第十一章。木陰の間に覗くドームに募る想い。
「今日は気温も湿度も低く、秋のように過ごしやすい気候らしいですよ」
旅館近くの原爆ドームへ歩をすすめつつ古泉がそう言う。直射日光が照りつけているからあまり感じなかったが、確かに蒸し暑くジメジメとした夏独特の不快感は感じなかった。
「そりゃありがたい。観光にはうってつけだな」
少し先の方で地図を真剣に見ながら歩いている優佳は時折人にぶつかりそうになっている。危なくて見ていられない。
「見えてきたよー!」
優佳がそう叫んだ。彼女の指差す方向には崩れかけの建物の上部であるドーム部分がちらりと木の影からのぞいていた。あれが原爆ドームか。
「原爆ドーム。昔は広島県物産陳列館と呼ばれていた建物です。チェコの建築家のヤン・レツルによる設計で、1945年の8月6日午前8時15分17秒にアメリカ軍爆撃機B-29が原子爆弾を落とし、今の形になったそうです」
古泉がつらつらと俺に解説しだした。
「随分と詳しいんだな。どうせ観光マップに書いてあったんだろう?」
俺がいやらしく笑うと古泉はそっぽを向き、
「えぇ、まぁ」
と、小声で呟いた。面白いやつだ、まったく。
「原爆ドームか」
俺達が生まれるずっと昔、日本が戦争をしてうけた傷跡。この地がどれほどの被害にあったかを物語る建物だ。平和な時代に暮らしている俺たちには全く想像もつかないような事がこの地であったのだろう。俺は一瞬、古泉や優佳の事を忘れてドーム状の屋根を見つめていた。
「大きい建物だねー」
原爆ドームの間近に来た優佳が放った第一声だった。近くに設置されている解説の看板など見向きもせず建物の迫力に見とれていた。
「少しは説明書きみてみろよな」
俺が苦笑しながら言うと優佳はこちらを振り返り、
「原爆ドームは昔、広島物産陳列館と呼ばれていて、チェコの建築家、ヤン・レツルによる設計で建てられた建物です。ドームまでの高さは25メートル。ネオ・バロック方式の建築法に、ゼツェッション風の装飾が施されています。1945年8月6日にアメリカの爆撃機によって落とされた原子爆弾により建物は半壊、後に原爆ドームと呼ばれるようになり、今では世界遺産に登録されています。どう?」
してやったり、という顔をして俺を見つめていた。
「それはパンフレットか何かの情報か?」
少し驚きつつも聞き返すと、むくれた顔になる。
「失礼な。このくらい一般常識です。私、勉強はちゃんとできる子だもん」
感心だ。付け焼刃の古泉とは大違いだ。
「それはすまなかった。なぁ、古泉」
そう言って視線を向けた古泉は苦笑するしかなかった。
しばらく辺りを見て回っていると優佳が景色のいい場所を見つけた。川向うに原爆ドームが見え、夏の川水面を太陽が照らし、原爆ドームは輝いている。
「ここで記念撮影しようよ」
優佳がそうせがんで来た。しかしここで「記念」撮影とはどうなのだろう。
「そうですね、綺麗な景色ですし、ですが、どうなのでしょう」
古泉も疑問を浮かべている。
「まぁ、いいんじゃないかな。俺達がここに来たという証を残すのも悪くないと思うぞ」
そう言って俺はカバンから小さなフィルムカメラを取り出して近くの橋桁の上に置いた。ピントは合っている。ここなら上手くドームと人が入りそうだ。
「じゃあ、セルフタイマーにするからな。10秒後に撮影だよ」
俺はそう言ってセルフタイマーのボタンを押し、優佳の横に並んだ。10秒後、パチリとシャッターの切れる音がする。きっとここでこの面子で撮れる最後の記念写真だろう。そう考えると少しさみしくなった。