-前編
「強盗だー。ばーん」
指を拳銃の形にした、金髪の自称強盗。こいつの顔を知っているという事実だけで、もう既に腹立たしい。コンビニのバイトで一番嫌な事は、変な客が来る事。酔っ払いと宗教の誘いほど厄介な客はいないと思っていたが、案外そんな事はない。
「おにぎり温めますかー」
「二十秒ね」
いちいち面倒くさい秒数指定しやがって。お前は私に何の恨みが、……たくさんありそうだ。
チン、という小気味よい音と共に温いおにぎりを出して、袋に詰める。
「三七八円になりまーす」
「二千円で」
今時、コンビニの会計で二千円札を出す金髪野郎は貴重な存在だろう。
「おつり、一六二〇円です」
「二円まけたろ、店長呼べ」
見破られた事に、大きく舌打ちをした。早く帰ってほしい。
「店長は不在ですのでまたの機会に」
「じゃああしたー」
間抜けな通知音と共に消えた背中に向かって舌を出す。もう二度と来るな。
「仲良しですねー」
「うわ」
いつの間にか後ろにいた、一緒にレジに立つ赤谷染さん。ボブを揺らしながら、BでLな小説を制服のポケットにしまうところだった。せめてカバーくらい付けて読んでほしい。
「何て名前でしたっけ、あの金髪の人」
「猫柳」
「猫柳さんですか。珍しい名字ですよね」
「そうですか? 名字の読み間違いは少なそうな名前ですけど」
「……お互い、入学式は大変でしたよね」
赤谷染。染さんの名前を間違いなく読めるのは、きっと三割くらいだ。私の名前、園継静紅は。六割で多いくらいだろうか。
「品だししますね」
「了解です」
染さんにレジを任せて、一度奥の事務所へ戻る。壁にかかっている時計を見ると、まだレジに立ち始めてから三十分も経っていなかった。午前六時二十二分。猫柳は早朝からコンビニに来たという事。ご苦労様だ。
ダンボールを抱えて店に戻ると、染さんがクーポン雑誌を読んでいた。仕事しろ。
品だしとは、簡単に言えば商品の補充。消費期限の早いものから並べるので出し入れが面倒だと言う人もいるらしいけど、私は好きだ。もともと裏方向きの性格だから、家が近いという理由さえなければ、接客業のコンビニバイトなんて選ばなかったはず。
お弁当類やおにぎりの品だしと検品を終え、空のダンボール箱を持ってもう一度事務所へ引っ込む。もう一度店へ出て来ると、私と交代する予定だったのか、染さんがモップを持っていた。
「日が昇るの、遅くなりましたね」
「そうですねー。もう十月、秋です」
十月か。早いな。
バイトを終えて帰って来た時にはいなかったのに、大学から帰って来たら現れていた。家の前、といっても古いアパートの一室の前だが。
「警察がストーカー被害を取り合わない理由がわかりました。自分達も同じような事しているからなんですね」
「ぎくり」
全然驚いていないのを隠そうともせず、私が生理的に受け付けないちゃらついた笑みを浮かべるのは、猫柳。そのチカチカごちゃごちゃしたパーカーの内側には、何を隠しているのだろうか。警察手帳か拳銃か。両方合っているか、両方間違っているか。
「刑事さんが、乙女が一人で暮らしているアパートの一室に何のご用ですか」
聞かなくてもわかるけど。
「静紅ちゃんの貯金を奪ってやろうと、鍵穴に針金を差し込んでいたところだよ」
「正義の味方がそんな事」
「警察だから良いのだ」
職権乱用と言う。
猫柳を押しのけて無理矢理家に入ろうかと思ったが、いろいろと気が進まないので外で話を聞く事にした。
鼻水が垂れてきたのでずずっと啜ったら、お腹の虫も煩く鳴いた。
「お昼は焼肉とかどう?」
「ダイエット中なんで」
本気でダイエットするような体重じゃないので誤解されぬよう、注釈を付ける。
「女子高生って思春期真っ只中なんですよ」
「年齢のさばを読まないでほしいね」
「まー失礼な。早生まれなんです」
「それをさば読んでるって言うんだよ」
お前に言われたかねーよ。何を偉そうに。お前がパンと牛乳を買い占める所為で、私の品だし回数が増えるんだよ。好きだから良いけどさって事で趣旨変更。
「寒いんで、早く帰りたいんです」
「家に入れてもらえないかな」
「変態変態変態変態変態変態変態へんた「わーったわーった」
両手をあげて降参のポーズをした猫柳が、ずんずんとこちらに歩いて来る。
「よろしければ、これからも壁に目があり障子に耳ありって事で」
「逆です」
突っ込まずにいられなかった。
「じゃあね、ブラッディガールさん。また明日」
何それ呟きサイトのアカウント名ですか、と言う暇もなく近くに停めてあった電動自転車に乗って、颯爽と去っていった猫柳。凄くミスマッチだ。しかも今朝の事はすっかり忘れている風で。
大きく溜息を吐く。ブラッディガールさんなんて、改めて本当ダサイな。人違いと言えばあながち嘘ではないけど、その一言で済ませようとは思っていない。
やっと気兼ねなく扉を開ける事が出来て、玄関でスニーカーを脱いだ。
「ただいまー」
返事はない。期待していたわけではないので、居間へ進む。視界に入るはずだった彼女の肉体は居間にはなく、スナック菓子の袋やら炭酸飲料が入っていたはずのペットボトルやら、彼女が居たという残骸だけが残っていた。
「冬眠するな、まだ秋だ小娘」
若干声を荒げつつ、隣の部屋との遮りだった襖を開ける。予想通り、布団に包まる中学生が居た。
「おかえりなさい」
くぐもった声と欠伸。それを発した彼女は、のっそりと起き上がった。
少し大きい私のスウェットを着て、寝起きの寝惚け眼をこする彼女。内面と違い、仕草や外見は年相応だ。名前を、木陰美鳥という。
「誰かさんの睡眠薬のおかげで、ぐっすり眠れました」
「その割には胃袋に詰まってそうじゃない」
私を睨む彼女の鋭い眼光で、頭蓋骨まで射抜かれそうだった。その目で染さんでも見てみろ、即死だから。
「睡眠薬を他人に使うなら、加減くらい知っておいてくださいよ。軽く浮けそう」
「いつもより少し多めに入れましたー」
「サービスしないでください」
コートを脱いで、居間の掃除を手伝う。
「二時間くらい前からチャイム鳴りっぱなしだったんですけど、訪問者さんにはお会いしました?」
暇すぎるだろ猫柳。そしてそれを聞きながらも布団から出ない、木陰の情報遮断力にも驚いた。その超能力みたいなの、どこかで使えないかな。
「会ったよ。心配いらない」
「別に心配はしてませんけど。どこに心配する要素が含まれてるんですか。一人暮らしでセールスも断れないようじゃ、将来がふあ「はいはい」
将来が不安とか言いそうだったので、慌てて遮る。駄目だ、この子危ない。
「冷凍庫が空になっている事はスルーとしても、冷蔵庫が空になっている事はスルー出来ないよ」
「お財布も空なんですね」
「上手いけど、人として駄目な冗談だね」
「冗談のつもりなかったんですけど」
堪えろ私。
血が出そうなほど下唇を噛み締めて怒りを静めた私は、取り敢えず食料を買いにいく事にした。
姉が自殺した。それから私は狂人になった。
住んでいたマンションの屋上から飛び降りて、頭から落ちて、潰れて、死体となった姉。最初に発見したのは、中学一年生の私だった。血塗れになった肉の塊を見て、正常でいられる年齢じゃない。
それから、夜な夜な治安の悪いネオン街を、人体を壊して回った。毎日血溜まりの絶えない街で私は、ブラッディガールと呼ばれるようになった。
誰が付けたのかわからない、センスのない名前。直訳して『血塗れの女の子』。そんなブラッディガール宅を訪ね、チャイムを押した人間がいた。
昼間もいいとこ、十三時。不登校生徒の家を訪ねたのは、珍しい薄ピンクのスーツを着た女性。誰、と。針金のような冷たさと鋭さで睨みあげた私に、彼女は「違法清掃者です」と舌を出した。『違法』という言葉が指すのは私だったのか彼女自身だったのかは、未だにわからない。
真昼間から、少女にスタンガンを使う大人。私の体が思うように動いたのは、彼女が車から私を降ろす時だった。
騒ぐ気力もないし頭痛もするし、ここどこなんだよくらいしか言わなかったと思う。それに答える事なく私を肩に担いだ彼女は、屋内へと入っていった。背中しか見えなかったけど、日差しが消えたからわかった。
降ろされたのはソファ。放り投げる形で降ろされ、見事に尾てい骨を打ったのを覚えている。彼女は「二代目ブラッディガールこと園継静紅は、あなたでいいのよね」と、聞いているのか断定しているのかわからない口調で言った。そして「私は違法清掃者のネネ。違法清掃者とはつまり、正義の味方」と、しゅぴーんという効果音でも付きそうな口調で言った。
彼女、ネネさんが名乗る違法清掃とは、「違法な人達を若干違法に清掃して世界平和を図る仕事」だと言っていた。「間違っても人殺しはしない」とも言っていた。「心のお医者さんをしている昔やんちゃだった人達が、世界平和目指してこまごまと仕事をしていく」らしい。要するに、私を正常に戻す人。
「不安定で何をやるのかわからない、そういう行動が読めない人間は、意外と簡単に行動が読める。常識の枠に囚われている人間は、常識からはみ出た行動を情報として扱えない」と。淡々と喋った声は、今でも鮮明過ぎるほどに耳に張り付いている。
ネネさんは、自分がやるのは洗脳だと言っていた。マインドコントロール。それではい元通りで、常識が入る。「正しくないから正しく出来る」と、今でも理解出来ない持論を編みこんでいった。
ネネさんはもちろん家に帰してくれなかったので、中学一年生の少女が誘拐される事件が発生した。姉の自殺の件で神経質になっていた両親は、比較的早く警察沙汰にしたのだ。
ネネさんは、「あらら、ブラッディガール誘拐しちゃった」なんて気楽そうに言っていた。
その数時間後、警察が来た。日本の警察は優秀だなと思ったが、探偵みたいな人が一人来ただけだった。その人の名前は『猫柳』。
ネネさんに勝るとも劣らない容姿だった、ってそんな事は良いんだよ。とにかく私はその刑事に、家出だと言い張った。それが何よりの、私が感情を取り戻した証拠だ。正常な人間に戻った、証拠。
ネネさんはニュース番組に出る事はなかったので、今もスタンガンを所持して白昼堂々違法清掃しているかもしれない。
木陰を拾ったのは、ネネさんの仕事を奪ってやろうと思ったからだ。
もしネネさんのお墓が出来ても参りに行かないし、バレンタインデーに『ギリチョコ』と書いたチョコレートを渡す予定もなかった。それなのに思い出したのは、目の前に素通りしたくなる光景があったから。
バイトに向かう途中、つまり早朝。薄明るい中で、鈍い音が聞こえた。嫌な予感しかしなかった。音は、すぐ横の売り物件から聞こえる。元茶屋から。
元茶屋の扉をガン見する私は、自分で自分を殴り倒したくなった。どうにかして見ないようにしたいのに、金縛り状態で動かない。
出てきたのは、セーラー服の黒髪少女。木陰美鳥と名札に書いてあった。当て字だなと思ったけど、自分もそんな感じなので人の事言えない。
そんな事より重大なのは、彼女が引き摺る『もの』だった。もの、っていうか者っていうか。うん、つまり、原型をほどよく残した人間だった。瞬きしているし、死んではいないみたいだ。意識はあるのになされるがままという事は、相当殴られている。見たらわかるけど。
「どちら様なのかな、それ」
大柄で短髪。派手なスーツ。
「借金取りのやくざ」
だろうね。良くわかってるよ、大人だし。
「あなたこそ、どちら様ですか」
綺麗なセミロングの髪にもしわ一つないセーラー服にも、返り血が大量に付着していた。それなのに、纏う雰囲気は青い。声も冷たい。冷静、冷酷。かつてブラッディガールの名を押し付けられた女は、そんな感じに見ました。
「しがない、コンビニバイトのお姉さんです」
格好よく決めようとしたのに、お姉さんとか自分で言っている時点で間抜けだ。もうわからなくなってきてしまった。目撃しただけで混乱。うわー、バイト間に合うかな。
「私に付いて来る気はない?」
「は?」
おかしい人を見る目で見られた。借金取りさんを持ち直す木陰ちゃんは、返事を促すように私を睨む。
「取り敢えず、その人間をどうにかしよう」
「いいですよ。後で捨てておきます」
いくないいくない、全然いくない。
「そういうのを捨てておくと、近所迷惑になるの」
携帯電話を取り出して、救急車を呼ぶ。住所を早口で伝えると、電話を切った。
「その借金取りさんをそこに置いて、君はこっちにおいで」
「捨てておくと近所迷惑なんじゃないんですか」
「前言撤回」
捨てるわけではないけど、木陰ちゃんが抵抗しない方を大事にした。
こうして木陰を見事拾ったわけだけど、数十分もすると「帰る」と言い出した。別に引き止める理由もなかったし、あっさり帰してしまった。数時間後、バイトを無断欠勤した謝罪を子機に向かってぺちゃくちゃまくし立てているところに、チャイムが響いた。こうして私も見事、誘拐犯になった。
木陰が家に居座るようになった経緯はこんな感じだ。お兄さんが借りたお金は親が全部払って、それでも抵抗せず権利もない木陰に利子を要求する借金取りを殴り倒しちゃって、家に帰ったらお金持ちのお父さんが「お前なんか娘じゃない」で、行くところがないから「引き止めてほしかったわけではないんですけど」で。もともと木陰は『やんちゃ』に慣れた子供だったから、後付けの理由で『ネネさんの仕事奪ってやる』だ。私、人からお人好しって全然言われないけど。
「親が捜索願を出す事イコール心配ではないんですよ。所謂、世間体です」
それが当然だと言われればそう思ってしまうほど何とも思わない風に、さらりと言う木陰。木陰にとっては当たり前だったのかもしれない。
「うちは、世間体や風評を大切にしないとやっていけない商売なので。身内より仕事な家族なんですよ」
「どこだってそんな感じだと思うけど」
少し遅い昼食であるナポリタンを食べながら、聞いているよアピールした。
「静紅さんの中学時代はどんな感じでしたか?」
「木陰と同じだった。生まれ変わりかと思ったよ。私まだ死んでないけど」
「そうですか。思ったんですけど、何で名字の呼び捨てなんですか」
う、と変なうめき声が口から出た。私の過去についてあまり掘り下げなかったから、内心ほっとしていたのに。
「うん、あれだよ。私なりの距離の取り方」
断じて、ネネさんのリスペクトではない。
「なるほど」
木陰は意外と素直なところがある。それでいて幼稚だ。幼稚で大人で、典型的な思春期。私もそんな時期があったなあははは。
「でも、いいんですか? 誘拐、犯罪ですよ?」
「大丈夫。金髪がうろついてる限りはね」
猫柳、私はお前を信じているぞ。そんな手紙を書こう、としたけど遺書になり兼ねないので止めた。
「睡眠薬は何で入れたんですか」
脈絡無く視線が鋭くなったので、ちょっと怯んだ。
「最近眠れなくて、私のに入れようと思ったら間違えた」
「昨日飲んだのオレンジジュースだったんですよ。静紅さんは水」
「ぎくり」
何でこいつ変なところで変な力を発揮するんだ畜生!
「……あれだよ。昼間下手な事しないように。一日眠るくらいの入れといたんだけど、さすがに丸一日は効かないか」
「私いつか静紅さんに殺されそうな気がします」
「大丈夫、だと思う」
ぎろりと睨まれた。目の鋭かった幼き日を思い出す余裕もない。幼き日といっても五年前だ。私はまだ若い。
「まあ、早く食べ終わってね」
ナポリタンをフォークに巻き付けた。
「おはようございます」
高校生だかのバイトくんは、私に気付いて会釈した。いつ寝てるんだろう。
事務所の扉を開けると、染さんがお煎餅を食べながら本を読んでいた。言及必要なし。
「おはようございます。早いですね」
「そうですか? いつもこれぐらい」
アメリカンスタイルをとっていた染さんは、笑顔でそう答えた。眠そうじゃないのは尊敬するけど、この人のキャラが未だに掴めない。
「まだ時間ありますよね」
「あります」
「着替えてきますね」
「はーい」
着替えながら、今日は何て誤魔化そうかしらなんて考える。猫柳と話すのは苦手といえば苦手だけど、それ以前に緊張というのがある。木陰が帰りたいと言うまでは、ボロを出さないようにしなければならない。何となく溜息を吐きながら、名札を付けた。
「園継さん」
「はい?」
「肉まん買って来てくれません?」
「……自分で行ってください。すぐそこです」
「えー。やっぱり駄目ですか」
「駄目ですね」
とぼとぼと店に消えた染さんを見て、空いたソファに腰掛ける。染さんみたいに机上に足を乗せる事はなく、新聞を手に取った。載っている。それなりに大きい誘拐事件の記事。どうやら木陰は有名企業の社長令嬢らしい。また厄介な娘を誘拐してしまったものだ。責任取れなかったらどうしよう。死んだら姉さんに会えるからいいや。
無責任に目の前の問題を放棄して、コーヒーを入れに立つ。それと同時くらいに、染さんが帰って来た。
「あんまんと迷ったんですけど結局両方買っちゃったんで、半分ずつ食べませんか?」
「朝ご飯食べて来たばっかりなんですけど」
「そう冷たい視線をぶつけないでくださいよ。こっちが悪いみたいじゃないですか」
いや今絶対そっちが悪いよね? え、何その押し付け。溜息を吐きすぎて、いつか酸欠になってしまうんではないかと思った。
「そろそろ店出ますか」
「そうですね」
結局、コーヒーを飲む事なく事務所を出た。口にあんまんを押し込む染さんを見ながら。
私達と交代した高校生は眠そうで、中年のおばさんは鼻息が荒かった。どれどれ、笑顔でも顔に貼り付けておくか。
「暇ですねー」
あんまんを食べ終わり、肉まんが喉を通ったばかりの染さんが呟いた。
「まだ一分も経ってませんよ」
「暇になりますねー」
「給料の引き下げを願わないでください」
「むー」
唇を尖らせた染さん。その仕草がとても似合っていた。この人いくつだっけ。
「私、何でこんなところでバイトしてるんでしょう」
「こんなところって」
「未だに実家に帰れません」
「いつから」
「二週間前からです」
そこそこだったから反応しづらくて、放棄した。実家か。実の家ねえ。笑顔がつらくなってきて口を尖らせたら、染さんが鼻で笑った。
「むかつく」
「どうぞご自由にむかついてください」
あら心の声が。
眉間まで尖りそうだった時、来客通知音が響いた。
「いらっしゃいま、せー」
「おい、嫌そうな顔をしろ」
お前は一体何なんだ。地球外生命体か。そうか、そうなのか。
「いらっしゃいませー」
「赤谷さんおはよー」
「おはようございます。いつも朝早くから大変ですね」
「いえいえ、そんな事ないですよ」
「朝早いお仕事なんですか?」
「ええまあ」
何がええまあだ。レジを高速で打ちたくなる。誰か万単位の買い物してくれないかな。
猫柳が店内を物色し始めたので、染さんを見る。白目になるくらい睨む。一瞬私の視線に気が付いた染さんは、高速で目を逸らしレジのチョコレートを整理し始めた。「せんせー」と手を挙げていじめを報告したい。「てんちょー」とか言ってみるか。いないけど。
爪でコツコツと三三七拍子を刻みながら、笑顔を作る。スマイルはゼロ円とか言うけど、お金で買えたらこんなに苦労しない。私は絶対詐欺師にはなれないなと思った。なる予定もない。
「お願いしまーす」
「はーい」
染さんの方のレジで会計を済ませる猫柳を見て、また腹が立つ。あー、これじゃあ恋する乙女じゃないか。何だこれ。猫柳の存在全否定。
「肉まんとあんまんとピザまんとフライドチキン三つずつ」
いつの間にか私の前にいた猫柳が、ぺらぺらと注文する。あれ、両手に持っているコンビニ袋は幻か? この人、食料を買って行くような友達居ないはずなんだけど。
「二二〇〇円です」
蒸気で袋べたべただけどいいや。猫柳だから。
「これでよろしく」
百円玉と十円玉が溢れていた。あれ、確か何枚以上だったら受け取り拒否出来るという決まりがあったはず。
「硬貨は二十枚までなら受け取らなければならない」
さすが警察、と心の中で褒めておいた。合わせて四十枚ですよーなんて言わない。
「今日は何時に大学おはうふぉ?」
「店内で食べないでください。肉がこぼれます」
「えー。いいほへえ?」
「え? ええ」
絶対聞いていなかった染さんは、有線から流れるロックに口パクしていた。
「ほーひはえへーほい「え?」
若干ドスめの声付きで睨みあげたら、猫柳の喉が一瞬大きく鳴った。そしてちょっとむせる。
「っごほ、……申し訳程度に原型を残された人間は好きかい?」
「何を言っているのかさっぱり」
レシートを突きつけて、営業スマイルを引っ張り出す。来た来た、尋問。
「是非ともお会いしたいねえ。美鳥ちゃんに。中学生の女の子でね、ツンデレ」
「ロリコンですか」
これは、率直に出てきた感想を包み隠さず言っただけだ。表情を変えない猫柳は、ピザまんを食べ始めた。
「張り込み終わりで徹夜なんでね。腹減ってんの」
「へえ。その格好で」
金髪に赤いトレーナーにジーパンという格好を適当に指摘したところで、来客通知音が店内に響いた。
「いらっしゃいませー」
半ば条件反射的に挨拶をして客を見ると、パリッとしたスーツに身を包んだ若い女性がヒールを鳴らして歩いて来た。
「猫柳さん」
怒ったような口調で猫柳を呼んだお姉さんは、私を見て頭を下げる。
「上司がすみません。若い女の子を見るとすぐ声掛けるものですから」
上司、という事は当然猫柳の部下か。知的な雰囲気と整った容姿を見る限り、猫柳の飼い主的ポジションを任されているに違いないと思った。猫柳の上司は人を見る目があるぞ。
「猫柳さん、何度言ったらわかるんです? あなたそれでよく刑「あーはいはい、しー」
自分の口ではなくお姉さんの口に人差し指を当てた猫柳は、少し苦笑する。こちらの話はろくに聞いていないとは言え、染さんに職業を知られるのはあまり宜しくないらしい。
「思わぬ邪魔が入ってしまったから、今日はこの辺でおさらば」
ひらりと手を振った猫柳と「邪魔とは何ですか」とお怒りになるお姉さんは、仲良く揃って自動ドアをくぐり抜けた。いかにも刑事が張り込み中ですというような黒い車に乗って、朝の交差点へ消えていく。
「彼女ですかね」
「ご主人ですよ」
明らかに頭上に疑問符を浮かべる染さんを無視して、モップを取りにレジを離れた。
猫柳とは、私をバイトとして雇っているコンビニに万引き犯が出た時に初めて会った。呼び出された警察の中に猫柳がいて、かつて私を『保護』した猫柳という刑事のお姉さんと重なって見えたのだ。猫柳が「県警の猫柳です」と名乗り、確信に変わった。血縁があるな、と。それだけだ。確信だけで、確証はない。
「あーあー、マカロニ落ちましたよ」
品だしに戻ってきた染さんの声で、我に返る。フォークにあったはずのマカロニが、机に落ちていた。
今日は夜までシフトが入っているから交代で昼食をとる事になっていて、今は染さんにレジを任せて事務所でグラタンを食べている。
「あれ染さん、レジは?」
「いいところに店長来たので任せました」
何やってんの。店長も相変わらず染さんに甘い。「バイト以外にする事がないから」と言ってシフト表はほとんど染さんで埋まっているから、店長もにこにこ対応しているのだろう。おかげで私は、染さんか店長としかペアになった事がない。
よいしょ、とお弁当が入ったダンボールを持った染さんは、若干よろけながらも店に入っていった。
早く店長と交代しなければ。そう思って、グラタンを掻き込んだ。
レジには、本当に店長一人が立っていた。暢気にお弁当を整理する染さんとは裏腹に、ピーク直後だからまだ忙しそうだ。
「店長、手伝います」
「ああ、悪いね」
「大丈夫です」
染さんを睨んだら視線がかち合って、染さんの方が固まった。サンドイッチを落としてあわあわしていたので、結果はよしとする。
並んでいたお客さんを分散させて、ひとまず混雑は収まった。まだレジを打つ手は止められないけど、スマイルは自然に固まってしまった。表情筋、死す。
「店長、ありがとうございましたー」
カツ丼三つを買って事務所に引っ込んでいた染さんが、ランチタイムを終えて帰って来た。片手をあげて「わりーわりー」とでも言いそうな苦笑で、軽く頭を下げられた。
「良いですけど。関係ないので」
私がそう言うと、大袈裟に溜息を吐いてわかりやすく安堵するから、余計腹が立つ。
「いらっしゃいませー」
視界に入ったものによって、私は目玉が縦に一回転してしまうかもしれないというほど驚いた。表情筋も生き返った。
大きめのトレーナー、長めのスキニージーンズ。白いスニーカーと、白い帽子。黒髪色白、細身。木陰美鳥がやって来た。
何食わぬ顔で雑誌コーナーを物色、その後パン類を持ってレジへ来た木陰に視線で訴えかける。
(どうして来たの)
レジを打ちながら睨む私に、声は出さずぱくぱくと口を動かす木陰。
(暇。お腹空いた)
お昼と夜のオムライス作ってきたのに。この中学生、どんだけ大食いなわけ?
(外に出たらまずいでしょ。わかってるはず)
(ごめんなさい)
涙目を伏せてお金を受け皿に乗せる木陰を見て、困る。
「お預かりします」
家に帰ってから、事情を聞いて注意する事にした。
「レシートとお釣りです」
小さく頭を下げて、上目遣いで私を見た木陰。ごめんなさい、の返事がほしいらしい。
「気を付けて」
小声でそう言ったら、木陰の顔が明るく晴れた。殴ってやろうと思っていたのに、笑顔にしてしまった。うーん、甘いか?
いじめとも取れるような冷たさで、しかも手が火傷しそうなほどの静電気を放ったドアノブ。二度目に握るとそれは逃げ去っていて、すんなりと回った。
「ただいま」
居心地悪そうに居間でうずくまる木陰。体育座りでおでこを膝にくっ付けて、チューイングガムみたいだった。
「ただいま」
もう一度言った。
「……おかえり、なさい」
小さく呟いた木陰に、そんなにこえーかこのやろーと言いたかった。何もそんなに怯えなくても。小動物が切り刻まれて無駄に小さくなったような、しょうもない負のオーラ。
朝は綺麗だったのに、やっぱりごみで散らかってしまった机の上を片付ける。コンビニで買ったのは、週刊誌らしい。と、気付いた事があった。確認する為にごみ箱を見るが、やっぱりない。
「ねえ、コンビニで買ったパンのごみは?」
木陰は、大袈裟なほどに肩を震わせた。そしてもっと丸まった。もうすぐ溶けそう。
「コンビニのビニール袋もないよね?」
なるべく強い口調にならないように言って、木陰の正面に座る。覗き込むと、わずかに顔をあげた。顔色が悪い。聞いてほしくない事。でも、聞かなければならない。
「木陰」
「……兄が、来ました」
兄。借金を残して逃げた、木陰のお兄さん。
「来たって言うのは、ここを訪ねたって事?」
木陰は首を縦に振った。どうやって場所がわかったんだろうか。目的は? 理由は? 様々な疑問が頭に浮かび、アニメのようにぽんぽんと疑問符が湧いてきた。
「パン食べ逃げってこ、」
木陰が震え出した。
「っはあ、はあ、けほっ……」
過呼吸だ。過換気症候群。慣れているのか冷静だったのか、無意識のうちに紙袋を探していた。部屋を見回しても紙袋は見つからず、木陰が寝ている布団から枕を取り、膝と顔の間に挟むようにした。猫背はよくないかもしれないが、まあいいか。
「よしよし」
お姉さん振ってみた。
しばらくすると呼吸が落ち着いてきて、震えも収まっていく。昔私も何度となく経験した、生き地獄。肺が痛いのか心が痛いのか、わからなかった。過呼吸の対応については、ネネさんに仕込まれた。一人の時に過呼吸になったらこうしなさい、と言われた事をやっただけだ。出来たら病院に行けと言われたのも覚えているけど、病院に行ける『出来たら』なんて私には巡ってこなかった。
過呼吸は精神的なものだから、お兄さんの事だろう。木陰の中でお兄さんの事は、どれだけのストレスなのだろうか。
溶けたチューイングガムのように折れ曲がっていた木陰の体が、いよいよ本格的に折れた。膝も伸びて、新体操選手のような綺麗な前屈をしている。
「おいおいおい」
木陰の上半身を抱き上げた。涙で顔がぐちゃぐちゃだ。
「もう、寝ようか」
まだ涙を流し続ける木陰と一緒に枕も引きずって、布団の中に詰め込んだ。
「おやすみ。電気つけておくから」
ふすまを三センチほど開けたままにして、片付けを再開した。
木陰は声をあげて泣かない。それがまた、責任を取れないかもしれないと思う原因だった。素直な分、閉じこもる。うーん、精神科医にでもなった気分だ。
今は何も考えずに、散らかった部屋の掃除にだけ集中する事にした。木陰の心は、蒸発させるより固めた方がいいと思ったからだ。
今日はバイトがない。大学は昼から。そして、チャイムがうるさい。近年稀に見る超早起きだ。
起きたというより寝たという感じで、昼寝をした感覚である。朝の三時から活動するなんて、新鮮というか斬新というか。
昨日の夜、一人用の布団に二人で寝るから狭いので、せっかくぐっすり眠った木陰を起こさないように気を付けながら布団にもぐった。
目を瞑ってすぐ、チャイムが鳴ったのだ。寝ていたんだろうけど、寝た感覚がない。眠くて、だるい。客が誰かは、大体予想出来た。心配いらないので寝る。それも叶わず、Bボタンの如く連打されるチャイム。木陰が起きてしまうじゃないか。
のっそりと起き上がった。座ったり立ったり寝たり立ったり、ダイエット中か私は。そんな嘘を吐いた事があった気がするけど、相手が相手なので忘れた。
チェーンを掛けたまま、新聞受けにガムテープが貼られた扉を開ける。
「ふぃーっしゅ」
駄洒落なのかすらわからないような挨拶をしてきた。
「寝起きを狙おうと徹夜で張り込みしてた猫柳です」
寝起きでもなんでもないので、扉を閉めたくなった。閉められないのは、猫柳の爪先の所為。意外と綺麗な真っ黒の革靴に、小麦粉でもまぶしてやりたい。
「ストーカーじゃないよ?」
自分で言ったら一層怪しくなるという事を知らないんだろうか、この刑事。取調べとか任されなさそうだからわからないのか。
「彼氏とかいる?」
「ナンパですか」
「いや。男が出入りしてるみたいだから、父ちゃんに紹介出来ないような男なのかーって怒鳴りに来たよ」
お兄さんを目撃したのか。やばいな。
「ほら、こういうボロアパートでしょ? ですから、借金取りが」
この間お会いした、ボロボロの借金取りさんが脳をかすった。ボロと借金取りというワード使用禁止命令発動。大家さんの前では特に。
「苦労してるんだねえ」
とか言いながら、チェーンが千切れないかとか思っていそうだ。ここまで来ると、一周して猫柳がとてつもなく賢い人間に見えてくる。実は刑事の中の刑事で、誰にも素顔を見せないとか。
「いや、ないない」
「心の声が漏れてるぞ」
はっとして口を押さえた。
欠伸をしながらこめかみを押さえる猫柳。どうやら徹夜は本物らしい。ご苦労様なこった。
「今日大学何時に終わる?」
「は?」
思わず顔をしかめたら、凄い眼力で見つめられた。
「四時、ですけど」
「あ、そ。それ聞きに来ただけだから。んじゃ」
右手をあげて別れの挨拶を告げた猫柳は、電動自転車ではなく黒い車に乗って去って行った。助手席で部下さんが寝ていたところを見ると、徹夜の目的は嘘だったのかもしれない。大学の終了時刻を素直に答えてしまった事だけ、後悔していた。
「おはようございます」
昼食中に、木陰が起きた。
「おはよ。カレー食べる?」
小さく頷いた木陰。水を飲んでから、「オッケー。ちょい待ち」と台所へ向かった。
チューイングガム化は止まっていた。顔が真っ白なのは低血圧同士の暗黙の了解として、青白くはないから安心した。
「グリンピース残すなよー」
「子供じゃないですから」
いつもの木陰で良かった。お兄さんの事は、自分から話してもらった方が良さそうだ。
「にんじんあげます」
「嫌い?」
「嫌いじゃなくなくなくなくなくもないです」
「嫌いなんだね」
「違いますってば。餌です餌」
「私がうさぎだって言いたいのかこの野郎」
はあ、と呆れたように溜息を吐かれた。水で喉を潤した木陰が、にんじん話題とは違う顔で口を開く。
「兄の事なんですけど」
ちらりと木陰の顔を見るだけで、相槌は打たない。
「携帯のGPS機能で、場所がわかったらしいんです。もう電源は切りましたけど……」
携帯凄いなあ、と場違いな感想だけ持った。
「怖くて。しばらくは無視してたんですけど……」
「ドア開けた、と」
「はい。ごめんなさい」
「いいよ、大丈夫」
それなりに暴力的なお兄さんだろう事は、木陰を見ていればわかった。
「逃げるのも大変らしいんです。金貸せって言われて」
木陰から貰ったにんじんを口に運び、咀嚼する。
「無理だって言ったら、必要なもの言うから買って来いって言われて。怖かったんです」
若干涙目になっていた木陰の頭を撫でた。
「睨んでごめんよ」
いつの事だかもわからないくらい木陰を睨んでいるので伝わるか心配だったけど、静かに頷いてくれた。
思考が大人並みな分、精神的に容量オーバーになってしまったんだ。私が見てきた不良とは、少し違う。もともとお嬢様だったんだし、お兄さんの分のプレッシャーとも戦っていたのだろう。それで半殺しっていうのも良くないけど、私が言える事じゃない。
「お兄さんは今どこに居るか、わかる?」
「わかりません」
「そっか。何でここに居るのかとか、聞かれた?」
「聞かれてません」
「了解。ありがと。カレー食べな」
木陰が食べるのを再開して、私は首を後ろに倒した。薄汚れた天井が見える。
ここに居る事について木陰に何も聞かなかったお兄さんは、本当にお金だけが目当てで訪ねて来た。木陰が嘘を吐いている可能性もゼロではないが、それはないと思った。私はいつも、確証ではなく確信で動いているから。
身内だからこそ、他人より怖い。木陰が借金取りをボコボコにしてもお兄さんをボコボコに出来ないのは、成長過程を見てきているから。自分より上だという事を、刷り込まれているから。経験談から導き出した答えは、そんな感じだった。
「うお、っとっと」
頭から倒れるところだった。後頭部が肩甲骨に付いちゃったり、という体勢にはならずに済んだ。
「大学行くんだけど、一人で留守番出来る?」
「出来ますよ」
虚勢を張ってはいないのだろうけど、少し心配だった。でも、留守番してもらわないと困る。
「誰が来ても、開けない事。最悪の場合、窓から飛び降りて。コンクリートではないから、骨折くらいで済むよ」
「最悪の場合って?」
「両足の骨折が代償でも小さいくらいの場合」
木陰は、「そう、ですか」と曖昧に返事をした。
講義が終わり、歩きながら頭の中を整理していた。視界の端に、ベンチに座る女性が映るまで。整理していたのに吹っ飛んだ。
場違いなスーツ。黒縁眼鏡の奥に見える、切れ長の鋭い目。茶色が混ざった黒髪を低めのポニーテールにした、部下さんだった。
知り合いがいたらすぐに声を掛ける派ではないが、誰かを待っている、または探している風だったので近寄ってみる。
「どうも」
「あ、こんにちは」
立ち上がって、礼儀正しく綺麗なお辞儀をしてくれた部下さん。私もつられてお辞儀をする。
「あなたを待っていたんですよ」
そう言って、隣に座るよう勧められた。
「ここに来れば会えると、猫柳に聞いたもので」
身に覚えのない約束に、少々戸惑う。それを見抜いたのか、部下さんが口を開いた。
「ご存じなかったですか? 有力情報を持っているから聞きに向かえと、猫柳さんに言われたんですが」
「ご存じないですね」
一瞬固まった部下さんは、もの凄い勢いで携帯電話を取り出し耳に押し当てた。
「猫柳さ、留守電……!」
その後三分ほど「猫柳さん! 今度逃げたらどうなるかわかってますね!」類の事を電話に向けて怒鳴り散らし、青い顔で私に向き直った。
「すいません」
「いえ、大丈夫ですよ」
可愛い人だな、と思った。恐らく、染さんと同い年くらいだろう。
「せっかくですから、何かお話しませんか?」
遠慮がちに聞いてきた部下さん。他人と話をする事に積極的ではない私が不思議と嫌な気持ちにならなかったから、出来れば話してみたいと思った。
「お仕事、大丈夫なんですか?」
「ええ。猫柳さんから指示がないと身動き取れないので」
「そうなんですか。じゃあ、お仕事に支障をきたさないくらいに」
「ありがとう」
笑顔が素敵な人だな、と思った。
「私、芹澤と言います」
「あ、私」
「園継さん、ですよね?」
「え、あ、はい」
「コンビニの名札、見ました」
ふふ、と微笑まれた。良く覚えていられるな。刑事は頭も良いのだろうか。
「突然ですけど園継さん。刑事ってどう思います?」
行き交う人を遠い目で見ながら、芹澤さんはそう呟いた。先程から、一度もベンチの背もたれに寄りかからない。背骨に定規が当てられていても驚かない姿勢の良さだ。
「良くわからないですけど、格好いいと思います。正義、ですから」
「正義ですか」
意味深な顔をする芹澤さん。
「私は、所謂お荷物なんですよ。まあ指導係が猫柳さんですから、何となくわかるでしょうけど」
お互い苦笑するしかなかった。
「今、誘拐事件が起こってるんですけどね。殆ど家出として扱われてるんです。それを猫柳さんは調べてるみたいなんですけど」
少し手汗が出た。どひゃー。
「私はそんなドラマみたいな刑事にはなれないし、かと言って猫柳さんに逆らって独断で行動する度胸もないし」
芹澤さんが空を見た。最近はずっと灰色で、太陽が出ない。
「警察って、所詮偽善なんだなーって思いました。……あ、ごめんなさい。私ばっかり話してますね。どうぞ」
この状況で「誕生日いつですかー?」と言える奴挙手しろオラ。居ないようなので、重苦しい空気に沿った内容で口を動かす事にした。
「偽善、良いと思いますよ。あくまで個人的に」
私も一緒に空を見た。
「表面上は善なんですから、別に悪くないですよ。表面上まで素をさらけ出したら、この世の中終わっちゃいますって」
そこで首を正面に戻す。隣を見ると、芹澤さんが私を凝視していた。怖いな、この目。
「あの、まあ、個人的に?」
苦笑して、身振り手振りで誤魔化す。
「芹澤さんは、何で刑事になろうと?」
慌てて話題を方向転換した。
「この間、警察学校の同期達と飲みに行ったんですけどね」
「はあ……」
「刑事になりたいと思った理由、っていう話で盛り上がってですね」
芹澤さんは、気まずそうに苦笑した。
「そんな事で周りが盛り上がってる中で私、一人でたこわさ食べてました」
「は?」
思わず感じ悪く聞き返してしまった。芹澤さんの苦笑が失笑に変わって、また口を開く。
「私、刑事になりたいと思った事が無いんですよ」
あまりに滑稽で、思わず笑えてしまう。芹澤さんは自分の言葉に、そんな風に感じているんじゃないかと思った。
「面白いでしょ?」
申し訳ないけど、笑えなかった。私と同じ、でも違う何かを感じたからだ。
「私の妹は殺されました。父に」
脈絡無く、そう言った。その表情が何となく、木陰に似ていた。
「元々安定した精神を持っている人ではなかったんですね。父の読書の時間に妹がピアノの練習をしていて、殴られて階段から落とされて踏み潰されて、死にました」
流れるように動く目の前の人達には、この話が聞こえているのだろうか。
「父は刑務所の中で自殺しました」
何かが襲ってきた。黒いもの。
「父への憎しみとかが、父を逮捕した警察への憧れに名称変更されて、気が付けば刑事になってました」
そこでまた苦笑いする芹澤さん。私が何か喋らなければいけないと思ったから、少しだけ過去を振り返った。
「私の姉も、自殺しました」
芹澤さんの目が、少し驚きを見せた。自殺という言葉に敏感なのは、お互い様だ。
「飛び降り自殺です。死体を見ました。気持ち悪かった」
接続語無しに、言葉を吐き出す。
「身内の死、しかも複雑なものが絡まっていると、自分の意思がなくなるのは別に悪い事じゃないと思います。刑事になれたんだから、それで良いんじゃないですか? 思う存分捜査して、正義の味方気取って」
営業スマイルを貼り付けた。苦笑が出来なかったからだ。
「つまりは、将来フリーターになる予定の私よりは良いじゃないですかーって事を言いたかったわけです」
「園継さんは、良い人ですね。それでいて偽善者です」
「芹澤さんも」
ネネさんと話しているような気分になった。
と。芹澤さんの手の中にあった携帯が震えて、猫柳からの着信を知らせた。それを取った芹澤さんは、いつもの可愛い部下に戻って怒鳴る。
「猫柳さん! ……え? もう、そんな事言ってないで戻ってください!」
溜息を吐いて携帯を閉じた芹澤さんは、私に向かって軽く頭を下げた。
「お時間取らせてすみませんでした」
「いえ、楽しかった……、というのは不謹慎ですかね」
「そんな事ないですよ」
私も立ち上がり、目線を合わせた。
「それでは」
「はい。お仕事頑張ってください」
「ありがとうございます。暇な時はコンビニ、寄りますね」
芹澤さんがコンビニの自動ドアをくぐったら、この街は平和なのだろうか。
見覚えのある黒い車と、その窓から出る煙草と右手。人差し指と中指に煙草を挟みくゆらせる奴が、私に気が付いた。
「ヘロー」
人ん家の前で車に乗って張り込んでる奴だーれだ。大家さんも何か言えよ。
「仕事してください。街の平和の為に」
車から降りた猫柳に向かって言う。
「今日は休みー」
「嘘」
「あ、バレた」
「留守電聞きました?」
「あっひゃー。耳痛くなったよね」
痛いのは猫柳だと思った。
鍵を取り出しつつ、階段を上る。背後の男は、それが当然だと言わんばかりに自然と付いて来る。
「むーちゃんと会えた?」
「むーちゃん?」
扉の前で運良く疑問が芽生え、立ち止まって振り返る。猫柳の前で鍵を開けたら、押されて中に入られてしまう可能性がある。出来れば控えたい。
「芹澤の睦月さんっすよ」
そう言ってポケットから紙とボールペンを出した猫柳は、『芹澤睦月』と書いて私に見せてくれた。紙というのがコンビニの領収書で、書いたところが名前記入欄だったのには気付いてなんかない。
「良い名前ですね」
「そう言ってもらえると、個人情報漏らした甲斐があるってもんよ」
ないない。
「どうよ。むーちゃん」
「良い人ですね、とても」
「だろ? 心開いて自白とかした?」
「白目の間違いじゃないですか」
漢字が似ているだけだったので、苦し紛れ。
「じゃ、俺は空き巣の捜査があるのでさらば」
猫柳はさらっと情報を漏らし、三段とばしで階段を下りていった。と、猫柳の死角からこちらの様子を伺っているような男が見えた。何となく嫌な予感がして、早々と鍵を鍵穴に差し込んだ。
いつものように、車が去ったかを再確認してから扉を開ける。ドアノブのいじめには遭わなかったので良かった。
「ただいマンボウ」
とか冗談抜かして、部屋に入る。
「おかえりなさい」
「骨折してないね、よし」
「その確認こそが良くないです」
「うるせーよ」
口悪く注意しながら、少し開いていたカーテンをきっちりと閉めた。窓の外にあの男の後姿があったので、より一層強く閉める。
「飴なめます?」
「貰う。私が買って来たんだけどね」
いちご味の飴を貰った。
「体調はどう?」
「良くもないし、悪くもないです」
「そ。今日は誰か訪ねて来た?」
「いいえ、誰も」
頷いて、袋から出した飴を口に放り込んだ。あの男の事が、先程からちらちらと脳裏を過ぎる。木陰に知り合いか聞くまででもないが、気を付けておこうと思った。
「今日のご飯何がいい?」
「オムライス」
「無理かな」
「ミネストローネ」
「却下」
「……候補は何ですか?」
「焼きそば」
思いっきり顔をしかめる木陰。一択なんて、選びやすい事この上ないのに。
「焼きそばね、わかった」
無理矢理決めた。
「ちょっとおばさん!」
おばさん、という言葉に反応したわけじゃないが起きた。私はお姉さんだと反論しなかったのは、木陰がカーテンを全開にして騒いでいたからだ。
「な、開けるなって」
ぱっさぱさに乾いた目を潤すように数回瞬きして、木陰に駆け寄る。頭蓋骨に響くような救急車の音が、妙にうるさかった。
「見て!」
少し離れたところで、火が燃え上がっていた。
こんな平穏な田舎で、なんて。平穏という言葉が合わない事は自分が一番わかっているものだから、現実逃避するべく部屋を見回す。台所の流しには、お湯に浸けておいたフライパンがあった。それなりにこびりついた焼きそばが、それなりに浮いている。
午前五時。起きるのに丁度良い時間だったので、そのまま木陰と火事を眺める事にした。
「見に行きたい」
「駄目に決まってるでしょ。いろんな意味で無理」
相当な燃え方。田舎で高い建物がない所為か、直線距離にして一キロ近く離れているのによく見える。コンビニは反対側だから燃え移る心配はないけど、ここのアパートの方が危ないかも知れない。それくらいの、大火事。
「あ、バイト」
忘れていたわけではないけど、立ち上がるきっかけとして呟いた。消火活動が行われているなら、別に心配は要らない。野次馬も山ほどいるだろうし。
雪を見る子供のように、べったりと窓に張り付く木陰。いろいろとまずいけど、部屋を歩き回られるよりもマシかと思って黙った。
木陰の朝食は昨日用意したので、身支度を終えたらコンビニへ向かう事にした。少し早めに家を出れば、コンビニで何か食べられる。
「あんたも着替えなさいよー」
「はい」
母親になった気分だ。自分と五歳しか違わない子供を持ったら、苦労どころか死んでしまうと思うけど。五歳の時に生まれたんだから、まず自分が成長しろという話だ。
年齢の話をしていたら、先程の木陰のおばさん発言をふと思い出した。私をおばさんと呼んだ奴は容赦なくロリコン認定しようと、新たな反撃方法を考え付いただけで終わった。反撃方法を試す機会は、出来れば作りたくない。
洗面所でわしゃわしゃと顔を洗い、木陰をちらりと見る。粘着テープよろしく張り付いていた。もし放火であれば警察が来るし、今日は注意しなくてはいけない。見つかれば、それはそれで覚悟は出来ているけど。結果としては、宜しくない。
チャイム一つと、ノック二つが玄関から聞こえてきた。こんな早朝から。すっぴんだし、っていうのは今からバイトしに行く私が言える事でもないけど。
「木陰、ちょい引っ込んでて」
猫柳か、と思った。そう言えばあいつも警察の仲間だったな。私服刑事なんて格好いいものじゃなくて、言われなければナンパのお兄さんみたいな目で見てし、違う違う。ナンパのおじさんね。
サンダルを履いて、チェーンを掛けたまま扉を開けた。
「……どちら様?」
怖い顔のおにいじさんが二人立っていた。
「朝早くからすみません。警察のものです」
「ああ、警察」
一瞬どきりとしたが、すぐに火事を思い出した。やっぱり放火だったのか。今日は勘が冴えている、というわけではなくあくまで可能性を考えただけだった。むむむ事件の匂い、という根っからの探偵気質ではないので、残念ながら。
「この男を見ませんでしたか」
妙にチャラついた男の顔写真を出された。猫柳とは違った、嫌味のないチャラさ。俗に言う、イケメン。私はこの顔に見覚えがあった。がっつり見ていた。昨日見た、嫌な予感のする男。やっぱり勘が冴えてるなあというわけではなく、私はこういう類の人間には誰彼かまわず不信感を抱くというだけだ。
「見てませんけど、あの火事の犯人ですか」
嘘を吐いて、しかもさらっと情報を聞き出そうとしている。
「まあ、そんなところです」
試み失敗。やはり手馴れた刑事さんなので、上手い事ぼかして交わされた。
「この辺で目撃情報がありますので、見掛けたら通報を」
「あー、はい」
恐らく問題児として有名な猫柳の知り合いですが、善良な一市民として心掛けさせて頂きます。
「ご苦労様です」
小さくお辞儀をして、扉を閉めた。厄介だな、また。
「厄介だと思ってるでしょ」
「お、わ」
いつの間にか体育座りで話を聞かれていた。見えなかったかな、あの刑事さん達に。
「どんな人なんですか?」
「餃子の皮にバナナ詰め込んだみたいな人」
「何それ」
結構具体的に言ったつもりなんだけど。
「木陰が聞いたって意味ないよ。探せなきゃ、会いに来るのを待つしかない」
犯人が会いに来るような伝なんか、私にはない。
「取り敢えず、私バイト行って来るから」
あの男の、カラーコンタクトと言っても信じてしまうような色素の薄い瞳に写るのが『私』という人間ではない事を祈って。
ばりばり私だった。
家を出てから、尾行されていた。警察がうろちょろしているのに外を出歩けるとは、犯人の度胸だけは尊敬に値する。
もうすぐコンビニだし、眼光鋭いわけでもないし、何となく緩い。だからのっそり歩いているわけだけど、いいのだろうか。撃退する自信もないし、ヒールじゃないから走れないわけじゃないんだけど。体力が、という事にしておこう。
そうこうしているうちに、店に着いた。職業病というのか何と言うのか、落ちていたペットボトルをごみ箱に捨ててから自動ドアをくぐる。高校生バイトくんに頭を下げられたので、こちらもへこへこと頭を下げた。後ろを振り返るが、もうあの男の姿はなかった。もしかしたら、ただ単に度胸のないストーカーっていうだけなのかも知れないぞ。放火犯に仕立て上げられているのかも知れないぞ。そんな事はどうでもいいのだやはり。大事なのは、尾行という事実だけ。
「はよーざいます」
「おはよです」
染さんは、やっぱり居た。
「火事大丈夫でしたか?」
「あー、はい。そんなに近くではなかったので」
「そうですか、良かったです。あ、速報出ましたね」
そう言って染さんが指差したテレビで、アナウンサーが『速報です』と読み上げた。
「うわー、凄い」
シュークリームを食べながら、暢気に呟いた染さん。私もその隣に座って、テレビ画面の火を眺める。
「死者が出なくて良かったですねー」
「本当ですね」
「でも放火って重罪らしいですから、この子も大変ですよ。やり直すのって、時間も必要ですからね」
目の前の食べかけから揚げを一つ頂いた。まだ少し熱い。
「肉まん食べます?」
「いえ」
「私は食べまーす、ので買って来まーす」
勝手に席を立った染さん。勝手にというか染さんの体なんだけど。
「いってらっしゃ、」
染さんが店に消え事務所の扉が閉まると同時に、アナウンサーが読み上げるニュースに冷や汗が吹き出る。
『今月二日に誘拐されたと見られている木陰美鳥ちゃんですが、二日の昼、暴力団関係者と歩いていたという目撃情報が入ったとの事です』
今頃わかったのかという思いと、木陰の所在が判明してしまう怖さが同時に襲ってくる。覚悟していたはずなのに、見つかって欲しくない、見つかりたくないと思っていた。嫌だな、何だろう。
『美鳥ちゃんはセーラー服だったとの事で、警察は、暴力団関係者と何かあったのではと調べを進めています』
ええ何かありましたとも。血塗れでしたとも、暴力団関係者さん。
私と木陰の接点はまるでなし。だからこそ、安心していた部分もあったと思う。日本の警察は優秀らしいから、そう落ち着いてはいられないのかも知れない。
「ただいまー。ピザまん買って来ましたよー」
「頼んでません」
「もー。ツンデレなんですからー」
頭を撫でられた。こんなにむかつく年上は初めてだ。おかげで冷や汗が吹っ飛んだ。
「朝ご飯食べました?」
「いえ」
「じゃあ食べれるでしょ」
「ピザまんを受け付ける胃じゃないんです」
「贅沢」
的確なツッコミをされた。コンビニで働く奴が何を、という顔をしている。
「頂きますよーう」
「うん。それでよろし、……アルネー」
偉そうな染さんを睨んだら、似非中国人を気取られた。猫舌の私は、湯気が立ちのぼるピザまんをまだ食べられない。しかも、チャンネルを子供向けの教育番組に変えた染さんを咎める気力さえ湧き上がらない。
「来週のシフトどうしました?」
「あ、まだですね。ちょっと増やそうかなとも思ってます」
「あら」
「テレビを買うお金を溜めようと思いまして」
しれれれ。嘘を吐いた。二人分の生活費だから苦しいのだ。赤字だ赤字。
「一緒になる時間が増えて嬉しいですねー」
「ソウデスネー」
「え、何でそんな棒読みなんですか」
染さんを無視して、ピザまんをかじった。
「不味いですね」
「コンビニのピザまんに期待しない方がいいですよ。私は好きですけど」
コンビニのバイトがコンビニでコンビニのピザまんを評価する。肉まんじゃないだけ良いか。全然良くないけど。
「今日も猫柳さん来ますかねー」
「来ないでほしいですね」
「えー何でですかー」
「逆に何で来てほしいんですか」
「好きだからです」
頷きがたい事をさらりと言う染さん。ピザまんの塊が喉を通って、予期せぬ器官に入った。当たり前に、盛大にむせる。
「園継さんも、猫柳さんの事好きだったんですか?」
それを勘違いした染さんの所為で、益々むせた。
「……っ違いますよ! 馬鹿な事言わないでください」
「またムキになってー」
「あんなおっさんのどこが良いんですか」
顔をしかめる私とは裏腹に、一瞬きょとんとした染さん。そしてクスリと笑った。
「顔見知りとして、好感を持っているというだけですよー。別に恋愛対象として見ているわけじゃありません」
むふふふ、と笑われた。脳天がかゆい。
「応援してますよー」
「だから違いますって!」
「もー。恥ずかしがらなくていいんです」
「だ、か、ら!」
「そう睨まないでください。本当に怖いんですから」
ピザまんを口に詰め込んで、立ち上がった。
「ひはえひへひはふ」
「……はい」
着替えして来ますと言ったんだけど、染さんはわかってなさそうだった。
狭い更衣室で着替えをしながら、そろそろと脳に流れてくる考えを処理する。木陰の事だ。自分は何がしたいのか、わからなくなっている気がする。木陰を家に置いておくだけで何が変わるわけでもないのに、何かをしなければいけないのに。無責任さがたたって、趣旨がわからなくなっている。
取り返しなんてつかなくてもいいと思っていたけど、木陰の事はどうする? 木陰の人生に影響がないなんて、そんな考えを持つ方がおかしいのだ。つくづく頭が悪いと思い知らされた。
着替えが終わってしまったので、考えを絶つ。今日帰ったら、木陰と少し話してみようと思った。
更衣室を出ると、染さんがいつものように机に足を乗せて本を読んでいた。ピザまんではなくあんまん片手に。
「染さん、行儀悪いですよ」
「行儀なんて、実家に置いてきました」
「常備してください」
えー、と面倒くさそうな声を漏らす染さん。べちべちと本で机を叩いて、何かを抗議している。
「あ、園継さん」
「はい?」
「ちょっと早いですけど、行きましょー」
「そう、ですね」
話を逸らされた気がしないでもないが、時間も時間なので素直に従っておく事にした。
「お疲れ様でーす」
「お疲れです」
高校生バイトくんとぼそりと言葉を交わしながら、レジに立つ。暇になりそうな予感がしたので、店内清掃に走る事にした。
「レジお願いしまーす」
「あ、ずるい」
何なのこの人。有線放送で流れてる演歌にノリノリになりながらフライドチキン見つめてるにもかかわらず、何が「ずるい」なの。という視線を送る気概は残念ながら湧かなかったので、何も言わずモップを手に取った。演歌を流すコンビニってどうだろうと思ったりはしなかった。
夜に通り雨が降ったらしく、靴跡が少し目立つ床。外のコンクリートやアスファルトは殆ど乾いていたから、目立つ発見はなかったのだ。コンビニでバイトをしていると気付くけど、これは一体何の役に立つのだろうか。
「いらっしゃいませー」
床から視線を外さずに、通知音の反射で動く口。お客さんは、こちらに歩いて来たようだ。
「、っ!」
肩と肩がぶつかった。モップの柄が鎖骨に刺さって痛い。鎖骨を擦りながら、「すみません」と形式的な平謝り。よくここに来る、スーツを着こなす線の細い男性だった。
男性は、ぶつかった時に豪快に落ちたマニキュアやらマスカラやらグロスやらを軽く無視して、お手洗いに引っ込んでしまった。まあしょうがないか、と。常連客は大切にしろという温厚な店長の教えを忠実に守り、バイト店員の役目を果たす事にした。ついでに商品を整理しながら、派手に落ちたメイク用品を拾う。
「いらっしゃいませー」
今日は繁盛してるなあと思いながら、通知音に向けて挨拶をする。妙に違和感のある不規則なヒールの音と共に近付いてきた人影が、メイク用品と私を覆った。
「すみません、上司が」
聞き覚えのある声に振り向くと、芹澤睦月さんが立っていた。
「私いつも、上司の行いについて謝っている気がします」
「二回だけですね」
「そうですね」
苦笑しながらも、手伝ってくれた。
「私達も、嫌々ながらもこういう正しい事をやっているんですよね」
芹澤さんが、マスカラを手に取りながら言う。あの人も上司、つまり警察の人間かと遅ればせながら事実を確認した。
「でも時々思うんですよ。正しい事が善い行いだっていうのは、違うんじゃないかなと」
相槌の打ち方がわからなくて、こくこくと頷くだけになった。
「間違っている事が悪い事だって限らないし、常識外の事が世間から受け入れられないとも限らないじゃないですか」
「そうですね。それが求められてる時もあります。奇抜とか言うのなんかは、常識外とか独特だとかの類ですもんね」
「そうですそうです」
メイク用品を拾い終わって、立ち上がる。モップを引き寄せるのと同時くらいに、芹澤さんの姿勢が変な事に気が付いた。
「あ、ヒール……?」
「接着剤、あります?」
左足のパンプス、ヒール部分が折れていた。ポケットから出したヒール部分は、見事なまでにスパッと切れた断面。
「ありますよー、接着剤。完全にはくっつきませんけど」
「一時的な補修で大丈夫ですよ」
モップを引き摺りながら、芹澤さんを案内する。芹澤さんの上司という人は、コーヒーを手に取っては戻しを繰り返していた。
芹澤さんの先程の話が、まだ少しだけ頭の中で反響していた。ピンボールのように。
「買いますね」
「ありがとうございます」
結局端の方しか掃除出来なかったが取り敢えずモップを一旦戻し、レジに向かう。染さんがにまーっと笑っていた。怖かった。
「猫柳さんいらっしゃらないんですかー?」
怖い染さんが、ふまーっと芹澤さんに聞いた。
「猫柳は、今日は別行動です。すみません」
「いえいえー。お仕事頑張ってくださいねー」
「ありがとうございます」
同じ柔らかい声質なのに、引き締まった芹澤さんと緩い染さんの話し方では印象がだいぶ違うなあと思った。染さんは、あれだ。頭悪そうな喋り方。
「私が頭悪そうだって思ってるでしょ」
「いいえ」
「事実だから良いですけど」
芹澤さんからお金を受け取っている最中でなければ、コケてしまっても良いようなボケだった。
「お預かりします」
ぺったぺったとキーボードを叩いて、お釣りを出す。
「二円のお返しと、レシートです」
「ありがとうございます」
お釣りとレシートを財布に入れた芹澤さんは、代わりに何かを出した。
「ついでですみません。この人、見てませんか?」
私を尾行した男の顔写真だった。男の呼び名が頻繁に変わるけど、元を辿れば嫌な予感のする男。現時点では、放火犯と見られていて私を尾行したイケメン。
「いえ、見てませ……あ」
思わず指してしまい、慌てて手を引っ込める。芹澤さんの隣に戻って来た上司さんが、怪訝な顔をする。コンビニの常連で芹澤さんの上司である線の細い男性は、朝、家に聞き込みに来たおじさん寄りの刑事さんだった。
「今朝はどうも」
うぃっす、的なテンションで挨拶された。別に覚えていてもらわなくても良かったんだけど、記憶にあったらしいのでそれなりに頭を下げた。
「お知り合いだったんですか」
「顔見知りです」
「それ以下」
顔知ってんだから別に良いだろと言いそうになったのをこらえて、刑事さんの「それ以下」を受け止めた。猫柳を思い出すのは何故だろう。
「染さんは、この男見ました?」
「え、ああ、見ましたよー」
「そうです、か? いやいやいや待って」
「見たんですね! 何処で! いつ!」
芹澤さんの目が、これ以上なくぎらぎらと光っている。見たんかい! と、染さんに向けて凄い勢いでツッコミたくなった。まずい事になったかも知れない。
「そこで見ました」
染さんが指したのは、コンビニ近くの公衆電話だった。
「電話かけてるの、見ましたよ」
ゆるゆると話す染さんからは、危機感を微塵も感じられない。この男が何をやったのか、話を聞いていなかっただけか。
「情報、ありがとうございました!」
にんにくを胃に詰め込んだってそう元気にはなれないというほどに、ぎっらんぎっらんだった。探偵気質とか言うが、この人は根っからの刑事気質だなと思った。正義の味方とか、その辺り。
「ありがとうございましたー」
二人の背中に向かってそう言って、天井を見上げた。
ジグソーパズルを完成させるように、じわじわと、徐々に、いろいろな事から引けなくなっていた。気付くのが遅過ぎて、これから始まる事柄のように考えた。
「お疲れ様でしたー」
店長に挨拶しながら、事務所の扉を閉めた。振り向くと染さんがレジに立っていて、微笑みながら手を振ってくれていた。
「お先に失礼します」
「お疲れ様でした」
「頑張ってくださいね」
にこにこと手を振り続ける染さんにも挨拶をして、ようやくコンビニの温い空気から開放された。
最近はめっきり冷え込んで、これから冬が来るのかと思うとぞっとするほどだ。真っ青な空が見られる事も少なくなり、灰色や黒ばかり。時々橙色の空も見えるが、時々だ。
「あら」
にゃー、という鳴き声に横を向くと、薄汚れた白猫がいた。雨の残骸が残る側溝に、痩せ細った猫がいたのだ。
「こんにちわん」
間違えた。猫だった。こんにちゃー? こんにゃー。
普段は通り過ぎるけど、今日はいろいろあるから寄ってみた。コンビニを出てから執拗に尾行しているあの男が本当に私を尾行しているのか、最後の確認。それと、芹澤さんの言葉や他にもいろいろ考えたかったから。
「捨て猫かい? それとも家出?」
歩みを止め陰に隠れた男を一瞥してから、猫を抱き上げた。猫を飼った事はないが、やつれているのはわかった。
にゃーにゃーともがく猫を見て、何とも言えない気持ちになる。今の空と、その空のように灰色の猫。芹澤さんが言っていた、人間の黒い部分。私の黒い部分と、木陰の黒い部分。白黒はっきりしない、私の行動と気持ち。全部暗い。
「にゃーにゃー」
デュエットしてみた。馬鹿みたいだ、私。まあ、まだ未成年だから言い訳は通用するだろう。何の?
「はっきりしないねー。私も君も」
鋭くも柔らかくもない猫目が、私を覗き込むように見た。猫もわかるんだろうか、人間の心理が。猫でも何でも、目にじっと見つめられるとむず痒い。
ここで私が猫を見捨てれば、それは間違いであって悪い事だ。でも、人間が誰しも猫を拾う事が出来るとは限らない。だから見捨ててもいいなんていう理由にはならないけど、悪の端に追いやる事の出来る行為だとは思わないのだ。はっきり『悪い』と言えない。
世界の基準があれで平均はこれで、なんて。日々変わりゆく地球上で、正確な線は引けない。人間から人間に引き継がれている『常識』という枠が曖昧な線の役割を果たしていて、けれどそれによって世界が平和になるとはお世辞にも言えない。私はどうすればいいんだとかは自分で決めなければいけないし、他人が困っていれば助けなければいけない。それを全部自分で背負っていたら、人間は壊れてしまうと思う。もちろん背負える強い人はいるけど、それに当てはまる人間ばかりじゃないから。
でもそう言って哲学や論理ぶって言い訳を作り、逃げている事もあながち嘘じゃない。それを言っていたら世の中全て言い訳ばかりで、それを言ってしまえばそれも言い訳で。結局は正しい事は正しくて、間違っている事は間違っていて。正しい事と善い事は別物だし、間違っている事と悪い事も別物なのだ。
自分の中で落ち着いた答えは、自分は自分でしかないという事だった。何を選んでも運命で、どんな過ちを犯してしまってももう戻れない。全部受け止めて全部立ち向かって、全部償っていかなければいけないんだと思った。
自分がどんな行動を取るのか、全ては最初から決まっているのだ。じゃんけんで負けてもくじで勝ってもそれは最初から決まっていた事で、あらかじめ敷かれていたレールの上をただ走る。それが人生なのだ。そう思った。
白猫を膝の上から下ろして、側溝に戻す。私は孤独という格好いい枠の中に入りたくないから一人ぼっちで良いのだ、猫よ。
「じゃあね、グレ」
ネーミングセンスが問われそうだなと思った。
「いっ、……いででー」
てんてードアノブがいじめるんですー。口に出したら、地球上での私の居場所が無くなるかも知れないからやめた。
「ただいまー」
「おかえりなさい」
木陰は、天井を見てぼーっとしていた。同じ家で生活すると、いろいろなものが伝染してしまう気がする。
「あんたいっつも家で何してんの?」
「音楽聴いてる」
「どうやって?」
「音楽再生プレーヤーで」
家出の準備は万端だったのかしら。
「ニートみたいな生活してんのね」
「静紅さんだってニー「ううん、違うよ」
強めに遮って、木陰の正面に腰を下ろした。
「火事どうだった?」
忘れかけていた火事を引っ張り出して、質問する。
「それとなく落ち着いた感じじゃないですか」
「そうね」
これについては答えを期待していないので、即刻打ち切った。
「では」
「大事な話ですか?」
小さく挙手して、木陰が意見した。大事な話かと問われたら、そりゃあ大事な話だ。いやでも、やっぱりそうでもないかも。
「そうでもない話」
「じゃあお風呂入ってからで」
「まだ明るいよ?」
「明るいうちにお風呂入っちゃ駄目なんて法律あるんですか」
「無いね」
「じゃあ入ってきます」
気圧されといて言うのもなんだけど、ここ私の家よ。
ばたばたと、それなりに急いでいたらしい木陰がシャワーを浴び始めた。あの子いつもこんな早くから入浴してるのかしらなんて、すっかり親気分でそれを待つ私。
実のところ、話し始めたのは良いけどその先が纏まっていなかった。木陰を邪険にするような聞き方はしたくないし、かと言ってぼかし過ぎて伝わらないのも困る。小学校の時もっと国語勉強しておけばよかったなーと、今更過ぎて何を言っているのかわからない後悔までした。
あぐらをかいて、そのまま後ろに倒れこむ。後頭部を畳に打ち付けて、その上机に膝をぶつけたから無駄に痛かった。
ここに居て、自分がどう変われるのか。ここに居て何をしたいのか。いつまでここに居るのか。木陰に聞くのは怖い。木陰じゃなくたって、可愛がっている人が自分の傍から離れるような事を言うのは、誰だって嫌だ。元はと言えば私が声を掛けたのだ。一度は去った木陰が、私を頼ってくれたのは何故か。頼ろうと思ったからだ。頼ろうと思ったのは、頼れると思ったから。頼れると思ったのは、声を掛けたから。
人生は最初から進むべき道が決まっていると言ったけど、私が進むのはどの道なのだろうか。それを知らないからこそその道へ進むのだけど、未来を知っていたら未来が変わるわけでもないし。わけわかんなくなってきた。
取り敢えず立ち上がって、洗面所へ行った。くもりガラスの向こうでは、木陰が鼻歌まじりに洗髪している。洗面所の柱に寄りかかりながら、ここで話をする事にした。顔が見えない方が、都合が良いから。
「木陰」
「はい?」
「話してもいい?」
染さんに似た緩い声で、「どうぞー」と返事をした木陰。軽く深呼吸をして緊張を解してから、言葉を紡いだ。
「木陰は私に、何て言って欲しい?」
無責任な質問だった。けれど木陰は、答えてくれた。
「勝手にすれば、って言って欲しいです。私が何をしても、勝手にしろと」
「おっけー」
勝手にすれば? 勝手に。勝手に居座って、勝手に行動して、勝手に成長して、勝手に助かって、勝手に出て行く。勝手にすれば、と私が言ったら、私と木陰は切り離される。一見すると寂しい言動だが、それは全て自分の責任であるという事。木陰は賢い。とてつもなく賢くて、でも幼稚。自分が負いきれる責任の量をわかっていない。
「ありがと。木陰は良い子だ」
「そんな事あるよー」
「ふ」
鼻で笑っておいた。
私が入浴中の描写をしてもサービスショットになる事は無いので、省略させて頂く。私と木陰の胸の膨らみ加減が同じかも知れないと気付いた時は、さすがにショックだった。将来木陰の胸が地面に付いて引き摺られますように、と呪いをかけておいたくらいだ。
その木陰は、寝ていた。何とも憎たらしい。私は木陰の分までお風呂掃除をしていたのに、というのは嘘だ。二人入っても、結局掃除するのは一人分。何とお得なー、とは喜ばない。
木陰は濡れた髪のまま横になっていたので、布団に運ぶ事にした。畳が腐ったら、大家さんに怒られてしまう。ツンデレなんかじゃないんだからね。私、柄にも無く何言ってるんだろう。自分でちょっと引いたよ。
自分で自分の言動に引くくらい饒舌なのは、勝手にすれば効果なのかも知れない。というか絶対そうだ。自分で気付かないくらい、重大な事になっていたらしい。大役が終わった瞬間気持ちが軽くなって、浮遊感たっぷり。浮けそう、じゃなくて。
お姫様抱っこした時に見えた木陰の足首に無数の傷が出来ている事に関しては、本人には言及しないつもりだった。一生消えないかも知れない傷、目立たない足首。レッグカットである事は、遊び半分な気持ちでリストカットをした事がある私ならすぐわかる。あの時は私であっても私じゃないからあんな事をしてはいたけど、今も消えないリスカの痕を見る度少し後悔する。誰に隠すつもりでもないから、恥ずかしくはないけど。
死ぬつもりはなくても死ぬ人はいるし、死にたくても死ねない人もいる。私や木陰はその『死にたい』願望は人体を破壊する事によって発散していたけど、それだって良くはない。少なくとも死ぬ事よりはいいけど、「人体を破壊する事によって」の破壊された人体を持つ人達はどうなるのだろうと考えると、後悔する。先程の饒舌っぷりからは遠い暗い発言だけど、後悔後悔しか言ってない気がした。自分で「人生は最初から決まっている」「後悔は意味がない」等言っておいて、ばりばり後悔しているじゃないか。
「よ、いしょっと」
中学生、重いぞ。木陰を布団に寝かせながら、本人に聞こえたら踏み潰されそうな事を思った。
「てんきゅーね」
そう格好良く言い残して、襖を閉めた。
こうやって持論を披露したって、それが役に立つ局面なんてそうそう無いのだ。日々の生活の中でーなんて、よっぽどその持論に執着していないと出来ないもので。こうしてふと深々と考えた時に思い出す程度の持論なんか、何の役にも立たないのである。個人の意見です、とかテロップ出しておくか。
持論を展開して終いには徐々に折り畳まれていたところに、チャイムの高い短音が舞った。来客は毎度毎度で何かあれだけど、想像出来た。
「へいへいへい」
チェーンを掛けたまま扉を開けて、人物を確認する。三十路過ぎのチャラ男だった。三十路とチャラ男を合わせてはいけないなと思った。
「こんちくわ」
「こんばんはの時間ですけど」
「お邪魔します」
「邪魔だと思うなら帰ってもらって結構ですよ」
しれっと爪先を扉に掛けていて、何か刑事だなと思った。
「火事どうだった?」
「どうって、知りません」
「知らないって事はないでしょ」
「正確には、あまり知りません」
「ほうほう。俺様が活躍した事もご存知じゃねえってのかい?」
「当然ながら存じ上げません」
「そうかいそうかい。それじゃあここで一つ、教えてやらねえ事もねえよ?」
「結構です」
「ごめんごめん、悪かったよごめんって。教えたいんだよー」
何だお前は。ドアノブがこいつをいじめない事にすら苛立つ今日この頃。皆様如何お過ごしでしょうか。
「火事の犯人探しに任命されましたー、ぱちぱちぱちー」
「ぱちぱちぱちー」
心にも無いけど、一応口だけは拍手しておいた。そして、放火の捜査は大した手柄でもない。よって、こいつは活躍などしておらんのだ、ハッハッハ。
「帰ってください」
「それは、あー、出来兼ねますよお?」
突然歌舞伎役者に転職なさった猫柳をスルーして、扉を閉める作業に入る。いだだだとか私に似た悲鳴をあげてるけど、いつもの事だから気にしない。
「お前は何なんだ! ロリコンか? 毎日毎日飽きずに木陰がここに居ると信じて訪ねて来て。そんなに大事だったらお前が中学生を産め!」と、心の中で叫んでおいた。後半は若干無理がありそうだったので、口に出さなくて良かったと安心した。
「泣きたくなったら一一〇番!」
何でお前に「あばよ」的なノリでその台詞を言われにゃならんのだ。不満も吐き出しきれず、ただただ大人しく扉を閉めた。車の走り去る音に安心し、居間に戻る。猫柳が訪ねて来ないと、このイレギュラーな非日常を日常として消化し切れない自分が居る事に、何故か腹が立った。
「行って来まあす」
「行ってらっしゃい」
ナルシシストな私は、可愛い妹に見送られながら颯爽と歩き始めた。あっさり嘘だ。美化せずに言うとこうなる。地味な私は髪の毛ぼさぼさで色気の欠片もない中学生に見送られながら、寒さで猫背になりつつも歩き始めた。美化しなかったらただの悪口になったから、この話終わり。
大学へ行く。何かのタイトル的な言葉で始めたけど、そのままただ大学に行くだけなので面白くも何とも無い。エンターキーを押し章を変えてパパッと大学に着いたらいいなあ、というどこでもドア的発想を没にして、若干駆け足気味で急いだ。
昨日の木陰の寝言は「酸素に溺れるよー」だった。どこが異常なのか忘れそうなほど至って普通の正常な女の子だった木陰だが、頭が異常なんだなと再確認する事になった。木陰のヒラメ筋の所為で呼吸困難に陥っていたのは私の方なのに。私だって二酸化炭素万歳とかいう寝ご「園継さん!」
遠慮がちに張り上げられた声に振り向くと、黒い車がすぐ近くをゆっくりと走っていた。その車の窓から顔を出すのは芹澤さんで、園継さんというのが私である事を確信した。
「大学ですか?」
すぐ隣に停まった車の運転席には、コンビニ上司もとい芹澤さんの上司が乗っている。窓から顔を出し微笑む芹澤さんは、今日も見目麗しい女刑事さんだ。
「ええまあ、そうですけど」
「送って行きましょうか?」
刑事さんの車に乗っていたら猫柳が何と言「是が非でもお願いしたい所存で御座います」
「後部座席、どうぞ」
「お邪魔します」
二つの意味を掛け合わせたお邪魔しますで後部座席に乗り込み、シートベルトを装着する。ラッキーとか思ってないよ、断じて。
「お仕事中なのに、すいません」
「大丈夫ですよ。聞き込み範囲が丁度園継さんの大学の方で、向かっていたところだったんです」
「あっちの方までですか?」
「今回は連続した事件なんです、連続空き巣。空き巣の証拠隠滅に火をつけるので、もともとは空き巣犯。結構広い範囲で被害が出ていて、改めて聞き込みを」
テレビや新聞なんかの情報収集方法が皆無な私は、起こっている事件に疎いんだな。このくらいなら報道されているだろうから、守秘義務なんかにはならないのだろうか。話してくれた方が警察の動きがわかってお得だけど、警察の動きなんか知っても引っ越すわけにはいかないので意味無かった。
「猫柳さんが調べていた誘拐事件の、えーと……。木陰美鳥ちゃん? でしたっけ」
猫柳というワードが出てきた時から既に悪い予感がしていたが、木陰の名前が出た時は心臓が口からこんにちはしそうだった。
「は、……い。それがどうかしましたか?」
「そのお兄さんなんですって、連続空き巣、放火犯。木陰蒼くんっていう」
鼻から内臓がこんにちはしそうだった。胃袋が掻き回されたような、軽い嘔吐感。何だこの怒涛の展開は。容疑者を刑事本人の口から聞いてしまい、守秘義務云々がどうでも良くなってもう、目からうろこがこんにちは。
「へえ、あの、あの顔写真の男が……」
平静を装おうと返事をしたのに、逆に目に見えて焦ってしまってそれにも焦る。
「どうしました?」
「いえ、ちょっと車酔いが」
結局コンビニ上司の運転の所為にして、俯いた。
顔写真の男=連続空き巣、放火犯=私を尾行していた悪い予感のする男=木陰の兄。イコールの出番が多すぎて、主人公を乗っ取られそうだ。
珍しく面白いくらいに動揺しこそこそと取り乱れた私は、ひっひっふーと朝食べたメロンパンを産むべく全身に冷や汗を撒き散らしていた。
大学が終わったのは、三時半。四時からバイトなので、そのまま真っ直ぐコンビニへ向かう。木陰蒼という色名兄妹の兄の方は、相も変わらず飽きずに私を尾行していた。酸素と同等だと考えて、早く二酸化炭素に変身しやがれこの野郎とか思ってすっきりしている。後ろに人がいるというのは慣れないけど、後ろに酸素がいるのは十九年前から当たり前になっているのだ。
焦りも消え、冷や汗も引っ込み、もう落ち着いた。それはそれで適当な対処法を見つけられなくて困りそうだが、今はとにかく何も考えたくない。家に帰らなければいけないからだ。今日も木陰に質問タイムを作らなければいけなくなって、少々気が重い気がしないでもない。どう思っても木陰は私が誘拐したのだし、人生の道は決まっているし、私は私出その時々な対応を取るしかない。と言って、面倒な事を後回しにした。
角を曲がったら走るというベタな対処法を採用するほど運動が好きではないので、コンビニまで平和に歩いていく。何かあったら昔の、口に出すのも嫌なくらいダサい名前だったあの頃の私が騒いでくれるはず。
そんな少年漫画の主人公みたいな思考に現を抜かしている間に、コンビニに到着した。染さんが、外からでもわかるくらい大きく手を振っていた。恥ずかしいから止めて欲しいんだけど。
「お疲れ様でーす」
「うんうん」
「着替えてきますね」
「うんうん!」
「何ですか」
「私も行きまーす」
染さんが猫柳並みに意味のわからない人だったというのを、すっかり忘れてしまっていた私である。何たる醜態。
「てんちょー、レジお願いしやっす」
ここに金属バッドがなくて良かったですね、染さん。
「機嫌良いですね」
「そうですかね?」
「そうですよ」
「えー、そうですかねー」
数時間前にあっさりとした芹澤さんと話し込んだからか、染さんがいつも以上にねちょねちょしている。チューインガムを久方振りに思い出したくらいだ。
「あのですね。店長に貰ったんですよ、これ」
そこでポケットから出したのは、いつもの大人向けBL小説だった。
「これじゃないですよ?」
次はレジのチョコレートが出てきた。
「間違えました」
最後に出てきたのは、グラタンとかに付いて来るプラスチックのスプーン。何故ここでそれを得意げに出す?
「ああ、これですこれです」
店長、染さんを在庫処分の当てにしないでください。
「園継さんの分もありますよー」
店長、私をざ以下略。
「ああ、ありがとうございます」
「あんまり嬉しそうじゃないですね」
「イエイエ、トッテモウレシイデスヨー」
意識的にしろ無意識的にしろ、嬉しくないから棒読みになった。グラタン買ったら付いて来るプラスチックのスプーンを貰って、嬉しい大学生(女子、居候持ち)なんてこの世に居るのか。居ない。
「あ、着替えですね。止めてしまってすみません」
「イエ、……いえいえ」
ぼうよみすいっちきるのわすれてた! 棒読みスイッチとかあったら何に役立つのかな、とか考えながら更衣室の扉を開けた。
イエイエとか言っている間にスプーンを握らされていたので、仕方なく鞄に入れた。木陰のストレス発散にでも使ってもらうとする。こう、ばきぼきと。
名札を付け、鏡でいろいろと確認して、更衣室を出た。染さんは消えていた。事務所から出て、店長と交代する。言葉は交わさず、アイコンタクトだけでやり取りした。店長はおじさんという感じの年齢だけど、猫柳やコンビニ上司みたいにキツイ印象は全くない。犬の散歩を日課としていそうな優しい感じで、そこはやっぱり職業が関係してくるのかなとか思ったりした。そうしたら私ももう少し愛想が良いはずなので、やっぱり人間性かなと思い直した。
「あ、園継さん」
「はい?」
「ドリンク補充お願いしまーす」
「了解しました。レジお願いします」
「了解ですー」
バックルームに行き、染さんの言葉通りドリンクを補充する。バックルームから店を見るのは、なかなか好きだ。バイトしないと見れないから。
スポーツドリンクを手に取って、がこんがこんと入れていく。お茶系がかなり減っていたので、意味なく共感する。炭酸飲料は苦手だ。そしてコーヒー系も苦手。お茶は好きで、フルーツジュースも好き。というか、この情報を知ってうひゃほーいと喜ぶ奴がどこに居るのか。
「いらっしゃいませー」
「お、わ。……びっくりしたー」
特に知った顔でも無かったが、お茶の隙間から覗いて挨拶した。いたずらっ子の心境を理解出来た私でした、まる。
「いらっしゃいまされましたー」
「うわ、ちょ。びっくりしたー」
「うひひ」
「何だ、猫柳か」
「『さん』は何処行ったオイ」
「誘拐されたんじゃないですか」
口を開いてから後悔したけど、それを悟られないようドリンク補充に意識をどばどば。ご本人によればいらっしゃいまされたらしい猫柳が、先程の私と同じ事をした。その脅かしに私は、先程の客と同じ反応をした。恥ずかしいったらありゃしないわ。
「いらっしゃいまされされました」
「あん?」
変なところで刑事特有の睨みをぶつけてきた猫柳が、私が補充したばかりのお茶をがこがこと取り出す。私が補充すると追いかけるように、合計六本のお茶をかごに入れた。この野郎なんて、刑事さんに言えないわあはは。
「こんの、野郎」
「小声で言ってんの聞こえてんぞ」
「あはは何の事か」
「それで」
猫柳は私から視線を外さずにお茶の間から覗き込み、変な間を空けて微笑んだ。
「娘さんの心身の調子はどう?」
「あっれー。私がお腹を痛めたわけでもなく産んだのはメロンパンだった気が」
「は?」
そこではつっこんで欲しかったけど、まあしょうがない。私しか知らない話題だから。これからも私しか知らない話題であって欲しいんだけど。
「取り敢えず死んでください」
「何処が取り敢えずなんだ」
「口悪いのだけが取り柄なもので」
「いい加減にしろ馬鹿。逮捕しちゃうぞーってか」
お前こそいい加減にしろ。
「まあ良い。お前も死ね」
「まあ良くないだろと言いたい」
「心の声が良く漏れるなあ!」
猫柳が最後にかごに入れたのは、炭酸飲料二本。鼻歌交じりにレジに向かい、「来週のシフト表みーせて」と、と? ……一度も死ねと言われていない染さんに被害が及ばないように、染さんも猫柳が警察だと知って逆らえないんだろうと聞き逃す事にした。
「じゃーねー。誘拐カウンセラーさん」
染さんの前で、随分際どい事を言うものだ。
プラスチックのスプーンしか武器となるものを持っていないけど、これで撃退出来るかしら。そんな暢気な事を考えてもいられない、バイト終わりの夕方と夜の境目。女子大生と尾行者に、薄暗い道。マッチし過ぎる組み合わせに、恐れはないと言えば嘘になる。でも、大きい不安は抱えていない。私に何か危害を加えるなら、これまでだってたくさんのチャンスがあったはずで。少なくとも、無駄に危害を加えるという事はしないはずだ。空き巣魔放火犯に何を言うか、というものだけど。
走ったら追いかけて来る犬の対処法のように、とにかく落ち着いて歩く。相手に「気付かれていない」と思わせられたら一番良いんだけど、それは運に任せよう。とにかく相手が動き出すまでは、こちらからは何もしない。黙っていれば、ほら。家に着くから。
赤褐色のてすりを掴んで錆び臭くなった右手がドアノブを掴み、捻る。鍵を開けたから当たり前なんだけど、すんなりと開いた。
「ただいま」
聞こえるか聞こえないか、どちらでも良いけど一応呟いた。
使っていないのに充電してある携帯電話と、電源を切ってあるのに充電している携帯電話。色は正反対な二つの携帯電話が、相変わらず居間のコンセントを占拠していた。引っこ抜こうという気も起きず、ずっとそのまま。充電のし過ぎでパンクするかも知れないけど、人間で言えば幸せ太りなんだから別にいいやと思う。
電源を入れず、申し訳程度に置いてあるこたつ。今日は電源を入れて、暖かさを最弱にして、足を入れた。事務所で耳に入ってくる天気予報では、毎回と言っていいほど「今年は例年よりも寒い」云々仰っていたので、今年は寒いんだろう。でも晴れた日には暖かいし、統一しろと思う。
首まで暖めようとすると膝が出る狭いこたつの中で、何とか体を曲げながら全身を入れる事に成功した。こたつの中で、胎児みたいな格好になっていた。
呼吸の中に時々混じる溜息で、いろいろな事が消えていく。溜息を吐くと楽になるから、私の中で溜息は呼吸と同等である。幸せは、逃げたっていい。幸せになんかならなくても、日常が送れれば。そういうのも全部綺麗事だけど。
「あ、おかえりなさい」
忘れていた木陰が戻ってきた。どうやら入浴の時間だったらしく、バスタオルを被っていた。あっちーあっちーと、あっちむいてホイをやらせたくなる小言を漏らしていた。
「私もお風呂入ろう」
「いってらっしゃい」
「いってらっしゃられました」
猫柳っぽくて、眉間に皺が寄った。
「火事、放火だったんだけどね。犯人、木陰のお兄さんなんだって」
木陰の表情が一瞬曇り、暗く黒くなる。
私は質問が苦手で上手くオブラートに包む事が出来ないから、ストレートにした方が良いと思った。
何となく面倒だったから夕飯をおにぎりにして、塩むすびを箸で食べる木陰に聞く。何で箸で食べるのかは、聞かなかった。身代金を易々と取れてしまうらしいくらいの、裕福な家庭で育った人間だったから。
「どこで聞いたんですか」
「コンビニに刑事が聞き込みに来て、後はニュースで名前を知った」
何となく、嘘を吐いた。
「そう、ですか」
「すぐ信じられる?」
「はい。そういう、人なので」
やはり木陰自身と家族を結ぶ糸は、ちょっとやそっとでは解けないほどからまっていた。
「静紅さん、兄妹は居ますか?」
「姉が一人」居た。
「お姉さんの事、尊敬出来ますか?」
「出来る」と思ってた。
「なら、良いですね」
「まあ」死んだけど。
「お姉さん、どういう人ですか?」
「優しくて強くて綺麗で、最高」で最低で、汚くて弱くて意地が悪い人。
「自慢出来ますか、お姉さんの事」
「うん」だってとても、似てるから。
「私と兄と、正反対ですね。羨ましいです」
やめてよ。
「回覧板あったの忘れてた。ちょっと行って来るね」
本当はそんなのないけど。苦い液体が喉の奥から流れ込んで来て、私の方から折れた。
適当にサンダルを選んで履いて、氷を握ったように冷たいドアノブを捻る。まだ水滴が落ちる髪に冷風が突き刺さり、凍ってしまいそうだった。一応扉に鍵を掛けて、元々の色がわからない赤褐色に錆びた階段に座り込む。
今日の私は、何処か変だった。やっぱり木陰兄の事だろうか。別に理由は無い気もした。何となく調子が狂って、ねじが緩んで。それだったら良いなと密かに思った。
俯いていると、髪から落ちた水滴がひざに落ちる。水滴、しずく。静紅。シズカナアカ。姉さんの肉体から流れ出る血が思い浮かんだ。前のような嘔吐感が襲ってこないだけ、まだマシかも知れない。
「初めまして」
はっとして、顔を上げる。木陰兄。木陰蒼。
立ち上がろうとして、それが出来ない事に今更気付く。額の中心に何か、? 冗談みたいな拳銃だった。
「ま、モデルガンだけど」
私が拳銃に気付いたところを見て、くるくると拳銃を遊ぶ木陰蒼。モデルガンだったら良いけど、違うかも知れない。私は見た事も触った事もないから、わからない。
「話そーよ」
猫柳と同じねっとりとした嫌な喋り方で、でも猫柳の方が良い。不快だ、この男が居るだけで。
「ここでも良いけど、美鳥が聞いてないなら」
「ここで」
木陰が聞いてても良いと思った。家から、木陰から、離れたくない。
「俺の名前は知ってるはず。俺はあんたの名前、知ってる。静紅でしょ」
階段の手すりに寄りかかり、私の名前を吐き出した木陰蒼。そのまま後ろに倒れて落ちてくれれば、どれだけ助かるか。姉さんを思い出したばかりで、そんな事願わないけど。
「俺の事は蒼ってでも呼んでくれれば良いよ。ま、口に出して呼ぶ機会があるかどうか」
一方的に話す『蒼』は、こちらの返事は必要最低限だけしか求めていないようだった。頭が良くてやりにくい、私との相性は最低な奴。私と相性が良いのは染さんクラスの馬鹿だから、そりゃあ最低だ。
「一回不法侵入したし、その事は謝るよ」
いかにも後に交渉が出て来そうで、もう本当嫌だ。寒いし。
「単刀直入に聞くけど。美鳥、家出だろ?」
私は蒼に「殺す」と言われるまでは何も反応を示さない事にした。それが肯定と受け取られても、否定と受け取られても。こいつに真実を知る権利なんかない。木陰の兄だなんて、血液と戸籍だけしか頷けないから。
「うーん。何のメリットがあってかくまってるわけ? 俺には全然理解出来ないんだけど」
理解してもらおうなんて、これっぽっちも思ってない。
「まあいいや。じゃー二つ目ね。警察とはどういう関係?」
どうもこうも、何もない。
「口に接着剤でも付いてんの? 超ウケるんだけど」
全然ウケないけど、取り敢えず怖い。狂人染みてる、蒼という男は。
「じゃー三つ目。美鳥返せ」
拳銃が顎に引っ掛けられて、銃口は見事に喉を狙う。ここでやっと、口を開く気が起きた。
「お断りします」
「は? ……ウケる。セイギノミカタ? シュジンコウ? マジ笑えるわ」
それでも、拳銃を持つ蒼の握力は変わらなかった。
「連続放火知ってるだろ? 美鳥で発散出来ないストレスとやらを、泥棒と放火で発散してるわけよ。あんたが美鳥を返してくれさえすれば、これ以上被害増えないけどー」
キ○○イが居るんだと通報しても良いか。こんなところで冷静になってどうする。ますます挑発し兼ねないのに。取り乱せ自分。
「美鳥さえ返してくれたらさ、この先殺す予定の奴の命が救われますと。どう?」
取り乱したいのに、腹まで立ってきた。正しい反応をしてしまっていた。そんな私の葛藤を知ってか知らずか、笑みを深める蒼。
「美鳥返せってのが聞けないんなら、通報するよーってね。俺と一緒に警察行く?」
「結構です」
「……その結構ってのはどっちの意味?」
「通報してくださっても構いませんという事です」
口が勝手に動き、勝手に挑発姿勢に入っていた。もう嫌だこの口。冗談じゃなく接着剤でも買って来ようか。口に殺されるよりマシだ。
けれど私の口は、それなりに好成績だった。
「……ハッ。ウケる。じゃあいいや。こっちはこっちのやり方するから」
好成績が怪しくなった。『やり方』。去って行く蒼の背中を見ても、さっぱり読めない。
回覧板の用事には長過ぎた散歩が終わって、良い案を考えるには短過ぎる夜が始まった。