第十六章。トンネルを抜けた先の常闇の中に。
固く閉ざされた門を揺らしてみるが、ガチャガチャと嫌な音がするだけで一向に開く気配はない。どうやらここからの脱出は不可能そうだ。警備の巡回も見当たらず、管理人が居そうな建物も周りにない。本当に夜になると誰もいなくなるような墓地だったらしい。先程から恐怖のあまり固まっている優佳を連れ、高いコンクリートの塀の周りをぐるりと一週してみる。だが俺の期待とは裏腹に、別の出入口は見当たらなかった。
「優佳、大丈夫か?」
首を思い切り横に振る。気絶でもしてしまうのではないかと思うくらい顔面蒼白であった。
「怖いのもあるけど、ほら、時間とかさ。これからどうする予定だったの?」
親戚の話は嘘と言ってたからな。またもや行く宛はないのだろうか。
「あ、えっと…。大丈夫です、はい。どうせ行く宛もないですから」
優佳は寂しそうな目をしながら苦笑した。
「おやじさんの親戚はいないの?。実家広島なんだろう?」
親戚の家があるなら金を借りるなり一晩泊まるなりできるだろう。それに母親だって心配してるだろうしな。
「父の実家はもう引っ越してしまいました。随分と前に九州のほうに。ただ、先祖から続くお墓だけが広島に残っていて、だから、行く宛なんてないんです」
俺はしばらく黙って考えて、結論を出した。
「なら、一緒に行くか。俺たちもこれから岩手まで行くんだ。古泉の希望でな。だから優佳も一緒に来い。岩手まで一緒に帰ろう」
そう言って優しく抱きしめた。優佳は少し考え込んでいたようだが、涙声で、だが嬉しそうに、はい。と返事をした。岩手まで一人追加か。やれやれ、自分で誘ったとはいえ、金がいくらあっても足りやしない。冬のバイトを増やさなくてはな。携帯を取り出して連絡する。
「古泉、今どこにいる?まだ墓地の近くにいるか?」
電話向こうの古泉はノイズと共に申し訳なさそうな声を出した。
「すみません。すでに市街地です。何かあったのですか?」
肝心なときに役に立たない奴だ。
「実は、墓地に閉じ込められてしまってな。誰もいなくて出られないんだよ」
助けに来れるなら助けに来て欲しいものだ。
「なるほどですね。どうしましょうか、警察でも呼びますか?」
警察は勘弁してほしい。上手く出られても色々聞かれてバスを逃しそうな気がする。
「いや、警察はいいや。あと、すまないがバスの席を…」
また、俺の言葉を古泉が遮る。
「もう一人分追加、ですよね。わかってますよ。では今から予約に行きますので、あなた方は十時までには広島駅前に着くようにがんばって脱出を試みてください。どうしてもダメなようならまた連絡をください」
わかってるじゃないか。だが、俺たちが出られない事に関しては放ったらかしなんだな。
「大丈夫、あなたならできますよ」
古泉は投げやりに言って電話を切った。やれやれだ。
「あの、ほんとにありがとうございます」
電話の後、優佳は俺にしがみつきながらそういった。
「いいんだよ。優佳のためなら何だってするさ」
一度男が守ると決めたんだ。なら最後まで守り通さなくてはな。
「それよりも、ここをどう脱出するか、だ。今は午後七時。待ち合わせは午後十時で、出られたとしてここから駅までは歩いても二十分弱といったところか。九時半までにここをどうにか脱出すれば間に合いそうだな。さて、どう脱出するか考えようぜ」
出入口近くまで戻ってきた俺たちは、側にあるベンチに腰掛けた。鍵はあかない。塀はよじ登れそうにない。他に出入口も無いし、どうしたもんかな。
「そうだ!。棒高跳びみたいに卒塔婆使って塀を乗り越えるのはどうですか?」
いかにも自信満々、と言った顔で優佳が案を出す。いや、どうですかって。
「ダメだろ。罰当たりな。幽霊が怒って化けて出てくるぞ。それに耐久性が足りないだろ」
幽霊という言葉に反応したのか優佳はビクリとして、やっぱ取り消します。と言った。
「じゃあ!蝋燭台二本もって、尖ったところ壁にさして登るのは?」
またまたおかしな案が飛び出してきた。人間恐怖に支配されるとこうも冷静さを失うのだろうか。
「却下。なんでお前はそう罰当たりなことばっか考えるんだよ。それにあの蝋燭台は外れません」
優佳はまた落ち込んだ。そんな優佳の姿がとても愛おしく、クスリと笑いながらまた、肩を抱き寄せた。
いい案が思い浮かばないまま七時半を過ぎた。もう一度出入口はないかと塀の周りを歩くことにする。
「どうしましょう。早くこんなところ出たいんですけど」
俺だってそうだ。夜の墓地に長居したいもんじゃない。
「あれ、なんでしょうか」
優佳がふと塀の先を指さした。ブロック塀の下のほう、雑草に隠れているが、何やら黒くなっている。
「近づいてみよう。出られる手がかりがあるかも知れない」
近寄ってみると幸運なことにそれは穴だった。劣化によって出来たものなのだろうか、人が一人通れるくらいの小さな穴が、ブロック塀の下の部分にぽっかりと空いている。先程は暗闇と雑草に隠れて見えなかったみたいだ。
「ここから、出られそうだな」
穴を覗きこんでみると外の道路が見えた。ようやくこの空間からおさらばできそうだった。
「先に俺が行って向こうの様子をみてくる。車が急に来たりしたら危ないからな」
俺はそう言って優佳の身体から手を離した。急に不安げになる優佳。
「大丈夫。何かあったら守るから」
笑顔で言い残し、俺は穴の中へ潜った。
「失敗だったな」
穴を抜けた俺の第一声はそれだった。予測はしていたが、案の定雑草の影に隠れていた穴は泥だらけだった。しかも少し泥濘んでいる。服はなんとか被害を最小限に抑えたが、顔や手は泥だらけになってしまった。
「優佳、来ていいぞ。結構泥だらけだから出るとき気をつけてな」
塀の向こう側に叫ぶ。少しして返事があり、ガサゴソと音がした。だがすぐにベチャっという嫌な音も聞こえてきた。
「おーい。大丈夫か?」
心配になって声をかけると、穴の中から顔が真っ黒の「何か」が這い出してきた。
「うぉうっ!」
驚き後ろに後退る。しかしよくよく見るとその黒い「何か」は優佳であった。どうやら顔からぬかるみに突っ込んだらしい。顔も髪も泥まみれだった。
「…」
無言だった。しかしその顔が何よりも雄弁に語っていた。幸い見たところ服の汚れはひどくは無いみたいだ。
「何処かで顔洗おうか」
何処かに水道でもないだろうか。優佳に手を差し伸べながら辺りを見回す。
「むしろシャワーを浴びたいくらいです」
優佳はムスッとしながら立ち上がった。
残念なことに近くに水道はない。どうもここは路地裏らしく、人通りも無いため誰かに水道の場所を聞くこともかなわなかった。まぁ、こんな泥だらけな姿はあまり見られたくないがな。
「早くシャワー浴びたい」
優佳はムスッとしながら後をついてくる。でもシャワーは無理だろう。良くて水道で顔を洗うくらいだ。
しばらく歩いていると辺りが妙に明るいことに気づいた。
「ここは…」
路地を抜けると、その灯りの正体が分かった。ネオンだ。ここはネオン街なのだ。
「早く、シャワー」
優佳はますます不機嫌そうだ。こんなところにいる恥ずかしさと、優佳を早く水道まで連れていきたい一心で、足早にネオン街を抜けようとした。だが、俺達の歩いた先は行き止まりだった。そしてその行き止まりの先にそびえ建つものは、まばゆいばかりのネオンが煌めき、その輝かしい外見とは裏腹に、入り口は厚手のカーテンで閉ざし、内部の一切を隠し通す不夜城。ホテルだった。
「ここならシャワーがあるだろうが、まさかな」
優佳の方をチラリと見ると、ホテルの壁に書かれた「七色バブルバス完備」という謳い文句に見とれていた。
「シャワー。浴びたいです」
ムスッとしながらも上目遣いで見つめてくる。俺は冷や汗を流すしか無かった。