スカーレット・ダムド
『小皇帝』=レナ・レナ・ミランダ・スチュァートは、深紅の絨毯の上に跪いて恐怖の為に身体を小刻みに震わせていた。
彼女の目の前にはラメ色に光る漆黒のドレスを身に着けた30前後の婦人が立っていた。その婦人は『小皇帝』と同じブルーネットの髪、ルビー色の目を持っており、明らかに彼女との血の繋がりを感じさせた。
「貴女は度し難いお馬鹿さんですね……もっとも今回は、私が命じた罰を実行中に災難に遭ったようですから、加えて叱責は致しませんが……」
婦人がそこで一旦言葉を切ると、『小皇帝』はあから様に安堵のため息をついた。
「何安心してんだ! この愚孫が!」
婦人はコロっと荒々しい口調になると、『小皇帝』を激しく罵った。
「ヒィ!! ご、御免なちゃい、お婆様!?」
レナは途端に腰を抜かして仰向けにひっくり返りそうになった。
そう、目の前に居るのが『スカーレット・ダムド』と呼ばれて恐れられるユニク・ミランダ・スチュアート=火星王朝初代女王その人だった。
「ロバート! お前もゴキブリみたいに壁に張り付いてニヤニヤしてんじゃないよ!」
女王は不機嫌そうに壁際に控えるロバートに向かって言った。
「それで? レナ? 封印してあったコンテナはどうしちゃったんだい?」
女王は可愛い孫に猫なで声で言った。
「あわわ……御免なちゃい、ゴメンナチャイ……」
レナには余程祖母に対するトラウマが有るのだろう。嫌々をしながら、お尻で祖母から遠ざかろうともがいている。
「ハァ……」
その姿を見て女王は情けない溜息を吐いた。
『どこで教育を間違ったんだろうね?』
彼女はそう心の中で一人ごちた。そうして、無言で孫娘の頭に手を置き、優しく撫で付けた。
「どれ、そのみっともなく焼け爛れた左肩を見せてご覧……」
女王はそう言うと目の前でしゃがんで、両の手を傷口に宛がった。すると、レナの痛々しい傷口から緑色に輝くミミズの様なものが無数にその触手を蠢かせながら伸び始め、お互いに絡み合いながらレナの失われた肩先のボディラインにそって成長を始めた。レナは体から強引に生命エネルギーを引き出される感覚に言いようの無い不快な表情を浮かべて祖母の手先を見詰めている。
やがて、そのミミズ達がレナのボディラインを描ききると同時に、彼女の失われた左肩から先は元通りに復元されていた。
「ふう……案外深く傷ついてたわね」
ユニクはそう言って額に薄っすらと掻いた汗を拭った。
「あ、ありがとうございます、お婆様」
レナは上目遣いにユニクを見上げながら言った。
「お前が遭遇したナノ・ウィッチ、かなり危険な奴だね」
ユニクは屈んだ姿勢からスッと背を伸ばして立ち上がると眉を顰めて言った。
「恐れながら女王様……」
その時、部屋の入り口付近に立っていたロバートが言った。
「何だ? 7世界家の小倅」
ユニクはロバートに冷ややかな視線を巡らせて言った。
「世界家」(ワールド・レイス)とは、地球の表面に刻まれた10の紋章を守護するネルガルの伯爵に相当する家系である。
大戦時、10人の王族がその命と引き換えに地上に刻んだ呪いの刻印は、地球を中心とした半径100万キロの球圏をネルガル型生物圏へと変貌させている。それぞれの刻印はこの13番目の最上級宇宙の下位に位置する古宇宙へと繋がるゲートとなっており、それぞれの宇宙が過去に失った物理特性をこの宇宙に再現する為に存在しているのだ。
そして、それぞれのゲートが繋がる宇宙の支配種族がそのゲートを守っている。
ロバートは太平洋の底に刻まれた第7宇宙ゲートを守護する世界家の嫡男である。
「件のナノ・ウィッチですが、運がよければ又は悪ければですが……あの島に刻まれた大4のゲート……4世界家コンドリアが始末してくれるのではないでしょうか?」
ロバートはニヒルな笑みを浮かべながら言った。
「ほう、お前は第4家如きが、そのナノ・ウィッチを倒せると言うのかえ?」
ユニクは嘲りの表情を浮かべながら言う。
「コンドリアも末席ながら10家の一員、それほど酷い醜態も晒しませぬでしょう」
ロバートは慇懃な態度で女王に返答する。
「そうだと良いな」
ユニクはどうでも良さそうな顔でロバートへの一瞥を切るとその目を孫娘に向けた。
「レナ、お前は9つの紋章をなぞって居るのだったかな?」
「はい、お婆様」
レナはビクッと肩を震わせると答えた。
「では、早々に10番目の紋章をなぞりに行かなければならぬな」
ユニクは容赦無くレナに告げた。
レナは驚愕して女王の顔を覗き込む。
王族として王族特有の能力を完全に身に着けるには、地表に刻まれた10の紋章をなぞり、その力を制御する能力を身に着けねばならない。150年前の大戦時には完全に能力に覚醒した王族は11人いた。だが、今は2人しかいない。レナの祖母のユニクと紋章を刻んだのに唯一生き残った祖父のネルガル王ジュリアスだけである。その後150年の間誰一人として10種の紋章全てをなぞった者は出ていない。いや、少し前までは7つの紋章をなぞった者が最高位だった。
レナが『小皇帝』と呼ばれている所以は、大戦後初めて9つの紋章をなぞり、覚醒したネルガルに一番近い存在となったからだった。
彼女の父・母、兄弟・親戚もその偉業を果たしていない。
「で、でもお婆様、わたくし、10年前に9の紋章をなぞったばかりです。も、もうちょっと間隔を空けた方が、よ、良いのではないでしょうか?」
レナはドギマギした口調で冷や汗を流しながら言った。
紋章をなぞるという行為は、肉体に激しい負担を強いる。身体全体が最大級の苦痛を受け、精神はカンナで削られるような消失感を受ける。何時終わるとも分からぬ苦痛を受け続けなければならない。
レナはわが身に降りかかった最悪の経験を思い出して身震いをした。
「なに甘ったれた事言ってんだい、この小娘が! お前が守っていたあそこに封印されていた忌まわしい力が解放されたって言うのに、自ら責任も取らないって言うのかい!?」
ユニクは怒気を帯びた声でレナを叱咤した。
「うぇい、……分かりまじた」
レナはべそを掻きながら答えた。
「だったら、サッさとダラスのジュリアスの所に行って来な!」
ユニクはレナに冷たく言い放つ。
「それから、ロバート! 絶対にこの情けない娘から目を離すんじゃないよ! 確実にジュリアスの前まで送り届けるんだ! いいね!?」
ユニクはそう言い放つと、身を翻して玉座の間を出て行った。
後にはしょんぼりと肩を落すレナとニヤニヤと笑うロバートが残っていた。




