第三十九章。想いは胸を貫き影は姿を消す。
夜の駅前を二人、ふらりふらりと散歩する。何をしゃべるわけでもなく、ただひたすら歩き続けた。立ち止まることなく進む時計の針は、もう午後9時前を指していた。
「私、もうわかっています」
橋に差し掛かった時、急に立ち止まった優佳はそう呟いた。その目には薄く涙が浮かんでいる。
「千春さんが私のことを大事に思っていてくれてるのは、分かります。でも、どうしようもないんですよね。私がどんなにあなたと一緒に居たいと望んでも、現実はそれを拒絶してしまう。それは、わかっています。だけど、わからないんです。私には認めることができない。あなたが傍に居ないことが、考えられない。もう私には無理なんです。あなたが居なければ生きていけない。だからもう…。さよなら」
最後の言葉を放つ瞬間、彼女は川へと身を投げた。目の前で突然消えた恋人を前に俺は何が起きたか理解できなかった。
「優佳!」
頭よりも先に体が動いた。何も考えずに俺は川へと飛び込む。暗がりの水面で必死に優佳を探した。無我夢中に、目に水しぶきがかかることも気にせず探しまわった。水を吸ったジャケットは重苦しく俺の行動を制限し、脱ごうにも脱げなかった。それなりに深い水位のため足はつかない。もし優佳が深みにはまっていたら、そう考えると一刻も早く助けださねばならなかった。
「優佳、何処にいる!」
暗く、光の差し込まない川水面では岩も流木もわからない。捜索は困難を極めた。
彼女は、これほどまでに俺を思い、その思いに己の身を投じた。俺はそれに、答えることはできるのだろうか。答えは、出ない。だけど今は優佳を助けることが俺のなすべき事だ。
「見つけた!」
大きな岩に流れ着いていた優佳を見つけた。どうやら気を失っているらしい。流木でジャケットの肩が破れたことも気にせず、俺は優佳へと泳ぎ続けた。
ようやく彼女の肩を掴む。しっかりと抱きかかえ、近くの岸へ泳ぎだした。気を失い月明かりに照らされたその顔は、蒼く沈んでいた。
「千春さん?」
うっすら意識を取り戻した優佳は、俺の左肩に手を当てた。破れたジャケットからは赤く血が滲んでいた。どうやら流木をこすった時に怪我を負ったらしい。
「ごめんなさい、私、いつも迷惑かけて」
そう言って優佳はまた、目を閉じた。
昨晩泊まったホテルの一室に、俺達は居た。気を失った優佳を外に放置するわけには行かず、この近辺で唯一知っている場所、このホテルに足を運んだのだ。フロントで事情を話し、どうにか少しの間だけ部屋を貸してもらえることになった。
「優佳?」
何度声をかけても彼女は意識を取り戻す気配はない。救急車を呼ぶべきか。とにかく濡れたままでは風邪を引いてしまうので着替えさせることにする。幸いにも彼女のカバンは橋の上に置きっぱなしで濡れておらず、淡い桃色のワンピースに着替えさせた。ついでに俺も着替える。ジャケットの着替えはないので、廊下の奥にあったコインランドリーの乾燥機に突っ込んで乾かすことにした。
「あ、千春さん。私、どうなったんですか?」
部屋に戻ると優佳は目を覚ましていた。ホッとした俺はその場にへたり込んでしまった。
「もう、こんな馬鹿なことしないでくれよ」
そう言って安堵の涙をこぼした。