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レジスト

 エアリーは暫く最高の警戒体勢を取りながら、二人の消えたあたりを見詰めていた。


 そして1分ほど経って、なにも起こらないのを確認すると、ようやく警戒体勢を解いた。


 だが、戦闘モードはまだ解かない。


 最初に頭に浮かんだのは、ワンの事だった。


 ワンは、床に叩きつけられた時にできた浅い窪みの中で、ジッと動かずに居る。心音や体内雑音が聞こえてくる事から、死んではいないらしい。

 エアリーは、ワンの傍らに音もなく移動すると、彼を覗き込んだ。


「大丈夫なの? ワン」

 彼女はへたり込んだように寝そべる漆黒の魔犬の頭を優しく撫でてやった。

 すると、心持ワンは頭を上げてエアリーに言った。


「マスター、アバラを4~5本やられましたが、暫くすれば直ります」

 そして、尻尾をかすかに振りながら静かになった。


 エアリーはワンの頭を再び撫でると、立ち上がって地下室の状況を確認した。

 地下室は、暴風が吹き荒れたような有様だった。僅か4~5秒の戦闘だったが、魔人同士が全力でぶつかったのだ。当然のことかもしれない。

 エアリーは地下室の惨状にさ迷わせていた視線を中央の円筒形のコンテナに向けた。


「これが、第六世代のナノマシン……なんでネルガルは、これをさっさと破壊してしまわなかったのかしら?」

 先ほどネルガルの女が、見せたような能力や、執事と思しき男が見せた力があれば、この地下室ごとこの世界から吹き飛ばせそうなものなのに。

 きっと、奴等が手を出せない理由があるに違いなかった。


 エアリーは肩をすくめると、あの女が座っていた安楽椅子を蹴飛ばして退かし、椅子の背に隠れたコンテナの開錠機構に手を伸ばした。

 しかし、彼女の手はパネルの数センチ手前で、何かの力場に激しく跳ね返された。何度試みても触る事が出来ない。


「何かの力場に保護されているんだわ」

 彼女はそう呟くと、小さく舌打ちをした。


 次は、パネルから横に1メーターほどずれた場所に立ち、中程度の力を込めてコンテナを殴りつけた。しかし、それも跳ね返されてしまう。その際、何かコンテナを覆う力場の上を複雑なパターンで波紋が広がるのを見たような気がした。


 今度は、渾身の力を込めてコンテナを殴りつけた。彼女の全力のパンチは、厚さ50センチの鋼鉄の板を貫通する。

 しかし、そのパンチもあっさりと跳ね返される。


「力学的な力じゃこの力場は突破できないようね」

 彼女はそう言うと、コンテナから2メーターほど後退って、右腕をコンテナの上辺部に向け、『全放射線』を撃ち込んだ。この攻撃の凄まじさは、ミランダとの戦闘で証明済みである。


 彼女の腕先から出た眩い洸条は、しかし虚しく地下室の天井に逸れ、一瞬にして最上階まで貫通してしまった。

 彼女はオレンジ色の溶岩に縁取られたその穴を見上げて腕組みをして考え込んだ。


「お手上げだわ」

 あと残された手段は、コンテナごと掘り出して木枠に固定して運んでいくしか無さそうだった。


 その時、エアリーの背後で「ドサッ」という音が聞こえた。

 彼女が振り返ると、そこにはワンがちょこんと座っていた。


「マスター・エアリー、ちょっとこの腕を観ていてくれませんか?」

 ワンは、ミランダの残して行った左腕に前足を掛けて言った。ワンがそれを拾って持ってきたらしい。


 そして、エアリーとコンテナの間に割り込むと、カッと顎を大きく開いて、その口から直径2メーターにもなる青白い火球を吐き出した。


 それは、ワンの体内で電気分解により生成された液体水素と液体酸素の混合ガスである。それに、チタニウムコーティングされた牙を噛み合わせて火をつけたのだ。


 あのミランダが放った、太陽プロミネンスに比べれば、威力が劣るもののそれでも1300度近くの温度がある。しかし、コンテナには染み一つ付かなかった。


 エアリーは片目でそれを捕らえつつ、ミランダの二の腕に視線を注いでいた。

 すると、ミランダの焼け落ちて動かないはずの腕が、ビクビクッと痙攣したではないか?


「どうですか?」

 ワンが得意げにエアリーを振り返って言った。


「お手柄よ、ワンちゃん。きっとこの腕とその力場は何かの力で繋がっているのよ。この腕を介して、あの女の本体ともね」

 エアリーはそう言って、右手の『全放射線』で女の腕を床ごと蒸発させると、ワンを振り返ってニッコリと笑った。


「力場が消えました」

 ワンは前肢の爪で、コンテナの表面をカリカリと引っかきながら報告する。


 エアリーはホッと安心した。コンテナごと運んでいく必要が無くなったからだ。


 エアリーは開錠装置のパネルの前に立つと、深呼吸して一房の髪をパネルのコネクターに差し込んだ。


 彼女は、髪の毛を通してコンテナの開錠機構に電力を供給しながら、回路を量子副脳で走査し、そしてコンテナの鍵を開けた。


 ワンは彼女の傍らにお座りをして、興味深そうに一部始終を眺めている。

 すると、コンテナが「ブシャッ」と言う音と共に左右と上方の3つに割れて開いた。


 コンテナの内部は戦闘機のコックピットのようだった。内部の壁は複雑に配置された液晶パネルや計器で埋め尽くされ、中央から生えた柱状のテーブルの向こうに複雑な形をした座席が一つ床に固定されていた。


 彼女は勿論そのようなものを見たことは無かったが、コンテナだと思っていたものは、一戸の完全な研究室だと言う事は理解できた。


 エアリーは、座席の丁度首の付け根が当たる部分に、複雑なコネクターがあるのを見て、それが人間の脳と研究室を接続する物であるのだと思った。


 彼女は躊躇無くその座席に座った。小柄な彼女には少し大きいようだったが、再びコネクターに一房の髪を差し込んだ。


 ワンが研究室の外でエアリーを心配そうに見ていたが、彼にニッコリと笑いかけると、彼女はアクセスを開始した。


 彼女の量子副脳が研究室のコードを読み込み、電子障壁を解除すると同時に、研究室の全ての機器が生き返り、活動を開始した。


 すると、彼女の脳髄の中に、ドッと大量の情報が流れ込んで、彼女はパニックに襲われた。


 彼女の量子副脳が、最大級の警報を発し、研究室からの大量のアクセスを遮断しようとしたが間に合わなかった。彼女の体内の全てのナノマシンは、(彼女の量子副脳も含めて)研究室の巨大な量子脳に支配されていた。


 相手の量子脳は、情け容赦なく彼女全体を走査し、テストして評価した。その間、彼女にはまったくなす術が無かった。眉毛一筋、小指一本でさえ動かす事が出来なかった。


 そんな彼女の目の前に、夢のような美しい黒髪を持った中年の女性が現れた。

「始めまして、ナノ・ウィッチのエアリーさん」


 彼女には、その女性が研究室の量子脳が見せている幻だと言う事が判っていた。

「残念ながら、私は彼方の量子副脳(?)の中にある彼方の一時記憶を見ているに過ぎないわ。意思を疎通する為には、声に出して喋って頂戴」

 彼女はそう言って微笑んだ。


 すると、彼女の声帯が自由になり声を出せるようになった事が判った。


「ワン、私が良いと言うまで、其処で待っていてくれるかしら?」

 彼女は、ワンが彼女の異変に気付いて、心配そうに研究室の中を覗き込んでいるのを目で捉えていたのだ。


「いまから、此処の機械と話をするけど、絶対にこの機械を傷つけてはだめよ」

 ワンは心配そうに、彼女を見たが大人しくコンテナの前に寝そべった。


「お連れさんもいたのね? なにせ、私の外部センサーは全て壊れている様だから、いい判断だわ」

 量子脳はそう言った。


「私の名前は、クレハよ、この研究室の量子電子頭脳に精神構造をダウンロードしてあるの。勿論オリジナルはとっくに死んでしまったでしょうけど、人格は本人そっくりよ」

 エアリーは、先人の技術力に驚く以外なかった。


「さて、あなたがここに辿り着いたということは、あなた達がネルガルと呼んでいる種族の番人を退けたということだから、私の最新研究のナノマシンを獲得する権利があるということよ」

 彼女は淡々として話した。


「でも、その前にちょっと説明しとかなければならない事があるわ」


「いったい何を?」

 エアリーは恐る恐る聞いた。


「一つは、ネルガルについての知識。もう一つは、量子ナノマシンについての注意」

 彼女はそこで少し間を開けた。


「一応私は只の機械だから、貴女の体の『手術』っていうか『改造』について、本人の承諾が必要なんだけど?」

 彼女はそこでまた長い間を取った。


 『手術』? 『改造』? エアリーは潜在的な脅威を感じたが、それで第六世代のナノマシンが手に入るのだったらいい取引かもしれない。


「いいわ、承諾するわ」

 エアリーはごくりと喉を鳴らすと言った。


「はい、了解。ではネルガルについての知識からお話しするわね」

 クレハはコホンと咳払いすると、今までの人間臭い話し方からは打って変わった抑揚の無い機械っぽい話し方で始めた。


「ネルガル=古代火星支配生物、オリジナル原型不明。クルースン科学アカデミーの報告では、西暦2089年に初めて確認された。火星古代遺跡に仕掛けられた複数のレトロウィルスの感染により、人間の身体を乗っ取りそのまま宿主として使用している模様。実体は不明。

 ネルガルは、ダークエネルギーを操る能力を持つものと推定される。

 ダークエネルギー=21世紀後半に発展した超弦理論から11次元宇宙論が確立されたが、それを更に発展させた11宇宙理論で我々の生存宇宙以外から我々の宇宙に干渉する宇宙法則全般を指してダークエネルギーと呼ぶ。

 11宇宙理論=我々の生存宇宙は11回目のビックバンによって10個の宇宙に上書きされたとする理論。それぞれの宇宙は超弦つまり素粒子を構成するストリングの振動の違いによって、お互いに検知できないが同一空間を占めている。その証拠として上げられているのは、物理力のうち重力だけが他の力より極端に弱いのは、検知できない他の宇宙にも均等に作用しているからだと考えられている。

 ネルガル化とは古代火星種=ネルガルによってストリング振動を変化させられた(意図的かどうか判らないが)我々11番目の宇宙物質が任意の宇宙と結びつき、その宇宙の転移能力を有する生物が無作為に11番宇宙の生物の身体を乗っ取ることだと考えられている。そのシステムはまだ解明されていない。

 ネルガルは、その生体機能を11次元に分散した統合体として存在する為、11番宇宙の構成物質を破壊しただけでは、死ぬ事は無い。つまり、体全てが破壊消滅しても一般的に幽霊のような存在として生存できると言われている。しかし、その状態から11番宇宙に高度な介入をするのは、困難だと考えられている。身体を全て失ったネルガルが再び11番宇宙の物質的な身体を取り戻せるかは不明である。

 ネルガルの繁殖法については不明である」


「あら、さっき私が戦った女のネルガルが『お爺様』とか言ってたから、可能なんじゃない?」

 エアリーは言葉を挟んだ。


「そう?それは興味があるわね」

 クレハはそう言って続けた。


「ネルガルに関しては、この程度の情報しか当時は収集できなかったみたいだわ。クルースンの滅亡の後、対抗手段を開発する期間が2年間しか無かったから」


「クルースンって何なの?」

 とエアリーは聞いた。


「クルースンとは、地球近傍衛星といって地球と同期して太陽を回るトロヤ群小惑星の事よ。21世紀後半の太陽系開拓時代に、ニホンのキャノンという開拓事業を請け負う会社が独自に開発した小惑星で、宇宙で最初の自治独立国家よ。もう無くなっちゃったけどね」

 クレハはどうでもいいじゃないという素振りで答えた。


「重要なのはここからよ、あなたの身体に関係した事ですからね」

 そして、彼女は話し始めた。


「貴女が第六世代のナノマシンと呼んでいる技術は、基本的に重力子制御技術なの。

 重力は11次元宇宙に均等に作用しているから、他の宇宙これからは異次元て呼ぶけど、異次元から呼び出された物質もエネルギーも時間でさえこの11番宇宙の重力に影響を受けているわ。

 ネルガルが使っている能力も重力とは対極にある斥力というものを利用していると考えられているの。

 もし、この宇宙に重力と呼ばれるものが無くなったらどう思う?」

 クレハはエアリーに言った。


 彼女はこのあり得ない質問に答えようとして努力したが成功しなかった。 

「判らないわ」


「それじゃあ、あなたの周り半径1メートルだけ円筒状に重力が無くなったとしたら?」


「う~ん、多分地球が自転しているはずだから、私はその上に乗っかっているので、地面の接線方向に秒速何キロかで吹っ飛んでいくのかな?」

 エアリーは難しい顔で答えた。


「それでは、半分の正解しかあげられないわ。正解は、ほぼ垂直に上昇するよ。

 いい?重力の力はそんなに強くないの。毎秒9・8メーターで貴女を地球中心方向に引っ張っているけど、接線方向の成分は精々数十センチよ。

 慣性運動しようとする物体を静止させる力は分子間力や摩擦力の方がはるかに強いわ。

 また、その逆に分散させようとする力も存在するの。それは『圧力』=熱運動、最も強いのはその圧力が真空中で開放される事よ。

 だから貴女は宇宙空間から差し込まれた半径1メーターのストローの中にいるみたいに、周りの大気の圧力に押し上げられ、あっという間に宇宙に吸い出されてしまうのよ。

 同様に考えると、宇宙に重力が無くなると直ぐに真空の力が物質そのものをバラバラにしてしまう。ここまではいいわね?」

 エアリーは頷いた。


「私達は量子理論を駆使して、他の次元から進入してきた物質の重力成分を打ち消してしまうシステムを開発したの。

 ある一定のフィールド内で重力が他の宇宙の物質に影響を及ぼさなくなるとどうなるか?」

 クレハはそこで右手を拳状にして目の近くまで持ち上げ「ボーン」という声と共にぱっと開いた。


「言い換えると、そのフィールド内では11ある宇宙は重なり合わなくなるのよ。

 我々の宇宙空間だけが残り、他の宇宙由来の物質もエネルギーも存在できないの。

 私はそれを『レジスト』と呼んでいるわ」

 クレハはそこまで言ってため息をついた。


「でもね、思わぬ副作用が出るのよ。

 『レジスト』のフィールドの中では重力が11倍になるので、核融合が起きなくなるのね。

 だから、貴女の体内に埋め込まれた鉛薄膜核融合システムは、残念ながら使えなくなるわね」

 エアリーはそれを聞いて驚いた。


「なんですって? 第六世代のナノマシンはネルガルを滅ぼせるんじゃなかったの?」


「滅ぼせるかどうかは、実際に使用してみないと判らないけど、理論的には滅ぼせると思っているわ」

 クレハは肩をすくめて言った。


「だから言ったでしょ?『改造』が必要だって」

 エアリーは愕然とした。


 今までナノ・ウィッチとして訓練していた能力が無くなってしまう恐怖にパニックになりそうだった。


「戦闘力がまったく無くなってしまうの?」

 エアリーは眩暈を覚えながら言った。


「あら?なにか勘違いしているみたいね。貴女の戦闘力はそのままよ」

 クレハは微笑みながら言った。

 エアリーは安堵のため息をつく。


「ただ……」


「只なんなのよ」

 気色ばんでエアリーは問い詰める。


「……バッテリー式になっちゃうから、全力が出せるのは精々1分位かしら?」

 そこには機械的な笑いがあった。




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