地獄門・その2
思ったより難産になってます。
この調子で レナが強くなっていけば、エアリーに勝ち目はあるのでしょうか?
レナが白銀の幕を潜り抜けると同時に、激しいうねりが、体を叩いた。
一瞬で着衣や頭髪が燃え上がり、灰となって吹き飛んでゆく。
眼球が膨張し、熱い蒸気を伴ってブスッと破裂する。
皮膚が熱により急激に収縮し、ピチッ、ミチミチッと硬貨サイズにめくれ上がり、得体の知れない汁がブクブクと泡立ちながら全身から滴り始めた。
レナは苦痛の声を上げようとしたが、気道を焦がす灼熱の気体が、内部から数万のキリを咥内、気管、肺の内部を突き刺すような激痛に、パクパクと唇を上下させるに止まった。
「おい! 気をしっかり持て!」
ジェスの声が頭に響き渡った。
すると、不思議なことに髪も目も皮膚も喉も何事も無かったかのように元に戻っている。
「アアァァ……お願い、止めて! 熱い! おねがいぃぃ!」
レナは狂ったように胸を掻きむしりながら凄絶な声を絞り出して叫んでいた。
身体は元に戻ったように見えるが、痛みは無くなっていないようである。
「嬢ちゃん、落ち着くんだ! 胸に刻み付けてある紋章に意識を集中しろ!」
ジェスは焦燥感をその顔に浮かべて、レナを怒鳴りつけた。
現在レナを襲っているモノは、ニュートリノの強烈な渦動流である。いや、地球の物理学では検知できないニュートリノ属の複数の粒子流だった。
ダークマター(空間に折りたたまれた11次元宇宙の粒子)が、12次元目の現宇宙に及ぼす斥力により吹き寄せられた渦なのである。
レナはジェスの助言に従って、自らの体内に刻んだ紋章に意識を集中しようとしていた。顔は醜く歪み、唇は青黒く変色し、まるで瘧のように全身がガクガクと震えている。
「レナ! 胸の中にある紋章で、ここのエネルギーに共振しているピースを探すんだ!」
ジェスはレナの体を抱きかかえるように支えながら、耳元に話しかける。
「……あぁ……うぅ」
レナは瞳孔が開き、力いっぱい食いしばられた口と眉間の間の細かい皴が、彼女の努力を表している。
彼女を包む銀色のギラギラとした暴力的なエネルギーが渦巻く世界。地球のコアの外核は、思っても見ぬ場所だった。
レナは死力を振り絞って戦っていた。体内の細胞1つひとつが、連鎖的に弾けていくのを食い止め、発狂しそうな痛み・焼け付く熱傷を無視し、体幹に刻まれた複雑な知恵の輪の制御を試みる。
これは、以前紋章の表面を撫でた時に加えられた苦痛を遥かに凌駕するものだった。
『ナサケナイ! レナ、貴女はそんな根性無しだったの!? あのナノ・ウィッチから受けた恥辱を思い出しなさい!』
レナは、心の中で自身を苛烈に叱咤していた。
『貴女は、ネルガルの王族……この地球の支配者! 何人も貴女の高貴な本質を傷つける事はできない!』
叱咤だけではくじけそうなので、激励も混ぜてみる。
その努力の甲斐あってか、レナはこの孤独な戦闘に勝利しつつあった。
「レナ……いいか? 『溶けた惑星の核』これはニュロニック・アイアンと呼ばれるものだ」
ジェスは、レナが多少安定してきたのを見て優しく語りだした。
「ここは、超高温・超高圧により『超時空伝播体』になっている。つまり、紐に折りたたまれている宇宙膜が半分開いているんだ」
ジェスの説明にレナがようやく反応し、小さく頷いた。
「恒星規模の核融合の終末プロセスではカルシウムと炭素の核融合が起こると鉄が生成される。太陽の内部にもここと同じ様にニュロニック・アイアンが蓄積されるが、惑星と違い、個体や液体になることは無い。また、冷え切った惑星や出来立ての惑星には、地球のような個体の鉄中心核と液状の外部コアの2層に分かれた条件を持つものも少ない」
ジェスはレナに言い聞かせるように話した。
「惑星に紋章を刻み、マーシャン・フォーミングする為には、個体の鉄の核とそれを取り巻く液状鉄のニュロニック・アイアンがなければならない」
レナのゼーハーゼーハー……という荒い呼吸が少しづつ落ち着いてきた。だが、まだ顔面は蒼白である。
「太古の火星には、かつてその条件があった。だが10億年程前、火星の核は冷え、紋章を維持できなくなった」
ジェスはレナの頭をいたわる様に撫でながら、寂しそうに目を眇めた。
「ジェス叔父さん、何とか……できたと思う……」
レナは大量の冷や汗を流しながら漸くジェスに言った。
「今はどんな感じ?」
ジェスは心配そうにレナの目をのぞき込みながら尋ねた。
「私の胸の中の紋章を構成するリング(?)の1つ――それのめちゃくちゃな振動が、やっと規則的な脈動(?)位までコントロールできるようになったみたい?」
レナはまだ震える手で、ジェスの背中をポンポンッと叩き、大丈夫だという合図を送った。
「そうか……よかった。もう、君の父や母の様な悲劇は見たくない。――真のマーシャンとして力を振るうには、この1次元宇宙の力を制御できることが基本だからな……」
ジェスはレナの頭を優しく撫でた。
「……お父さん? お母さん? 叔父さんはその時に立ち会ったの?」
レナは戸惑った顔で言った。
レナの父と母は、彼女が物御心付く前に紋章に挑戦し死亡していた。ネルガルとして教育を受けたレナにとって、人間的な思慕の情が有る訳では無かったが、単純に父と母の死に様に興味があっただけだ。
「ああ、残念だったが、目の前で紐の循環に還って逝ったよ――僕も既に死んだも同然なんだが、この第一の門の門番として、これからも若いネルガルの生死をずっと見続ける宿命にある」
そう言ったジェスの瞳は蔭りを帯びていた。
「そう、それは悲しいわね」
レナはジェスを同情のこもった眼差しで見つめ返した。
「――で? おじさま、わたくしが手に入れたこの新しい力はどの様なものですの?」
レナは得心できないという表情をしてジェスに尋ねた。さも不思議そうに自らの手の甲、二の腕、両頬や首筋をペタペタと弄り回している。
「今までの君の能力は、繋がった空間からエネルギーか物質を償還する事だった。だが、胸中の紋章が覚醒する事で、各宇宙で生じるダークな物理法則を自在に操る事が出来るようになった。
僕が門番を務める第1の宇宙の法則は『物相転換』だ」
ジェスはレナに静かに告げた。
「はて? 『物相転換』とは何ですの?」
レナにはその専門用語は難しすぎた様だ。
「……はぁ、今の若い者は向学心が無いな」
ジェスはため息交じりに呟いた。それにレナが反応し、ちょっとむくれた顔をする。
「解り易く説明すると、物質の状態には4つの段階がある。個体、液体、気体、プラズマの状態だ。それは分かるね?」
ジェスはレナに確認するように言った。
「その状態を瞬時に変換させる能力だ」
ジェスはレナがまだ首を捻っているのを見て、やれやれといった表情で再び口を開いた。
「例えば、ダイヤモンドは堅いよね? それの物相を液体の状態にすれば、掌で叩くだけでダイヤモンドは、微塵の飛沫となって飛び散るよね?」
「アーーー!!」
レナは驚きに目を見張って、思わず叫んでいた。
「問題の本質は、堅さや柔らかさじゃない。物質を個体から、プラズマ状態に一気に変化させると、それは超高温・超高圧のプラズマと同じ密度と圧力になる。もし手に取った小石がその状態になったら、どうなる?」
ジェスは思わせぶりに言った。
「…………大爆発・す・る・わ!!」
レナの顔は驚きと同時に、見る見る喜色に彩られていった。
「ダークマターを操るという事は、そう云う事なのさ」
ジェスは苦笑いをしながらそう言った。
「デュフフフ……」
レナはアヒル口になって、不気味に笑い始めた。
ジェスは眉をしかめてそんなレナを眺めていた。




