第三十六章。守るべき温もりを確かに抱いて。限界の峠を越えろ。
周りを畑に囲まれた国道を三人で歩く。車の通りも少なく、遠くの山々を眺めながら静かに流れゆく時間を楽しんでいた。
「やれ電車やれバスでこうやってゆっくり歩いたりする時間も無かったしな。たまにはいいもんだ」
うんと背伸びをしてみる。体中の疲れがとれていく気がした。そんな行動を見た優佳と古泉は笑っている。
「あなたはいつでもおじさん臭いですね」
傾いてきた日は俺達を優しく包み込んでいた。
失敗した、と気づいたのは歩き始めて四十分を過ぎた頃だった。
「なあ、いつになったら着くんだ?」
先程、電車の中でも言った気がする言葉を発した。何もない国道沿いを延々歩き続けているが、一向に到着する気配はなかった。
「もうしばらく歩いて山道に入れば着くはずなんですけどね」
古泉がまじまじと眺めていた地図を取り上げてみる。それは駅等で配られている観光用の簡易マップだった。距離も書いてなければ手書きの地図なので地形も合っているのかすら危うかった。
「お前、これだけを頼りに歩いてたのか?」
目眩がしてきた。こいつを信じた俺が間違っていたな。今から駅に戻るのもつらいしこの先どれくらい歩けばいいかも分からない。まさにお手上げだ。
「私達、これからどうするんですか?」
優佳の不安げな声が岩手の空にこだました。
どうしようもないので、ただひたすら歩き続けた。何時間も歩いた気がしたが、実際はあれから十五分と経っていない。退屈過ぎる時は体感時間を長くさせるな。
「あ、あれじゃないですか?」
疲れきった優佳が最後の力を振り絞るように大きな声をあげる。指差す方向には、山に伸びる一本の道と、琥珀博物館この先、と書かれた看板が見えた。
「ようやくたどり着いたか。さあ、もう一息だ。がんばろう」
ぐったりとしている優佳の肩を抱いてまた歩き始める。たかが数十分とはいえ、歩き続けるのは女の子には辛いだろう。少し休憩させてあげたいところだが、ベンチはおろか座れるような段差も見当たらなかった。
「張り切って行きましょう、ほらほら」
やたらと元気な古泉は、俺たちを置いて勝手に山に向けて歩き出した。趣味にかけるその活動力は何処からでてくるのか一度調べてみたいもんだ。
もう少しで到着できる、と考えていた俺の浅はかな考えはすぐさま打ち砕かれた。曲がりくねった上り道は平坦な一本道よりも体力を大幅に消費させ、足への負担は更に増していく。自分勝手に先に進んでしまった古泉の姿はすでに見えなくなり、俺達に焦りを生じさせた。
「いやぁっ!」
優佳が何度目かの悲鳴をあげた。原因は山の住人、虫である。頻繁に俺達の前に出没するセミや羽虫といった迷惑な来訪者は、現れるたびに優佳に悲鳴をあげさせ、余計な体力を消耗させる。更にそいつらを追い払ったり避けて通るため、かなりのタイムロスになっていた。このままではいつまでたっても古泉に追いつくことはできないだろう。へたり込みそうな優佳を見て、俺は決心した。
「優佳、急がないと。だから背中に乗りな」
しゃがんで背を優佳に向けた。優佳は戸惑いの表情を見せていたが、またしても現れた来訪者に驚き、すがりつくように俺の背に乗った。
「さあ、ゆくぞ」
立ち上がってまた山道を歩き始める。正直俺自身も辛かったが、優佳を放っておけなかった。両手で抱えた足の先には、サンダルの紐によるものであろう痛々しい赤いすじが残っていた。もっと早く気づいていればよかった。靴を履いている俺たちと違い、サンダルを履く事により掛かる足への負担は段違いであるはずだ。
「ごめんな、優佳」
聞こえぬように小さく呟いた。そして彼女を支えている腕に力を入れる。背中に感じる温もりは、俺に歩く力を与えた。