第95話「赤眼の悪鬼―3」
幾何模様を浮かび上がらせたヴァルノートは、紛れも無く圧倒的な優位を確保し続けていた。
幾度も幾度も二機がぶつかり合う度、金属質な炎光が花開く。幾度目かも知れぬ鍔迫り合いを演じた直後、敵機は振り払うように距離を置きつつ、右肩に背負った大口径砲の狙いをつけて来た。その砲口から発射された徹甲榴弾は、こちらの上腕を貫く――と脳裡に走ったイメージに促されるまま、メイカは敵機の正面から機体を飛び退かせた。
コンマ数秒後、いや十秒後のものかもしれない射線を突っ切り、ヴァルノートが恐るべき急加速で直角に転進する。その姿はまさに、地を這うように飛翔する黒い弾丸そのもの。次の瞬間には、黒い弾丸から伸びた左脚部が、躊躇なく地面へと突き立てられた。それは機体を削らんばかりに流れる――グラインダーと化した――大地へと、一本の杭が打ち込まれた瞬間だった。脚部そのものがもぎ取られかねない程の急制動が、機体にとっても速過ぎる機動を抑え込む。あまりに無謀な制動によってヴァルノートは静止し、一瞬の内に敵機の死角を捉えた。
発射体勢にすら入っていない敵機は、瞬く間に回り込まれた末に無防備な側面を晒している。まるで見当違いな方向を向け続けている砲身などは、いささか間の抜けた光景でしか無い。たとえこの瞬間に砲が発射されたにしても、容易に弾頭を避けられる確信が彼女にはあった。
脚部が力強く大地を蹴り出す感触と共に、強烈な加速Gが襲い掛かって来る。敵機の側面から、一直線に弾き出されたヴァルノートが襲い掛かる。
「これでエェッ!」
――これで、終わりにする。果たしてそれは、自分の口で叫んだ言葉であったのか否か――。
正面からの圧に押しひしがれるような錯覚を覚えつつも、彼女はヴァルノートを敵機の懐へと飛び込ませた。その左手には、勝負を決めるべく握られた鉈の一振りがある。敵機がようやくこちらにメインカメラを向けるも、既に無傷で避け切れる距離では無い。
瞬く間に接近した末、ほとんど真横に着けた機体が軽やかに一回転する。伸ばされた腕に従うまま、円弧を描いて叩き付けられた刃が敵機を削り飛ばす。殆ど抵抗なく降り抜かれた鉈が高く掲げられ、その勢いのままヴァルノートは敵機の頭部を蹴り出した。
斬り付けた敵機を踏み台にして飛び上がり、相手には反撃の間すら与えぬまま、黒曜石の機体が宙を舞う。傍目からすれば、まさに華麗と形容するに相応しい一撃離脱。だが、当のメイカの表情は、困惑の色に塗り潰されていた。
「なんで! 倒しきれなかった⁉」
実際、振り抜いたはずの鉈は微かな抵抗を以て、確かな切断の感触をメイカに与えていた。
しかし、斬り抜ける直前に突如として書き換わったイメージは、全く彼女が予想していなかった結果を現実に映し出している。斬り飛ばしたのはコックピット付近の装甲では無く、既に折れて用を為さなくなっていた左腕。加えて敵機がとった行動は応戦ではなく、後退だった。
切り飛ばした左腕が落着する間にも、ヴァルノートの戦闘域から敵機がすり抜けていく。再び仕掛ける事など考えていないかのように、その機影はみるみる内に後退していった。それはささやかな戦果と共にもたらされた、あまりに唐突な戦闘の幕切れだった。
「やっと下がってくれたの……? でもどうして」
右脚部を踏み出そうとしていた巨神が、何かを躊躇うかのように動きを止める。あれだけ執着を見せていた敵機の思わぬ行動に、ヴァルノートの挙動にまで微かな乱れが走る。機体の動作に反映される通り、やはり彼女の心は相当に揺れていた。
機体が手にするアサルトライフルは、まだ撃つ事が出来る。刃の広い独特の鉈も、充分に使える状況にある。モニターが示す機体の状況は何もかも、未だにヴァルノートが戦い続けられるという事実を示していた。そう、戦おうとさえすれば、戦える状況なのだ。
メイカの手に――ヴァルノートの手に、力が込められる。だが、どうしても足が動かない。機体はその場に縛り付けられたように立ち尽くし、後退しつつある敵機の背面を見つめるばかり。彼女がいくら敵の元へ向かおうと考えても、機体は動かない。
コックピットで一人、メイカは力無くうなだれた。機体がどうして動かないのかなどは、彼女自身にも分かりきっていた。もう敵の元へ近付きたくないという意思が、そのまま反映されているだけの事なのだ。機体が動かないのではなく、パイロットが動かそうとしていないだけ。それを自覚していたからこそ、メイカの身体からはゆっくりと力が抜けていく。認めてはいけないはずなのに、どうしようもなくほっとしている自身がいた。命のやり取りから逃れられたという安心感が、抗い様も無く彼女の身体と精神を弛緩に追い込んでいた。
だが、今更ながらに震え出して来た手を見つめ、メイカは愕然とした。つい先ほどまで自分は、敵機の中に居る人間を|この手で殺そうとしていた《・・・・・・・・・・・・》。これまでは必死に現実では無いと思い込み、自分の置かれた状況から目を背けていたに過ぎない。その事実に向き合わざるを得ないと気付いた時、彼女は震えた。震えると同時に、現実への拒絶反応がゆっくりと心を満たしていく。
「もう……こんなのは嫌。嫌なのに私は戦うだけで」
ぽろぽろと膝に落ちる水滴はパイロットスーツ越しにも温かく、自覚する間もなかった本心を彼女に教える。死にたくない、敵に近付きたくない、戦場に居たくない。そしてこれ以上、戦いたくは無かった。そう気付いてしまったなら、ヴァルノートで再び戦いに向かえるはずも無い。敵意という形で激発し続けていた感情が、瞬く間に熱を下げていく様子すら感じられた。
ヴァルノートに定着していた幾何模様が薄れ、消える。全身の装甲裏より滲みだしていた血色は消え去り、平常の如く塗り潰されたような影だけが残る。同時に、装甲ユニットの展開により形成されていた空間は、再び元の位置へと戻ったユニットに押し潰された。頭部もまた、鋭い双眸を為していた輝きを闇に押し込め、T字のカメラアイだけがのぞくよう変貌する。
機体がまったく平常の状態へと戻ってしまったのは、偏に彼女の心を反映しての事に過ぎない。もう戦えないという表象こそ、戻ってしまった機体の姿が意味するところだった。
メイカは収束していく五感を生身に感じ、その手で改めて操縦桿を握り締める。元来た方向へと頭部を振り向け、彼女の意に従うヴァルノートを差し向けようとする。だが、その瞬間に彼女はある幻聴を耳にした。より正確な記述を試みるならば、それは強烈に記憶づけられた言葉が、この時になって再生されたというだけなのかもしれない。だが、彼女にとっては全身を縛り付けるような拘束力すら伴って、出撃前に掛けられた言葉の意味が理解される。
『メイカ=アシュレイ、やるべき事は分かっているね』
ここでは無い場所へ帰ろう、と動き出していたはずの機体が止まった。
このままでは帰る場所すらなくなる、と気付いてしまったメイカが止めていた。
「そうだった。戦わないと私は居ちゃいけないのに。言われた事がやれなかったら、私なんか必要なくなってしまうのに。忘れていたの、私は……?」
自分をこんな機体と縛り付けておく場所など、帰りたくは無い。
しかしそれでも、帰らなければならない。自身の過去すら持たない彼女が、他に縋れるものなど何も無いのだから。過去の欠落という形で存在する空白は、誰も埋めようとはしなかったし、彼女自身も埋める術を知らない。故に戦わなければいけないのだ。彼女に存在理由を与えてくれる唯一つの期待に応える為に。たとえそれが、どんなにやりたくないことであったとしても――。こぼれ続ける涙を拭い、彼女は真っ直ぐに前を見据えた。
「行かなきゃ」
ヴァルノートのしなやかな脚部が屈し、脚部装甲の一部が再び展開し出す。関節付近を中心に空いたスペースは、可動範囲の限界を超えて可動するフレームに埋められる。関節にぎりぎりと溜め込まれていく力は、機体周辺の空気すら震わせるようだった。そして、その不穏な高周波振動がふっと消え失せた時、機体は弾丸の如く弾き出された。向かう先はただ一点、満身創痍の体でなおも逃げ続ける敵機だ。
機体にまとわりつく大気の海を泳ぎ、粘り付くような抵抗を切り裂いてヴァルノートが疾駆する。全身に掛かる過負荷が骨すらも震わす。そんな感触が、痛いほどに肌へと伝わって来る。それが果たして、自分の身体を通じた感覚なのかどうかさえ定かではない。が、そんなことはどうでも良いとばかりに、スラスターは灼熱した推進剤を噴き出し続ける。仄かな血色の残光を曳き、再び現出した双眸が一直線に目標だけを見据える。
「さっきほどの感覚は無くても、やらなきゃいけないんだから……!」
メイカの捉える視界が、腕を伸ばせば届きそうな敵機の姿に埋め尽くされる。何とかヴァルノートを振り払おうと必死な敵機。しかし、速度を緩めようともしない機体の前では無駄な努力を続けているに過ぎない。
敵機の細かなステップに翻弄され、一回、二回と外されてしまった攻撃のタイミングだが、それすらも徐々に敵機を追い詰めていく。さながらドッグファイトの様相を呈する二機の機動は、接触するタイミングを巡って不可視の刃を交え続けるようなものだった。
そして、噛み合っていく攻撃と回避のリズムが、両者の直感するところのある一点において完全に一致する。殆ど反射的に真上へと突き出された左腕――手中に鉈を収めた腕が、瞬く間に発生した水蒸気塊を纏って、敵機頭上へと振り下ろされる。それは黒曜石の弾丸が、遂に敵機へと着弾した瞬間だった。
殆ど激突と言っても良い激しさで、咄嗟に降り抜かれた刀身と鉈とが接触する。その衝撃は、生半可なものではない。数十トンの物体が溜め込んだ運動エネルギーは、多大な熱量へと転化され、二つの刀身の接触点を瞬く間に融解させる。赤熱した部分から刀身同士が喰い込み合い、交差されたままにそれぞれの得物は同化してしまう。だが、これだけの至近で得物を失いたくないのは、敵機にしても同じこと。完全には固着させまいと強引に振り払おうとした動きは、示し合わせたような動きを以て敵機にもトレースされた。巨大な応力を掛けられた固着部は破断音を響かせ、たまらず刀身の半ばから引き剥がされた。
とりわけ大きな刃こぼれを刻まれた二つの刃物が、再び両者の手中へと戻る。辛うじて折れずに済んだ鉈を引っ込めつつ、ヴァルノートは左腕を失った敵機へと張り付き続ける。敵機もまた右腕に構えるコンバットナイフを引っ込め、失った左腕をカバーするように間合いを詰めてくる。だが、その動きにはやはり不純物のような意図が混じっていた。今度は自分から攻撃を仕掛けつつも、無意識下に募る不審は徐々にその強度を増していった。
――――何かがおかしい。
それは、競り合い続ける二機が、ピアノ線の如く張り詰めた空気を纏っていた最中。メイカの思考にふと顕現した感触だった。交錯する刃の向こうには依然、ただならぬ執着を感じ取りながらも、メイカはこの現状に違和感を覚えざるを得ない。
やはり欠損の目立つモニターには敵機が映り込み、元の塗装色が殆ど蒸発した様を見せ付けている。装甲の地色と化した灰色の全身に、折れた左腕。過大な損傷に構うことも無く襲い掛かって来ていた様などは、いっそおぞましいとさえ言えるものだ。だが、そういった猛々しさとは裏腹に、敵機の動きは目に見えて堅くなりつつあった。
何故か攻撃の鋭さを失いつつある敵機は、彼女の目にはただ不可解なものとして映り込む。「どうして?」とだけ、こぼれ出た疑問が唇を震わす。それこそが、正常とは言い難い自身の思考を表しているものだという事など、メイカに気付けるはずはなかった。
然るにこの時、冷静に事態を俯瞰出来たなら、敵機がヴァルノートとの戦闘を避けようとしている事態は明白なはずだった。あるいは彼女が、砲撃型の足止めという自らに課せられた任務内容を正確に汲み取れていたなら――――。
しかし、この時のメイカの思考を占領していたものは、打ち倒さなければいけない敵機と、掛けられた期待に応えられなければ、もうどこにも居場所は無いという事実のみ。帰る場所を求めて、黒曜石の巨神は執拗に敵の首を求め続ける。
「戦わなくちゃ、戦わなくちゃ、戦わなくちゃ……」
自分が何を求められ、何をしているのかなど見えていなかった。呪詛の如く吐き出され続ける言葉は自身を縛り、在り方を縛り、その精神性をひたすらに頑ななものへと変質させていく。
そんな彼女の意識に、目前の敵機以外に浮かぶものは無い。即ち、一号機が特攻を掛けてきてからというもの、遠方で鳴り響き続けていた砲撃音など聞こえてはいなかった。激戦の繰り広げられていた山間地帯において、一つの乱入劇が事態の展開を促そうとしていたのだ。




