5次元の傀儡・その3
ワンは不思議な体験をしていた。
このように空中に浮遊する事も初めての体験(エアリーと行った昨日の大ジャンプは抜きにして)だが、エアリーと繋がったナノマシン回路を通じてエアリーの量子脳からワンの量子脳へ直接指令が来るのだ。まるで複座戦闘機の後席に搭乗したパイロットになったような感覚である。事情はトアも一緒なのだろう。まあ、彼女は若干居心地が悪そうだったが。
緑の絨毯の呪縛から逃れたエアリー達は、小山程もあるイソギンチャクの化け物に反撃を開始した。
ワンとトアの口からはいつもの様な火炎放射ではなく、ピンポン玉大の唾液の玉に包まれた酸素と水素の混合燃料が射出された。それはネルガルの怪物の体表に当たると直径10メートルほどの大火球となって次々と爆発した。彼らが射出した玉には数ミクロンという鋼線が繋がれており、ネルガルに接触すると同時に液体燃料の中心でスパークを飛ばすのだ。生体有線ミサイルである。
トアは驚いていた。
この生体有線ミサイルは、ナノ・ドックたるワンとトア達一族には知られていない技術であった。エアリーの量子脳がトアの量子脳を通じて体内のナノマシンを操っているのだ。
トアはエアリーの用意した武器で相手を叩いているだけ。自分がこんなにも命令に従順に行動している事に内心驚いていた。
『創造主の種族は私達をこんな形に造ったのか……』
彼女は自分達が受け継いできた力に畏怖を感じていた。だが、それと同時に新たな力に陶酔もしていた。
『ああ、ネルガルの化け物があんなにもがき苦しんでいる……ざまあみろさ!』
石油貯蔵タンク程の大きさのイソギンチャクの化け物は、連続して受ける猛爆撃に少しづつ体表面を吹き飛ばされ、焼け焦げにされ笛の様な叫び声を上げてのた打ち回っていた。
エアリー達はイオノクラフトの本流に乗りながら、反時計回りにネルガルの周りを滑空しながら情け容赦なく攻撃を加え続けた。
やがて、ワンとトアが体内に蓄えていた液体燃料が尽きると、広場の中心には燃え燻る巨大な黒山が残されていた。
「エアリー様、やりましたね」
トアは肩越しにエアリーに振り返って言った。
「うーん、こんなもんで死んでくれたら楽でいいんだけど……あの黒焦げの塊、まだ動いてるし……」
エアリーは口元に小さな笑みを浮かべながら言った。3/4とは言え、今まで使えなかったパワーが犬達から供給され、溜まっていた鬱憤が解消される事にワクワクしている様なのだ。
エアリーの言うとおり、かつて巨大なイソギンチャクであったネルガルの燃えカスはまだその黒焦げの表面を蠕動させて蠢いていた。
「マスター、何かまずい雰囲気ですね?」
様子を見守っていたワンが言った。
「お前達、もう体内に液体燃料は残ってないわよね?」
エアリーはペロッと唇を湿らしながら言った。
「もうすっからかんよ」
「マスター、オシッコも出ません」
二人は異口同音に返事をする。
そんな会話を交わすうちにも、『バキッ』『ビキッ』と、焼け爛れたネルガルの表面にひびが入り始めた。
「ワン、トア。お互いの左手と右手を合わせる様に前方に上げて!」
エアリーは2匹の犬に命令した。
2匹はお互いの内側にある前肢を肘をそろえる形に前方に伸ばすと、それを支えにして見る見るうちにハンドミサイルが発射できるほどの砲身がナノマシンによって形成されてゆく。
「これはあなた達の新しい武器、真空窒素砲よ。エネルギーいっぱい食うけど、威力は保障するわ」
エアリーは得意そうに言った。案の定、犬達には何がなんだか分らなかった。
『真空窒素砲』それは基本的に真空砲であるが、発射する弾体は窒素爆弾である。
爆発物は数種類ある。先ずは空気中で激しく燃える金属類、揮発性が高く爆発的に燃えるガソリンの様な炭化水素類(粉塵爆発を起こす石炭塵なども炭化水素類に含めても良い)、過剰な酸素と結びついた六酸化リンなどの過酸化物(主に爆弾の雷管などに使われる)、それと窒素化合物(ヘキソーゲン爆薬)。基本的に爆弾として多用されるのは、取り扱いの容易な最後の窒素化合物である。
窒素の分子は3重の分子結合をしている為、酸素と反応し辛く非常に安定した物質であるが、一度裸の結合手をむき出しにして原子として空気中に放出されると酸素と凄まじい反応を起こして窒素酸化物を造る。窒素原子1個が空気中から最高3個の酸素原子を奪うのだ。
そして、今、ワンとトアが装備した『真空窒素砲』は、空気中の窒素を1400度、110万気圧という高温高圧でポリ窒素という物質にして打ち出す。論理上この爆発力を超えるものは核融合爆発しかないと言われており、豆粒一つの窒素爆弾はTNT10キロと同等の爆発力を生むのである。
そして、エアリーがナノマシンを操り、犬達に新しい武器を与え終わると同時に、不気味な音を立ててひび割れの進んだネルガルの体表が、焼け焦げた外皮の欠けらを吹き飛ばし、砕け散った。
それを待ち受けるエアリー達の姿は、将に伝説のケンタウロスを髣髴とさせる。
「何だ、アレは!?」
エアリー達は、砕け散ったイソギンチャクの外皮の中から現れた物に息を呑んだ。




