第96話「それでも届かない刃―1」
『オフド=トーカス少佐以下、第五十二辺境機動警備隊には、現戦域からの撤退を要請する。速やかに行動したまえよ』
「は……第十一戦略機動大隊所属の、アビラ=トレンツ中佐ですな。こちらとしても、申し上げておきたい事柄はあるんですがね? まず、音声通信に切り替えていただけませんか。こうも重い通信を垂れ流していると、こちらの位置が敵に特定されますが、ご承知でありますか?」
小型連絡用艦艇の狭い指揮スペース、その上部前面モニターには一人の男が映し出されていた。それは無論、カルサ少佐でも無ければ、見知った人物のそれでも無い。前触れも無く寄越してきた通信の中で、自らをアビラ=トレンツ中佐と名乗り、オフド達の展開していた戦域に大部隊ごと乱入してきた男のものだった。
画面の中で、中佐はオフドの進言を完璧に無視してみせる。それは、敵が今さら反撃するような事態は有り得まいとする楽観と、辺境機動警備隊に対する優越の立場が取らせた行動に違いなかった。更に、中佐は自らの要求を突き付けて来るだけで、こちらの状況など眼中には無い。そんな人物を前にすれば、オフドは正面切って悪態をつかないように振舞うだけで手一杯になる。ただでさえ、こういった頭の固い手合いはオフドの苦手とするところなのだ。
更に個人的な印象で言うならば――――彼は、現時点で把握しているトレンツ中佐の何もかもが、どうしようもなく気に入らなかった。内心でこちらを侮っているにも関わらず、その態度が相手へ伝わっていないと信じているような振る舞い、あるいはその思考が気に入らないのだ。なにより、他人の獲物を手に掛けようと言うのなら、相応の手順というものがある。
「こちらの観測班でも確認させてもらいましたよ。敵の機動部隊に対してはトールによる砲撃部隊、それに敵艦の鼻っ面にはトールの一個中隊ですか。派手な砲撃で地面を耕しておいて、まったく大した布陣状況でありますな。いきなりの乱入……失礼、遭遇戦にも関わらずよくもここまで」
『国境戦線への招集命令に応じているのだから、備えはある』
中佐の態度は、あからさまな嫌味によっても変わる事が無い。そして、再び自らの要求を吹っ掛けて来る為だけに語り出す様には、もはや感心せざるを得ないほどの図々しさがあるのみだ。
だが、そのくせ、内心に考えている事はあからさまとしか言いようがない。『ところで貴官らの被害状況は?』と問うてきた意図にしても、その無表情を装った顔にでかでかと書いてあるようなものだった。こいつは全く期待通りの男だよ、とオフドは内心にほくそ笑む。
「現時点で自走砲撃隊は健在。が、我が方のトール四機のうち二機の反応をロスト。うち反応のある一機も、これ以上の戦闘は不可能として帰投中……とまあ、このように」
『その戦力だけで、敵艦の追撃作戦は遂行できるのかね』
「正直なところを申し上げますと、機動戦力の損耗により、作戦の遂行は困難な状況となっていますよ。ええ、このままでは敵艦と艦載部隊の撤退を許す事になりますな、確実に」
カルサ率いる部隊の存在はもちろん、伏せておく。もし、勘付かれるとすればヴァルノートからである可能性は高いが、それも目視されなければ問題無い。実のところ、データ上のヴァルノートは、ゲルバニアン軍において一般的なトール〈RATE-0800第二世代型トールN型〉と全く変わる所が無いのだ。軍部からロクな承認も受けていない未承認機を実戦へ出すにあたり、オフドが技術陣に命じて、敵味方識別装置〈IFF〉に手を加えさせたことが原因である。他に知れれば軍法会議ものというリスクはオフドも承知していたが、それもバレなければ良いだけという話に過ぎない。
そして案の定、トレンツ中佐は、わざわざ辺境機動警備隊の編成などを調べるような軍人では無かった。軍随一の戦闘能力を誇るトール〈ヴァルノート〉がまさにこの瞬間、この地で実戦運用されているなど、――そもそも存在を知っているかどうか定かではないが――夢にも思っていないのであろう。無表情を装ったトレンツ中佐の表情は、相変わらずこちらを舐め切ったままで微動だにしない。
『大損害ではないか? 対して、我々は大隊から引き抜いてきた二個中隊、計24機編成のトール部隊を展開させている。あとは我々が引き継ぐのだから、貴官らは離脱したまえ。以上だ』
「ハッ」
オフドが構えて見せた敬礼を見返す素振りも無く、中佐側から通信は切られた。
モニターから中佐の顔は消え、オフドの座乗する艦の通信状況を示す表示へと切り替わる。中でも映像通信中を示すウィンドウは隅へと追いやられ、代わりに音声通信を示すウィンドウが『接続中』を知らせて浮かび上がる。トレンツ中佐からの通信が届く前より忍ばせていた、別の音声通信を示す表示だ。その音声通信の向こうには、勿論、オフドとトレンツの間で繰り広げられていた交渉の中身が届いているはずだった。
『オフド少佐?』
「ああ、トレンツ中佐はこのままデカブツと例のトール部隊を叩くつもりらしい。あの意気込みようだ。この戦果をハネス=カルマン准将への手土産にでもする、という事だろうぜ」
『それは……分かる話だ。中佐相当の階級とはいえ、軍のトップエリートたる統合総司令部へ上るコースからは、既に外れているのだろうから。その意味では私達と何ら変わらない、功を以て上層部へと実力を示そうと言うんだから、否定する気にはなれないさ。
しかしオフド少佐、撤退するとはどういうつもりなんだ? どうして、みすみすトレンツ中佐に戦場を明け渡すような真似をする必要がある。今さら、馬鹿正直に被害報告を済ませて帰ろうとは、オフド少佐らしくもない』
「なら、俺たちに残されている戦力はなんだ? 損傷したトール一機とヴァルノート、それだけが前面に出せる戦力という有様だ。あのお嬢さんも含めて、今すぐ部隊に通達しておけ。撤退の方針に変わりはねえよ、あとはトレンツ中佐殿に任せておけばいいのさ」
『……』
明らかに納得しない様子で、カルサはしばし黙り込む。それも当然だろう、とオフドは音声通信越しの心情を察した。ひどく冷徹な態度を取らねばならないのは、オフドがその心情を共有してしまっているという真相の裏返しでもあった。
オフドもまた、腹の底にチリチリと燻り続ける感情を自覚して、いっそ感情に身を任せたくなるような衝動に襲われる。なにもカルサ少佐に限った話では無いのだ。ここまで周到に弱らせてきた得物をむざむざ他人に譲りたいと考えるような者が、この戦場のいったいどこに居るというのか。ましてや失われた部下達の顔に、これ以上泥を塗り重ねるような真似は許されないのだから、抱えている心情は真っ当なものであるはずだった。掲げた大義だけを以て失われた命に報いるというのは、書類を通して戦場に向き合う者の仕事だ。
少なくとも、自分がそのような人間で無いという自覚は、オフドの裡にあった。そしてカルサにも、また。
『トレンツ中佐と戦略機動大隊が――あの乱入者どもが結果を奪っていくのを見ているだけなのか? それでは戦って来た意味も、私達への評価を改めさせる機会も無くなるぞ。もし無為に諦めるというなら、自分がこのまま戻る事すら許せそうにない』
「誤解してくれるなよ、カルサ少佐。俺はトレンツ中佐たちがデカブツと、その艦載トール部隊に勝てるなんて思っちゃいないんだよ。
機動大隊の連中が真正面からぶつかったところで、あのトール部隊に勝てると思うのか? 事前に策を仕込んですらいない状態で? 敵はあれだけ強力なトールを揃えているんだ、まさか機動大隊が勝てる訳はないだろうよ。よしんば勝てたにせよ、国境戦線に招集された時点で期待されていたような戦力は残っていないはずだ。そうなれば――」
『同じ方面に展開している別部隊に、改めて国境戦線への招集命令が下る……! 私達以外に当てはまる部隊は?』
「通常配備されている限り、他にはない」
『知っていたのか? そうか、乱入してきた段階でこうなることを読んで……』
事態を把握し、呑み込む為の沈黙が流れた。数秒ほどの間を置いて、再びスピーカーが微振動に振るわされる。カルサは、何かを確かめるような慎重さで口を開いたようだった。
『……いや、少佐は初めから全て分かっていたな? 敵艦へ襲撃を掛ける場所、タイミングを策定していた時から。もし意図していなければ、こうも敵を取り逃しそうになったタイミングで、都合よく合流途中の友軍が現れるはずがない。事前に、トレンツ中佐率いる方面部隊の合流予定を把握していたというのは、保険のつもりだったのか?』
「さあな。まあ連中に運が無かった、という事だけは確かだ。これで、こんな辺鄙な土地に飛ばされた俺たちにも大きなチャンスが巡って来るという訳だ。国境戦線への招集は、代わりにこの第五十二辺境機動警備隊に下るってな。望んだ事態はこのまま成るだろうぜ?」
カルサの顔は見えない。しかし、首肯するような気配を感じ取る事は出来た。簡易格納庫車両の指揮所に『撤退』の二文字が大きく響き渡ったのは、それから数分と経たない内の出来事である。




