ダラスのジュリアス Ⅱ
ジュリアスは凍りついたようにレナを見詰めていた。
「お、お爺様……」
レナは明らかに雰囲気の変わった祖父に怖々と声を掛けた。
ジュリアスはその声に気付かなかったの様に、視線を落し考え込んで居る様だった。
『何だったっけ……?』
彼は記憶の彼方に掠れて捕らえ辛くなってしまった遠い過去の記憶を思い出そうと必死になっていた。
『……僕がまだ、10番目の紋章を描く前……こんな少年の身体に変貌する前の話……』
集中しようとするが、もやの様な向こう側から抜け出してきそうで出てこない。
『……凄く重要な事……大人だった僕が子供になった僕に、大きな声で叫んでいた……忘れるなよって……絶対に……だけど思い出せない!』
ジュリアスは脳内に耐え難い痛みを感じて頭を抱えて俯いた。
レナとレブマは目の前で冷や汗を流して頭を抱えてうずくまるこんなジュリアスの姿を見るのは初めてだった。レナはオロオロと気が気でない様子だったが、レブマは文字どうり驚愕して彫像のように固まっていた。元々マネキンの様な結晶体のレブマでは外見からはその驚愕度は判じられなかったが……。
「ジュリアス様……?」
「お爺様……?」
2人は心配して彼に手を伸ばそうとしたが、それはジュリアスの上げた手で制止された。
「……う……ん、ああ、大丈夫。何だか凄く不味い事が起きそうなんだが、思い出せないや、ははは」
ジュリアスは青白い顔で虚ろに笑いながら言った。
「御免なさい、お爺様。私の力が及ばなかった所為です」
レナは涙目になりながらジュリアスに謝った。
「そんなに落ち込まなくっていいよ、レナ。お前はまだ王族として免許皆伝じゃないんだから」
彼は気を取り直して優しくレナを慰めた。
「そ、その事なんですけど……」
レナは祖父の言葉に多少安堵したが、言いにくそうに言葉を繋げた。
「ユニクお婆様から10番目の試練を受けてくるように言い付かっています」
レナは自分の味方である祖父が試練の件を押し止めてくれると期待しながら祖父の顔色を窺がった。
エアリーにしてやられた悔しさ半分、試練に対する恐怖半分である。
ジュリアスはそれを聞いて再び物思いにふけり始める。
「お前は、ナイガン家の跡取りだったな?」
彼は唐突にレナの背後に居たロバートに話しかけた。
「はい、陛下。姫の付き人をしております、ロバートと申します。何卒、御覚え芽出度き事お願い申し上げます」
ロバートは追従の笑いを顔に貼り付け、普段レナには使ったことも無い丁寧な口調でネルガル王に返事をする。
「お前は、ナノ・ウィッチが封印されたコンテナを襲ってきた時、レナと一緒にその場に居たんだな?」
ジュリアスは平板な声でロバートに聞いた。
「はい、陛下。私が姫をその場から落ち延びさせました」
ロバートは得意げに答えた。レナはそれを聞いて目端に兼を浮かべ、気持ち悪そうに鼻を鳴らす。
「10家の一員として、件のナノ・ウィッチはどれ程の手錬なのだ? 率直に申してみよ」
ジュリアスはロバートを射抜くような視線で見詰める。
「それでは申し上げます。件のナノ・ウィッチは私が嘗て葬ってきた者より数段の力をもった者でした。それに、その者はまるで悪魔の様な犬を帯同しており、私はその犬の相手をせざる終えなかったので、姫様はナノ・ウィッチと有利な立場で戦う事が出来ませんでした」
彼はそこで咳払いを一つするとレナに一瞬視線を宛てた。
「犬だと?」
「いぬってなんにゃ」
ジュリアスの呟きに被せるようにユキヒョウのサタニアが身を乗り出して口を出してきた。
「犬というのはかつて人間共が飼っていた獣だよ、サタニア。寒い地方に生き残っている狼は知っているだろう? そいつらの親戚さ」
ジュリアスはサタニアの頭を撫でながらそう言った。
「なんにゃ、あのよわっちいやつらにゃ」
サタニアは自らの口の周りをぺろりと舐めると再びクッションに頭を乗せた。
ジュリアスはその様子を目を細めて見ていたが、ロバートの方をキッと睨むと言った。
「お前は、犬如きに梃子摺ってレナの援護も出来なかったのか?」
「いいえ、滅相もありません。私も初めて見ましたが、あの犬はナノ・マシンで強化されたナノ・ドックでした!」
ロバートは慌てて言った。
「ナノ・ドックだと?」
ジュリアスとレブマは驚いて言った。
「はい、その身のこなしとスピードはとても侮れません」
「ほう、興味があるな。まあ、今はレナの相手のナノ・ウィッチの客観的な評価をお前に求めている。早く申せ」
ジュリアスはロバートを促した。
「はい、あのナノウィッチは姫様のプラズマ召喚や熱腐食召喚をやすやすと凌ぎ、中空を高速で移動しながら、怪光線で――あれは多分ガンマ線バーストだと思われますが――姫の左肩を吹き飛ばしました。私は姫様のお体を慮り、安全な場所に転移でお連れしたのです。
そうしなければ、あのナノ・ウィッチは姫様を殺してしまったでしょう」
ロバートはそう言ってジュリアスに頭を下げた。
「嘘よ!! 私はあんなみすぼらしい小娘になんて負けないわ! あんただってあの子犬に片腕をもぎ取られていたじゃない!」
レナは顔を赤くしてロバートに言い募った。
「こらこら、レナ落ち着きなさい」
ジュリアスはこの負けん気が強い可愛い孫娘に優しく言った。
「経緯は概ね分かったよ。そのナノ・ウィッチは随分力があるみたいだね……」
ジュリアスはそう言って思案の為に口を閉ざした。
人類の残りカス――ナノ・ウィッチがウロチョロしているのは今に始まった事ではない。放置しておいて良い訳ではないが、ネルガルとして戦闘経験を積むためには手強い対戦相手が居た方がいい。
『あれ? 何でそんな異分子がはびこっているのを許しているんだ?』
ジュリアスはそう考えて愕然とした。
『150年前、地球人と戦うと決意を固めた時、僕は戦争後の世界秩序はどうあるべきだと思っていたのだろうか? 10番目の紋章を刻む時に、ユニクに後を託したはずだったのに……』
ジュリアスは、10番目の紋章を描かなければならなくなった時、生き残るつもりはまったく無かった。いや、生き残れるはずが無かった。
本来ならば、ユニクに言い渡した人類壊滅の指示が実行されていた筈だ。
『僕が、記憶の大半を失い、力の殆んどを失って、中途半端に生き残ったから、人類種を駆逐する行動を起こさなかったのか?』
彼はそう考えて衝撃を受けた。
『僕は、ワザと生還させられた? ……いったい誰に?』
ジュリアスは訳が分からない不安が湧き上がってくるの感じていた。




