一族
ワンの一族が住む処は、元の空港跡地だった。広大な滑走路も地を這う蔦草に覆われて表面の舗装が剥げ掛けている。
彼らのねぐらは、空港ターミナルの中で、管制塔が見張りやぐらの代用になっていた。
ワンとエアリーが、エントランスに入ってくると、それを目ざとく見つけた子犬達が凄い勢いで走りよってきた。
確かに空港のターミナルとはよく考えた物である。照明がなくとも採光は抜群で、防火素材で建てられている為、火事にもなり難い。子犬たちが、精一杯走り回っても安全な場所である。
「ねえ、ねえ、一緒に来たのなに?」
「ねえ、ねえ、だれ?」
「だれ?だれ?」
「うわぁ、いい匂い」
「いい匂いだ」
エアリーは忽ち子犬たちに囲まれて、体中を嗅ぎまわられる。生まれて間もないだろう幼犬からワンの背丈の半分ほどの子犬まで30匹程が彼女の身体に集っていた。色はワンのような真っ白い毛並みから黒、ブチ、マダラ、縞々、様々な子犬たちだった。
「こらこら、お前達失礼だぞ。こちらはクリエーターだ。ワンのマスターになってくだすったお方だぞ」
ワンは口を大きく開けて、エアリーと子犬の間に割り込み騒ぎの収集を図ろうとしたが、エアリーが「クリエーター」だと教えられると、子犬たちは尚更興奮して後足で立ち上がったり飛び跳ねたりし始めた。
「クリエーター!」
「すごい、すごい」
「初めまして」
「あー、僕にも触らせて」
子犬たちは、ワンワン、キャンキャンと鳴く合間にドギーイングリッシュで騒がしくまくし立てる。
エアリーはニコニコしながらも子犬たちを踏みつけてしまう恐れがあるので、一歩も動けず困っていた。
そこに、黒と茶のトラ縞のメスと白黒ブチのメスが現れ、子犬たちに吠え掛かりながらエアリーの両脇に割り込んできた。
「あなた達、いいかげんにしなさい!」
「悪い子は晩御飯抜きよ!」
「はーい」
子犬たちはぶつぶつ言いながらも、エアリーを遠く取り巻く形に散開した。
「申し訳ありません、クリエーター。私のしつけが至りません事、お許し下さい」
トラ縞のメスがエアリーを見上げながら言った。
「私は本日、子犬当番をしているトアと申します。そちらは語り部のおばばシュニです」
「シュニです。お目にかかれて光栄です」
二匹はエアリーの両脇で行儀良くお座りをして、彼女にそれぞれ手を差し出した。
エアリーはそのお手に答えて二匹の手を代わる代わる握ってやると優しく頭を撫でてやった。
「私はエアリーよ。よろしくね、トア、シュニ」
二匹は凄い勢いで尾っぽを振って喜びを表した。
「あぁ、トアずる~い」
「おばば、握手した~」
「あたいたちも~」
「ずるーい、僕も~」
遠巻きにした子犬たちがブーブーと文句を言う。
「おだまり! みんな子犬部屋に戻ってなさい」
トアの怒鳴り声が子犬たちを追い散らした。
「ちぇ、面白くないの!」
「僕達子犬じゃないって!」
口々に文句を言いながらも子犬たちは動かないエスカレーターを渋々と上って立ち去っていった。
「ところで、ワン。あんたエアリー様と主従の誓いは交わしたのかい?」
トアがワンに向かって聞いた。
「残念だったなトア。エアリー様はもう俺のマスターだよ」
ワンは自慢げにトアに言った。
「ちぇ、ま、しょうがないか。あんたが最初にエアリー様を見つけたんだからね」
トアはそう言って一歩エアリーから離れたところに座りなおした。
「ワン、よくぞクリエーター様を見つけてくれたねぇ。シュニばばは鼻が高いよ」
シュニはそう言ってワンのほっぺたをペロペロと舐めてやった。
「ああ、なんかガッカリだねぇ。ワンはどうせシュニの息子なんだからぁ」
トアはいじけて唇を捲り上げチラッと牙を見せながら言った。
「何だって? もう一回言ってごらん。私が息子をえこひいきしてるとでも言うのかい?」
シュニが、喉を鳴らしながらトアを威嚇した。
「まあまあ、トア。そう尖がるなよ。偶々今日お前が子犬当番だっただけで、エアリー様を見つけたのはお前でも可笑しくなかったんだからさ」
ワンが静かな声でトアに言った。
「ああ、分ってるよ。ちょっと残念だっただけさ」
トアは尻尾を恭順の振り方で振りながらワンに言った。
「それで、エアリー様から素晴らしい申し出があるから、もうすぐ皆が狩から戻ったらお前も一緒に話を聞いたほうが得だぜ?」
「本当かい?」
「本当よ」
ワンの代わりにエアリーが微笑みながら答える。トアはエアリーを見上げて、尻尾を大きく振り回した。
◇ ◇ ◇
その晩、エアリーは空港の二階の出国ロビーで大人の犬達に囲まれていた。梨型のリュックから取り出したバッテリー式のランタンを傍らのベンチに置いて、彼女もベンチに腰掛けている。
「これで全部です、マスター」
ワンは集まった15匹の犬を見渡して言った。
「こんばんわ、皆さん。エアリーと言います」
エアリーはワンを始めとする巨大な犬達を見回しながら言った。
「ワンと私は今日のお昼に偶然センダイの街で出会って、主従の関係を結びました」
集まった犬全部から「ウォン、ブフォン、フォフォン」という相槌の唸りが漏れる。
「私は第六世代のナノマシンを求めて、海を越えてここにやってきましたが、正直ワンが居なかったら目的の物を手に入れることは出来なかったでしょう」
皆の賞賛の視線が、エアリーの傍らのワンに集中した。ワンは心持誇らしげな顔をしている。
「そこでは、赤い星からやって来たネルガルそのものと対決し、我々は封印された秘密兵器を手にすることが出来ました。」
「うおお、凄いぞワン」
「始祖の伝承の通りだわ」
「クリエーター様、ばんざーい」
犬達は口々に賞賛の言葉を呟いた。ワンは照れた様子で前足で鼻の上を二度三度押さえるようにする。
「今回、ここにやってきたのは私一人ですが、これから続々と私と同じような人間がやってくるでしょう。」
犬達の間から驚きのどよめきが上がった。
「ワン、さっき言ってたのはこの事なのかい? 私達もマスターが持てるって事なんだね」
トアが目をキラキラさせて言った。
エアリーは犬達の喜ぶ様子を見て、若干の罪悪感を感じる。
「そうさ、『セダイン』にクリエーター様達が戻ってきて下さるんだ」
ワンは興奮気味に言い足した。
居並ぶ犬達は、興奮状態で尻尾をブンブングルグルと凄い勢いで振り回している。
「みんな、落ち着きなさい。エアリー様の話はまだ終わっていませんよ。ワンも族長のくせにだらしなく涎を垂らしてんじゃないよ」
ワンの次に権力があると思われるシュニが、他の犬達を叱り付ける。
ワンもパクンと慌ててその口を閉じた。
「ありがとう、シュニ。では皆さん、お話を続けます。
ここセンダイには、その内私達の砦が築かれる事になると思いますが、それまで我々の宝を守る人間がおりません。私がお願いしたいのは、私達人間が此処に戻ってくるまで、その宝物を守って欲しいのです。
その宝物は、昔私達人類が作った機械です。それが告げるところによると、再びネルガルが現れる事は無いそうですが、万が一の事を考えてそこの警備をお願いできないでしょうか?」
エアリーはそう言って頭を下げた。
「俺やるやる~~」
「あたしだってやるよ」
「おいらもおいらも~」
全員がやる気満々のようだった。
「それじゃあ、決まりだな。二人一組で一日交代で守ってくれ」
ワンはそう言うとエアリーのほうを見て話の続きを促した。
「私は訳あって、一度海の向こうのウラジオストックに戻らねばなりませんが、族長のワンに一緒に行ってもらうことにしました。その際、私達と一緒に一番いの犬族の方も同行して頂きたいのです」
「ワン、それは、群れを分けるって事かい?」
トアがワンに聞いた。
「ん、まあ、そういうことになるかな」
ワンは歯切れ悪そうに言った。
「それで、あんたはどうすんのさ? マスターと一緒に行ったきり帰ってこないつもりなんじゃないかい?」
トアはワンを強い口調で問い詰めた。
「それは、我がマスターの行くところには、俺も行かなきゃならないし?」
ワンは目を泳がせながら答える。
「あんた、向こうに連れてった番いの子供達とハーレム作る気だね?」
トアの唇が捲れて、完全に牙がむき出しになってくる。
「いあ、と、トアさん? それはとーんでもない誤解ですよ?」
ワンは首を仰け反らせて目を白黒させている。
エアリーはそれを見てプッと吹き出してしまった。
「あははは、ワン。トアってもしかして、彼方の連れ添いなの?」
「そうなんですよ、エアリー様。このろくでなしは、2シーズンばかり前から私に子供を生ませる関係なんですから」
「あら、そうだったのね、ワン」
エアリーはそう言ってトアに近くに来るよう手招きした。
トアは素直にエアリーの傍まできて、そこにお座りをした。
「トア? ワンはね貴女の事が心配なのよ。
私とワンはこれから何とかしてあそこに行かなきゃならないの」
エアリーはトアの耳の後ろを優しく撫でながら、サンルーフの天井から見える月を指差した。中天に輝く半月が弱弱しいオレンジ色の光でこの地上を照らしている。
「あそこって、あれって、月じゃないですか?」
トアは驚いたように、鼻の頭をペロペロと舐めた。他の犬も同じように月を見上げる。
ワンは照れ隠しに腰の辺りを甘噛みして蚤を取る振りをしていた。
「そうよ、あそこに行くには多分凄く大変なの。私がまだ完全に宝の力を使う事が出来なくって、あそこに行って完全な力を手に入れるまで、ワンは私を守ってくれるって言ってくれたのよ」
トアはエアリーの言葉を聴くとスッと立ち上がってワンの傍らに行き、その頬を優しくワンの頬に擦り付けた。
「あんたったら、本とにカッコいいんだから」
エアリーはそんな二匹の頭をクシャクシャッと撫で回した。
「あんたが、新しい群れを作るんなら、あたしが行くしか無いじゃないか。私とあんたで、エアリー様を絶対にあそこに送り届けよう」
トアはワンと一緒に月を見上げて言った。
月の光が淡く優しくそこに居たみんなの瞳の中に写りこんでいた。