第0話「プロローグ」(※冒頭に挿し絵有り)
時にIE 0078年。
ただただ真っ黒い巨神像が、一つの街を焼き払っている。その姿は歪ではあるが、見た者に巨神を想起させて止まない一種の強制力を含んでいた。
建物の合間に見え隠れする頭頂は、五階建てビルにも匹敵する高さを誇り、まるで何かの冗談のように家々の並びに埋め込まれている。傍から見れば、何の脈絡も無くそびえ立っている巨像の存在は、何か本能的な畏怖そのものを放射しているように感じられる程だ。約20mの人型――――それがいかにも宗教的意義を含んでいそうな巨大ブロンズ像でもあったなら、あるいは許容できる大きさだったのかもしれない。だが、巨大像は動いていた。
馬鹿馬鹿しいほどに人型に忠実な機体のフォルム。
それはまさしく人を模した鋼の骨格に、艶めかしく張り詰めた筋組織を融合させたような造形だ。光を吸収しているとも、あるいは跳ね返しているともつかない装甲が表皮であり、骨格と融け合うようにして全身を形作っている。表皮はどんな絵具を用いても表し得ないほどに深い、濡れているような黒色を呈していた。瞬く星とてない夜空を切り取り、その澄み切った透明さを直接張り付けたようなその色は、この世に存在するどんな黒色とも一線を画す。冴え切った黒曜石の如き冷たさを帯びていながら、何故か、不思議と熱い血が通っているような印象もあった。
瞳の無い顔面をT字に刻むスリットのような紋様。
巨神像は、まるで面を被っているような出で立ちではあったが、それにしてはあまりに生々しい。片時も休まないでT字を埋め尽くし続けるモザイク模様は、全く表情を読み取れない鋼の巨人の、ごく僅かな感情を表す窓のようでもあったからだ。唯一、頭部にだけのぞく巨神像の心は、果たして怒りに狂っているのか、喜びに狂っているのか。あるいは、人間には全く理解し得ない感情に満たされているのかも知れなかったが、それこそ原始的な畏怖によって形作られる幻像に他ならない。
黒い巨神像は、目に見えない祟りなどでは無く、自身の腕より長い二門の砲で以て積極的な破壊をもたらしていた。この上なく無慈悲に、この上なく人間的に。
それは、一人の男――――バルト=イワンドが、全てを失った日に現れた巨神像。史上初めて世に現れた、巨大人型兵器の威容だった。
* * *
そして現在、時にIE0090年。
かつて異形の被造物として出現した巨大人型兵器は、今や陸戦の覇者としての栄光を欲しいままにしていた。一対の脚部で大地を踏みしだき、一対の腕部で巨大な火器を振り回す鉄巨神の群れなど、兵士達にとってはもはや珍しくも無い。数千機、数万機という規模で量産された陸戦兵器〈トール〉は、現代の戦場において紛れも無い主力兵器だった。
しかし、ここに居るのはたった二機だけ。どこまでも余分な水蒸気を削ぎ落した岩石砂漠には、たった二機のトールしか控えていなかった。角形で構成された装甲面を持つ機体は、兵器然とした威容を誇る人型の鉄塊だ。
濃茶の複合装甲を纏う両機は、互いに鏡映しのような恰好でサブマシンガンを装備している。脚部に備え付けられた可動式ホバーユニットを吹かすと、その度に細かな砂煙が巻き上げられる。それはまるで巨神が身動ぎしたかのような光景でもあったが、各部機材の動作チェックを行っているに過ぎない。とはいえ、頭部正面に埋め込まれた巨大なレンズが互いを睨む様を見れば、巨神達が今や遅しと動き出す機会を窺っているようでもあった。
『こちらコード4、指定ポイントに到着』
相対するトール〈コード4〉から、準備完了を告げる通信が届けられる。一方、それをコックピット内のスピーカー越しに受け取るのは、もう一方の機体〈コード1〉だ。
「コード1、こちらも到着した」
せいぜい2kmと離れていない距離にあっては、互いの機影をはっきりと見て取る事が出来る。
コード1のコックピットシートに身を預けるバルト=イワンドは、正面のメインモニター越しに相手の姿を窺う。コード4のコールサインを与えられた相手パイロット、ナオト=オウレン少尉が駆る機体は、バルトから見れば心無しか落ち着かない様子だった。それでも、彼は相手が準備を終えたと判断すると、フットペダルの踏み心地を確かめる――――問題無い。
バルト機と全く同様の装備を携え、ナオト機は正面から相対する構えを取っていた。もはやその場に足りないものと言えば、バルトが発すべき号令を置いて他に無かった。
「これより――――演習を開始する!」
バルトの足がフットペダルを踏み込み、ホバーシステムが一気に稼働状態にまで引き戻される。また同時に行われた手動調整により、左右外側のホバーユニットが後方へと向けられた。半ば強引な形で偏向させられた推力が、強大な反動を以て機体全体を前方に押し出していく。徐々に加速された機体は、巨大な慣性を引き連れたままに戦闘速度へと達した。
彼が接近すべきはメインモニターに表示されている敵機だ。演習に際して敵味方識別コードを変更した結果、ナオト機は一時的に敵機として処理されている。そうしなければ火器管制に掛かったロックの影響で、半自動で為される補正機構の悉くが機能しない。
バルトは目標との距離を見計らって、機体に保持させたサブマシンガンの電子式安全装置を解除する。操作に応じて初弾が薬室内へと装填されたが、それはあくまで演習用ペイント弾だった。弾頭の被覆部を構成する金属は敢えて脆弱に作られ、装甲貫徹能力の殆どを無くされている。同時に装薬も燃焼時のガス圧が低いものへと変更されており、銃口初速も通常と比べれば八割程に抑えられていた。
だが、それでも弾頭の飛翔速度は大きい。数値ほど弾速の低減が体感されることは無かったし、飛んで来る弾は相変わらず直進性が高い。故にバルトは気を抜くような真似をせず、ヘルメットに投影される拡大映像を注視するより他に無い。
じりじりと距離が詰まっていく中、メインモニターにナオト機がサブマシンガンを構える様が映る。と、銃口に小さなマズルフラッシュが瞬いた。ともすれば見逃しかねない輝きであったが、バルトはそれを認めると同時に機体を更に加速させた。
連射に対し敢えて横方向への回避運動は取らず、射線に真正面から突っ込んでいく機体。突撃する中にも細かい曲折を織り交ぜ、バルト機は瞬く間にサブマシンガンの使用適正距離内部へと飛び込んだ。幾多もの弾頭が散らされた空間を突き進んで来たにも関わらず、装甲表面には一切の被弾痕が見当たらない。
そしてナオト機とすれ違いざまに単射モードで一射。その射撃は、空いている左腕の肘関節部を正確に捉えるものだった。もしそれが演習弾でなければ、脆弱な簡易装甲区画は吹き飛ばされていたであろう一撃だ。
代わりにナオト機の被弾部へ与えられたのは、鮮やかなピンクの蛍光塗料。機体色が全体的に濃い茶であるために、それは非常に目立つマーカーとなっていた。
バルトはフットペダルを踏み込んだまま、コックピットの内壁越しに背後を振り返る。ヘルメットに組み込まれたヘッドマウントディスプレイが映すのは、本来なら見える筈の無い視界外の光景だ。そこには、すれ違ったばかりのナオト機が立ち止まり、早過ぎる被弾に戸惑っているかのような様子が展開されていた。バルトはホバーユニットの推力偏向板に調整を掛けつつ、旋回中の機体から呼び掛ける。
「どうしたコード4、足が止まっているぞ! 戦闘中に突っ立っていても危険を招くだけだ」
『りょ、了解!』
右腕にサブマシンガンを構えるナオト機は、慌てた様子でバルト機を追い上げる。既に被弾判定が下った左腕は動作停止しているが、まだ右腕は健在。バルトが敢えて残していた方の腕には、まだ戦闘能力が残されているはずだった。
これは決して本物の戦闘では無い。相手の実力を見極めたいが為に、こうして一対一の演習戦を行う事に決めたのだ。バルトは改めて演習戦の意義を思い返すと、ある種、じれったい思いを抱えながら機体を加速させる。
「どうした……こんなものでは無いだろう、ナオト少尉!」
相手には決して聞こえぬように、彼は揺れるコックピットで一人呟いた。まだ本番すら迎えていない演習戦への期待が、実戦におけるそれとは全く違う形で心身を昂ぶらせる。
乾燥した大気を刻んでいく火線、装甲同士の接触が散らす火花、駆動音、砲撃音、あらゆる痕跡を荒野に刻みながら、二機の鉄巨神たちは演習戦を繰り広げるのだった。一滴の雨粒すら落ちて来そうに無い晴れた空、この日、彼らは初めて刃を交えていた。
そして、演習戦が行われた背景を語るには、バルト=イワンドの過ごして来た時間を少しばかり遡らねばならない。この日から一週間前、彼は試験先行運用部隊の母艦〈ホエール〉の艦長室にて、とある報告を上げていた。
――――竟憶のリトロス たった二人のプロローグ――――