に居た少女の正体をはっきりさせたいと願う。メイカという名前、それは記憶の中にあった少女の名前に他ならなかった。ならば、全く同じ名前を持つ目の前の少女の正体は……? 

 今触れあれば、何かが分かるような気がしていた。打撲で痛む手を伸ばし、思わずコックピットハッチの開放コマンドを入力しかける。が、別の緊迫した声がスピーカーを震わせた。

『こちら|コード1(一号機)《一号機》。ナオト少尉、今すぐそこから――いや、奴から離れろ』

 それは紛れも無く一号機からの通信だった。バルト大尉はホエールに迫っていた敵増援部隊と戦っているはずではないのか、とナオトは反射的に考えたものの、現状からすると答えは割と単純なものであるらしかった。

 四号機から見れば左側面にあたる遠方、モニターに合成表示されている一号機を見やると、友軍機を示すマーカーとして光る様子がある。直接視認できない森の中で、こちらからは到底手の出せない遠距離から多薬室砲の一門で狙いを付けているに違いないのだ。

 加えて、一号機の周囲数kmに敵を示すマーカーが一つも無い事に気付いたナオトは、一号機がどういった経緯でそこに立ったのかをも悟った。一号機は――バルト大尉は、あれだけ傷付いた一号機で敵増援部隊を壊滅へと追いやったのだ、と。そこまでして未確認機を追って来るだけの執念、その苛烈さたるや、もはやナオトの想像が及ぶところでは無い。

 ……これだけの執念は、狂っている。

 そんな感慨を前にした時、彼は咄嗟にバルトからの指示を拒絶していた。

「出来ません! そこにメイカが居るっていうのに、どうして大尉が……!」

『お前は……』

 しばし絶句したらしいバルトの反応を理解し、ナオトもまた、自身の行動に絶句する程の衝撃を受けた。

 自身の取っている行動の意味が、傍から見ればまるで理解されないであろうこと。ナオト自身もまだ混乱の極致にあった為、ようやくその不自然さに気付けたということ。そもそも未確認機に無力化された四号機の現状を見れば、ナオトが命の危機に陥っていると判断されてもおかしくは無い。あらゆる意味において、狂っていると見なされて然るべきは自分のほうだったと気付く。

『出来ないなら絶対にそこを動くな。誘爆させはしないし、外しもしない。確実に奴の中枢を撃ち抜く――それだけだから俺に引き金を引かせてくれ、少尉』

 そのすがるような声の裏にある激情を感じ取ってしまったなら、ナオトの全身からは血の気が引いていった。どうあっても砲撃を止める事は出来ない、という直感が走った。

 自分はどうするべきなのか。現状の整理すらままならない彼は半ばパニック状態に陥り、未確認機のハッチに立つ少女へと視線を向ける。パイロットスーツから伸びるケーブル類が文字通りの枷となり、鎖となり、彼女は未確認機から自力で離れる事すらままならない。あるいは敵機――未確認機の至近で倒れる四号機――の存在を把握した機体システムが、ケーブル類の脱着をロックしているのかもしれなかったが、どちらにせよ彼女に外せる代物では無い。

 判断を決めかねていると、その彼女自身も、二言三言を発した直後に頭を抱えてうずくまってしまった。フラフラとした足取りで立ち上がろうとするも、どうやら意識が朦朧とし始めているらしい。遂には立ち上がる事すら諦めて、未確認機同様の姿勢から動けなくなってしまう。それが未確認機側との接続を強制的に断とうとした影響なのか、またはMNCSとの全面リンクによる反動なのかの判断は付かなかったが、どちらにしても深刻な状態である事には違いない。こうなっては自力で一号機の狙撃を避ける事が不可能な上、そもそもまともに意識があるかどうかさえ定かではないのだ。

「俺は……」

 微かな記憶に残る幼馴染としての、メイカ。

 黒曜石の巨神に収まる敵兵としての、メイカ。

 理屈の上では全くナンセンスだったが、かつての記憶に居た少女の姿は、目の前に姿を晒している少女のそれと重なり、もはや同化して引き剥がす事の出来ない一つのイメージとなっている。既に二つのメイカが同一人物であろう事は、揺るぎようの無い事実としてナオトには捉えられていた。明白な根拠は無かったが、強いて言うならナオト自身がそう信じたかったのかもしれない。自らの過去が確かなものであった事を示す、あるいは示してくれる彼女という存在があるなら、彼はそれを守りたいと感じてしまったのだ。

 ――後にその判断が、彼を深い後悔の海へ招き入れるものとも知らず。

「はやく隠れて!」

 機体外スピーカーに怒鳴りつけるようにして、ナオトが叫ぶ。次の瞬間には赤い霧と化してしまうかもしれない彼女の前に、彼は四号機のマニピュレータを盾のように差し出した。直後、それだけでは足りないとも判断し、彼女を繋ぎ止めていたケーブル類を根こそぎ引き千切った。そして既に発射されたとも知れない弾頭の射線に、四号機を割り込ませる。

 メイカの心底驚いたような表情、パイロットスーツを纏った彼女の生身を、四号機でおおった影の中に見たナオトは安堵感に包まれた。自分でも訳の分からない状況に固まっているより、実際に動いてしまった方が遥かに楽な心持ちだった。身を挺して敵機を庇うなど、ナオト自身にも正気の沙汰とは思えない行動だったが、メイカと名乗る少女を守るために動けたならどうでもいい――。そう思うと同時に、自らに迫る弾頭の存在を把握して静かに歯を食いしばった。


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