第十五章。暗闇で確かめ合う温もり。行きはよいよい帰りは怖い。
夏だというのにまるで秋のような涼しげな風が吹く夜闇に、俺達は立っている。
「少し遅いですね」
古泉が心配そうに言う。確かに優佳が墓地に向かってからかれこれ三十分以上が経過している。日も落ちたし少し心配だ。
「ちょっと俺、様子みてくるわ」
本来なら行くべきではないのだろうが、こうも暗いと何かと危ない。古泉にそう告げて俺は墓地へと向かった。
街灯一つない墓地の中は、月明かりだけが照らす空間になっていた。
「優佳はどこにいるんだ」
墓地というのは夜に来てあまり気分の良いものではない。早急に優佳を探す。街路のようにきっちりと区画分けされた墓地の中を携帯の灯りを頼りにウロウロと歩き回っていると、古ぼけた小さい墓石の前にしゃがみこむ人影を見つけた。
「こんなところにいたか」
近づくとやはり人影は優佳だった。しゃがみこんで目を閉じているためか、俺の接近には気づいていない様子だった。
「優佳、優佳。迎えに来たよ」
俺の言葉に気が付き顔をあげる。俺の顔をみると彼女はとても可愛らしい笑みを浮かべた。
「お父さんとの話、終わったかい?」
その問いに優佳は、はい。と頷いた。
「今まで話したかったこと、いっぱい話せました。私のこと、学校のこと、お母さんのこと、お父さんへの思い、そして千春さんのことも。」
俺のことまで話したのか。一体何の話をしたのだろうか。
「なら、俺も挨拶しないとな。こんばんは、優佳のおやじさん」
俺は墓前に手を合わせ目を閉じてお辞儀をした。しばらくすると、服の裾を引っ張られる感覚があった。その方向をみると優佳が少し不安げにこちらを見ている。
「ねえ、千春さん。何だか辺りが真っ暗じゃないですか?」
どうやら暗くなったことも気づかずにいたらしい。なんというか、少し抜けすぎていないだろうか。
「あぁ、だから心配になって見に来たんだよ。そろそろ行こう。お腹も空いたしな」
そう言って優佳が持ってきたであろう桶と柄杓を手にとった。優佳は自分で持とうとしたが、俺はそれを制止して、優佳の手を握った。
「大丈夫。行こうか」
ニコリと微笑んで言うと、優佳は小さく頷いた。そして握っている手を離し、腕にしがみついてきた。一瞬ドキッとして優佳の方をみる。彼女はうつむきながら小さく呟いた。
「すみません。夜の墓地怖いです。結構怖いです」
その身体は微かに震えていた。なんというか、やれやれだ。
「俺が居るから平気だよ。怖いなら早く戻ろう。そして爪を立てないでくれ、痛いんだ」
優佳は謝りながら手を離した。俺は苦笑しつつも優佳の頭を撫でて、今度は肩を抱き寄せた。
「まだ怖いか?」
優佳は首を小さく横にふりつつも、
「少し」
と小声で言った。やれやれだ。
優佳の居た場所は出入口から結構離れた場所だった。怯える優佳の肩を抱きつつ出入口を目指した。途中にあった水道近くの棚に桶と柄杓を置く。
「カシャーン」
遠くで何かの音がした。その音に優佳はまた怯え、身体を硬直させる。その姿はなんとなく小動物に見えた。
「そんなに怖いか?」
俺の問いに優佳はものすごい勢いで頷く。よほど余裕が無いのだろう。
「幽霊とかすごく怖いです。もう本当に怖いです。もしお父さんが幽霊になって私に逢いに来たとしても嫌です。そんな風に私を怖がらせたお父さんをきっと恨みます」
親父さん可哀想にな。せっかく娘に会いに来たのに恨まれちゃたまったもんじゃないだろう。
「そうか、そんなにか。なら早いとこでよう」
先に進もうとしたが優佳が動かない。おかしく思って優佳の顔を覗きこむと目尻に涙を浮かべながら見つめてきた。
「ごめんなさい。怖くて動けなくなっちゃって」
優佳の身体は夜闇の中でもわかるほど震えていた。よほど怖いんだろう。
「俺はどうすりゃいいよ?」
優佳はしばらく考え込んでいたが、小さく聞き取りにくい声で呟いた。
「抱きしめて、ください。強く。そうすれば動けるかも、です」
少し躊躇する。俺だって恥ずかしいんだぞ。しかしこのまま放おっておくわけにもいかない。
「ほら、落ち着くか?」
優佳を強く抱きしめる。優佳もそれに応じて俺を抱きしめてきた。
「ありがとうございます。少し落ち着きました。でも、もう少しこのままで…」
そう言い俺の胸に顔を押し付ける。俺も答えるようにさらに抱きしめた。
どのくらい時間がたっただろうか。お互いに抱き合ったまま墓地の中で立ち尽くしている光景は傍から見れば異様なものだっただろう。不謹慎極まりない。夜でよかったと心から思った。
「もう大丈夫です。行きましょう」
優佳は満足したのか俺から離れた。俺も出入口に向かって歩き出そうとすると、優佳は小脇にしがみついてきて、また肩を抱きながら歩くように催促してくる。
「はいはい」
俺は優佳の肩を抱き寄せ、歩き始めた。
墓地の出入口に到達すると、違和感を覚えた。なんだろう、入るときには無かったものがあるような、そんな気がする。少ししてその違和感に気づいた。門である。固く閉ざされた門には大きな南京錠がかかっている。どうやら先程の物音は門を閉めた音だったのだろう。園内に人がいるかどうかくらい確認してからしめてほしいものだ。辺りの塀を見回してもそれなりに高く、よじ登れそうにない。
「どうしよう?」
不安げに小脇にしがみついている優佳を強めに抱き寄せ、ため息をつく。
「やれやれだ」
墓地からまだ出られそうにない。