シュニのお願い
「クリエーター様、他にご質問はございますか?」
シュニが首を傾げて聞いてきた。
クリスは、『ナノ・ウィッチ』『第六世代ナノマシン』について考え込んでいた為、シュニの質問への対応が遅れた。
「あ、ああ、済まない。考え事をしていた」
クリスはシュニに慌てて返事をするが、頭の中では『この知性化犬達にこれ以上複雑な質問は難しいだろうな』と考える。
「ああ、此方ばかりが一方的に質問をして悪かった。我々で答えられる事であれば、シュニ殿も質問をどうぞ」
クリスは表情を明るい物へパッと切り替えて言った。
すると、一斉に3匹の犬達は『お座り』から『伏せ』の状態に成りながら、頭もぺたんと揃えた前足の上にのせ上目遣いにクリスを見詰めてくる。
『何、これ!? 可愛すぎる~~』
エメルが無線で嬌声を上げた。
確かに犬達が諾々と人間に対して恭順を示す仕草は、過去何十万年もの間、人と犬とが築き上げてきた信頼を強烈に思い起こされるし、保護欲も掻き立てられる。しかも、上目遣いである。額にダイヤモンド型の皺が寄っているし……。
クリスの唇はもうにやける寸前で、左右の口角が釣りあがり、アヒル口になっていた。
「月からいらっしゃったクリエーター様にお願いする事はたった一つで御座います。我らの次期頭首になる『ワン』のマスターであるエアリー様を、どうか月の世界まで連れて行って欲しいのです」
シュニは平伏したまま『クゥ~ン、クゥ~ン』という甘えた鼻声も混ぜながら懇願してきた。
『やばっ! お持ち帰り決定でしょ!』
エメルの無線がそう叫ぶ。エメルは犬のその愛らしい魅力にノックアウトされたらしい。
『おい、おい』
クリスは無線で突っ込みを入れながらも、正直困っていた。ルナシティ防衛軍・戦略情報偵察群・強行偵察部隊の偵察ユニット=強襲偵察人型筐体であるクリスとそのメンテナンス・ユニットであるエメルは使い捨てを前提に地球に派遣されてきているのだ。2人の量子コアの帰還の為、小型のケミカル・ロケットが搭載されてはいるが、とても人間一人を軌道上の母船まで打ち上げる事は出来ない。
それに、クリス達が地上に派遣された本来の目的は、救難信号が発信された状況の調査であって人命の救出では無かった。ルナシティ防衛軍・戦略情報偵察部の認識では、地球上に人類の生き残りは居ないとされている。
しかし、蓋を開けてみれば、生き残りの人類のコロニーが存在し、知性化された犬達も存在するという驚くべき事実も判明している。加えて、『ナノ・ウィッチ』や『第六世代ナノマシン』といった興味深い技術も発見してしまっている。
クリスはルナシティ防衛軍・戦略情報偵察部が、これらの事実に興味を抱くであろう事はほぼ間違いないと予想した。
臨機応変に対応しなければ、後々本部からの叱責を招くだろう。
『自分の要請で本部は救助船を派遣してくれるだろう。それに、自分等の帰還も更に安全になる』と彼女は判断した。
クリスは暫く考えてシュニに答えた。
「シュニ殿、残念ながら我々の今の装備ではエアリー殿を月までお連れする事は不可能だ」
クリスは明らかな失望の表情を湛える白黒斑のグレートデンを見詰めながら語を継いだ。
「だが、本部から救出ユニットを派遣してもらえば、月まで彼女を輸送して貰えるだろう」
クリスのその言葉に、シュニはがばっと身体を起こし、前足で『お手をさせろ』的な動作をクリスにし始める。それは当に犬にとって最上の感謝の表現の一つである。
「クリス様、感謝いたします!」
シュニは嬉しさに口元をハアハアさせ、盛大に涎を垂れ流していた。
クリスはシュニがブンブンと振ってくるその前足を、右手で握手をするように握る。すると、クリスの手の平の感圧センサーが、ルナシティ人初の犬の肉球のプニプニした感触なるものをクリスに伝えた。
『この感触は、中々のものだな……』
『え~~、ずる~い! 中尉だけずる~』
クリスが何時の間にか無線で呟いていたのだろう。それを聞いたエメルがむくれて激しく文句を言ってきた。
「エアリーなる者が何故月に昇りたいか知らないが、それには少々時間が掛かる」
クリスはシュニの肉球をプニプニと弄びながら言った。『こ、これは……癖になる』
「そうで御座いますか、それにはどれ程御時間が掛かりますでしょうか?」
シュニは心配そうに聞いた。
「うーん、救助プローブの降下には1週間ほど掛かるな」
クリスはルナシティから救助母船を派遣してもらう工程を暗算しながらそう答えた。
「『1週間』とは? 何太陽分でしょうか?」
シュニは首を傾げながら言った。
『そうか、犬達は暦を持っていないのか』
クリスはハッとして改めて言い直した。
「え~、7回空が暗くなってから、その次の明るくなった日辺りだな」
「おお、そんなに早く迎えが来るのですか!? 夜空に見える月と言うところは、それ程遠くには無いのですね?」
シュニ的にはニコニコ、人間から見ればハァハァ・ペロペロ・モゴモゴ、そんな仕草でシュニは言った。
『ププププッ……やっぱ、可愛いぃ~~』
エメルのデレッとした声が無線から聞こえてくる。
「まあ、シュニ殿が考えるよりは若干遠いかもしれないがな……」
クリスは苦笑いをしながらシュニに言った。
『では、エメル軍曹。現状を軌道上の母船を通じて本部に報告、指示を仰いでくれ』
クリスが無線でエメルに命じる。
『アイ・サー』
エメルはメンテナンス・ユニットに内蔵された高出力のマイクロ波通信機で、軌道上の母船と圧縮通信を行った。
「シュニ殿、早速月面の本国に問い合わせを行った。ほぼ確実に迎えの船が差し向けられるだろうが、その間我々は『聖なるコンテナ』なる物を見てみたいのだが、案内して頂けるだろうか?」
クリスは興奮してベロだらけになったシュニの顔を覗き込む様に言った。
「もちろんです、クリエーター・クリス」
シュニは得意な顔でバッと立ち上がるとクリスに付いてくるように促す仕草で歩き出す。
『エメル、私はコンテナの調査に行ってくる。お前はこの場で待機してろ』
クリスはエメルにそう言った。
『え~~、留守番ですか~~?』
『どうやら、他の2匹はここに残るみたいだぞ? 彼らから情報を引き出していても良いんだがな?』
『ほ、ほんとですか? 私の予備筐体を出して良いですか?』
エメルは興奮したように聞いてくる。
『ああ、この犬族の能力や生息環境について調査しておいてくれ』
クリスは呆れながらもエメルに許可を出した。
『アイアイ・サー。エメラルダ・トレゴンシー軍曹、全力でもってその任務遂行するであります!』
クリスは心の中でかぶりを振りながらも、シュニに付いて廃墟の中に分け入って行った。




