第四章。暗い過去と勘違い。それはそうと浜松のうなぎはおいしい。
ちょうどいい具合に冷房の効いた車内に三人の笑い声がこだまする。お茶を飲みお菓子をつまみ、楽しい道中のひとときだ。
桂氏とは読書、映画好きという俺の趣味と一致し、楽しく会話が弾む。しかし会話の途切れ目に時折見せる寂しそうな目と僅かなため息がただの一人旅では無いことを物語っている様だった。本人はその行為に気付いてないらしい。俺も気付かないふりをしておくことにした。
ふと、桂氏の鞄から携帯の着信音が聞こえた。しかし本人は会話に夢中で気づかない。
「おじさん。携帯なってるんじゃない?」
俺の一言にはっとした桂氏は、一言断ってデッキに出かけていった。
「あのおっさん、何かありそうだな」
俺がボソっと呟くと、古泉も頷いた。
「そうですね。何か人には言えない事情がありそうですね」
あのため息と目は何かとても辛いことがあったのだろう。思い返してみると俺達との会話も少し無理をして笑っていたような気がする。不謹慎だが、まるでこの後自殺でもしそうな…そんな雰囲気さえも感じた。
「どうしたのでしょうね。こんなことを言ってはダメですが、不況ですし、会社をクビになった、なんてこともあるかもしれないですね」
古泉のその言葉を聞いて、ふと不安が頭をよぎった。リストラになり、家族に告げられず出張を装い一人旅。そして見知らぬ土地でそのまま自殺。そんなことをしようとしてるんじゃないだろうか。
「…おっさん。そんなことしちゃいけないよ!」
そう言って立ち上がると古泉は驚いた顔で俺をみていた。
「どうしました?」
まわりに聞こえないように古泉に耳打ちをする。
「もしかしたらリストラされて自殺しようとしてるかもしれない。独りにしちゃまずいぞ、探しに行こう」
古泉の返事も聞かずに俺は慌てて桂氏が出ていった方向に走りだした。
(おっさん、死ぬなよ…)
そんな俺のテンパった行動を止めようと古泉も後を追うのだった。
「おっさん、早まるな。そんな事をしても誰も喜ばないぞ!」
デッキで電話を終えた様子の桂氏を見た俺はそんなことを叫びつつ駆け寄り、肩をがっしりと掴んだ。
「生きてりゃいいこともあるから、な!」
息を切らせてそう呟く。古泉も後ろからやってきた。
「はい?」
俺のいきなりの行動に桂氏は目を丸くし、驚きの言葉を漏らしていたのだった。
「なるほど。私がリストラされて自殺をすると思ったのですか」
席に戻り事情を説明すると、桂氏は納得して笑い出した。
「いやはや、とんだ勘違いをしてしまって。申し訳ない」
俺も古泉もペコペコと頭を下げて謝る。
「いいんですよ。それよりも、私のことを気にかけてくださってありがとうございます。そうでしたか、ため息が漏れていましたか」
桂氏はそう言うと、何があったかを語りだした。
「数ヶ月ほど前の事です。実は、妻に先立たれまして。亡くなった当初はやれ法事だやれ葬式だでとても忙しく、悲しむ暇も無いほどでした。しかし長年連れ添った妻です。こう何ヶ月か経つと辛さが身にしみてくるようになりました。いつも妻が居る筈の空間がポッカリと空いていて、冷たい椅子にはもう誰も座らない。父と母の仏壇にはもうひとつ新しい遺影が飾ってある。とても辛く悲しい事です。家に居ることが苦痛なのです。だから生前妻が好きで、二人で行った地蔵盆に出かけようと思ったんです。でもダメですね。やはり妻を思いだしてしまう」
桂氏の悲しそうな顔を見て、何も言えなかった。古泉も押し黙っている。しかし、一変して桂氏の表情は笑顔になった。無理をしていない、屈託の無い笑顔。
「ですが、春さん達のお陰で気分が晴れました。あなた方と居ると本当に楽しいです。私のことも気にかけてくれて、本当に嬉しく思いました。いつまでも悲しんでいては妻も安心して天国で暮らせませんよね。私も変わらなくては。春さん、古泉さん。あなた達と出会えて本当によかった。ありがとうございます」
そう言って桂氏は頭を下げる。俺も古泉も驚いて顔を見合わせていた。どうやら俺の早とちりは結果的にはいい方向に働いたらしい。俺のことを気遣って言ってる訳では無いであろう、そのにこやかな笑顔を見て、俺はホッと胸をなでおろした。
「それならよかった。安心したらなんかお腹すいてきちゃったな」
俺の腹の虫がタイミングよく鳴り出した。古泉と桂氏は同時にクスクスと笑い出した。
「そうですね、僕も少し。桂さんはどうですか?」
古泉がそう尋ねると、桂氏の腹の虫も鳴り出した。
「私もみたいですね。」
さっきまでの暗さが嘘のように、俺たちは腹の底から笑いあった。
「次は、浜松。浜松です」
車内アナウンスが鳴り響く。浜松か、うなぎがうまいところだったな。
「古泉、おじさん。うなぎ食いに行こうよ、浜松のうなぎ」
古泉はため息をついて予定表を確認する。
「うなぎは魅力的ですが、そんな時間ないですよ」
二、三本電車を遅らせたところで今日中には広島に辿りつけるはずだ。それならうなぎを食べていきたい。
「そんなに急ぐことも無いだろ。おじさんも大丈夫?」
ニッコリと頷く桂氏。それをみた古泉も諦めたのか、やれやれといった表情でため息をついていた。
「よし、浜松のうなぎを食いに出発!」
俺たちはうなぎ屋を目指し列車を後にした。




