第97話「それでも届かない刃―2」
バルトは、突如として湧き出して来た不条理に呻きつつ、傷ついた一号機を強引に振り回し続けていた。今や装甲を掠め飛ぶ弾頭は皆無に等しかったが、代わりに敵機そのものが弾丸と化したかのような勢いで襲い掛かって来る。血色の残光が視界に入る度、未確認機の動きが更に加速していくように感じられるほどだ。
「こいつ、どこまで素早くなる……!」
瞬く間に正面モニターを横切る機影を捉えつつ、肩部の多薬室砲を発射させる。
目標との距離はそう離れていない上に、弾頭は秒速数千メートルという速度で襲い掛かるのだ。長砲身ゆえに照準を合わせる事は困難な多薬室砲だが、合わせた相手に撃ってさえしまえば避けられるものでは無い。にも関わらず、そんな常識をいちいち嘲笑うかのような挙動を示して見せるのが、陽炎の如きパターンを纏う今の未確認機だった。
今しがた発射した鋭い針のような弾体が、空中で真っ二つに叩き折られて飛散する。未確認機の打ち込んだ手刀が、超音速の弾頭を正確に砕く。まさに冗談と思いたくなるような光景は、バルトの目の前で展開されているところだった。しかも、それが一度だけでは無いというのは異常と言う他なかった。
姿を禍々しく変容させてからというもの、未確認機の動きの質が変わっている。どこかで冷静に状況を分析している声を聞ききつつ、バルトは未確認機に向けて一号機を突撃させる。
加速時の荷重が身体を抑え付ける度、沸騰する喜びで体内が焼かれるような感覚に襲われる。こんな奇妙な感覚を味わった事などただの一度も無いはずなのに、彼はその正体を直感していた。軍人としては皮膚が粟立つような嫌悪感に襲われつつも、それが喜びという感情の発露である事を認めずにはいられなかった。心の中で囁く声がある。そう、自分という存在はこれを――。
「どんな姿になろうと、貴様のやった事はあッ!!」
役に立たなくなった左腕を庇いつつ、瞬く間に詰まる距離を一気にコンバットナイフで貫く。が、完璧に刺突を見切った未確認機に対しては、一撃を装甲に擦過させる事さえかなわない。逆に、カウンター気味に振り上げられた右脚部が、一号機の胸部ブロックを捉えてコックピット内を激震させた。途端に口内に広がった金属質な味は、体内で沸騰しそうになっていた血液のごく一部でしか無い。まだまだこんなものではない。咄嗟に湧いて出た一念に突き動かされ、倒れかけていた一号機が辛うじてコンバットナイフで切り返す。太刀筋は未確認機の喉元を掠め――それでも当たらない。失態にバルトが歯噛みする間もなく、そのまま両機は互いを削り取らんとする鍔迫り合いにもつれ込んでいった。
ただ、十二年間にも亘って何も果たせなかった自身を呪い、そして発酵させて来た怨讐が喜びへと変わっていく。刃と刃が交錯する度、心にまとっていた殻が少しずつ打ち砕かれる。その奥にあるものを認めてしまったなら、もう戻れはしない。そのまま戦い続けていたならば、戻れはしないはずだった。
しかし、沸騰する激情へ水を差すように、ふいにバルトの耳朶を打ちつける轟音があった。恐らくは遠方から届いたであろう砲撃音、それも一発や二発といった規模では無く、殆ど連続した音と化すほどに濃密な砲撃音の塊だった。どうして今まで聞こえていなかったのかが理解出来ないほどに、はっきりと、そして内蔵を揺さぶるような衝撃は伝わって来る。もはや薄紙の如く繋ぎ止められていた正気が、今まで追いやって来た理性をバルトの脳髄に蘇らせた。
未確認機の振るう刃に全神経を集中しつつも、僅かに残った理性が彼の身体を突き動かす。半ば勝手に伸びて行った指は、一号機に対する通信を繋いで見せる。途端にコックピット内へ流れ込んで来たのは、部下からの悲鳴にも近い通信内容。刃を交え続けるバルトには応える暇も無く、その間にも一変した状況は並び立てられていく。
『やられましたよ、大尉殿! 連中、最初の三機を失ったと見るや、今度は20機以上の戦力を投入して来て! 俺たちには一個中隊、そしてホエールの方にも一個中隊ですよ。まさか初めからこの大戦力が本命で、狙いはホエールと俺たちの分断にあったんじゃ……』
『こちらコード2。一個中隊のトール砲撃部隊に挟まれて、我々はすぐには動けそうにありません! 三号機と突破は試みますが、その隙に10機以上のトール部隊がホエールに到着してしまいます。ですからバルト大尉、ホエールの援護へ……一刻も早く!』
戦力の分断、敵の大規模増援、そしてホエールの危機。それは、これ以上悪化させる事など難しいように思われた戦局が、更に悪化していく様に他ならない。
「手持ちのトール部隊が潰されたらこれか⁉どうしてこのタイミングで、ホエールの方に大部隊が投入できたと言うんだ。今さら中隊規模の増援などと!」
そんな部隊の存在など把握していないし、対策が取れるはずもなかった。今さら駆け巡る驚愕は現状を打破するものではないが、バルトの背にひやりと冷たいものが滑り落ちる。
「初めから、増援の存在を把握出来なかったのでは無く、把握出来ないようにされていた……?」
地平の敵を探す対地レーダーは、起伏の激しい山間部などにおいては索敵性能が下がる。居場所の発覚を恐れて、ロクに高空からの索敵も出来なかったホエールにとっては、その点が最も懸念されていたのだ。だからこそ、出来る限り〝見晴らしのいい〟場所を選んで航行していたのだが、それを逆手に取られたらしいという事だった。それどころか敵の指揮官は、こちらが取るであろう作戦の弱点を初めから見抜き、思うままこちら側の作戦を引き出したという事になる。こちらにとって唯一無二のチャンスと見えていたものは、敵側にとって千載一遇のチャンスでもあったのだ。現にこちらは戦力を分断されたにも等しく、敵側はまんまと無防備なホエールへと襲撃を掛けようとしている。
「このままでは、ホエールの出せる戦力など――」
バルトの脳裏を、ホエールに格納されたままの四号機と年若き少尉の姿がよぎる。だが、次の瞬間にはそのイメージを頭から振り払った。今の四号機で一個中隊を相手取るのは危険すぎる。しかし、二号機と三号機が救援に向かうのでは遅すぎる。
この状況を打破するには誰が動くべきなのか。元より一つしかない結論は、バルトによって形にされる事を望んでいるかのようだった。無念さに煮える胸中を無視出来るななら、取るべき行動は一つしかないはずだった。
「……なら、俺が向かうしかない」
言い終えて、噛み切ってしまった唇からは赤い筋が伸びて行く。それがたとえ衝動的であったにしても、言葉にでもしておかなければ、考える事すら許容できるものでは無かった。未確認機との戦闘を切り上げて、今すぐにホエールの救援へと向かわなければならない。そんな事実を意味する言葉は、全身を焼く激情を真っ向から否定するものだ。
だが、それでも。
断腸の思いを抱く身体はそれでも、一片の理性に従って動くことを選んだ。一号機の脚部が僅かに、未確認機の方向から後ずさる。しかし、このまま素直に退ける訳がない。そんな懸念が頭をよぎった直後、バルトの視線が宙を泳いだ。鍔迫り合いから不意に間合いを取った未確認機が、消えたのだ。注視していたはずの視界から、そして一号機の火器管制システム〈FCS〉が捕捉していたはずの範囲から、敵機の姿は蒸発したように消えていた。
その事実を認識した一瞬後には、バルトの内にある警報がけたたましく鳴り出していた。咄嗟にフットペダルを踏み込みつつ、展開させていた多薬室砲を前面に構える。ほとんど反射的に距離を取ろうとした一号機の側面モニターに、微かな影が捉えられる。精密な照準を合わせる間もなく、バルトの指がトリガーボタンを押し込もうと掛かった。しかし、回避も攻撃も間に合うものではなかった。
全く認識する間もなく、一号機の真横にはぴったりと未確認機が張り付いていた。命の危機が実感を置き去りにして感じられる、短くとも致命的な一瞬だった。
「いつの間に――――」
全身の動きに連動させた軽やかな攻撃は、必中を期して一号機を襲う。未確認機が飛び上がると同時に、手にした鉈は緩やかな軌道を空間に描く。その軌道は一号機正面のコックピット付近を狙って――しかし、僅かばかり左へとずれて左肩をごっそりと斬り飛ばしていった。高周波振動に唸る刃はあまりに鋭く、そして高熱で変質した装甲はあまりに脆かったのだ。大きく剛性を低下させていた装甲板はもはや、攻撃を受け止め得るものでは無い。一歩後ろへ後ずさっていなかったなら、胸部正面装甲と言えど切断されていたであろう事は確実だった。
そして、次の瞬間には突き飛ばされるような衝撃が機体を襲い、バルトはみしりと骨が軋む音を聞いた。未確認機に蹴りつけられた頭部は小さくも砕かれ、側面モニターの一部が黒いノイズに覆われて機能しなくなる。もろに衝撃を喰らい続けた頭が、平衡感覚を失ってブラックアウトしかける。不意に暗くなる視界、まるで心地よいベッドへと身を投げ出すかのような浮遊感だけが感じられていた。しかし、途端に端から暗くなる視界には、微かながらもチラつくものがあった。
……倒れる訳にはいかない。ここで倒れては、もう二度と報いる事が出来なくなる!
それは遠のく意識に灯った、微かな意思の閃きだった。激しく脳髄を揺さぶられた影響をなんとか振り払い、倒れかけていた一号機の脚部が大きく踏み出される。そのまま未確認機の一閃に胸部を掠められつつも、近接戦の間合いから辛うじて機体を抜け出させる。バルトはフットペダルを限界まで踏み込み、中破した機体の耐え得る限りにスラスターの出力を上げていった。長く青白い噴射炎を曳き、一号機は自ら執着を振り払うためだけに加速を続けた。
瞬く間に遠ざかった未確認機を後方視界に捉え――それでもバルトは、未確認機がこちらを逃がす事は無いだろうという事を直感していた。そして自身が止めねば、ホエールの居場所にまで追随して来るであろうという事も。
追って来るであろう敵機を迎撃するのは、撤退支援という任務を果たす為の行動なのか。ただ任務へ没頭し、軍人をやろうとする事で、私怨から目を背けているだけでは無いのか。答えの出ない自問が脳裡を駆け巡る。結局は軍人としての大義でしか動けないという中途半端さが、矛盾に満ちた心を刻む。だからこそ、大尉としての自身に言い聞かせる言葉があった。
「奴を、ホエールに辿り着くまでに引き剥がしてみせる!」
それは、一つの賭けが静かに宣言された瞬間でもあった。
ホエール艦内。医務室と廊下とを隔てるドアーの向こう側からは、くぐもった艦内放送が届いて来ていた。廊下に備え付けられたスピーカーから流れるのは、いずれも艦の危機を知らせる警告染みたアナウンス。些か興奮の色を隠せぬオペレーターの声は、聴いているこちらにも相応の不安を喚起させて止まない。
『現在、本艦にトール部隊が接近中、識別コード応答なし。よってこれを敵対勢力と見なし、迎撃行動に入る。全ての艦内要員は直ちに所定の場所に付き、非常事態の発生に備えよ!』
戦闘に入ってからは元々、本戦闘配備が発令されていた艦内である。非常事態に備えていない艦内要員など一人もおらず、このアナウンスは全員に向けて再度の確認を促しているに過ぎない。敵トールの攻撃が始まるから、それに最大限備えていろと。
更に緊張を帯びる艦内の空気は、たとえ医務室に居ても感じられる。その空気にあてられたように、ナオトの中では使命感にも似た衝動が無視できないほどに強まっていた。理由は今さら口に出すまでも無い。自分は動ける、そして修復も終わった愛機がある。ならば、この状況でやるべき事は――パイロットとしての自分が出来る事は一つしかないはずだ。
しかし、そんなナオトの裡に芽生えた考えを見通すように、〝先生〟の目つきはふいに鋭さを増していた。ナオトもまた、そんな軍医が言わんとしている事の意味を理解出来ていた。
「少尉、君には待機命令が出ているはずだ。バルト大尉からの命令は伝わってきているし、なにより私には軍医としての責任がある。君を出す訳にはいかんよ」
「それも理解しています。ですが、ここで俺が出なかったら……!」
「それも分かる。だが、先程まで君に話していた事の意味をもう忘れたのかね? 君の状態、例えば脳内電位の伝達パターンや思考ノイズといった検査データは、確実に正常な状態から外れつつあるんだ。それがどういった症状をもたらすのかは、君がよく知っているはずだね? でも私は、症状はそれだけじゃあ無いのだと理解してくれ、とも言ったね」
元はと言えば、ナオトが自ら望んで聞き出したこと。先程まで軍医が話してくれていた内容を、決して忘れていた訳では無かった。「たとえそれがどんなに忘れたくなるような内容であっても、君は受け止めなければならない」とまで、彼に忠告してくれていたのだから。
「自己の認識能力の低下、というのが起こる事は覚えています。つまり今の症状が更に悪化していけば、自分という存在をだんだんと見失っていくと……」
「そうだ。そこまでの段階に進んだような例が、実際に報告されたという話は聞いていない。だが私が知る限り、こういった症状は間違いなく自己認識の崩壊へと繋がっていくものなんだ。それがどんなに悲惨なものか想像できるかね? 身体は健康なのに廃人になるということが、一体どういうものなのかを」
「それでも、ここでホエールが沈んだら全て終わってしまいます! たとえ一か月後に廃人になるのだとしても、今日死んでしまったら何にもならない。まだ何も出来ていないままで死ぬのは嫌だから……俺は、どうしてもここで出なきゃならないんです」
医務室にすら、艦の外で行われている砲撃音が響いて来る。そしてこの身には、MNCS使用に伴う確実な異変が起こりつつある。いずれにしても待ち受ける危険を全身に感じつつも、ナオトは「今すぐ出させてくれ」と懇願するより他に無かった。曖昧な過去を差し引いてもなお、自分という存在を確立できるだけの何かが欲しかった。その為の手段がパイロットをやるという事なら、ナオトは退けない。退くという選択肢を持ち合わせていない。
だが同時に、軍医が自分を無理矢理引き止めようとはしていないと悟り、普段以上に強気になれていたのかもしれなかった。そこに軍医も悟るところがあったのか、ややあってその顔には諦めたような笑みが浮かぶ。
「……やはりそこはパイロットの理屈、という訳だな。
分かった、ナオト少尉。くれぐれも長時間の戦闘は避けるようにと忠告しておこう。でも、なにより生きて帰って来ることだ。どんな怪我や病気であれ、一度死んでしまったら治しようがないからね」
「了解! すみません先生、やっぱりまたお世話になるかもしれません」
またも堅苦しいと言われてしまいそうな敬礼姿勢を取り、ナオトは弾かれたように医務室を飛び出した。衝撃に揺れる艦内を走り抜け、医務室のある中央ブロックから第二格納庫を目指す。無論、目指すは四号機。既に着込んでいたパイロットスーツの重みを纏い、ナオトは再び激闘の渦中へと飛び込もうとしていた。
『ルデア=エドモンド中佐である。現時刻を以て、ナオト=オウレン少尉への待機命令を解除する。少尉は直ちに四号機を出撃させ、敵増援部隊を迎撃せよ。以上だ』
遅ればせながら聞こえてきた艦内アナウンスを、ナオトは第二格納庫入口に至ってようやく聞き取った。もう、戻りたくても戻れるものでは無い。そんな状況を噛み締める彼の前には、仮初めの左腕を付けた愛機がそびえ立っていた。
「俺は試験先行運用部隊所属、YMX-04の専属パイロットとして、やるべき事をやりたいだけなんだ。だから四号機、頼むぞ」




