第十章。親しくなれば想いも変わる。青春の悩みは堂々巡り。
午前5時半過ぎ、俺は独り露天風呂に居た。昨晩はあのあと優佳と別れ寝床についたが、色々と頭の中を駆け巡り、寝るどころの騷ぎじゃなかった。
「ったく。今更眠くなっても寝れないだろうが」
風呂に入って温まった体には容赦なく睡魔が襲いかかる。こんなとこで寝て溺れたら大変だ。仕方なく俺は風呂から上がり、傍にあるベンチに腰掛けた。
(頼ってもいいですか?)
昨晩の優佳の顔が頭から離れない。あの涙を浮かべた顔を、あの華奢な身体を、俺が守らなくてはいけない。そんな事を考えていた。あって間もない少女だというのに。
「好きに、なってしまったのか?」
昔から多少惚れっぽい性格ではあったが、こうも簡単に恋に落ちてしまうのだろうか。
「まさか、な」
そんな思考を押し殺し、何も考えないことにした。惚れるはずがない。例え惚れてしまっても、この先に待つのは別れだけだ。いつもどおり接していればいいさ。
自分で自分を納得させ、俺は風呂から上がった。
(さて、どうしたもんかな)
俺は部屋の中で悩んでいた。古泉は楽しそうに広島観光マップを凝視している。
「原爆ドームもいいですね。そして安芸の宮島も。もちろん広電本社前はかかせませんね」
ブツブツ言いながらにやけている。傍から見たらただの変質者にしか見えないだろう。
「おや」
古泉がふとこちらを向き話しかけてきた。
「何を思いつめて悩んでいるんです?それでは変質者にしか見えませんよ」
お前に言われたくない。
「いや、なんでもないさ。ところで、行く場所は決まったのか?」
話をそらすと古泉は少し曇った顔をしたが、すぐににこやかな顔に変わり、色々と語り出した。
「まずですね、ここからすぐの原爆ドームを見に行きまして、近くの駅から路面電車で広電本社前駅まで行きます。そこで観光する予定です。お昼もここで食べましょう」
普段の落ち着いた態度からは想像できないほど無邪気に話している。可愛いもんだ。
「む。広電本社って何かあるのか」
ただの会社じゃないのだろうか。
「広電本社に行く事が今回の旅行の目的ですよ。そこにスタンプ台があります。お昼ごはんは近くのお好み焼き屋さんです。これも漫画に出てきたところですよ」
なるほどな。そこに行かなきゃわざわざ広島まで来た意味は無いってことか。
「僕、八神さんに日程伝えてきますね。親戚の家に行くまで時間があるなら、一緒に観光したいですし」
そう言って古泉は足早に部屋から出ていった。
「さて、本当にどうしたもんかなぁ」
俺の悩みは頂点に達していた。
「そろそろ行きますよ」
古泉に急かされ俺は荷物をまとめてチェックアウトした。
「八神さんは夕方に親戚の家に行けばいいとの事なので、日中は僕らと一緒に行動するみたいです」
事情をしらない古泉はそんなことを言っている。一方俺は、優佳への接し方や優佳をこれからどうするかと色々悩みの種はつきなかった。親戚の家も嘘だろうし。父親の実家に本当に泊めてもらうのだろうか。それなら心配はいらないんだが、もしそうでなければまた広島で無一文の野宿をしかねないからな。そもそも優佳も今まで通りに俺と接してくれるんだろうか。
「あ、来ましたね」
古泉の目線の先には慌てて旅館から出てくる優佳の姿があった。
「おくれてすみません。手間取っちゃって」
慌てすぎたのかボサボサの髪を風になびかせながら優佳は言った。昨晩あんなことがあった後だと意識しないでいろと言う方が難しい。
「いえ、大丈夫ですよ。僕達も今出てきたところです。これ、八神さんの分ですよ、どうぞ」
古泉は優佳に観光マップを一部渡した。ありがとうございます。とお礼をいう優佳。
「あぁ、おはよう」
何を言っていいのかわからずついぶっきらぼうに挨拶をしてしまった。優佳はきょとんとしたが、すぐに笑顔になり、
「おはようございます。ほらほら、早く行きましょう。」
と、俺の腕を掴んでさっそうと歩き出した。
「え、あぁ」
びっくりしてそんな声がでた。優佳は俺の手を離すと駆け足で目の前の路地まで走って行き、こちらを振り向いてニッコリと笑った。
「彼女、何か吹っ切れたみたいですね。」
古泉の言葉に俺も頷いた。どうやら俺の心配事は杞憂に終わったらしい。散々悩んでいた自分が馬鹿みたいだ。
「よっし、じゃあ広島観光に繰り出すとしますか」
俺は笑いながら優佳のあとを歩いて追いかけた。