悪役令嬢になる? ──はぁ、いいんじゃないですか。
レスターは、しがない平民の生まれだった。本来なら、相応の年齢になると職に就かなければならない彼だが、両親がそうはさせず、今後のために、と学校に通うことになった。苦しい生活なのにも関わらず、その稼いだ給料の多くを学費に回し、息子の将来を心配する。そんな両親をレスターは誇りに思った。学園入学後、両親の期待に応えようと熱心に学び、ついには幼くから英才教育を受けてきた貴族の生徒と比べても遜色ないほどに成績を伸ばした。
そして、多くの名高い貴族の子息令嬢がいる特進クラスに在籍することとなった、ある日、
「えっ、あれ! ここはどこ!?」
授業中、ガタリと席から立つと、名門貴族の令嬢にして、この学園の理事長の孫であるフィニア・ルヴレールは大声でそんなことを言った。生真面目で冗談を好まない性格の彼女であったため、居眠りで寝ぼけることはまず有り得ず、『え、この年で健忘症……?』とクラスメートの全員が思ったが、誰も言葉を発しない。
フィニアは、キョロキョロと周りを見回すと、自分から一番離れた座席に位置するレスターを見つける。
「レスター……? 貴方、レスターよね!?」
「あ、はい。そうですけど……」
意外だ。一度も会話を交わしたことがないのに、まさか自分の名前を知っているとは、とレスターは驚く。フィニアは言葉を続ける。
「ねぇ、私の名前を言ってみて」
ものすごい剣幕のフィニア。何が何だか分からず、レスターは率直に彼女自身の名前を言う。
「フィニア・ルヴレール様です。……ルヴレール家御令嬢の」
失礼に当たるかと思い、率直に、とはいかなかった。レスターの応えにフィニアは、
「そうよね……私はフィニアよね……っ! やったぁ」
何故か、とても嬉しそうに頬を緩め、小さくガッツポーズをする。だが、それも束の間、すぐに表情を引き締め、いつもの『フィニア・ルヴレール』に戻ると、ぽかーんとしている教師に謝罪を述べた。
「失礼しました。どうぞ授業を進めてください」
フィニアの言葉に教師は、ハッと気が付くと授業を再会した。
当然だが、フィニアの突然の奇行に誰も口出し出来る者などこのクラス、しいてはこの学園にはおらず、暗黙の了解として、早々に忘却されることとなる。
全ての授業が終わり放課後、レスターは下校しようとすると、突然フィニアに呼び止められた。もしかして、先ほどのことで何か彼女の気にさわったのだろうか。そんな不安を抱いていると、フィニアが口を開いた。
──この世界は乙女ゲームの世界で、自分はヒロインを貶める悪役令嬢だと。
どうしたんだ、一体。
困惑するレスターをよそに幸せそうに、そして上機嫌に語るフィニア。
「決めたわ! 今から私、悪役らしく振る舞うから!」
「はぁ、いいんじゃないですか……」
他人を嘲笑うのが楽しみなのかこの人は、と真っ当な疑問が浮かぶも、それは口が裂けても本人の前では言えないレスター。
彼女いわく、レスターは攻略対象なる存在の一人らしい。折角、転生したのだからヒロインよりも先にイケメン共を攻略して、ヒロインの悔しげな顔を拝んでやるのだとフィニアは意気込む。そして、
「手始めにまず、あなたを攻略してあげる!」
何故そのような思考へ至るのか甚だ疑問であるレスターだった。というか、色々説明されたが結局わけが分からなかった。
他人の理解が及ばない極めて独創的な妄想を別に親しくもないクラスメートに何の恥ずかしげもなく語り聞かせる。これが、ルヴレール家。これが、フィニア・ルヴレール。……なんと恐れ多き存在だろうか。レスターは人知れず戦慄した。
☆
そして、一月が経った。
「何でよぉぉぉぉぉぉぉぉおお!!!」
フィニアは悔しさに歯噛みしながら、キッとレスターを睨む。
「何で攻略されないのよ! もう一月よ、一月! いい加減攻略されなさいよっ! もう、もうっ!」
「いえ、そう言われましても……」
レスターは困惑する。
「予定では今頃、この美貌を駆使して逆ハーレムが出来上がっていたというのに、どうして……? どうして上手くいかないのかしら!? ねえ!」
聞かれても困る。
「え、えーと……御自分から言い出した、『負けた方が勝った方の願いごとを聞く』というルールの勝負事でフィニア様は一度も勝ったことがないからじゃないですか?」
「そう、よね……! それを上手く活用出来てないのよね! でも、それ今言わないでよぉぉぉぉぉぉおお!!」
過去の敗歴を思いだし、自分が情けなくなったフィニアである。
「おかしいでしょ、全敗って! 何回勝負したとおもってるの!? 148回よ、148回! 普通、一度くらい勝てるでしょ! 数打ちゃ当たるでしょ! 何で貴方は文武両道を地で行く私を、全てにおいて上回っちゃっているのよ! ホント、ここまでハイスペックだなんて、思わなかったわよっ!!」
フィニアは心の叫びをあらわにする。
「も、もう一度勝負よ! 昨日のテストの成績は!? 私は総合989点よ! どう!?」
フィニアはカバンからテストを取りだし、会心の出来だとレスターに見せつける。
レスターもカバンからテストを取りだし、同様にフィニアに見せた。
「俺ですか? 総合1000点、満点です。頑張りました」
「まぁぁぁた負けた!?」
フィニアはついに崩れ落ちた。テスト用紙がヒラヒラと宙を舞う。
そして、
「う」
「う?」
「うえぇぇぇぇぇん」
――泣きだした。
「レスターがぁ……レスターが私をいじめるぅぅ……」
「え、フィニア様!? あの! えっ!?」
とっさにレスターは周りに助けを求めるが、事の始めからその全てを見守っていたクラスメートの表情は皆、『あーあ』で固定されていた。勿論、誰も手を貸す者などいない。
どうしていいか分からない。だが、これは自分の責任である。
しょうがないとばかりにレスターは腹をくくった。
「フィニア様、泣かないでください」
それは聴く者を安心させるような優しげな声音。
「あなたがいつも頑張っていたことを共に競ってきた俺は知っています。それに、あなたは使わなかった。貴族という地位を権力を。その気になれば、いくらでも不正や力尽くで俺に命令することが出来たのに、あなたは一度たりともそんなことはしなかった。俺はそんな気高く美しいフィニア・ルヴレールを誰よりも知っています」
気恥ずかしそうにレスターは言葉を続ける。
「いつも、勝つ度にはぐらかして保留にしていましたけど……今から俺の願いごとを聞いてください」
レスターは全てを包み込む日向のような微笑みを浮かべた。
「俺の願いごとはフィニア様の願いごとを叶えることです。フィニア様の願いごとは何ですか?」
「……たい」
微かな声がこぼれる。
「レスターとお買い物に行きたい……」
レスターは再度微笑む。
「分かりました。一緒に行きましょう」
フィニアも涙を拭い、笑った。嬉しいけど恥ずかしいそんな笑顔だった。
☆
「あの、フィニア様」
いつもの調子に戻ったフィニアにレスターは訊いた。
「何かしら?」
毅然とした態度で聞き返すフィニア。
「どうして、俺を最初に攻略しようと思ったのですか?」
すると一転、慌てた様子でフィニアはそっぽを向いた。
「それは……べ、別に。わ、私はショートケーキのイチゴは最初に食べる派なだけだから! それだけだからっ!」
お菓子と言う名の娯楽とは無縁の庶民であるレスターには分からない例えだったが、何故だろうか、とてもほほえましく思えた。
乙女ゲーのヒロイン出すの忘れてた。