第八章。夏の夜風を楽しむ露天風呂。湯気にたなびく鼻歌。
広島駅に到着したのは午後9時30分過ぎだった。さすがにこの時間ともなると少々肌寒く感じる。半袖で身震いしている優佳に上着を掛けてやり、古泉の持つ地図を確認しながら路面電車の停留所を探した。
旅館近くまで行く路面電車に乗り込み、3人並んで座る。
「上着、ありがとうございました」
そう言って優佳が上着を渡してきた。たしかに車内じゃいらないな。
「いいってことよ。体冷やさないようにしないとな」
夜の帳を路面電車は駆け抜けていくのであった。
路面電車に揺られること十数分。お目当ての駅に到着した。古泉の案内に従い旅館を目指す。しばらく歩き、街の灯も少なくなってきた辺りに旅館は佇んでいた。ぼんやりとした温かみのある白熱灯に照らされた古風な旅館は、時の流れが止まってるようにさえ見える。
「なかなか良い旅館に見えるな」
最近はビジネスホテルばかりで旅館に泊まる機会がなかった。これは期待できそうな感じがする。畳の匂いを肌に感じつつ夏の広島の夜風に包まれる。パリッとした浴衣なんか着込んで散歩でもしたいもんだ。
チェックインを済ませ、部屋へと向かう。俺と古泉が松の間。優佳が隣の梅の間だ。部屋の隅に荷物をドサリと置き、畳の上にゴロンと横になるとどっと疲れがこみあげてきた。今日一日大変だった。
「大浴場があるみたいですね。行ってみませんか?」
古泉が案内板を見ながら言う。
「温泉か。今日は熱海で入れなかったし行くか」
ちゃっちゃと浴衣に着替え、部屋を出る。温泉はたしかロビーの隣の廊下をまっすぐだったな。一応優佳に声をかけていこうか。
そう思い梅の間のふすまをノックする。しかし全く返事は帰って来なかった。どうせ疲れて寝てしまっているのだろう。風呂上がりにでもまた来てみるか。
「古泉、行こうか」
古泉に声をかけ俺たちは温泉へ向かった。
「あぁ~。風呂は命の洗濯だなぁ!」
湯船に浸かりながら俺はそう言い、二人以外誰もいない露天風呂で景気よく歌を歌い出す。
「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたりっと」
古泉も気持ちよさそうに湯船に浸かっている。やっぱ風呂はいい。一日の疲れが嘘のように感じる。
「愛宕の山に入り残る 月を旅路の友として~」
俺の歌声は夏の広島の夜にこだました。