第三十二章。夜明けの使者が告げる鐘の音と共に夢の世界は幕を閉じる。
けたたましく鳴り響く携帯のコールで目を覚ます。ベッドに備え付けてある時計の針は午前七時を指しているところだった。
「はい、もしもし」
昨晩は結局寝たのが明け方だったので、寝不足気味の若干不機嫌な声で電話にでた。
「おはようございます。そろそろ朝食の時間ですので、起きてください」
古泉だ。律儀にも飯の時間に電話してくれたらしい。部屋まで訪ねて来なかったのは奴なりに気を使ったのだろうか。
「ああ、すぐ行くから部屋で待っててくれ」
ぶっきらぼうに返事をして電話を切る。携帯を机の上に置いて起き上がった。
「さて、起きるか」
ベッドから這い出し、洗面所で顔を洗う。鏡で身だしなみを整えるが案の定目の下にクマができていた。
「あれ、千春さん?」
どうやら優佳も起きたらしい。傍に居ない俺を探し呼びかけていた。
「おはよう。俺はここにいるよ」
普段着に着替え終わり、洗面所から出ると優佳はすぐさま駆け寄って俺に抱きついてきた。
「おはよう。ぎゅーっ」
自分で抱きついた時の効果音を言っているあたりがとても可愛い。俺も愛すべき恋人を抱きしめた。指に吸い付くような白く美しい肌を両手に感じ、幸せな気持ちになる。今、俺の手の中にいるのは、紛れもなく俺の恋人であるのだ。
「ねえ、おはようのキスは?。してくれないの?」
そんなことを言っている。上目遣いで求められたら断れるわけないだろう。
「愛しているよ、優佳」
薄ピンク色の唇にそっと口づけする。ゆっくり顔を離そうとすると、後頭部を抑えられ唇を押し付けられる。
「もうちょっと、いいでしょ?」
昨晩の出来事を経て優佳は大胆になっていた。自分の気持ちに素直になると決めたのだろうか。俺もそれに答えることにする。
「ああ、いいとも」
しばらくの間、俺達はフレンチ・キスを交わし、お互いの愛を感じあっていた。
「いい加減早くしてくださいよ。僕、お腹が空いてしまいました」
不意にドアが開いた。予期せぬ来客に俺は対処することができない。少し不機嫌そうに入ってきた古泉の目には、抱き合って口づけを交わす俺達が映っていた。
「えっと、早く用意してくださいね。お腹空いているんですから。部屋の外で待っていますね」
一瞬動揺したように見えたが、早口でそう言うとすぐさま部屋を出ていってしまった。優佳も今の出来事に目を丸くしている。
「とっとと用意して行こうか」
白けてしまった空気の中、そう呟いた。
「はい。私、着替えちゃいますね」
優佳も急な来客の事には何も触れず、俺から離れる。そして着崩れしていた浴衣を俺の目の前で脱ぎ捨てた。
「あ、っと。俺外で待ってるわ」
さすがに恋人同士とは言え恥ずかしい。逃げるように部屋から飛び出した。
「古泉…」
そこには廊下の壁に腕を組んでもたれかかる古泉が立っていた。
「どういうことですか?」
静かに古泉は問いただした。
「いや、うん。君の想像の通りだとおもうよ」
肩身が狭い。さすがに言い訳はできなさそうだ。
「なるほど。僕には不純異性交遊をしているように見えましたが、間違い無いですね?」
不純異性交遊って、中学生かよ。
「まぁ、はい」
しかし反論はできない。明らかに劣勢だった。
「まったく、旅先で女の子に手を出すなんて。とんだプレイボーイですね」
お前はいちいち表現が古いな。だが、本当に何も言えない状況だ。事実俺は旅先で女の子に手を出してしまったのだから。
「薄々はお二人の気持ちに感づいては居ましたが、軽い気持ちで手を出してしまった、ということではないんですか?」
そんなことは断じてない。俺は、優佳の気持ちにきちんと答えたつもりだ。
「そんなことはない。俺は、優佳を愛しているんだよ」
古泉の顔が穏やかになった。そして笑い出す。
「それならいいんですよ。しかし、そんな恥ずかしいセリフよく言えますね」
よくよく考えれば確かに恥ずかしい。なんてことを言ってるんだ俺は。
「でも、その真っ直ぐな気持ちが聞ければ満足です。それに僕がどうこう言う問題じゃないですしね」
早朝の廊下で俺たちは笑いあった。