地獄門・その1
長々と休載いたしまして申し訳ありませんでした。
改めてこのシリーズの設定となる宇宙物理に関する考察を重ねていました。
作中の会話が難解でしたら、エッセイで解説しておりますので、
そちらを併せてご覧ください。
レナは決死の思いで紋章の入り口(チューブの切れ端)に飛び込んだ。
以前なぞった紋章は、この様な3次元的な物では無かった。概ね床に記された迷路のパターンを正しくなぞっていくだけだった。勿論その際、紋章から干渉される膨大なエネルギーに抗って正しい道順でその迷路を踏破しなければならない。
それに比べてこの紋章のパターンは異質である。そもそも、これは迷路ではない。1本道の管である。
紋章に飛び込んだレナは、外部から見ると体が半透明になったように見える。それは体内の骨や内臓が透けて見えるという事では無く、体の骨肉すべてが等しく透けて見え、だがしかし彼女の胸の中心に刻まれた9組のパターン(複雑に絡み合うサッカーボール大の塊)が毒々しくピンク色に輝いて見えていた。
紋章の外から見ると、そのキラキラ輝く糸屑の球が、ゆっくりとチューブの中を進んでいくだけの様にしか見えなかった。
しかし、実際チューブの中にいるレナには、全く違う風景が見えていた。
「やあ、レナ。会えて嬉しいよ。僕の名は、ジェームス・フランクリン。第1の宇宙ゲートを守る守護者をしている」
レナの目の前には、風采の上がらない痩せぎすの若者が忽然と無から現れて、レナにじっと視線を注いでいた。
「ええっと、初めましてかしら?」
レナは戸惑いながらもその男に言葉を返した。
「前に一度、アイルランドのダブリンで会っているよ。まあ、僕が一方的に君を見ていただけだけどね。僕の事はジェスと呼んでくれれば嬉しいな」
ジェスと名乗った男は、にっこりと笑いかけて言った。
レナはジェスにどこかしら見覚えがあった。どこで見たのか思い出そうとすると、頭の中に祖母の寝室に飾られているホロビジョンの映像が浮かんでくる。
「あっ、御婆様のホロビジョンに映っていた方ね?」
レナはニコリと笑って言った。
ジェスははにかみながらレナを見つめ返す。
「レナ、よく聞いてくれ? 今から君を真の火星人=ホモマーシャントに変体させる訳だけど、それには途轍もない危険が伴う」
そう言うジェスの目にはレナに対する憐憫の情が垣間見える。
レナは彼の真剣な目を見て、ゾクッと体を震わせた。
「の、望むところだわ!」
レナは緊張のあまり、ごくりと唾を飲み込んで言った。
「うむ……」
ジェスは諦めたようにため息を吐く。
「では、僕は君を導いていこう」
ジェスはそう言い、レナの手を取るとチューブの中を中心に向け漂い始めた。
「君はその体の中に紋章を焼き付けたが、その紋章が本当に意味する力を全て扱えるようになった訳ではない」
ジェスはレナの手を引きながら話し始めた。
「君の体はまだ量子宇宙の影響下に在り、11次元宇宙の法則を使えない。我々ホモマーシャントは、20億年前に火星で繁栄していた。その後8億年ぐらい前に現在の量子宇宙が新たに上書きされて、宇宙は12次元になった」
彼は何気なく話を続ける。
「ええ? 何それ……」
レナは驚いて聞き返した。
「君はユニクから何も聞いていないのか?」
ジェスは眉をひそめてレナを見詰め返す。
「ふう……頭の悪い彼女らしい……いいかいレナ、今の宇宙は量子生物に乗っ取られているんだ。だから、本来ならば我々のような古代生物は生存できないんだよ。いや、言い方がまずかったか……11次元宇宙の力を道具無しで操る事が出来なくなったと、言い換えたほうがいいかな?」
ジェスはレナに噛んで含めるように言った。
「初耳だわ! ……あの……糞ババア」
レナは鼻孔を膨らませながら言う。
「ま、まあ、ユニクはある意味天才だからね。……はははっ」
彼は乾いた笑いと共に言った。
「ねえ、おじさま……何となく、私がまだ不完全なホモマーシャントだと云うことは分かったけど、完全体になるにはどうしたらいいの?」
レナは自分の祖母の行状を言い繕おうと腐心するそんなジェスに尋ねる。
「ああ、我々は地球の核に向かってるんだよ」
「核!? あのドロドロに溶けて高温高圧の鉄の塊?」
レナは素っ頓狂な声を上げて聞き返す。
「……イメージ的に結構間違っているんだけど……この10番目の紋章は特別でね。今我々が潜っているチューブは、地球上に刻まれた10の紋章全てに繋がっているんだ。そして、その紋章は地球の核に空いた10個のニュートリノゲートに接続している」
「つまり?」
レナは可愛らしく小首を傾げて聞く。
「はぁ……つまり、このチューブは何故か地球の核に接続していて、我々はそこを潜り抜けて、11番目の穴から帰還する。その過程で、君の胸に刻まれてる『ゲート器官』にニュートリノゲートの本体へのアクセス回路を作成する。こんなところかな……」
ジェスはうんざりしながら説明をした。
『あのモニクあってのこの孫だな』
彼が心の中でそう呟いた事は秘密である。
二人がそんなことを話している間にもレナを取り巻くチューブ内の景色は変化していった。
チューブ内を満たす液体(?)は、薄暗いグリーン色から眩く輝くグリーンに変化し、眩しくて目を開けていられない位に強くなってきた。よく見ると砂粒大から小石大の緑に発光する多角形の結晶のようなモノが浮かんでいるように見える。
「あぁ、これ凄く綺麗だわ」
レナは目を細めて思わず呟いた。
「それは宝石だよ。殆どはカンラン石だが、ルビー、エメラルド、トパーズ、ダイヤモンドなどが混じっているよ。なにせマントルの中だからね」
ジェスは大して興味なさげに解説した。
「マ、マントルですって!?」
レナは小さな悲鳴を上げて手に取って見ようとしていた結晶から慌てて手を引いた。
二人が更にチューブを進んでいくと、辺りは暗い青緑色に変化し、そして黄色く明るく輝くようになっていった。
『マントルの中って、高温高圧のはずなのに……』
レナは辺りをキョロキョロと見廻しながらそんなことを考えていた。
そんな彼女がふと前方を見ると、いつの間にか銀色に輝く壁が現れていた。
「これが外核=外部コアと呼ばれるものだよ。ここで岩石のマントルとはオサラバさ」
ジェスはレナを振り返りニヤッと笑って言った。
「覚悟するんだね、君にとってここからは凄く大変な旅になるよ」
ジェスの言葉にレナの全身に鳥肌が立った。




