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魔女と犬

 ワンは今シーズン最初の縄張りの見回りに出ていた。ここは始祖の時代「セダイン」と呼ばれた大都市の遺跡だった。そこには始祖の像があり、彼はそれを見に行くのが好きだった。


 ワンの一族を知性化した生物が、始祖の像を建てたことをワンは誇りに感じていたから、シーズンの始まる時期には必ずそこを訪れる事にしていた。


 ワンたちを未開の原始状態から文明化した種族を彼は知らない。すでにこの付近では滅び去って久しい。


 セダインのあちらこちらに彼らの絵姿が描かれているから本物を見たらすぐに判るだろう。ワンたちはその種族をクリエーター(造物種)と呼んでいた。


 ワンは彼らが滅びた理由を知っていた。始祖が知性化された前後に、赤い星から怪物がこの地に訪れ、クリエーターと大戦争を繰り広げたのだ。


 そしてクリエーターはこの付近から居なくなった。この惑星自体から消えたかもしれない。


 彼の知る限り、それ以来この「セダイン」も含めた周辺百キロ圏内でクリエーターを見かけなくなって久しい。


「絵を見ると二足歩行の生物だよな~、会ってみたいな~」

 ワンはそう思った。


「きっと、あの赤い星からやってきた怪物どもと違って、ワンの言葉を理解してくれるに違いない」


 怪物どもは、好戦的だ『気が狂っている』としか思えない。怪物どもの眷属をワンは数種類しか知らなかったが、どれも悪夢から抜け出たような奴らだった。だが、そいつらをワンの一族が退け、この辺りの平穏を守っているのだ。


 昔は壮麗な建築を誇ったこの「セダイン」も、周囲の自然に侵略されジャングルに飲み込まれようとしていた。


ワンは森を歩くときの通常の警戒を怠らず、頭を低い位置に保って、下生えの中にかすかに続く踏み分け道を足早に急いでいた。 


 その時、前方から微かな嗅ぎ慣れない匂いがワンの敏感な鼻腔に届いてきた。何か甘ったるい……警戒を呼び起こす様な……しかし懐かしさも込み上げる様な……匂いだ。


 ワンは足を止めると、地面に四肢をふんばり首を精一杯持ち上げて、もっと詳しく匂いを分析しようと鼻をクンクンと鳴らした。


「何かいるのか?」

 集中力が高まると同時に、自然とワンに寄生するナノマシンが、鼻粘膜の面積を何倍にも増幅する。


 赤い星から来た怪物どもの仲間ではない。なぜなら、匂いにはこの星の生物固有の微生物達が混じっているからだ。更に匂い成分中の微生物の増殖具合から、さほど昔の匂いではない。太陽二つ分ぐらい前だ。


 ワンはどうするか迷った。今日は始祖の像の前で転寝をするつもりだったから……。


 ワンは小首を傾げて数瞬躊躇したが、好奇心が抑えられなくなり、ついにシッポを小刻みに左右に振り始めた。


 ワンはその匂いを追跡することにした。どうせ時間はたっぷりあるんだ、始祖の像の前の陽だまりでお気に入りの昼寝をするのはもうちょっと後でもいい。


 彼は匂いのする方向を定めると、獣道から外れ、つむじ風のように走り出していた。


   ◇   ◇   ◇  


「おか~おこえいこ~よ……」

 エアリーは村の長老から教わった怪物よけの歌を口ずさみながら、センダイのかつては大学だった施設の門をくぐった。


 その施設は元々アスファルトで覆われていなかったのだろう。侵略者の襲来から百五十年以上無人だった為、うっそうとしたジャングルに変わっていた。


「ふぇ~、昼なお暗いとはこのことよ」

 彼女はげっそりした表情で行く手に広がるすさまじいジャングルを見つめた。


 年の頃は十六、七だろうか、まだあどけない表情を留めた顔は端整で、流れるような黄金の髪をしている。瞳はライトブルーでトルコ石のような妖しい光を湛えていた。彼女の体は、筋肉質でほっそりとしていたが、未成熟な脆弱さは微塵もなく、不可解な力強さに満ちていた。


 着衣はつま先から首元まで覆う一体型のボディスーツで、全体に移ろい変化する七色の色彩に染め上げられていた。装飾品は少なく、肩から袈裟懸けに梨型のショルダーバックを下げているだけだった。


「本当にこんなところに第六世代のナノマシンがあるのかしら?」

 彼女は訝しげに、小声で呟いた。


 エアリーはナノ・ウィッチスクール卒業時にミコヤン校長に言われた事を思い出していた。


「……エアリーよ、お前は注意力散漫でひどくおっちょこちょいな奴だが、この伝統あるウラジオストック=ナノ・ウィッチスクールをかつてない優秀な成績で卒業したことは確かじゃ。一人前のナノ・ウィッチになるためには、探索の旅に出なければならん。

 ……で、並みの卒業生ならば、ユーラシア大陸内奥部への探索を命じるところだが、お前には海を渡ったニホンと呼ばれる島に行ってもらう。かつてニホンという島は、ナノ・マシン製造ではこの惑星随一の技術を持っていた。そこには封印された第六世代のナノ・マシンがあると思われている。

 我がスクールの卒業生でニホンに派遣されるのは百二十年の歴史でお前が五人目だ。以前の四人は、メインランドのキョウト、ナゴヤ、トウキョウ、ツクバに派遣された。だがその時の卒業生は、第六世代のナノ・マシンを発見することはできなかった。今回お前が赴くところは、かつてセンダイと呼ばれた地だ。そこにも第六世代のナノ・マシンがなければ、あとはあの忌まわしい北アメリカ大陸にしかないじゃろう。

 お前は今まで送り出した卒業生の中で、最もガサツでおっちょこちょいだが、ナノ・ウィッチとしての技量は他を抜きん出ておる。首尾よく第六世代のナノ・マシンを探し出してくるのじゃ」

 彼女は、ミコヤン校長の言葉を思い返して眉をひそめた。「おっちょこちょい」って、何なのよ。


 そして、彼女は探索の旅に出た。


 世界中に数えるほどしか残されてない人類の支配地域に生まれたナノ・ウィッチは、必ずナノマシン探索の旅に出る。大戦時に失われた第六世代のナノマシンを探し出す為に。


 何故なら、そのナノマシンが侵略者を滅ぼし、人類に救済をもたらすと信じられているからだ。


 百五十年前に火星から襲来した侵略者は、古代バビロニアの火星を表す『ネルガル』と呼ばれた。ネルガルは、人類の想像もつかないテクノロジーで、地球文明の殆んどを滅ぼした。彼らのテクノロジーは、当時最先端の量子物理学者達が予測したダークエネルギーに関わる技術だと推測されたが、ネルガルの進みすぎたテクノロジーは当時の人類にとっては、魔術となんら見分けがつかなかった。


 ネルガルは地球全体に『呪い』としか言いようがない攻撃を行った。地球上の全ての生物を悪夢のような怪物に変化させる『呪い』である。


 人類は、雄雄しく敢然と、あるいは恐怖と絶望に囚われて狂ったように戦ったが、数年のうちに地表の90%以上が侵略され蹂躙された。


 だが、人類は辛うじて絶滅を免れた。人類が長年開発してきたナノテクノロジーが、ネルガルの侵略を危ういところで阻止したのだ。完全自動複製型のシンプルAIを搭載した第五世代のナノマシンの一つがネルガルに向け放出された。それらはネルガルや『呪い』によって変化した怪物の特徴的なDNA構造を判別し攻撃する。あたかも体内の免疫システムのような働きをした。


 そうして、地表にはある程度の緩衝地帯が生まれた。細菌の繁殖実験のごとき『コロニー』状の地域が残り、そこに人類の生き残りが避難し、細々と生き延びてゆくわずかな余地が出来たのだった。今この瞬間も『呪い』はエアリーの体の中で地球産のDNAをネルガル型のDNAに変化させているが、体内のナノマシンがそれを滅ぼし、元のDNAに再生させている。


 このように、第五世代のナノマシンが優勢に働いている生物や地域は、地球型の種の形を保っていられるのだ。


 現在生き残っている地球型の生物は、ナノマシンが優勢に働く運のいい生物だけだった。


 しかし、新たなナノマシンを製造する技術は、永久に失われてしまった。


 ナノマシンを製造する技術者、ナノマイトがいなくなってしまったからだ。


 生き残りの人類は、大戦時世界各地に存在したナノマシン研究所や製造施設から、有用なナノマシンを回収して、ネルガルとの戦争に利用し管理するナノ・ウィッチという組織を創り、儚い抵抗を続けている。


 ナノ・ウィッチとは、生まれた時、体内に戦闘用のナノマシンを移植された特殊な人間である。移植の成功率は3%ととても低く、適合しなかった赤ん坊は死亡する。まともな親であれば、自分の愛しい我が子をナノ・ウィッチにしようなどとは思わない。


 しかし、ネルガルの怪物からコロニーを守るには、ナノ・ウィッチは必要不可欠だった。そこで、大戦後すぐに、『第一子供出法』という法律が各コロニーで成立した。最初に生まれた子供は強制的にコロニーに取り上げられる。それでも各コロニーで、ナノ・ウィッチは百人といなかった。


 ナノ・ウィッチを製造するために、我が子を取り上げられた親たちは『一刻も早く、ネルガルを倒してくれ』と乞い願う。


 だから、第六世代のナノマシンが伝承として語り継がれてきたのだ。本当に存在するものかどうか定かではないのだが、彼女がナノ・ウィッチである限り、それを探す義務があるというわけだ。


 彼女はここまでの旅程の殆んどを鯨族の背に揺られやってきた。人間と鯨族の間には、知性化後、契約が結ばれていた。人類が提供する『歌』の報酬に対して、鯨族は人類の要求を満たさなければならないのだ。それは、知性化に対するお返しであり、鯨の文明に対する『歌』の恩恵を獲得する取引でもある。


 『歌』は鯨族の文明の象徴であり、行動原理の集大成でもある。オリジナルの『歌』を獲得する事は、鯨の知恵の象徴であり最も名誉なことなのだった。


 だが普通、差別主義的でめんどくさがりやの鯨族は、ウラジオストックから最も近い対岸の『サカタ』あたりに彼女を下ろし、内陸の危険な地帯を平気で横切らせるのだが、なぜだか今回彼女を乗せた鯨は、ぐるっとメインアイランドを一周して太平洋側に彼女を連れてきてくれた。彼女はその事になんの違和感も感じていなかったが、彼女を運んだ鯨はしきりに不思議がっていた。


「なぜこんな人間の小娘に親切にしてやらなければならないのか? 数世代前の祖先が知性化してもらったという恩義は確かにある。だが、一族の回遊ルートからこんなに外れてこの人間を運ぶ理由はまったくない。なぜなんだ?」

 鯨は彼女をセンダイ湾に下ろしたあともしきりに自問自答を繰り返しながら群れに帰っていった。


 彼女は昔からこの手の幸運に恵まれている。回りの者がなぜか彼女に奉仕したくなる。しかし、彼女自身はそのことをまったく自覚していない。これは、彼女の特殊能力だった。


 彼女はジャングル化した大学の敷地に踏み込むのを暫く躊躇していたが、小さく肩をすくめるとガサガサと下生えの草を手で掻き分けながら入っていった。


 ネルガルに対するナノマシンを使用した反撃は、センダイのような第五世代のナノマシンを保有していた研究機関が行ったため、半径百キロ圏は原生生物種が優勢の生態系が残っている。


 それにも関わらずここに人間がコロニーを作っていないのは、ナノ・ウィッチがいなかったからだ。ナノマシン優勢地帯で生き残った人間も外部から進入してきたネルガルの変異生命体に皆殺しにされてしまった。


 特にこのニホンという国は、ナノマシン技術には秀でていたが、兵器転用技術を開発しなかったため、この国の民族は全滅した。


 兵器開発の技術はあったが、実際に兵器の生産はしないと言う信念だか哲学だかを持っていたらしい。


 非常にばかばかしい思想だと彼女は思った。彼らは滅びるべくして滅びたのだ。


 彼女は既に入り口から二百メートルほど奥まで歩み行っていた。五十メートルほど先に蔦のびっしりと絡まった建物が見えていた。


 彼女はそこでふっと歩くのをやめた。何かの気配を感じたのだ。と同時に、彼女の体内のナノマシン防衛機能が活動を開始した。


 彼女の脳内=視床下部に形成された量子副脳が、身体全体に走る光ネットワークを通じてナノ・パワーステーション(NPS)の出力を一段引き上げる。


 NPSとは鉛薄膜核融合をコントロールするシステムである。ミクロの世界では、我々が通常感じる物理法則がまったく違った働きをする。核力や分子間力が電磁気力や慣性の力を遥かに凌駕するほど強くなり、容易に核融合を起こせるようになるのだ。鉛薄膜核融合は、異常に接近した二枚の鉛の薄膜の間に重水素を押し込めると核融合が起こるという物理現象をナノレベルでコントロールして発電する技術である。


 彼女はそのようなNPSを体内百万箇所以上に備えていた。


 彼女の体内のナノマシン防衛機構は、ボディスーツの表面に鳥肌が立つようにごく微細な突起を出現させる。そこからNPSから誘導された炭酸ガスレーザーが、周辺に広範囲に照射され始めた。


 ナノ・ウィッチが使用する超微細粒子可視化システム(ハイパーファイン・パーティクル・ビジュアライゼーション=HPV)である。


 空気中の埃や水蒸気などの動きを走査するシステムで、半径三十メートル内の空気や埃の動きを目で見えるようにする仕掛けである。


 彼女の姿は、薄暗いジャングルの中で燐光を発したように淡い光に包まれ、まるで妖精が出現したかの様に見えた。


 彼女は暫くそのままそこに立ち竦んでいたが、不意に背後の中空に大きくジャンプをした。高さにして十メートル、後ろ斜め上方に飛び上がっているので距離にして十五メーターは飛んでいるであろう。人間の運動能力を遥かに超えた動きだ。彼女は空中で優雅に身体を後転させながら、目指すものを発見した。


 彼女が跳躍するその真下を、かなりの大きさの白い物体が通過したのだ。


「ん? ……かなり大きな四足の生物?」

 彼女は最初牛かと思ったが、それが犬科の動物であることを見て取った。


 彼女は後方にあった大きな木の枝を蹴ってほぼ元いた位置に着地すると、繁々とその生物を観察し始めた。


 犬科、体高(つま先から肩までの高さ)は一メートル余り、短毛のすらりとした体型……「マスチーフ?いや、グレートデンだわ」彼女は記憶の中の動物図鑑を検索するとそう判断した。彼(外見上立派な生殖器があるので彼女はそう決め付けた。)は、頭を低くして、小刻みに鞭のような尻尾を振っている。


 彼女がコロニーでよく知っている小型の犬を基準にすれば、彼女に対してかなり興味と好奇心を持っているようであった。外見上犬以外の何者でもないようなので、彼女は警戒を解除した。


 彼女の緊張が解けたのを察知して、その犬は「うぉんうぉん、きゃうんきゃうん」と立て続けに啼き始めた。彼女は、最初それが何かを表現してるとは気づかなかったが、よく聞いてみると言葉だった。しかも、英語のようなのだ。彼女はびっくりした。


 彼は、知性化されたグレートデンなのだ!


「初めまして、クリエーターよ。私の名前は偉大なるワンです」

 彼女には、彼がそう言っているように聞こえる。知性化された犬なんて見るのは初めてだわ。


「ああ、ええ、ワン。初めまして、私はエアリーよ」

 ウラジオストック・コロニーの公用語はロシア語だが、ナノ・ウィッチの教育をうけた彼女は、英語を始め他に数ヶ国語を操る事ができる。


「おお、やはりクリエーターだ。都市の壁画と同じだ」

 彼はかなり興奮しているらしく尾をしきりに激しく振っている。確かにこの辺にエアリーのような人間が生息しなくなってから百五十年はたっているだろう。彼は人間を見たことが無いのだ。


「近くにいらっしゃい?」

 彼女は、ひざを曲げ敵意が無い事を示して彼を手招きした。するとワンは目じりを下げ、鼻の頭をしきりに舐めながらいそいそとエアリーに近づいてきた。彼女がそんな彼のあごの下を優しくなで上げると、彼はうっとりとした表情を浮かべ、千切れんばかりに尾を振った。


「クリエーターよ、あなた方はどこに行ってしまわれたのですか? そして、今あなた方は帰ってきてくれたのですね?」

 エアリーは期待に目をキラキラさせて問いかけるワンを思わずぎゅっと抱きしめてしまった。「あ~ん、かわいい」ワンはそれを肯定の意味と解釈し、興奮して彼女の顔をベロベロと舐めまわす。とたんに彼女の顔はベロまみれになってしまった。




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