第100話「疵だらけの最新鋭機―3」
ナオトの理性がその意味を解する間もなく、MNCSは思考深度に関する制限を解除され、駆動系に対しては速度制限が解除される。途端、白い光に包まれるような幻覚に意識を奪われたなら、もう気付いたとしても止められるものでは無い。ひどく歪んだ時間感覚の中、ナオトが鮮明な視界を取り戻すと世界は一変して見えていた。
正面モニターを覆う黒曜石の威容だけは相変わらず。だが、後方に流れつつある四号機の挙動、弾丸の如く突っ込んでくる未確認機の運動、瞬時に大トルクを叩き出す駆動モーターの作動までもが感じ取れる。こうも極端に体感時間が延びたなら、自機を取り巻く状況の仔細を飲み込むことも出来た。見れば、瞬時に飛んできたにも等しかった鉈は、ようやくその軌道を読める程度にまで減速されている。しかし、回避運動だけで避け切る事は――出来ない。
ナオトにとっては焦れるほどに、ゆっくりと。減速した世界に取り込まれたような緩慢さでコンバットナイフが振り上げられ、円弧を描く鉈の軌道と交差する。モニターに光量補正が入るほどの火花を散らしつつ、コンバットナイフと鉈――二つの高周波ブレードが複雑な唸り音を上げて互いを削り合う。一旦、二つの刃が離れたかのように見えても、すぐさま真正面からぶつかっては再び火花を散らしていった。
リミッターを解いてから全力で動ける時間は、未確認機のそれよりも遥かに短い。そう自覚するナオトは、幾度も決定的な反撃を試みる。だが、万全の状態ですらない四号機には早くも限界が見えていた。相手の方が遥かに反応速度は高く、互いに同じ動作をしようとしても数段早く対応されてしまう。一方、四号機の駆動モーターも限界性能を発揮してはいるものの、MNCS制御系統からのあまりに速い動作指示に追い付けず、空転する始末だ。不穏に軽い動作の感触は、前にコリンド軍曹が予言していた通り、応急処置的に移植された駆動系が空回りしてしまっている証だった。それでも四号機は必死に相手の刃を受け止め続け、幾度目かの鍔迫り合いに持ち込む事に成功する。
だがこの時、ぶつかり合う両者の勢いは決して対等ではなかった。一瞬は拮抗していたかに見えた鍔迫り合いだったが、やや引き気味な四号機は相手の勢いを支えきれそうにない。
「こんな時に機体が付いて来ない……!? 時間が無いっていうのに、このままじゃ押し切られる」
じわじわと不利な体勢へと追い詰められつつあるのは、既に時間の無いナオトにとって致命的。それを知ってか知らずか、なおも強引に刃を押し当ててくる未確認機の力を受け流すように、彼は機体姿勢のバランスを故意に崩していく。その頭には、どうにかして相手の隙を作り出そうという考えしか浮かんでいなかった。
長い、長い体感時間を鍔迫り合いに費やした後、両機の姿勢が一気に崩れる。
まさに待っていた展開だった。咄嗟にモニターに指を走らせ、脚部ホバーユニットの噴出口を前方に偏向させる。そこへ些か過剰なまでの高出力を配分すると、四号機は未確認機の腹部を思い切り蹴り出した。同時に、猛烈な勢いで噴出されたスラスター炎が黒曜石の装甲を直撃し、蹴りの衝撃も相まって未確認機の姿勢が無様に崩れる。互いに大きく距離が離れたその一瞬、「今なら撃てる!」と言わんばかりに、四号機のハンドガンが一直線に未確認機を捉える。
吹き飛ばされつつある中――、未確認機の双眸は、怒りを煮えたぎらせるような激しさで四号機に向けられていた。その苛烈さに、ナオトは思わず身をすくませかける。が、スモーク弾頭を収めたハンドガンの引き金が引かれるまでに、殆どタイムラグは無かった。
電子的・機械的伝達によってハンドガンの発射機構が作動し、薬室内でただちに装薬が起爆。それに伴って銃身内部の圧力が爆発的に高まり、銃口からは初速を与えられたスモーク弾頭がひり出される。本来なら人間が知覚する間もない、そんな一瞬が両機の間で過ぎていく。
しかし、それは――ナオトに知覚できているなら――当然のことながら、未確認機とそのパイロットにとって知覚し得る一瞬でもあった。未確認機は獣の如き敏捷さで姿勢を整え、スモーク弾頭を真正面から切り裂かんとなおも食い下がって来る。その脚部装甲は滑るように展開され、関節部の可動範囲を限界以上まで拡張しているようだ。そこから叩きだされる運動性能は、MNCSとの全面リンクを用いても完全に追いきれるものでは無い。
四号機を狙い、ほとんど飛び込んでくるような勢いで伸ばされた鉈が、目の前でスモーク弾頭を叩き斬る。これでは十全にスモークが展開されるはずもなく、仮に起爆自体が上手く機能するにしてもあまりにタイミングが悪い。身を隠す時間すら奪われては意味が無かった。
そして、爆発的に拡散するはずの白煙が展開されるより早く、二度目の斬撃がモニター越しにナオトへと飛んで来た。
……スモーク弾頭を発射して駄目ならさ!
スモークが拡散してからでなければ、今度こそコックピットが分断される。全く本来の予定では無かったが、ナオトは咄嗟に弾薬が詰まったままのハンドガンにコンバットナイフを突き立てた。未確認機にその意図を悟らせないよう、ギリギリまで引き付けて掲げられたハンドガンが、四号機自身の手によって弾倉ごと突き抜かれる。途端、弾倉に収められた複数のスモーク弾頭は一斉に白煙を拡散させ、白い闇の中に両機を包み込む。四号機は視界不良の塊に紛れ、敢えてホバーユニットを起動させないままに後方へ大きく飛びのいた。
大振りの攻撃の後には相応の隙が生じる。と、身を以て教えられた教訓に沿うのなら、スモークを展開させる上でこのタイミングは成功と言えた。いかな運動性に優れた未確認機といえども、次の攻撃までに極めて短い隙が生じる。その隙に視界を奪えたなら、ほんの細やかな間合いを取るだけの時間は稼げるはずなのだ。
なにより、未確認機はこれで接近せざるを得ない。互いに視界が塞がれているのなら、接近戦に入る際の条件は同じで、運動性に優れる未確認機の方だけ有利という事は無い。むしろセンサー機能が相当に削がれているらしい未確認機より、四号機の方が一瞬早く相手の姿を捉えられる可能性すらあるのだ。
なら、次の一撃が成功するか否かで、未確認機を止められるかどうかが決まる。なんとか相手との距離を取った四号機の中で、ナオトは心の中に唱えた。狙うは鉈、未確認機が積極的に振るうあの近接戦闘用武装さえ奪い取ってしまえば、戦闘力は飛躍的に下がる。
「その為なら……」
左右前面、どのモニターを見ても白。各種センサーを見れば、何も映らない事を示す背景色。やはり極めて有効に機能している複合遮蔽スモークは、四号機自身の目をも塞いでいた。集中に努めるナオト自身、物理的な圧迫感に押しつぶされるかのような錯覚すらある。
異様に研ぎ澄まされた五感が、生身と言わず機体全体にまで張り巡らされているような感覚。たとえ、雪の一片が落ちる音でさえ聞き取れそうな集中は彼の耳に集まって、自然と瞼を閉じさせた。
ジェネレーターの稼働音、循環機構を巡る各種流体の発する雑音、それらに混じって装甲外から大気を裂くような異音が迫ってくる。静かでありながら異様さを漂わせる振動音、そこらの物体が移動したところでそんな音を発するはずも無い。その正体はこちらへと迫ってくる未確認機が発している音であるはずだった。もっと引き付けるまで、こちらの一撃が与えられる間合いまで。
……今だ。
ナオトが目を開くと同時に、――実際には半歩ほど遅れて――いささか暴力的なまでの警告音が耳朶を打った。弾かれたように動いた彼の視線は、右前方のある一点だけを睨みつける。敵はそこから来ると直感すると共に、スモークの流れにはほんの僅かな乱れが生じる。浸った者の精神をも削るような沈黙は、彼の体感に反して一瞬で終わりを告げていた。
「その為なら、腕の一本くらい!」
叫んだのと、黒曜石の装甲が白煙を貫いて来たのは、ほぼ同時だった。未確認機はほとんど何の予兆も無いまま接近してきたに等しく、沈黙していた動体センサーはその瞬間目覚めたかのように警告を発して来る。
それにしても、あまりに遅い。警告と時を同じくしてコックピットに走った鋭い衝撃は、やはり動体センサーの反応が手遅れだった事を教えてくれる。振り下ろされた鉈は既に、四号機の装甲に喰い込みつつあるところだった。
咄嗟に機体の中心軸をずらした四号機、その右腕の複合装甲を、高周波振動ブレードが容赦なく切断していく。切断しきるまでには一秒と掛からないはずだったが、鉈の刃は前腕の半ばまで喰い込んだところで止まっていた。明らかに無理な体勢で掲げられたコンバットナイフの切っ先が、鉈の半ばに引っ掛かってくれていたのだ。コンバットナイフに押され、徐々に複合装甲に埋まっていた刃が押し出されていく。
しかし、それも長くは保てなかった。鉈がじりじりとコンバットナイフの上を滑り、交差していた刃が一気に外れる。咄嗟の対応が悪足掻き同然の結果と終わったなら、あとは押し込まれるだけだ。前腕装甲に大きく喰い込んだ鉈が、今度こそコンバットナイフごと右腕を斬り飛ばすまで――あと一瞬。
その一瞬こそ、ナオトの欲していた時間だった。
四号機を切断することで未確認機も身動きが取れなくなる一瞬、そしてこちらの攻撃をあしらっていた鉈が拘束される一瞬。バルトがナオトにやってみせたように、左右どちらかの片腕に喰い付いた敵機は確実に攻撃出来る。四号機は既に、最後の武装を左手に握っていた。
実弾を装填済みのハンドガンは、反応の悪い左腕に装備されているに過ぎない。しかし、そんな事はどうでも良いとばかりに、構わず鉈の持ち手へと銃口が突き付けられる。広い刃の目立つ鉈の中でも、ひときわ無骨な方形を為す構成部品である。狙うには易く、ハンドガンから発射されたHEAT弾頭は鉈の持ち手を貫いた。
そしてナオトの目論見通り、持ち手付近に内蔵されていた大型バッテリーの中身――VHIT結晶が大気に露出した直後、20m級の機体を揺るがすほどの爆発が引き起こされた。VHITバッテリーごと吹き飛ばされた鉈はもとより、もろに爆発の煽りを受けた未確認機、そして自ら引き金を引いた四号機までもが隻腕と化して地面に叩き付けられる。
距離にしておよそ数十m。互いに真逆の方向へと機体が吹き飛ばされたことを考えれば、至近で爆発を受けた衝撃は尋常ではなかった。正直なところ、ナオトにしてもここまでの爆発が起きるとは予想していなかったほどだ。酷使し続けたせいで損傷の蓄積した四号機は、吹き飛ばされた衝撃によってたまらずシステムをダウンさせる。予備系統で維持されている以外、殆ど全てのモニター表示までもが消失する。
ナオトの意識もまた、爆発を視認した直後に薄れ始めていた。だが、完全に意識を閉じるまでのほんの僅かな時間、彼は奇妙な夢を見ていた。未確認機と接触した瞬間、脳裏で弾けたイメージに、徐々に思考が囚われていくのを感じる。まるで足首をがっちりと掴まれたかのように、夢とも幻覚ともつかぬ世界へと引きずり込まれるのが分かる。
……これは夢か、それともいつかの記憶なのか?
今となっては鮮明に思い出せないはずの記憶――幼少時の記憶が、見えざる手を伸ばすように意識を引きずり込む。現実へと戻ろうとしても、身体の実感すら失ってしまってはもがく事すら許されない。戦いを忘れ、四号機に乗っている事を忘れ、遂に身体に走っていた鈍痛すら忘れた頃には、既に夢に取り込まれたという違和感すら無くなっていた。




