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3万5千年の絆

 ワンは耐え難い暑さに喘いでいた。


大口を開け、舌を伸ばせるだけ伸ばして、1秒間に5回という速い速度で浅い呼吸を繰り返して、体温が上がり過ぎないようにしている。犬は肉球の付近にしか汗を掻かない為に、肺から水分を蒸発させて体温を保つのだ。これは氷河期に進化を始めた犬科の生物に共通の特徴である。


 熱い、暑い……耐え難い……意識が朦朧として、気が狂いそうだ。


 ワンはもう駄目だと思った。


 子犬の頃にセンダイの浜辺で気持ちよく浜辺を駆け回った事を思い出した。


「あの水はしょっぱかったけど、冷たくて気持ち良かったなぁ……」

 ワンがもうこれ以上耐えられないと思った瞬間、ジワジワと身体が冷やされている事に気が付いた。


 心地よい冷たさが外側からワンの身体を覆ってゆく。


「助かるなぁ、気持ちいい……」

 ワンは身体を責め苛む灼熱の暑さが癒されつつあることにホッとして安らかにその意識を闇に沈めていった。



   ◇   ◇   ◇



「え! どうしたのワン? トア? 何で動かないの?」

 エアリーは顔を真っ青にしながら、ぐったりと横たわるワンとトアに水筒の水を振りかけていた。


 判っている。ワンとトアがこうなった原因は、エアリーが犬達のパワー・サプライに回路を直結していた為なのだ。


 エアリーは体内の超伝導蓄電池からエネルギーを引き出してコンドリアに全放射線を放った心算だったが、ワン達との回路が直結だった為、彼らの薄膜核融合システムからエアリーの超伝導蓄電池へと強制的にエネルギーが吸い上げられてしまったのである。


 これはエアリーが彼らを安易に電力供給源として扱ったためと、『合体』その物が初めての経験だった為起こった必然的な結果であった。


 エアリーは体内のナノマシンに命令して、腹部から点滴用のチューブを作り出すと、ワンとトアに生理食塩水の点滴を繋いだ。勿論彼女の体内で血液を成分ろ過したものである。


 ワンとトアは戦闘時の炭素装甲が解除されて、口と鼻から泡を吹いて横たわっている。忙しない呼吸音が「カヒュ、カヒュ」と小さく漏れ、とても苦しそうだ。


 エアリーはベタッとした罪悪感とチリチリとした焦燥感に苛まれるという初めての気持ちを体験していた。生まれて直ぐにコロニー評議会によって、両親から切り離されたエアリーは、この様な感情を体験した事が無い。


 ナノ・ウィッチに成る為の過酷な訓練の過程で、他人に対する愛情は育たなかった。


 だから今、彼女は初めての感情に困惑している。何故だろう、空気中に刺激成分も無いのに、妙に目がシバシバする。


 エアリーはワンとトアの毛並みを優しく撫でながら、『がんばって』と心で唱え続けていた。



   ◇   ◇   ◇



 ワンは夢を見ていた。ワンは尾を千切れんばかりに振り回して、エアリーの周りを走り回っていた。


「ワンは凄いでしょ? マスターの敵をやっつけたよ? ねえ、褒めてほめて?」

 そういって小刻みにジャンプしてアピールする。


 犬にとって人間は魅力的だ。餌がもらえるとかそんな事じゃない。遊んでもらえるのだ。


 人類によって知性化された『鯨』『犬』に共通するのは、『遊び』だ。種族も違い、言語も違う、お互いに共通するのは遊びしかない。

 ワンには3万5千年前の記憶は無いが、きっとご先祖様は人間と遊びを共有する事で、一緒に生活するようになったのかも知れない。


 もしかして、かつての人類の友人であった『猫』や『オウム』なども知性化が可能であったのかもな?


 夢の中のエアリーは満面の笑みで、ワンの毛並みを撫でてくれている。これもワン達にとっては『遊び』だ。


『次はどんな遊びを教えてくれるのかな?』

 ワンはエアリーの手をペロペロと舐めながら期待に胸を膨らませる。


 そしてワンはゆっくりと目を覚ました。

 エアリーが上から心配そうな顔で覗き込んでいる。


『あれ?』

 ワンはエアリーの膝を枕に寝ていたようだ。


「ああ、ワン良かった。大丈夫?」

 エアリーが蕩ける様な笑顔を浮かべて言った。


「だいじょうぶ……」

 何故か身体がだるい。返答も呂律が回っていない?


 エアリーの眉が曇り、ワンの頭をその柔らかい肉球だらけの手で撫でてくれる。


「ご免ね? 無理させて」

 エアリーが済まなそうな顔で謝ってきた。


 ワンは『気にするな』と尻尾をパタパタと振って答えた。


 ふと気が付くとトアの奴もエアリーに膝枕をされている。ワンは頭をグリグリと動かしてトアよりも良いポジションに擦り寄る。


『どうだ、ざまあみろトア。ワンの方がマスターに近いぞ!』

 ワンは心でそう叫びながらエアリーを見上げた。


「ワン、もうちょっと寝てなさい? 彼方は疲れてるから、ね?」

 エアリーはそう言って再びワンの頭を撫でた。


『そうさせてもらうかな?』

 ワンは返事の代わりに尻尾を短く振ると再び静かに目を閉じた。



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