表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

後編

『俺の親父はひきこもり』の後篇です。

前篇を読んでから、どうぞ。

夏の空は、夜なのに、少しだけ明るかった。星と月が空に浮かんでいた。

黄色と称した方がいいのか、白と称した方がいいのか分からない光が夜道を照らす。

綺麗だな、と純粋に思った。

 静かな風が吹いた。生ぬるい風。

それが、俺たちの髪を揺らす。

「夜なのに、暑いね」

「そうだな」

「夜なんだから、もう少し涼しくなっておけって感じだよな」

「健、そんな所にまで文句を付けるな」

「そうそう。もう少ししたら、涼しくなるんだ。今のうちに暑い夏をエンジョイしておけよ」

 俺たちは他愛ない話をしながら、夜道を歩いて行く。

田舎だから街灯が少ないが、月の光があったので、平気だった。

 ふいに、健也が真面目な声を出す。

「なんかさ、家族って、不思議じゃねぇ?」

「何だよ?突然」

「ん…なんとなく、な。さっきの続き?」

「健ちゃん、…どこが不思議なの?」

「だってさ、友だちとかって選べるじゃん。自分に合う奴をさ」

「そうだな」

「でもさ、家族ってさ、気付いた時には家族で、合うとか合わないとか関係なしに一緒にいるだろう?」

「そう言えば、そうかもしれないな。…言われるまで、考えもしなかったけど」

 勇也の言葉に、俺は頷く。

 友だち関係は、よく考えるのに。

こいつとは合うとか、あいつは苦手とか。

けど、家族は、一緒にいるのが当たり前で、当たり前すぎて、「考える」っていう発想すらなかった気がする。

「けどさ、なんか、それって変だよね?たとえ、血がつながってても、一生懸命育ててもらったとしても、合わないってことはあるわけでしょう?俺と父さんと母さんは別の人間なんだからさ。なのに、どうして、家族は、仲がいいとか、大切にしなきゃいけないとかが、そう言うことが当たり前になってて、そうしてないといけないみたいな感じになっているんだろうね」

 和也の言葉をしっかり聞きながら、俺は頭の片隅で、「俺たちには、至極似あわない話だな」と思った。

けれど、俺は、親父がひきこもって、初めて、「家族」というものを意識した気がする。きっと、そうでもしなきゃ、後何年も「家族」なんてもんを改めて意識することはなかっただろう。

俺や兄貴の結婚とか、親の介護とか、きっとそういうちょっと特別なことがない限り意識することなんかないんだ、家族なんて。

でも、俺は今回の件で、色々考えさせられた。

俺には、最強の母さんがいて、よく分かんない兄貴がいて、ひきこもっている親父がいて。

それが全て家族で。

でも、きっと、俺には、この「家族」と一緒にいる自由も、見捨てる自由もあるだろう、と思う。

和也の言う通り、たとえ血がつながっていても、合う、合わないはあると思うから。

大切にするのも、そうしないのも、きっと俺の自由なんじゃないだろうか。

けれど、俺は、家族を大切にしたくないとは思わない。俺に、親父や母さんや兄貴が合うか、と聞かれたら、「合わない」って応える気がするのに。

それでも、きっと、俺は、家族を大切にしたいと考えるんだと思うんだ。

…よく分からねぇな。

そんなことを思っていたら、勇也が、俺の気持ちを代弁するように、言葉を紡いでくれた。

「『家族だから』じゃ、ないと思うけどな」

「…?どういう意味だ?」

「『家族だから』、じゃなくて、『あいつらだから』、一緒にいるし、大切にするんだと思うんだ。少なくとも俺は。…俺の弟も、妹もわがままで、生意気で、本当にむかついて、なんで、こいつらと一緒にいなきゃいけねぇんだって思うことしょっちゅうだけどさ。弟は生意気だけど、ちゃんと『ありがとう』って言葉を伝えられる奴だし、妹はわがままだけど、草や花、動物を大切にできる。…あいつらには、あいつらなりのいい所があって、俺はそれがあるから、あいつらの兄をやっているんだと思う」

「『家族だから』、じゃなくて、『好きだから』ってこと?」

「ああ」

「…そうかもしれないな」

俺の口から、自然とそんな言葉が出た。

「……家族って、一緒にいる時間が長いから、嫌な所も、見放題だけど、それと同じくらい、いい所も見放題なんだよ。でさ、そういう所をちゃんと分かっているから、『家族』っていうのは、仲が良くて、大切にしようって思える存在なんじゃないか?」

「合うとか合わないとか、きっとそういうのって絶対あると思うんだよね。…でもさ、一緒にいる時間が長いから、合わなくても、『好き』になれるのかもしれないね。そういうのを家族って言うのかも」

「…そうかもしれねぇな。俺も、あんな姉ちゃんたちだけど、嫌な所と同じくらい、ちゃんといい所知ってるし。」

「ま、世の中にはそれでも、『嫌い』もいっぱいあるんだろうけどね。でも、きっと俺たちは、そうなんだろうね。沢くんも、健ちゃんも、勇くんも、もちろん俺も、なんだかんだ言いながら、合わないなりに、家族が大好きなんだよね、きっと」

「…さっきさ、沢も、こういうことが言いたかったんだろ?沢のおじさんは、『家族だから』一緒にいると思ってるけど、本当は、『おじさんだから』一緒にいるのに、って」

「…たぶん、そうかも。そこまで、深く考えてたわけじゃねぇけどな」

「しかし、あれだな。クサいな、勇也。相変わらず」

 健也が声を出して、笑う。

せっかくのいい雰囲気に水を差した。

とか言う俺もつられて笑ったんだけど。

やっぱ、クサいじゃん、勇也。

和也は「笑っちゃだめだよ」と俺たちに言うが、その顔も笑っていた。だから、俺も健也もさらに大きな声を出した。

真面目だった雰囲気が一気に解かれる。

やっぱ、こんなアホな空気の方が、俺たちっぽい。

よく見てみると、勇也の顔が赤くなっている。

恥ずかしいのか、怒っているのか。…たぶん、両方だな。

「な!俺、ちょっと、いいこと言っただろうがよ!」

「それがクサいんだろうが」

「ってか、和も健もつられてクサいこと言ってただろうが」

「あ、自分がクサいこと言ってたことは認めるんだね、勇くん」

「…もう、いいよ。なんだよ、せっかく俺が…」

 勇也が何かブツブツ言っていたが、俺たち三人の笑い声が完全に打ち消していた。

まず、三対一で勝てる筈がない。

しかも、クサいって自分で認めたから、もう勝ち目はない。

あきらめろ、勇也。

あ~腹痛ぇ。

「もう、いいだろうが!笑うの止めろよ!!しまいには、キレるぞ?」

「いいじゃん。勇くんも、笑いなよ」

 そう言って、和也が勇也の脇をくすぐり始める。

「ちょっ、やめ…くすぐったい。…ざけんなよ!」

 勇也も手を伸ばし、和也の脇をくすぐった。

和也は脇が弱いのか、笑いこけている。

「健ちゃん…ヘルプ」

 苦しそうな声で必死の懇願。

けれど、健也は言われるまでもなく、すでに参戦していた。

 健也の手が勇也の脇に伸びる。

面白そうなので、俺も参戦してみた。

笑いながら、一番近くにいた奴の脇をくすぐる。

四人で、追いかけ回し、四人で、笑い転げた。

 あ~、高二の男子四人が、道のど真ん中で、何をやってるんだろう?

やばい、変な人だ。

バカだな、俺たち。

でも、楽しいから、いいや。うん。

なんたって、「楽しいこと」の味方だからな。


 数分後、俺たち四人は、地べたに座り込み、自分の腹を押さえていた。

 負けず嫌いが揃うと、終わりが見えないから、質が悪い。

「もう、無理。笑いすぎて、腹痛ぇ」

「和くんのせいだからな」

「え~俺のせい?もとはと言えば、勇くんのせいでしょう?」

「いや、俺より、元凶は、沢だろう?」

 このまま、話していたら、また同じことを繰り返すことは目に見えていた。

だから、俺は一人立ち上がる。

服に着いた、砂を落とし言った。

「もういいから。そろそろ、帰るぞ」

 俺の言葉に三人もゆっくり立ち上がる。

「なんかさ、…何がいいか分かんないけど、こういうのって、いいね」

 和也の言葉に、俺も健也も勇也も笑って頷いた。

 空を見上げると、当たり前のように月が、綺麗に輝いていた。

月の大きさから見て、明日が満月だろう。

明日の夜は、月を見て寝よう、なんて、俺は柄にもなく思った。



 俺が家に着いた頃には、時計は九時を回っていた。

それぞれが自室にこもっているのか、家の中は暗かった。

けれど、たぶん帰ってくる俺のために、玄関の明かりだけが付いている。

「ただいま」

返事を期待せず言った言葉だったが、ちゃんと返事が返ってきた。

「おかえり」

 玄関が開く音を聞きつけた母さんが、笑顔で出迎えてくれる。

俺は、少しだけ、迷って、小さな声で聞いた。

「…親父は?」

家に帰ったら、無理やりにでも部屋をこじ開けて、ぶん殴ってやろうと思っていた。

けれど、母さんの顔を見ると、それはできない気がした。

きっと、無理やりこじ開けるのでは意味がないんだと思う。

「辰徳さんなら、もう寝たよ」

 って、早っ!まだ九時だっつーの。

「そ」

「辰徳さんに何か用だったの?」

「別に」

「そう。…だったら、明日話せばいいわ。全部ぶちまけて、すっきりしちゃいなさい。辰徳さんならちゃんと聞いてくれるから」

 何も言っていないのに、母さんは全部分かっているみたいだ。やっぱり、敵わないな、と思ってしまう。

 俺は口には出さなかったが、首を縦に振り、肯定の意を示した。

「お風呂入って、洋一も早く寝なさいね」

 だから、まだ、九時だっつーの。

俺は小学生か!



 次の日。

俺は、親父の寝室の扉の前に立っていた。

ちなみに、この部屋を追い出された母さんは、客間を使っている。あの母さんを追い出すなんて、親父も、いい度胸してるぜ。

 今日は、日曜日。

だから、母さんも兄貴も家にいる。

ま、兄貴の場合休みは不定期だから、日曜日だから休みなわけではないし、そもそも母さんは専業主婦だから、日曜日とか関係ないんだけど。

でもさ、日曜日に家族が揃ってるって、なんかよくないか?

そう思って、日曜日に決行するわけではないけれど。

俺は一人で、扉の前に立った。

 一度深く息を吸い、吐きだす。そして声を出した。

「…なあ、親父」

 扉一枚隔てた中へ聞こえる程度の声。この声の大きさなら、居間にいる母さんや兄貴にも聞こえているかもしれない。

けれど、それでいいんだ。

きっと、言葉や態度に出さないだけで、二人も俺と同じ思いだから。親父とちゃんと向き合いたいと思っている筈だ。

「沢くん?どうしたの?」

少しだけ、眠そうな声。昨日、九時に寝てたくせに。

「…話をしようと思って」

「本当に?お父さん嬉しいな。亜季ちゃんや満くんは毎日来てくれたけど、沢くんは来てくれないんだもん」

 俺の低い声とは正反対に親父の声は明るい。

それに無性に腹が立った。

俺を強めに、扉を叩く。ドンという音が響いた。

「ど、どうしたの?」

 驚いた親父の声。

でも、今の俺は、親父の気持ちを推し量ることをするつもりはない。

いい息子なんかじゃないんでな。

「親父。俺は、真面目に話がしたいんだ」

「えっ…あ、うん。どうぞ?」

 何が、「どうぞ?」だ。

 俺は深呼吸を二、三回する。そうだ、親父はこういう奴だった、と事実を再確認し、落ち着きを取りも出す。

「あのさ、親父。……そろそろ出で来れば?そこから」

「…」

「いつまで、そうしてるつもりだよ。子どもじゃねぇんだから、さっさと出てこいよ」

「…」

「親父…」

「あ、分かった。沢くん、お金の心配してるんでしょう?真面目な話って言ってたもんね。でも、大丈夫だよ。前にも言ったと思うけど、貯金結構あるから。お父さん、頑張ったもん。贅沢はできないかもしれないけど、苦労せずに暮らしていけるぐらいは…」

「ざけんなよ!」

 俺は、親父の言葉を途中で遮って、叫んでいた。

拳を握り、扉を叩く。扉越しに、親父が驚いているのを感じ取った。

「そんな話をしたいんじゃねぇんだよ」

「…沢くん?」

「金の話なんか、してねぇよ。金なんて、なかったら働けばいいだけの話だろうが。生活に困ったら、母さんだってパートでもなんでも働けるし、兄貴だっている。俺だって、高校辞めて働いたっていい」

「…」

「…なんで、親父が全部、引き受けなきゃなんねぇんだ?いいじゃん、俺らに頼っても」

「…」

「母さんは、最強だから、きっと、パートでも、正社員でもなんでもできる。兄貴は、この前、恋人に『私とウサギとどっちが好きなの?』って聞かれて、『ウサギ』って応えて振られるような奴だから、ウサギ以外に金使うわけがねぇ。だから、兄貴の給料を俺らの生活費にどんどん回せばいい。俺だって…俺だって、働ける。必要なら、高校辞めるくらい問題ない」

「沢くん。…人生って、そんなに簡単じゃないよ?…高校を中退するなんて、そんなに簡単に言わないで。それが、これからの人生にどれほどマイナスになるのか、沢くんにはまだ分からないんだよ」

「…でも」

「でもじゃないよ。亜季ちゃんは沢くんの言う通り、なんでもできるかもしれないけど、今、亜季ちゃんの歳で正社員なんかほとんど無理だと思う。今じゃ、女性の職場が増えてきたけど、どうしても『女性』ってだけで、大変なんだ。しかも、年齢というハンデもあるんだよ。そんなに簡単なことじゃない。それに、…満くんにだって、満くんの生活があるんだよ?自分で稼いだお金をどういう風に使うかっていう自由は、満くんにあるんだからね。今は彼女に振られちゃったかもしれないけど、満くんは、亜季ちゃんに似て綺麗な顔立ちしてるし、優しいからすぐに恋人できちゃうよ。そしたら、遊びに行くお金とかも必要でしょう?ほらね、そんなに簡単じゃない」

 ああ、と俺は思う。

なんで、こういう時ばかり、この人は大人になるんだろうか、と。

 ただの高校生に人生なんて分かるわけがない、なんて当たり前だ。

学校と言う温室で育っているのだから。

だから、今の社会状況とか、社会で生きる困難とか、そんなこと知らない。

知るわけがない。

だから、そんなことを盾に話を進められたら、俺はどうすればいいか分からなかった。

 でも、お金を自由に使っていいのなら、それは親父だって同じじゃないか。

どうして、なんだろう。

俺や母さんや兄貴は親父を頼るのに、どうして親父は俺たちを頼ってはいけないんだろう。

いや、どうして、この人は、頼ってはいけないと思っているんだろう。

俺たちが今まで一度でも、「頼るな」なんて、言ったことがあっただろうか。

 父親だから?

父親って、そんなものなのだろうか。

そんなに色んなものを背負って、その上弱音すら吐けない生き物なのだろうか。

それなら、そんな存在、俺はいらない。

俺は、「父親」なんていらない。

そんな重荷を背負わせるくらいなら、親父は、父親じゃなくて、だだの「沢田辰徳」で、いい。


 

 俺は、小さく息を吐いた。

静かに、扉に手の平を合わせる。

ひんやりとした温度が気持ち良かった。

「別に、いいじゃん。マイナスだって」

「え?」

「マイナスからだって、十分プラスになれるだろうが。なんなら、もう一個マイナスかければ?そしたらプラスになる」

 お、俺ちゃんと数学分かってるじゃん。

「沢くん、聞いてた?そんなに簡単なことじゃないんだよ!……マイナスにマイナスかけて、プラスになるなんて、そんなに簡単じゃない!」

 親父が声を荒げる。

そう言えば、久しぶりに聞いたかもしれない、親父が怒る声。

なんとなく、俺はそれが嬉しかった。

ちゃんと向き合っているという感じがしたから。

だから、親父とは正反対に、俺の声は穏やかになる。

「…簡単だよ。たぶん。だって、…俺らが幸せなら、いいんだろ?簡単じゃん」

「…」

「俺も、母さんも、兄貴も。親父が一人で、がむしゃらに働いて金稼いでくれるより、金に困っても、親父との時間が増える方が幸せだよ、きっと」

「…」

 親父は、何かを言いかけて、押し黙った。

何か言いたいのだが、何も言えないのだろう。

 でも、俺はかまわず続けた。

「親父は、俺らのこと、もっと頼れよ。…そしたら、もっと簡単になる」

 幼い考えだとは、分かっている。

「社会」を知らない俺が、いくら言ったって、それは理想でしかない。

どれだけ言っても、生きていく上で金は絶対に必要だし、俺たちは親父ばかりを頼ってしまうだろう。

けれど、それでも言わなければ気が済まなかった。

だって、俺たちは、家族だ。

「なんで、全部一人で引き受けるんだよ。俺らそんなに頼りねぇの?…俺は、金を残してくれるより、……親父ともっと、一緒にいたかったよ」

「…」

「俺は、授業参観に、来て欲しかった。運動会のリレーのアンカーも見て欲しかった。もっと、学校での出来事とか話したかった」

「…」

「親父は何が好きで、何が嫌いで…。きっと、家族なら知っている筈のことを、俺は全然知らない。…俺は、もっと親父の話を聞きたかったよ」

 何を恥ずかしいことを叫んでいるんだ?と自分でも思う。

けれど、本音だった。

「恥ずかしい」と言いながら、授業参観に来た父親に手を振る友だちが羨ましかった。

「親父とケンカした」と言って、俺に愚痴ってくる友だちが羨ましかった。

 だって、俺は、親父とほとんど一緒にいなかったから。

ケンカをする暇さえないほどに。

俺は、親父の好物が何かさえ知らない。

俺にとっての親父は、「親父」という大きな存在だったけれど、親父にとって俺はただの「知り合い」程度の存在なのかもしれない、と思うことがよくあった。

俺が親父のことを何も知らないように、きっと親父だって俺のことを何も知らない筈だから。

なら、子どもなんて、できる兄貴だけで十分だろう。

兄貴さえいれば、俺なんていらないんじゃないか。俺は、子どもの頃、家に親父がいないと実感する度、心のどこかでそう思っていた。

俺は、親父ともっと時間を共有したかった。

贅沢な暮らしができなくても、楽な暮らしができなくても。

一緒にいて、笑い合って…そういう「家族」が良かった。

たとえ「家族」という枠組みに入れなくてもかまわないから、そういう関係性を作っていきたかった。

 なんでも話しあえて。

一緒にいて、笑顔が絶えない。

そんな「家族」に。

 けれど、そう思っていても、いつも親父は、いなかった。

朝と夜、少し顔を合わせるだけ。

一か月言葉を交わさないなんてこと、ざらにあった。

 仕事を無理やり入れて、将来に備える余裕があるのなら、仕事を無理やり終わらせて、皆で、過ごす時間を作ってほしかったんだ。

 きっと、母さんも、兄貴もそう思っている。

けれど、大人だから、親父の苦労がよく分かるから何も言わないだけだ。

でも、俺は違う。高校二年生なんて、世間一般から見たら、大人に分類されるのかもしれない。

風邪薬だって、十五歳からもう大人扱いだ。

けれど、俺は子どもだ。

俺は、驚くほど、子ども。

だから、言った。

本音を。きっと大人なら、抑える筈の本音。

相手を気遣うことなんて、家族を気遣うなんて、俺はまだしなくていい。

だって、きっとまだ、子どもだから。



「親父、出てこいよ。…今から出いいからさ、色んな話し聞けよ。色んな所に連れてけよ。思い出つくろうぜ?」

 ああ、なんて子どもなんだ、と自嘲的な笑みが出る。

それでも、前言を撤回するつもりはなかった。

 静かな沈黙が訪れる。

それを破ったのは、親父だった。

「…でもさ、俺、家族の前では格好良いお父さんでいたいんだよ」

「…」

「仕事をバリバリして、背中を見せて、育てるみたいに…。そんなかっこいいお父さんでいたいんだよ」

「…」

「満くんも沢くんも立派に育ってくれてさ。口では言わないけど、二人ともお父さんのこと、ちょっとは尊敬してくれているでしょう?だからね、…それを壊したくないんだ。仕事のできない俺なんて、格好良いお父さんじゃないでしょう?」

「……もともと格好良くなんかねぇーよ」

「え?」

「もともと格好良くなんかねぇんだよ、親父は。人間の姿だろうが、ピンクのウサギのぬいぐるみの姿だろうが、格好良くなんかねぇんだ。どうしても、親父は親父なんだよ。バカで、間抜けで、変に頑固で、面倒くさい。外見なんて関係ねぇし、仕事をしてても、してなくても関係ねぇんだよ」

「沢くん…?」

「…いいよ。妖怪で。ピンクのウサギのぬいぐるみで。もうさ、なんでもいいよ。それが親父なら、なんでもいい。……それで、いいからさ。格好良くない俺らの親父のままで、出てこいよ」

 俺は静かに扉に触れた。

こんなに薄い一枚の扉なのに、これは、俺にとっても、親父にとっても大きい壁なんだ。

「家族」なんて、改めて意識したことなんてなかった。

いつも、当たり前にあったから。

けれど、当たり前だからこそ、少しのことで壊れやすいのかもしない。小さな傷を直しにくいのかもしれない。

 けれど、今まで気付くことさえしなかったけど、俺には、「家族」は大切な存在みたいだ。

バカな親父も。

最強な母さんも。

よく分からない兄貴も。

俺にとっては、唯一無二の存在で。

失くしたくない大切な人たちなんだ。

 バカみたいだと思う。

こんなことになるまで、気付かないなんて。

「大切なものは失ってから気付く」なんて使い古されたような言葉が頭をよぎる。

本当にそうだ。

「当たり前」の時は、どうしても気が付かない。「当たり前」のものが崩れそうになって初めて気付くんだ。

それでも、俺は気付いてしまった。

だから、俺は、この「家族」を放すつもりはない。

「親父、出てこいよ。…出て来いってば!!」

 ドン!!

扉を叩く音が響き渡る。

 俺は無意識にしゃがみこんでいた。

ふいに小さな音が耳に入る。

ドアノブを回す音。

俺は、顔を上げた。

キィーという音と共に、扉が開けられる。

俺の目の前には、ピンクのウサギのぬいぐるみが立っていた。しゃがみこんでいるため、自然と目線が同じくらいになっている。

「親父…」

「…沢くん。ごめんね」

 親父は、申し訳なさそうにうつむいた。

「あ、いや…別に」

 出てこい、と怒鳴ったのに、いざ出てこられるとどういう反応をすれば分からなくなる。

間抜けだな、自分。

「ごめんね。お父さん沢くんに寂しい思いさせてたんだね」

 その言葉に、俺は赤くなった。

うわー、恥ずかしい。

さっきまで、自分がどれほどクサい言葉を言っていたのかを、一気に認識してしまった。

これじゃあ、勇也みたいじゃねぇか。

 そんな俺の心の葛藤を余所に、親父は、小さな手を俺の肩に乗せ、微笑んだ。

「お父さん、これからは、沢くんと一緒にいるからね」

 嬉しそうに笑っている。

俺の言葉が嬉しかったんだろうな、きっと。この調子だと、本気でずっと一緒にくっついていそうだ。

けれど、それでも、まあ、いいかと思ってしまう俺は重症かもしれない。

親父とずっと一緒なんて、絶対ウザいに決まっている。けれど、親父と色々話をするのも、悪くないかもしれない。

どうせ、親父は仕事を辞めて暇なんだから、時間はいくらでもある筈だ。

「ああ」

 俺は、応えた。

けれど、俺の精一杯の返事は、親父の耳には届いていなかったようだ。

目の前で、親父が一点を見つめ固まっている。

俺は視線の先を追った。

「…母さん」

「亜季ちゃん」

「……辰徳さん?」

 めったに見られない、母さんの驚いた表情。

そりゃ、そうか。夫がピンクのウサギのぬいぐるみになっているんだ。さすがの母さんでも驚かない筈がない。

「出てきてくれたんですね!」

 嬉しそうな母さんの声。いつもの二倍は高い。

って、ぬいぐるみ姿にはノータッチかよ!

いや、ぬいぐるみ姿ってことは知ってる筈だけど、実際に見ると見ないとじゃ大違いだろうが。

それでも、そこをスルーしますか?しちゃいますか!


 俺は親父に視線を戻した。

未だに固まっている。

 しかし、数秒後小さい声で俺に告げた。

「沢くん、ごめん」

 猛スピードで、ドアノブを引っ張って、再び中に入る。

カチャリ。

鍵をかける音がした。

「…って、おい!今、一緒にいようって言ったばかりだろうが!!親父、てめぇ、何考えてんだ!何が、『ごめん』だ!さっさと、出てこい!!」

俺は立ちあがり、全力で文句を言った。

いやいやいや…。

さっきの感動的場面は?

俺のちょっとクサい、いいセリフは?

「沢くん、ごめん。でも、どうしても…どうしても、亜季ちゃんには見られたくないんだ」

「は?ざけんな!出てこい!バカ親父」

「…どうしてですか?」

「…」

「どうして、洋一はよくて、私はダメなんですか?」

 母さんが静かに尋ねた。

その声は、怖い、というよりとても悲しい感じがした。

俺は再び扉を見つめる。

母さんが、後ろから俺の肩を掴んできた。

その手は震えている。

俺は、母さんの手に自分を手を重ねていた。少しでも、母さんの支えになれるように。

「亜季ちゃんの前では、一番好きな人の前では、格好良い俺でいたんだよ」

「…今のままでも十分格好良いですよ?」

「そんなことない!だって、ウサギのぬいぐるみだよ?しかも、ピンクだよ?」

 あ、ピンクであること、気にしてたんだ。へぇ~。

なんて、感想を浮かべている場合じゃないよな。

「…それが、なんですか?」

「…」

「確かに、辰徳さんは、背が高くて、顔が整っていて、格好良かったけれど、私は格好良いから辰徳さんを好きになったんじゃ、ありません。優しくて、自分より他人のことを優先できて、自分に厳しい。そんな、辰徳さんだから、好きになったんです。一緒になったんです」

「…」

「辰徳さんは私を信じられないんですか?私の辰徳さんへの想いは、辰徳さんがピンクのウサギのぬいぐるみになったくらいで変わってしまうとでも思っているんですか?」

 カチャリ。

扉が開き、ピンクのウサギのぬいぐるみがチョコ、チョコ走り、母さんに飛びついた。

「ごめん、亜季ちゃん。俺、俺…自分のことばっかり考えてた。大好きだよー」

「はい、私もです」

 あ~~も~~勝手にしてくれ。

いい年こいて何やってるんだ、こいつら。

 つーか、何?

母さんが説得すれば、簡単に出てきたってことなのか?そうなのか?

この熟年バカップルが!

 俺の苦労返せ。

 というか、俺、今初めて親父がウサギのぬいぐるみ姿で良かったと思った。

さすがに、親父と母さんが抱き合っているのを間近で見るのは、きつい。


 

 俺は静かに、そしてなんかよく分からない敗北を感じながら、その場を後にした。

気を使えるんだ、俺だって。

 ま、もうそれ以上見ているのがバカバカしくなったってだけだけど。

「あ、そうだ、沢くん」

 廊下の角を曲がろうとした所で、親父に声をかけられた。

一応、身体を二人に向ける。

「何?」

「あのね、沢くん。さっきタイミングが分からなくて言えなかったことがあるんだけど…」

「…?」

「お父さん、後一カ月もすれば、人間の姿に戻れるから」

「……………は?」

 きっと、俺は今、間抜け面をしているのだろう。

 そんな俺を余所に、親父は淡々と話を進めてくる。

ぬいぐるみ姿の親父を抱いている母さんもとびきりの笑顔だ。

「今ね、妖力が足りなくて、元の姿に戻っちゃったけど、また妖力がたまれば変化できるんだよ。ま、これから一年に一回くらいこういうことが起こると思うんだけどね」

「…」

「会社の方にもそれを伝えたら、お父さん有能だから、それでもいいから辞めるのなしにして、って頼まれちゃった。エヘヘ。すごいでしょう?…だからね、なるべく時間を作るようにするけど、ずっと一緒にいるってのはちょっと無理みたい。ごめんね」

 いや、いや。

そんなことは心配してねぇよ。これっぽっちも。

なんだよ、それ。

 つまり、だ。

俺が何もしなくても、固く閉ざされていた扉は後一カ月もすれば勝手に開いていた、ということか?

 何、平然と言ってやがるんだ、バカ親父。ざけんな。

何だよ、元に戻れるって。そんな話聞いてないぞ、コラ。

俺の頭には、ここでは表せないほど親父への苛立ちの言葉が浮かんだ。けれど、声に出すことはできなかった。

人間怒りが頂点を超えると、声が出なくなるんだな。

うん、一つ勉強になった。

って、違う!

「辰徳さんは、その姿でも、十分格好良いけどね」

 そう言って、母さんは満面の笑みを親父に向けている。ああ、もうそりゃ、心底幸せです、とでも言いたげな顔だった。

なんだよ、それ。

しかも、この反応。

母さんも知ってたな?

何、このオチ。


 混乱しきっている俺の肩に小さな重みがかかった。

俺は、顔だけをそちらに向ける。

「…兄貴?」

「うん。正解。俺は、洋一の兄貴だ」

 いや、いや。

そんなことは再確認されるまでもなく百も承知だ。そんなことまで忘れるほど俺、バカじゃないから。

「きゅ、急に出てくんなよ」

「別に、急じゃないぞ?ただ、気配と足音を消してゆっくり近づいただけだよ」

「消すな!消す必要がどこにあんだよ?」

「俺は、将来忍者になろうと思っているからね。その練習だよ。妖怪がいるんだ。忍者がいてもいいだろう?気配を消すのなんて、忍の基礎だよ。あ、ちなみに、相棒はウサギだよ」

「…一応、聞いておいてやるよ。なぜに、忍者?」

「だって、格好良いだろう?ほら、小さな頃って、忍者とかに憧れていたりしなかったか?俺はしたんだよ。忍者になりたいなって思ってた。それをね、思い出したんだ。それで、ちょっと挑戦してみようかな、と思ってね。それに、俺が忍者になれば、ウサギの可愛さが引き立つだろう?俺はウサギの素晴らしさを世に広めるためならなんだってできるんだよ?」

 意味が分かりません。

俺は思わず頭を抱えた。

「兄貴。これ以上、混乱させないで」

「混乱?…させてた?俺」

「させたに決まってるだろうが!」

「…決まっているのか?」

 もう、いいです。

そうだ。俺の兄貴は、こういう奴だった。

しかも、たぶん、兄貴のことだ。本気だろう。

忍者…。

うん。きっと、いるよ。

妖怪がいるなら、忍者もいる。そして、きっと、兄貴にならなれるよ。忍者でも妖怪でも。

だからさ、これ以上、俺を混乱させんなや。

「ってか、兄貴も、なんか落ち着いてないか?」

「どこに、俺が混乱する要素がある?」

「だって、親父が元に戻る…って、もしかして、兄貴も知ってた?」

「父さんが人間の姿に戻れることを、か?」

「ああ」

「もちろん。でも、父さんの場合、元に戻るっていう言い方は違うんじゃないか?」

「いや、そんなこと、どうでもいいよ。…それより、なんで、兄貴も母さんも知ってるんだよ!」

「父さんに聞いた」

「は?」

「だから、父さんに聞いたんだって」

「…なんで俺に教えないんだよ?ってか、そもそも、親父。てめぇ、俺にだけ教えないってどういう了見だ!」

 俺は思わず、叫んだ。

母さんに抱かれ、嬉しそうな顔をしているバカ親父に向かって。

 親父は、少しだけ、顔を傾げ、のほほんと言いやがった。

「沢くん、俺、隠してなかったよ?」

「は?」

「聞かれたら、言ってたもん。でも、沢くんはそのこと聞かなかっただけだから、俺、言わなかっただけだよ?」

「俺や母さんは、毎日父さんの所に行って話をしていたからね。その話になるのは自然の流れだ。だから、知っていた。ちなみに、よく通いにきてくれている近所のおじさんたちも知っている」

「…」

「どうした、洋一。なんか震えているよ?」

 はい。震えてます。もう怒りのせいなのか、なんなのか分かんないけど。

「…だって、だってさ!親父の説明じゃ、もう戻れないみたいな感じだったじゃん!マジで、この世が終わったみたいな感じだったじゃん。…だから、俺は、もうずっと親父はピンクのウサギのぬいぐるみの姿なんだと思って…」

「あ~、うん。沢くんに説明した時は、この姿に戻ってすぐだったでしょう?だから、自分の状況あんまりよく分かってなくてさ。だから、お父さんもね、ずっとこの姿でいなきゃいけないんだって思ってたんだよね。でも、自分の妖力とか確認しているうちに、あ~、戻れそうだな、ってね。変化できるな、って思ってね。それに気が付いたのは、この姿に戻って二日目の時くらいだったからさ」

「…」

「どう?洋一、理解できたか?」

「…俺が、初日しか、親父の所に行ってないから、ちゃんと親父と話とかしてなかったから、俺だけ知らなかったってこと?」

「え~っと、うん。そう言うことかな?」

「…」

「意思の疎通を怠った、お前が悪いよ。洋一。ま、さっき洋一が言っていたことは、俺も母さんも思っていたことだからね。言ってくれて嬉しかったし。父さんは、後一カ月もすれば、人間の姿になって部屋から出てくる筈だったけど、それは裏を返せば、後一カ月は出てこないってことで、俺も母さんもそれは寂しいなって思ってたからね。だから、洋一の苦労は無駄じゃないよ。大丈夫だよ」

 フォローにならないフォローをして、兄貴はまたどこか行った。

気配と足音を完全に消して。

やっぱり、兄貴なら忍者になれるよ。そして、ウサギの素晴らしさを世に広められるよ、きっと。

「辰徳さん、今日の夕飯は何がいい?」

「亜季ちゃんが作ってくれるものなら何でもいいよ?」

「なんでもいいって言われるのが、実は一番難しかったりするんですよ?」

「そっか、しゃあ、…カレーが食べたいな。やっぱり、夏はカレーだよね?」

 俺の視線の先では、熟年バカップルが息子がいるにも関わらず、いちゃついていやがる。

もういいよ。勝手にして。


 

俺は、フラフラした足取りで、外に出た。

暑くても、セミがミン、ミンうるさくてもこの際どうでもいい。

とにかく、空気を変えたかった。

 温かい風が俺の頬を撫でる。

なんか、慰められた気がして、嬉しいのやら、悲しいのやら。

も~分けわかんねぇ。


親父は妖怪だし。

母さん最強だし。

この二人、熟年バカップルだし。

兄貴はなぜか忍者に憧れてるし。

しかも、兄貴にならなれそうで怖いし。

「こんな家族、いらねぇーよ」

 俺は小さく呟くことしかできなかった。

今から俺がひきこもったとしても、俺は絶対、悪くないと思う。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ