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主従

 ワンはひと目で彼女が気に入ってしまった。この生物は、ワンの種族に限りない安心感を与える。


 ワンたちは基本的に四足歩行である。だから、同属同士が出会うとお互いに警戒しながら最大の武器である顎を相手の最も脆弱な腹部に近づけてゆく。そして、その恐怖をぎりぎりまで我慢して相手に恭順の意を示すのだ。


 相手に対して恭順の意をしめす最大の表現は、寝転がって無防備な腹部を相手にさらす事だ。しかもそんな仕草は実の親子の間でさえたまにしか行わない。


 だが、この生物クリエーターは常に相手の正面に無防備に腹部を晒している。ワンの常識からすれば、驚くべき、愛されるべき生物だ。


 また、彼女が彼の顎の下や耳の後ろを撫でる滑らかな前肢は、なんと気持ちがいいのだろう。前肢全てが柔らかな肉球に覆われているかのようでうっとりとする。


 ワンの全身に流れる犬族の血。五万年に及ぶ人間との交流の記憶が、どっとワンの心に雪崩れ込んできた。


 それは人間の甘い体臭の記憶なのだろうか? なんて素敵な匂いなんだ。


 ワンは己が見つけたクリエーターの若いメスに、同属では感じない思慕の情を強烈に感じていた。


 エアリーと名乗ったメスは、後ろ足をたたんだ姿勢から、元の二足歩行の姿勢に戻ると彼に言った。


「ワンちゃんは、どこに住んでいるの?」

 聞き辛いドギー語だが、ワンにもなんとか理解できる。


「ここから、北に太陽十個分走ったとこだ。」

 彼はまったく警戒心を持たずに教えてやった。


 エアリーは頭の中で何かを考えているようだったがかぶりを振ると再び話しかけてきた。


「ここで、何をしていたの?」


「あなたを見つけた。クリエーターを見つけた。見つけた」

 ワンはそのことが誇らしくって、小躍りしてステップを踏みながら激しく尻尾を振って見せた。


「あら、そお、いい子ちゃんね」

 彼女はそう言ってワンの頭をくしゃくしゃと撫でてくれる。彼女の口の両端が釣りあがり目が細くなる。彼女も気持ちいいのだとワンは思った。


 ワンは、彼女から極めて重要な答えを聞き出したかった。


 ワンの一族の伝承でクリエーターと遭遇した時に必ず確認しなければならない事だ。一族全体の「使命」といってもいい。


「クリエーター・エアリーよ、確認したい事がある」

 ワンは緊張で額にハの字の皺が出来る。


「なあに? ワン」

「しゅ、主従の契りを結んでくれるか?」

「え?」

 彼女はそう言ったまま、暫く(ワンにすれば死ぬかと思うぐらい長く)黙っていた。


「ええ、いいわ」

 彼女は肩をすくめて同意した。


 ワンは天にも昇る心持だった。お礼に彼女の顔をべろべろと舐めてやると、あたり一面を出鱈目に走り回る。


 やった! ヤッター! ワンは成功したぞ! 使命を見つけたぞ!


 クリエーター・エアリーは、その様をあきれ返って見ていた。


   ◇   ◇   ◇


 エアリーは、自分の数メーター前を警戒しながら進むワンを見て心でため息をついた。


 ついワンの愛らしい顔に釣られてご主人となってしまったが、すぐにその強情ででしゃばりで無鉄砲な性格に気付くことになった。


 建物の内部に入った途端、ワンは先行偵察を受け持つといって聞かなかったのだ。


 それでもエアリーは、ワンの力を評価していたので、渋々先行偵察の任を命じたのだった。


 このエアリー様に気付かれずに、三十メーター以内まで近づける能力は驚嘆に値するからだ。


 彼女は、ワンもまた第五世代の戦闘型ナノマシンを移植されている事に気付いていた。それも彼女のまったく知らないタイプのナノマシンである。先祖から子孫に戦闘型ナノ・マシンが受け継がれるなど聞いた事が無い。


 ワンの一族が何頭の群れなのかは知らなかったが、彼らをウラジオストック・コロニーに連れ帰り、ナノ・ウィッチの代わりに都市や周辺の警備を手伝わせたらすごく助かる事だろう。なにしろ、彼女の感じた限りではワンの知能は人間の十四、五歳程はあるので、かなり複雑な命令もこなせるし、状況を自ら判断する事も出来る。


 ニホン人は、ナノ・ウィッチではなく、スーパー・ナノ・ドックを開発していたのだ。


 エアリーはニホン人を見くびっていた事を反省した。


「マスター・エアリー」

 先行していたワンが立ち止まって、彼女の方を振り返って言った。


「此処から先は、行かないほうがいい。赤い星の怪物たちの匂いがする」

 ワンはそう言って「ブヒャン」と大きなクシャミをした。


「何がいるの?」

 エアリーは半信半疑で聞き返した。


 ここはナノマシン散布の中心地点だったはずだ。環境保護型のナノマシン濃度が一番濃い場所であるはずなのに、ネルガル型生物が潜んでいると言うのか。


「判らないが恐らく、物凄い奴がいる。ワンはまだこの匂いを嗅いだことが無い」

 ワンは背中の毛を逆立てて唸りながら答えた。


 エアリーは考えるまでも無かった。ナノ・ウィッチの使命として、此処は必ず探索して帰らなければいけないのだ。


「え~と、ワン。私は私の一族の為、必ず此処を探索して帰らなければならないの」

 彼女はそういいながらワンに近づいて、彼の頭から首筋にかけてを励ますように撫でまわした。

 すると、嘘のようにワンの毛の逆立ちが引いてゆく。


「ワン、彼方は危険だから下がっていてもいいのよ?」

 それを聞いたワンは、気を悪くしたらしく怒って歯をむき出した。


「なんだと?この偉大なワンに、こそこそとメスの後ろに隠れてろというのか?」

 ワンの声は「ギャオン、ギャウン」という憤慨する声が混じって聞き取りにくかったが、大体そういう意味の言葉を捲くし立てている。


「あ・そ・怪我をしても知らないわよ?」

 彼女は大きなため息と共にワンに言うと、体内のナノマシン群に戦闘態勢を組ませた。


 どうもワンは、人間のエアリーの戦闘力を見くびっているようだ。ここは、バトルモードの彼女の姿を見せておいた方がいいと考えて、あえてエアリーの真の姿を見せておく事にする。


 彼女がそう望むと、ナノ・パワーステーション(NPS)が最高出力でパワーを供給し始め、体表に無数のフォノニック回路の刺青が、明るく燃え上がるように浮き上がってくる。


 (フォノニック回路とは、フォトニック結晶およびフォノニック結晶の技術を拡張することによって、光をレンズで集束したりミラーで反射させるのと似た方法で熱を操作できるようにする技術である)


 表皮と一体化した七色のボディ・スーツは、超微細粒子可視化システム(HPV)の燐光によってほの明るく輝き始めた。


 彼女の黄金色の髪は、ザワザワと立ち上がり頭部全体を覆う黄金のヘルメットに変貌した。そのヘルメットの表面にはびっしりとダイヤモンドの結晶が付着している。


 スーツの袖から覗く手も何重もの超弾性体の粘膜に覆われ、同様にダイヤモンドの結晶が港の部分の各関節に付着している。


 それに加えて彼女の肘と脹脛には髪の毛よりも細いタングステンの電極が無数に生え、何十万ボルトもの高圧の静電気が放射され始めていた。それは、強烈なイオノクラフト効果によって体全体を重力の頚木から解き放った。


 彼女はまるでオーロラの化身だった。体全体が脈動する光に包まれ、薄暗かった通路を明るく照らし出していた。

 それをワンは、うっとりとした目で眺めていた。


「なんという美しい、なんという凶悪な姿なのだろうか」

 ワンは心のうちでそう呟いた。クリエーターとはこんなにも強力な力を備えたものだったのか? と改めてその偉大さに触れたような気がしていた。


 クリエーターが本気になって戦う準備をしているのだからワンもそうするべきだと彼は判断した。そして、ワンも体内に寄生するナノマシンに指令を出した。


 すると変化が始まった。


 ワンの白かった体は、伸びてくるカーボンナノ繊維の剛毛に覆われ真っ黒く変色し始めた。それはまるでアルマジロの鎧のようにワンの全身をプロテクトする。


 体内ではエアリーと同じNPSが活動を始め、体中に張り巡らされた油圧システムが起動した。


 敏感な鼻腔はヘパ・フィルターの様な濃密で微細な体毛で保護され、牙はチタン合金により強化される。


 彼の唯一の弱点である呼吸系は外部と切り離され、水の電気分解による酸素供給システムに切り替わった。


 目はフッ化アルミの赤い皮膜により保護される。


 エアリーはワンの変貌した漆黒の体を見て、にっこりと微笑んだ。


 お互いにお互いの姿を暫くじっくりと観察した二人は、これならば殆んどの脅威に対処できるであろうと納得しあう。


「漆黒の悪魔犬ね、まるで」

 彼女はそう言って、ワンの燃えるような赤い目を覗き込んだ。


「では、いきましょう」


「承知した、マスター・エアリー」

 一人と一匹は、ネルガルが待ち受けるであろう通路の奥へと、鼻歌交じりで進んでいった。




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