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前篇

コメディのつもりで書きました。

笑ってもらえたら、めちゃくちゃ幸いです。

 午前三時。

俺は、この夏の暑さに負けて、目を覚ました。

さすがに、地球規模で色んなものを苦しめているだけはあるな、温暖化。一度寝たら、なかなか起きない俺を起こすとは。

 髪をかきあげると、汗で手が濡れる。

パジャマ代わりのTシャツが湿って気持ちが悪かった。

けれど、着替えるのは面倒くさい。

 俺は、汗をかいている、という事実を意識的に忘れ、一階にある台所に向かった。

 冷蔵庫を開け、ミネラルウォーターを出す。

コップまで、出すのは面倒くさかったので、ラッパ飲みだ。

冷たい水が、俺の喉を潤す。

 身体の熱も冷えていった気がした。

 これなら、もう一度眠れる。そう思い、再び、二階にある部屋に戻るために、足を動かした。

階段を登る際、さっきは気付かなかった、小さな明かりに気が付いた。

 俺は、光が漏れている部屋の前に立つ。

今、親父が使っている寝室。

おそらく、電気を消し忘れて寝たのだろう。もったいない。

これだから、温暖化が進むんだ。

 

シンと静まった真夜中に、その扉の奥にある光だけが、妙に存在感を示していた。

 俺は、別に用があるわけではなかったが、ドアノブを掴み、引いてみる。

動かない。

知ってたけど。

けれど、鍵で遮られたその扉の重みを実感させられた気がした。

 目の前の鍵のかかった扉。

このなんでもあるご時世に、扉一つ開けるのなんて、朝飯前だ。

しかも、俺はピッキングが得意ときている。褒められたことじゃねぇけど。

だから、今すぐにでもこの扉の向こうに行けるんだ。

やろうと思えば。

なのに、面倒くせぇことに、俺が、いや、俺たち家族が開けなきゃいけねぇのは、目の前にあるこの扉じゃねぇみたいなんだ。



平凡だった俺の生活に異変が起こったのは、一週間前のこと。

俺は、その日に限って、朝早く目が覚めた。

八月一日。

高校二年の夏休み真っ最中。

いつもなら、十二過ぎても起きてないってのに。

第六感が働いたとしか思えねぇ。

「洋一、久しぶりに早く起きたんだから、ついでに辰徳さんを起こして来てくれない?もうすぐ朝ごはんができるから」

せっせと朝食を作っている俺の母親が、言う。

辰徳は、俺の親父。

ちなみに、俺には、満という兄もいて、母さんの隣ではその兄貴が一緒に朝食の準備をしていた。

「面倒くせぇ。なんで俺が…」

「起こしてき・て」

 俺の言葉を遮って、母さんがにっこりと笑う。

あはは…、怖いです、その笑顔。

 母さんと、ついでに兄貴は、おっとりしていて優しい性格の持ち主だ。

しかし、時々絶対零度の笑みを浮かべることを得意とする。

うん。この二人には、特に母さんには逆らわないようにしよう。

それが親父似の俺の小さな決意。

 俺はヘラヘラ笑って、「はい」と告げると、親父を起こしに、寝室に向かった。


 階段横にある、親父と母さんの寝室は、この家で一番大きい部屋だった。

まあ、二人で使っているのだから、大きいのは当たり前かもしれないが。

「親父?飯できるから、起きろって。母さん怖いから、早く起きて」

 声をかけながら、俺は、寝室の茶色い扉を開けた。

そして、すぐに閉める。

 ダブルベッドに寝ていたのが親父ではなかったから。

…?

俺は、もう一度、扉を開けた。

目を二、三回こすってみる。

ピンク?

俺は、ゆっくりと、寝室に入って行った。

ベッドの傍に立ち、そこに寝ているものを見降ろす。

人じゃねぇ、もの、だ。

 そこにあったのは、親父の寝姿ではなく、ピンクのぬいぐるみ。ウサギ、だった。

暑いためか、掛け布団は綺麗に隅に追いやられている。そのため、そのぬいぐるみが良く見えた。

はい?

しかも、動いている。

寝返りを打って、汗をかいて、手であおいで風を作っている。

風なんてこれっぽっちもできてねぇけど。


 俺は、しばらく放心状態でそれを見ていた。

「…あ、おはよう、沢くん」

「う~ん」と声を上げ、ゆっくりと目を開いたそれは、ベッドを見降ろしている俺と目を合わせ、何事もなかったかのように、そう言った。

 声が、親父だった。

 沢田洋一。俺の本名。「沢くん」は、俺のあだ名だ。

ま、高二になった今では、「沢」と呼ばれる方が多いけど。

 そして、「沢くん」というあだ名をこの家で使うのは、バカ親父だけ。

だって、そうだろう?俺の家族は、皆、沢田だ。つまり、言ってしまえば、皆「沢くん」。

だからこの家の中で「沢くん」というあだ名は通用しない。

そう説明しても、俺を「沢くん」と呼ぶのは、バカな親父だけだ。

「…親父?」

「ん?」

あ、親父だ。

普通に返事した。

ピンクのウサギのぬいぐるみ。親父。ピンクのウサギのぬいぐるみ。親父。ピンクのウサギのぬいぐるみ。親父。ピンクのウサギのぬいぐるみ。親父。ピンクのウサギのぬいぐるみ。親父――――――――――!!!

「あはは…」

乾いた笑いが口から出る。

 俺は、親父らしいピンクのウサギのぬいぐるみに背を向けた。

キッチンまで走る。

「洋一、辰徳さんは?」

俺の姿を確認した母さんが、俺に問いた。

だから、俺は素直に応えた。

「ピンクのウサギのぬいぐるみになってた」

「そう。…それじゃあ、お仕事はどうするのかしら?ぬいぐるみじゃ、さすがの辰徳さんでも、お仕事は無理よね?それとも、辰徳さんなら、できるのかしら?洋一、ちょっと、聞いてきてくれる?」

あー母さん。あんた、最高。

何の疑問も持たず、そう返せる母さんが、たぶんこの世界で誰よりも強いと思う。

いや、尊敬するね、マジで。

「ねぇ、母さん」

「何?」

「マジだよ?」

「何が?」

「いや、だから、夢とか、寝ぼけてる、とかじゃなくて!親父がマジでウサギのぬいぐるみになってるんだって!!」

「うん」

「いや、うん。じゃなくて」

「何が言いたいの?」

「…なんで、そんなに落ち着いていられんだよ?人間がぬいぐるみなってんだよ?夢とかじゃなくて、マジで」

 母さんが冷静な半面、俺の中には、忘れていた混乱がよみがえってきていた。

そうだよな。

うん、おかしい。

よく考えたら、いや、考えなくても、おかしいじゃねぇか。

ぬいぐるみって、なんなんだよ?しかも、動いてる。暑そうにしている。汗までかいていやがった。

おかしい。

完全に、おかしい。

親父、何者?普通の人間では、…ないよな?

いや、いや。

それよりも、こんなに落ち着いていられる母さんも、おかしくねぇか?

俺だけ知らない事実があって、皆が隠してたとか?

 そんな俺の混乱を余所に、母さんがあっけらかんと言う。

「だって、辰徳さん、人間じゃないもの」

「…はい?」

「だから、人間じゃないの」

「…人じゃない?」

「そう」

「人間じゃないって…河童とか?」

「河童…なのかしらね?きゅうりは、好きだけど?…ま、詳しいことは、母さんも分からないのよ。けど、とりあえず、辰徳さんは、普通の人間じゃないの」

「な、なんで?だって、昨日まで、普通だったじゃん。その辺にごろごろいるような中年親父だったよね?加齢臭とか漂わせてたし。…ってか、何?とりあえずって。とりあえず、の意味が丸で分からないんだけど」

「ん~?よく分からないけど、いわゆる『普通』ではないのよ。…満は知っていたでしょう?」

 母さんが、兄貴に視線を向けた。

兄貴は俺がこんなに、ゼイゼイ言いながら母さんと話している、というのに、呑気に朝食を食っている。

もう、そりゃ、プロ?だって認めるくらい綺麗な箸の使い方で、きんぴらごぼうを口に運んだ。

 そして、口の中に入ったごぼうやら人参をこれまた綺麗な動作で飲み込み、そっと箸を置く。

俺たちを見て言った。

「俺は知らなかったよ。でも、父さんは、父さんだろ?別に、俺はピンクのウサギのぬいぐるみにでもかまわない。俺、ウサギ好きだし」

 爽やかなスマイルを俺に向け、また食事に集中した。

今度は、甘く味付けされているであろう玉子が口に運ばれていく。

 兄貴。

そう言って、何事もなかったかのように、食事を再開できる兄貴も、本当に最強です。

俺は、小さな苦笑をこぼすしかなかった。

 ちなみに、兄貴は、この世の動物の中で一番、ウサギが好きだ。

この地球上にどのくらいのウサギがいるのかは知らないが、その全てを無条件で愛せるくらい大好きだ。

それが転じて、今では、動物園の職員となって、動物の世話をしている。

担当は、もちろん、ウサギ。

兄貴にウサギを語らせると、止まらない。

俺は過去に一度、兄貴のウサギ談に付き合わされたことがある。

素面だったというのに、兄貴は、夜の九時から、朝の五時まで、延々と語り続けやがった。

ただ、ウサギの話を、延々とだ。

 こんな兄貴、「バカ」だと一蹴することができる筈だ。

けれど、残念なことに、兄貴は、俺なんかと違って、頭がいい。

高校だって、この辺りで、一位、二位を争う進学校でいつも成績トップだった。

全教科満点なんて俺にとっては、というかおそらくは大半の人にとっては奇跡的なことを何回も起こしている。

全国模試で一位を取ったことも、一回や二回ではない。

特に、理系に優れていて、「将来は、学者さん?」が近所の話題のタネだった。

 それなのに兄貴は、大学にすら行かなかった。

兄貴の実力なら、入れない所の方が少なかったというのに。

 兄貴は、大学に行かず、ウサギを選んだ。

大学に行って、勉強して、天才ぶり発揮して、金を稼ぐことより、「やりたいことを、やろうと思った」と、爽やかな笑顔で俺に告げた。

 俺はひそかに、そんな兄貴を尊敬している。バカだな、とは思うし、もうウサギ談に付き合うのは一生御免だけど。

いつもおっとりとしていて、それに対して腹を立てることは正直ある。結構頻繁に。

けれども、自分の考えを信じ、それを曲げない強さは見習わなくては、と思わされるのだ。



「あら?お母さん、てっきり、満も洋一も知っていると思っていたのに。二人とも、知らなかったのね」

 にこやかに、穏やかに笑った。さも、問題はない、とでも言いたげに。

 ああ、もういいや。

うん。考えるのとか、面倒くさいし。

この二人を見ていると、そう思った。

脱力しそうだったけれど、必死でこらえる。

この母親と兄貴を持って今まで生きてこられたんだ。そのくらいの強さは持ち合わせているさ、俺だって。

「…とりあえず、親父に、仕事どうするか聞いてくる」

「そう?ありがとう。…あ、」

「ん?」

「もし、お仕事お休みするって言ったら、ゆっくり寝かせてあげて?本当に毎日仕事詰めなんだから、辰徳さんは」

「…了解」

 その一言と、深いため息をその場に残し、俺は再び親父たちの寝室に向かった。

 家の外から聞こえてくるセミの声が妙に頭に響くような気がするのは、きっと気のせいだ。

 


 扉を開ける。

やっぱり、ピンクがいた。再び寝入ったようだ。

身体だけで、三十センチ。耳まで入れると、三十五センチといった大きさだろうか。

 薄めのピンク、桜色とでも言うべき色の全身。

どこからどう見ても、ウサギのぬいぐるみ。

ショッキングピンクとかじゃないだけましだな。うん。

これで、汗をかいていなければ。

寝返りを打っていなければ。

そう思っていても、仕方がないため、俺は親父らしいぬいぐるみの肩を掴んで揺らした。

 スヤスヤ眠るその顔は、ぬいぐるみの目と鼻、糸の口で、表情なんてない筈なのに、なぜか表情が読み取れた。

 やけに気持ちよさそうなその顔に、イライラは募る。

誰のせいで、俺がこんなに混乱してると思ってるんだ。その想いも込めて、思いっきり揺らしてやった。

「バカ親父!さっさと起きやがれ!!」

「…え?」

「だから、さっさと起きろ!!」

「ちょ、沢くん?」

「何が、沢くん?だ。早くしろ、バカ親父!」

「…わ、分かったから、起きるから!」

 まだ眠そうな顔だったが、俺の大きな声と剣幕に驚いて、すぐに立ち上がった。

ウサギのぬいぐるみが、ダブルベッドの上にちょこんと立っている。

 親父は、そこまでしてやっと自分の現状を理解したらしい。

一瞬青ざめた表情を浮かべた。

「え…?」

 その一言をこぼし、自分の腕や脚をまじまじと見る。

いつもより短い腕。

短い脚。

ピンクの肌。

そろっと、手を伸ばし、頭を触った。

親父の頭の耳が前後に揺れる。

 その次の瞬間、親父は、ベッドの上にうずくまり、隅に追いやっていた掛け布団で全身を覆った。

「見ないで!!」

 そう叫ぶ。

「はい?…見ないで、だと?俺がどんだけ、混乱したと思ってんだよ、バカ親父。俺は母さんや、兄貴みたいに最強にはできてねぇんだ。なんでそんな風になってるのか、ちゃんと説明しやがれ!」

 俺は掛け布団を一気に剥がした。 

もう一発、文句を言ってやろうと、息を吸いながら。

けれど、息は、声ではなく、息のまま吐き出される。

何も言えなかった。

親父が小さく丸まって、震えていたから。



俺の中で、親父は、他の家族と変わらず、強い存在だった。

母さんや兄貴とは、別の強さ。

 とはいっても、本当はあんまり知らねぇんだけど。だって、俺は、ほとんど、親父の背中しか知らない。

 親父は、いつも働いていた。

ほとんど、不休で仕事をし、学校の参観日にも、運動会にも俺の親父だけが参加しなかった。

 だから、あまり記憶がない。

一緒に住んでいるというのに、だ。

それを象徴する出来事がある。

俺が、小学二年生の頃だったか。学校で宿題が出されたことがあった。

「お父さん」というテーマの作文を書くというものだった筈だ。

それに、俺は、一行、「ぼくはお父さんのことをあまり知りません」と書き、その場で提出した。

もう何年も前のことだが、俺はその時のことを結構鮮明に覚えている。

確か、当時担任だった先生に怒られたんだ。

けれど、それが手を抜いたとか、嘘だとかではないことが分かると、担任が母さんに電話した。

何を話したかまでは知ることはできなかったが、担任が母さんに電話した次の日、作文のテーマが「お父さん」から「家族」に変わった筈だ。

離婚とかが増えている中で、母子家庭だった人もいただろうから、その担任の選択は正しかっただろう。

 俺は、テーマが変わったため、「ぼくのお母さん」という題で、原稿用紙一枚をきっちり書き終えたんだ。

「お母さんのことなら、ぼくはちゃんとかけるんだ」なんて、無邪気で残酷なことを言ったのかもしれない。

どんな状況だったのかまでは、覚えていないが、あの時、母さんがとても悲しそうな、寂しそうな顔をしていた記憶が残っている。

ま、そんなわけで、俺は親父のことをほとんど知らない。

けれど、いつも仕事に行く時の親父の目は、真剣だったということはしっかりと覚えている。その姿が格好良かったということも。

 いつもは、「沢くん、沢くん」と弱々しいくせに、怒る時はめちゃくちゃ怖くて。

それも、俺や兄貴だけじゃなく、近所の悪ガキもちゃんと叱れる大人なんだ。

 本当に、十七年間生きてきて、親父と関わった時間なんて、指で数えられるんじゃねぇ?と思えるほど少ないし、それに対して、不満とかも持っていたけど、それでも、俺にとっての親父は格好良かった。

 仕事に出て行く時の親父の広い背中が好きだった。

口に出してなんて言ってやらねぇけど。

でも、今、その親父が、目の前でガクガク震えている。

ピンクのウサギのぬいぐるみがベッドの上にいた時は、そりゃ、驚いたよ?驚いたけど、別にショックは受けなかった。

でも、今は、泣きそうだ。

 

 ウサギのぬいぐるみは、俺が剥がした掛け布団を奪い取って、それを全身に掛けた。

意外と力ある、なんて思っている余裕は、俺にはない。

俺はしばらく放心状態で、布団を、その中にいる筈のウサギのぬいぐるみを見ていた。

 思い出したように言う。

「親父、仕事は?」

「…辞めるって伝えてって、亜季ちゃんに言って」

「了解」

「…」

「…それとさ」

「…」

「母さんに伝えたら、戻ってくるから、…やっぱり、ちゃんと、説明してくれ。知る権利くらい俺にはあると思う」

 親父は返事をしなかった。

 俺は部屋を出る。

扉が閉まる音が、やけに響いた。

 キッチンにいる母さんに言った。

「親父、仕事辞めるって。伝えて、だってさ」

「あら?そうなの?やっぱり、ぬいぐるみじゃ、仕事できないのかしらね?」

「……ねぇ、母さん」

「何?」

「親父って、あんなんだっけ?」

「ん?」

「…あんな、弱かったっけ?」

「…弱いって、どういうことなのかな?」

 母さんは、質問に質問で返した。

 俺は少し、考え、小さく頭を横に振り、「分からない」と伝える。

けれど、母さんは、微笑んだままで、何も言わなかった。


 母さんは、いつも答えを教えてくれない。

俺が学校で出された宿題を聞いた時だって、そうだ。

「間違えてもいい」と言って、答えを教えてはくれなかった。いつも、ヒントのヒントまでしか、教えてくれない。

 だから、俺はいつも、兄貴にヒントを聞き出していた。

「…そう言えば、兄貴は?」

「満ならもうお仕事に行ったよ」

「この一大事に、何をやってんだ?あいつ」

「一大事なんかじゃないでしょう?」

「は?一大事じゃん。親父がウサギのぬいぐるみになってるんだぜ?」

「辰徳さんは、辰徳さんでしょう?」

「…さっきのと、今のそれがヒントのヒント、ね」

 俺の言葉に母さんは首を傾げる。

ヒントのヒントを出している自覚はなかったか。

「いや、こっちの話」

「そう?」

「そう。…んじゃ、俺、行ってくる」

「どこに?」

「親父の所。…俺、母さんみたいに最強じゃねぇから、親父から直接、説明聞かないと頭、追いついていかねぇ」

「そう。何か分かったら、母さんにも教えてね」

 母さんは、最上級の笑みを俺に向けた。

 …ん?

「母さん、親父から何か聞いてるんじゃねぇの?」

「知らないよ」

「……はい?」

「お母さんは、ただ、辰徳さんは、『普通』の人間じゃないんじゃないかなって、なんとなく感じていただけで、詳しいことは何も知らないの」

あはは…。

笑うしか、なくね?

どこまで最強なんだよ、俺の母親。

なんとなくで、確信していて。

確信してるのに、親父は親父だと言う。

「それでいいのかよ?ちゃんと、知りたいとか思わねぇの?」

「だって、辰徳さんが、どういう人か、なんて知ってるもん。優しくて、真っ直ぐで、時々頑固で、でも格好良くて…。そういうことを知っていれば、母さんは十分」

「……そーっすか」

 親の惚気ほど、聞いていて痒くなることはない、と俺は思う。

 もう、なんでもいいや。

なんか毒気抜かれた。別に毒を持っていたつもりはねぇけど。

「じゃあ、お母さん、会社の方に電話してくるわ」

 母さんが、俺に背を向ける。

俺も同じように、母さんに背を向け、親父の所に向かった。



「スースー」

 寝室の扉を開けると寝息が耳に入ってくる。

…って、寝てるし!

さっき、めちゃくちゃ、緊迫した雰囲気だったよね?

それで、寝るって…。ありえなくね?

なんて、感想は、綺麗な寝息のもとでは、役に立たない。

 俺は苛立ちも手伝ってか、さっきよりも盛大に布団を奪った。

 丸くなっている、ピンクのウサギのぬいぐるみ。

親ウサギが、子ウサギを運ぶように、かは知らねぇが、俺は親父の首を掴んで、ブランブランと振らす。

 親父が、目を開けた。

ぬいぐるみだから、一定の表情に固定されてはいるが、目を開けたことはなんとなく分かった。

「親父。この状況で、爆睡してんじゃねぇよ」

 親父の首を掴んだまま、俺の目の高さまで、持ってくる。

目の前にあるのは、ぬいぐるみだ。

正真正銘、ピンクのウサギのぬいぐるみ。

だけど、もう、俺には親父以外の何ものにも思えなかった。

何、この対応力。

俺は、思わず、自画自賛した。

さすがに、この家で何年も住んでいれば、色々鍛えられるのだろう。

褒めていいことなのかは微妙な所ではあるが。

「あ、沢くん」

「あ、沢くん。じゃ、ねぇよ。さっさと、説明しろ。なんで、ぬいぐるみになってんだ?そもそも親父、何?つーか、おかしいよな?何、ぬいぐるみとかになっちゃってんの?どう考えても、今の状況、おかしい」

「さ、沢くん。そんなに、色々聞かれてもさ…」

「とにかく、何もかも、事細かに説明しろ!」

「う、うん。分かった。分かったからさ、まずはお父さんを降ろそうか」

「は?」

「いや、ね。この体制だと話しにくいし。なんか、下を向いてるから、吐きそうだし」

 あ、吐くんだ。俺は、まず、そのことに驚いた。

ぬいぐるみも、吐くのか?いや、吐かねぇ、だろう。

でも…吐くんだな。やっぱり、俺の理解を超えている。

 とにかく、俺は親父をベッドの上に降ろした。

真っ直ぐ睨んでやる。

「これでいいんだろ?早く話せ」と口に出さず伝えた。

「とりあえずさ、扉、閉めてくれない?」

「はい?」

「だって、亜季ちゃんにこの姿とか、見られたくないもん。お父さん、亜季ちゃんの前では、いつも格好良くいたいんだよね。…あ、もちろん満くんや沢くんの前でもね」

「…」

 俺はドアを閉め、無言でベッドの上に腰掛けた。

俺たちはついでですか。親父の惚気に、一般人の俺は、どう対処したらいいかなんて、分かりません。

というか、対応する気、ありません。

別に親父は何も期待してないだろうけど。

「…で、降ろしたけど?」

「うん。…じゃあ、何を話せばいいんだっけ?」

「だ・か・ら!とにかく、全部!」

「沢くん、そんなに怒らないでよ」

 怒らせているのは、お前だ!と叫びたくなったが、このまま同じことを繰り返しても仕方がないので、出てきそうになる言葉をぐっと、こらえる。

うわ、俺って大人?

「悪かった。…じゃあ、説明してくれ。まず、親父、何者?」

「…亜季ちゃんや満くんには言わないでくれる?」

「はい?」

「本当は、沢くんにもバレたくなかったんだよね。でも、しょうがないし。沢くんが言った通り、父さんの姿を見て、沢くんは混乱していて、だから、沢くんにはちゃんと説明を聞く権利があると思うんだ。だから、沢くんにはちゃんと、話すけど…亜季ちゃんと満くんには内緒にしていたいんだ」

 何も知らないくせに、なぜか現状を受け止めている二人の名前を出す親父。というか、もうさっき言っちゃったし。

 けれど、先に進むには、嘘も必要。

俺は、説明されたことを話す気満々だったが、とりあえず頷いておいた。

 そのことに安堵したのか、親父がぽつり、ぽつりと話し始めた。


「あのね、父さん、妖怪なんだ」

 ものすごく、これでもかってくらい真剣な表情を浮かべ、ピンクのウサギのぬいぐるみが告げる。

あはは。

そのくらいじゃ、もう驚かねぇよ。

「は?」とか思ったけれど、すんでの所で、押し戻してやった。

「父さんね、『人形遣い』っていう名前の妖怪で、もう二百年くらい生きてるんだよ」

 そう少しだけ自慢げに話した内容は、次のような事だった。



親父は妖怪で、この世界には、妖怪とか宇宙人とか、いわゆる「人間」って奴以外の者が、其処ら中にいる。

けれど、親父みたいに人間と同じような格好をして、同化していたり、人間から姿を隠していたりするため、なかなか確認できない。

宇宙人については、良く知らないようだが、親父の正体である「人形遣い」は、妖怪の中で位がかなり高いから、よく他の妖怪にも頼られるため、妖怪については詳しいようだ。

妖怪、と一言で言っても、色々なものがいるらしい。

親父のようにぬいぐるみ姿をしたものから、人間に怖がられるような容姿をしているもの。美しさを盾にして生きているもの。

優しい奴、凶悪な奴、意地悪な奴。ま、その辺りは人間と変わらないだろう。

余談だが、親父は、河童の友だちが何人(?)もいるとのこと。

しかも、河童はとてもいい奴であり、「いつもなんだかんだ言っては、助けてくれるんだよね、あいつら」だそうだ。


 「人形遣い」は、人形(今は、主に、ぬいぐるみ)を自在に操ることのできる妖怪であり、親父の姿からも分かるように、正体は人形(今は、主に、ぬいぐるみ)の姿をしている。

人形(今は、主に、ぬいぐるみ)を動かして、人を驚かせる妖怪。

できるのは、そのくらいのようだ。だから、「闘う」という面では、弱い。

けれども、変化が得意であり、その変化というのが、妖怪の中では、高等技術に当たるらしく、一目置かれているとか。ほら、妖怪って闘っているとかいうイメージあるだろう?けど、闘うだけじゃなくて、色々な面を総合して「凄い」奴が「強い」奴になるんだとさ。

「人形遣い」が得意としている変化は力を消費しやすい技であり、精巧に変化するには相当の技術がいる。

けれども、「人形遣い」のエネルギー(俺たち人間で言うカロリーみたいなものなのだろうか?)は、子どもたちの夢のカケラであり、普通のエネルギーとは質が違うそうだ。だから、変化の能力に長けている。

夢のカケラとは、もう夢でなくなった夢のことらしい。

この「夢」は叶える夢の方だ。

例えば、パイロットになりたかった人がいるとするだろう。けれど、今は消防士になりたいと思っているとする。

夢のカケラとは、「パイロットになりたい」という夢のこと、だそうだ。


 親父は、妖怪の中でも、高等技術を使い変化した。

「人間」に。

何の力も使えない。

弱くて、脆い人間に。

ちょっとのことで、すぐに死んでしまう、そんな人間に。

 理由は、ものすごく簡単。

「亜季ちゃんに、恋したから(赤く染まった頬付き)」とのこと。

 けれど、親父は、いつかは、自分の変化が解けてしまうことを知っていた。

妖怪だって、万能ではない。

長寿でも、いつかは死ぬし、力も衰える。

 親父は、同じ「人形遣い」の中でも、特に、変化が得意だったらしいが、それでも、ずっと同じ変化を続けていることや、その変化を解かないことは、相当の負担だったらしい。

 加えて、親父は、朝から晩まで働いていた。

エネルギーの消費は半端なかったことだろう。

 本当は、人間に変化している間、少しでも、元の姿に戻り、夢のカケラを集めていれば、今起こっているように、急に変化が解けることもなく、「人間」として、その命を終えることだってできていたようだ。

けれど、親父は、変化を解かなかった。

自分の中で、変化が解けるかもしれないという黄色信号が出ていたにも関わらず。

変化を解いていれば、何の問題もなくこのままの生活を過ごせたという確信があったにも関わらず。

「だって、父さんは、沢くんたちの父さんでいたかったからね。父さんは、沢くんたちと一緒の人間でいたかったんだ」というのがその理由だそうだ。

 そして、力を酷使した結果が、今、だ。


 ちなみに、非常に気になったので、聞いてみた。

「…俺って、半妖(?)…なわけ?」

 だって気にならねぇ?

いや、そこで笑顔で「うん」とか言われても、めちゃくちゃ困るけど。

嬉しいことに、答えは、NOらしい。

 親父は、遺伝子レベルまで、完璧にいわゆる「普通」の人間であり、親父固有の「人間」の遺伝子に変化しているようだ。

しかも、その遺伝子は親父と切り離されているから、親父の変化が解けても問題はないらしい。

 けれど、万一のことも考えて、あまり親父に似ないようにはなっているとのこと。

言われてみれば、兄貴も俺も母さん似だ。

兄貴の場合、性格ももろ、母さんにだし。

俺の場合、性格は…どっちにも似てねぇけど。隔世遺伝?…そう言えば、母さんの母さん、つまり、俺のばあちゃんに性格似てるかも。 

ちなみに、親父の母さんや親父、つまり俺のばあちゃんやじいちゃんはちゃんと存在する。

あの二人も正真正銘の妖怪らしい。俺たちが遊びに行く時だけ、変化して、木造の古い家も、妖怪仲間の力で、建てているとか。

徹底してんな、と他人事のように思ってしまう。

それなのに、こんな根本的な所でバレるって、やっぱり親父だな。詰めが甘い。

 でも、よく考えてみると、影響は受けているのかもしれない、と思わないでもない。

だって、俺の好きな動物。

第三位、トラ。

第二位、ライオン。

なのに、第一位、ウサギ、だし。トラ、ライオンとウサギって絶対違うタイプだよな?それなのに、ウサギが一番に来るなんて。

面倒くさがり屋の俺なのに、小学生の頃のウサギ当番だけは、欠かさず行っていた。いや、むしろ、面倒くさがる友だちの分まで、世話をしていた気がする。

あ、でも、俺のウサギ好きなんてその程度だ。兄貴みたいに一晩中ウサギについて語れるほど好きなわけじゃない。

そう思うと兄貴はもろに影響受けているな。だって、兄貴なんて、ウサギのために、動物園の職員になったようなもんだし。

 ま、その程度だから、別に問題はないけど。

とりあえず、半妖とか、面倒くさいことに巻き込まれなくて、良かった。


親父は、こうなることが分かっていたから、仕事をがむしゃらにしていたらしい。俺たちの将来のための金を稼ぐために。

親父は言った。

「本当はね、皆の前からいなくなるつもりだったんだ」

今日みたいに正体がバレる前に、俺たちの前から姿を消すつもりだったという。

 自分がいなくなっても、俺たちが困らないで生活できるように金を稼いで、全部一人で俺たちの人生抱え込んで。

がむしゃらに、働いた。

 本当は、もうとっくに、変化が解けていてもおかしくなかったという。

だから、姿を消そうとしていた。けれど、どうしてもできなかったと、親父は言った。

「ここ」にいたかったから。

「家族」が大事だったから。そう言う親父は幸せそうな表情を浮かべていた。

だから、全力で守りたいのだと。

だから、一緒にいたかったのだと。

 


 俺は、一言言ってやりたかった。

だって、俺はともかく、親父のぬいぐるみ姿を見てないのに、全てを理解して、納得している母さんや兄貴がいる。

あの二人が親父のことを受け入れない筈がねぇ。

 それに、母さんは、知っていた。

「なんとなく」だったかもしれないけど、「確信」していた。

 親父は「普通」の人間ではないと。

それでも、母さんは、こんなバカ親父と一緒にいた。

親父は、そんな母さんの気持ちを一切考えていない。

 けれど、一言言う前に、俺は部屋から追い出された。

ぬいぐるみのくせに、押す力は強い。それが、またむかついた。

 俺を部屋から出すと、親父は内鍵をかけ、全てをシャットダウンする。

「お父さんね、やぱり、ここを離れられないみたいだ。だって、亜季ちゃんや満くん、沢くんと一緒にいたいもん。でも、皆にこんな姿見せられない。…だから、お父さんはここから出ないよ。でも、お話はしたいから、扉越しにお話しよう!」

 そんなことを宣いやがった。

ふざけんな、と思わず叫びそうだった。

けれど、目の前の扉がやけに冷たくて、俺は何も言えず、ただ、呆然と立ちすくむことしかできなかった。



 そして、現在に至る。

親父がひきこもって、一週間。

 鍵のかかった扉。

その前の空になった皿。

 妖怪も、食事はするらしい。あのぬいぐるみのどこに、食べ物が入るのかは、分からないが。

「亜季ちゃん。今日も、すごくおいしかったよ。やっぱり、亜季ちゃんのハンバーグは最高だね」

 扉の向こうからは、明るい声が聞こえてくる。

扉を挟んで、母さんと親父が話をしていた。

 俺には、母さんや兄貴には言うなと言ったくせに、結局、バカみたいな宣言通り、「寂しいから」という理由で、母さんたちに事実をバラし、扉越しの話し相手になってもらっていた。

けれど、意地でも姿は見せないつもりらしい。

耳を澄まさなくても入ってくる声は、ひきこもっているとは思えないほど、生き生きとしている。

母さんも、楽しそうに笑っていた。

けれど、…少しだけ、悲しそうな表情を浮かべている。

ひきこもっている親父には、分からないだろうが。

こんな扉、一瞬で、壊すことだってできるのに。

平凡な家の、平凡な扉。

体当たりでもすれば、きっと開く。なんなら、ホームセンターにでも行って、何か買ってこようか?

簡単に開くんだ、こんな扉。

なのに、この一枚がやけに高く立ちはだかる。


俺は、小さなため息をついて、外に出た。暑い風が俺の頬をかすめていく。

夏!って感じの陽気。

ちょっと歩いただけでも汗をかきそうだな、こりゃ。

「いってらっしゃい」

玄関を数歩出た所で、母さんの声がかかる。

それに一拍遅れて、親父も「いってらっしゃい」と言った。

なんとなく、扉の向こうで手を振っている気がする。

 でも、俺はそんな親父に腹が立ったため、何も告げずに出て行った。

帰ってから、母さんに何か言われたら怖いなと、若干ビビりつつ。

「やあ、沢田さん」

 ふと、後ろからそんな声が聞こえた。 

俺とすれ違いに家に入って行く、近所のおっさん、おばさんたち。

それぞれ、手土産らしい紙袋を抱えている。それに母さんが、「いつも、ありがとうございます」と頭を下げていた。

 あれに全部お返しするとか、面倒くさすぎだろう?でも、するよな。それが田舎、だもんな。

しばらく立ち止まって見ていると、遅れてきたのか?(そもそも、この人たち一緒の時間に来る約束とかしてるわけ?)背の小さいおっさんと、髪の毛を紫に染めたおばさんが俺の家に入って行った。

親父がひきこもった日から、親父の訪問客が絶えることはない。

「いつも忙しそうにしていたからね。ゆっくり話せるのなんて、今だけだろう?」

そう言って何人も笑って、親父の話し相手になっている。


ちなみに、この人たちは、皆、親父がピンクのウサギのぬいぐるみになったことを知っている。

親父と母さんが揃ってバラしたから。

いや、母さんは隠す気なんてこれっぽっちもなくて、親父は親父で、もう隠すのとか面倒になったんだろうな。

そもそも親父は、人に隠し事とかするのが苦手で、自分が妖怪であることを隠していることに、すげぇ罪悪感を抱いていたみたいだ。

だからこそ、もうバレたんなら、皆に言おう、とかいうスタンスなんだろうな。

しかも、このご近所さんたちは、親父がどんなピンクのウサギのぬいぐるみの姿をしているのかも知っている。

なぜって、おっさん、おばさんたちに頼まれて、唯一親父のぬいぐるみ姿を見た俺が、親父似のぬいぐるみを買いにまで行かされたから。マジで、高二の男子がピンクのウサギのぬいぐるみを探し回るとか、恥ずかしくてしょうがなかった。

 だから、ここにいる人たちは皆、親父がどういう容姿になったのか分かっている。

けれど、それを気にする人など、誰もいない。

さすがに、母さんや兄貴みたいにまったく驚かない、とまではいかないけど。

「沢田さんは、沢田さんだからね。今まで、本当に一生懸命働いてきたんだ。少しくらい休むべきだよ」

なんて口を揃えて笑う。



 俺の住んでいる所は、人口が少ない田舎だ。

だから、ほとんどが顔見知り。

遊び盛りの俺たち若者にとっては、不便なこと、この上ないが。

誰が誰と一緒にいた、だの。

テスト期間中に遊んでいた、だの。

ケンカをしていた、だの。

全てが筒抜け。

田舎のネットワークは半端ねぇと、いつも思い知らされる。

 そんな田舎だからこそ、親父の噂は一日にして広まった。

それでも、皆が心配するのは、「妖怪」の方ではなく、「ピンクのウサギのぬいぐるみ」の方でもなく、「ひきこもり」の方だ。

 親父がぬいぐるみになって、そのぬいぐるみ姿で動き回れることなどについては、ほとんどすぐに受け入れられる。

 どんだけ、柔軟な頭してんだよ?と思わずツッコミたくなるほどだ。

 でも、まあ、親父を心配してくれるのは、純粋にありがたい。

 そして、途切れることのない訪問客を見ている度、親父の人望の厚さに驚かされる。

 親父は、皆に慕われていた。

仕事人間ではあったけれど、それでも、田舎で町の行事に参加しないなど、致命的なことは冒さなかった。

強いネットワークがある分、そこから外されると、簡単に干されてしまう。

だから、親父は忙しいくせに、町内の行事にも進んで参加していた。柔らかい物腰だが、仕事は速くて正確。

「困った時の沢田さん」に、いつの間にかなっていた。

 今思えば、それも親父の作戦だったのだろう。

自分がいなくなった時、俺たち家族が困らないように外の人と密な関係をつくっておく必要があったのだ。

ま、不器用な親父のことだ。初めのうちは計算でも、すぐに計算で動くことはなくなったんだと思う。

でなければ、ここまでの信頼を得ることなどできる筈がない。

 

 俺は、角を曲がる時、もう一度、振り返った。

玄関が開いたままになっているらしく、大人たちの談笑がここまで聞こえてくる。

あんなに楽しそうに笑っているのに。

あんなに人に信頼されているのに。

親父は、俺たちを信じていない。

親父の部屋の固く閉ざされた扉を見る度、そう感じ、なんだか少し悲しくなる。

「別に、いいけど」

 小さく漏らし、再び歩き始めた。

親父にばかり、かまっていられねぇ。

高校二年の夏休みに遊び呆けないわけにはいかねぇんだ。



太陽が俺の頭のほぼ真上に来ていた。

蝉も元気よく鳴いている。田舎ということもあり、俺の住む所には樹が多い。

さぞ、蝉も嬉しいことだろうよ。

ミーン、ミーン、ミーン。

お~、鳴いてる、鳴いてる。

夏らしいと言えば、夏らしいが、暑苦しいこと、この上ない。

 だから、俺は、歩みを少し速めた。

そうすることで汗の量は増えるが、クーラーの効いた室内に入るのも早くなるから。

どうせ、待ち合わせの場所に着くのは俺が最後。だから、俺が早く着けば着くほど、クーラーの聞いている室内は近くなる。

いつも、そうだ。

別に俺がいつも遅れている、というわけではない。

いや、五分とか十分くらいなら、遅れることもあるけど、その程度だ。

そのくらいなら、若いうち遅刻には入らない。

ま、これ言ったら、普通に怒られたけど。

でも、あいつらが早過ぎるんだ。プチヤンキーのくせに。

ヤンキーは、時間にルーズってのが、鉄則だろう?


俺は大抵、四人でつるんでいる。

もちろん、一人は俺。

ヤンキーでは、…ないと思う。

髪も、茶色に染めてるし、酒も飲むけど、そんなの普通の高校生と変わらない。

ケンカはたぶん強いけど、頻繁にするわけじゃないし、自分からケンカを売ることもない。

いや、売られたケンカなら全部買うけどね。

んでもって、負けないけどね。

でも、ケンカした奴らとは、その後ほとんど全員と仲良くなってるし。もうこの町で、俺にケンカしかけてくる奴なんていねぇし。

 ちなみに、俺は自分で言うのもなんだけど、頭は悪い。

因数分解は、何とかできるけど(あ、もちろん初歩だけな)、それ以上になるとさっぱり。

「積分」という言葉を聞いただけで、頭が痛くなる。

でも、こんな俺なのにも関わらず、高校では試験では上から数えた方が早い所にいる。

さすが、バカ高。

マジで、俺が先公に褒められるとか、毎日がエープリルフールみたいだ。

 俺は、高校で一番ケンカが強いから、いわゆるボス的存在なわけで。そんな俺が、高校でテストで結構いい点取ると周りも自然とよくなるから、先公たちは、俺を祭り上げておきたいだけなんだろうけどな。

 それまで分かってる俺って、やっぱ、頭いいのか?

ってか、俺が高校では頭いい部類に入るって…、もっと、頑張れよ、先公。

 俺の他は、健也、和也、勇也の「也」三人組。

 健也と和也は小学生の頃からの付き合いで、いわゆる幼馴染ってやつ。

勇也とは高校からの付き合いだ。

 健也は、頭がいい。だから、もちろん、俺と同じ高校なんかには通っていない。将来は医者になるのが、夢らしく、この辺りで一位、二位を争う進学校に通っている。ちなみに、兄貴が通っていた学校だ。

健也は、その進学校でも、試験でいつも上位クラスに食い込んでいるというのだから、驚きだ。

しかし、成績は悪い。

真面目な学校に通っているくせに、髪は染め、ピアスをし、ケンカは繰り返すから。

生活態度、最悪。

顔の造りは整っているから、もてるが、教師からは嫌われ放題だ。しかも、テストができる分余計にむかつくんだろうな。

気に入らないことは、気に入らないときっぱり言う奴で、そのせいで嫌われることもある。理解さえしちゃえば、自分に正直な奴だと共感がもてるのに、と思わないではない。

ま、口に出して言ってやることなんか、ないけれどね。

和也は優しい雰囲気を持っている奴。俺の兄貴にどことなく似ている気がする。俺たちの中で、唯一ケンカをしない。

それなのに、時々、敵わない、と思う所がある。

和也も頭が良く、健也と同じ高校に通っている。生活態度も良く、教師から絶大な人気だ。

健也とつるんでいること、以外は。

背は高校二年の男子、平均身長に比べたら、少しだけ、低い。そのため、「かわいい」と称されることが良くある。

俺なんかは、「かわいい」なんて言われると、「なめてんのか?」とか思うけれど、和也は「ありがとう」と爽やかに返している。

ま、良く見ると、「気に食わない」ってのが良く分かるから、和也に身長の話は、タブーなんだ。

怒らせると怖いからな、和也は。

 ちなみに、和也とは小学生の頃、ウサギの飼育係で仲良くなった。ウサギ好きに悪い奴は、いないのだ。

 勇也は、俺と同じ高校に通っている。つまり、バカ。しかも、その高校でも成績下位グループだから、正真正銘のバカ。

勇也には、高校に入ってすぐにケンカを売られた。

ま、もちろん、俺が勝ったけど。

俺と勇也はその、拳と拳のぶつかり合い?で親しくなった。勇也とは、この中で一番話が合う。

思考回路が似ているんだろうな、きっと。

好きなテレビ番組も、好きな音楽も、好きなお笑い芸人も一緒だ。勇也が「良かった」と進めてくるものに、ハズレはない。

 勇也も結構、整った顔立ちをしている。雰囲気が怖いため、近寄れる奴は男女ともに少ないが、隠れファンは多いようだ。

俺の方がケンカ、強いのに、しかも、一応ボス的存在なのに、俺はどこか親しみやすい雰囲気を発しているのか、俺に声をかける奴は多い。

そのため、俺は勇也との橋渡し役になることが結構ある。

いや、俺の顔がイケてないとかそんなんじゃ、断じてない……筈。

俺だって、もてるし。

「沢田くん!!」って黄色い声援かけられるし。

和也も、「沢くんって格好良いよね」って言ってくれるし。

近寄りがたい奴にこそ、魅かれるお年頃なんだな、きっと。うん。そうだ。

勇也は意外に常識人である。しかも、容姿を派手にすることを好まないため、見た目は地味だ。遠くから見たら、真面目な学生に見えなくもない。

ただ、目つきは鋭く、発している雰囲気は冷たい。

話してみれば、面白いやつなのにな。

 俺たち四人が一緒にいると、大抵の人は、不思議そうな顔をする。当人たちだって、不思議で仕方がないのだから、無理もない。違うタイプの四人が揃って、どうしてこんなにも話が合うのか。けれど、仕方がない。

驚くぐらい、四人で一緒にいるのが、自然、だから。

そりゃ、もう、面白いくらいに。



「沢くん、遅いつーの!」

 叫びながら手を上げているのは、健也だ。

幼馴染であるため、健也は「沢くん」と呼ぶ。

マジで、あいつの「くん」呼びは似合わない。でも、今更「沢」とか呼ばれても気持ち悪いだけだから、「沢くん」でいいんだ。

俺は左手の腕時計をちらり見る。

一時、二分前。

「遅くねぇよ。むしろ、二分前行動できてるし」 

「でも、俺も和くんも、勇也も十五分前には、ここにいたしな」

 健也は、右と左を見て、同意を求めた。

和也はにこにこと笑い、勇也は苦笑いを浮かべ、小さく頷いた。

「ほらな」とでも言いたげな顔の健也。

いやいやいや。友だちとの待ち合わせに十五分前行動って、早すぎだろう。しかもこんな暑い夏の日に。

「あのな。待ち合わせつーのは、その時間に来ることなんだよ。十五分前に来て欲しけりゃ、その時間に待ち合わせ時間を設定しろ、バカ」

「な、バカのくせに、俺にバカって言うな」

「は?勉強以外では俺よりバカなくせに」

「意味分かんねぇ。バカは、バカだろ」

「ん~、でも、今日は沢くんの方が正しいと思うよ。健ちゃんちょっと、バカ」

「和也、『今日は』ってなんだ、『は』って?」

「え~?俺、そんなこと言った?」

「…もういい。お前に口で勝てる自信ないし」

「いいなら、早く行こうぜ、カラオケ。ここ暑い」

 さすが常識人。

タイミング良く、そう言った。

 健也は少しだけ、不満そうな顔をしていたが、暑さには勝てないらしい。

不満をないことにして、俺たちの先頭を歩きだした。

 いや、待ち合わせに二分前に着いたのに、不満を露わにされたって困るのだが。

健也は、頭がいいくせに、バカなんだよな。


 

 集合場所から歩いて五分のカラオケボックスに入る。

自動ドアをくぐると、最新の曲が耳に入ってきた。

若者の(俺らも若者だけど)、「ギャハハ!」という笑い声も。

エアコンから出てくる冷たい風が、身体を冷やしていった。

汗が徐々に乾いてくる。

 個室に入り、俺たちは、各々自分の位置に座った。

店の造りで、椅子の置き方が違う場合もあるが、俺たちの座る位置は大抵決まっている。

まず、ドアに一番近い所に俺。

奥ってなんか、息が詰まるから、外に一番出やすい所が好きなんだよな。

んでもって、その隣が、和也。

「ほら、沢くんと勇くん、健ちゃんを隣に座らせたら、ケンカしそうじゃん。勇くんと健ちゃんでも同じことが言えるけどさ、俺、どんなに頑張っても分身とかできないし。止めるなら、沢くんかなって思って」という理由らしい。

俺どんだけ野蛮なんだ?いや、売られれば、もちろん買うけど。そんでもって、圧勝するけど。

 で、その隣が勇也。

勇也の場合、余りものの感じが大。俺たち三人が自分の位置を主張するから、じゃあ、そこで、みたいな感じだ。

「俺、どこでもいいけど?ってか、別に座れればよくないか?」との主張。

ダメだな、人生こだわりが必要なんだよ。

それで、残りの健也は一番奥。

「俺が上座に決まってるだろ?」だそうだ。

え?俺様思考?とか思わずツッコミをしたくなるセリフだが、要は、一番奥が好きなだけ。

ま、どうせ、俺は、上座とか下座とかよく分かんないし、なんでもいい。

 

それぞれが、歌う曲を選んでいる最中、思い出したように勇也が言った。

「そう言えば、沢。おじさん大丈夫か?」

俺は、勇也の言葉に、少しだけ落胆した。

そうだよな。知ってるよな。一日で全員に知れ渡るよな、ここじゃあ。

心配するよな。友だちの親父が、なんたって、妖怪だもんな。

うん。正しい反応。

「ひきこもっちゃったんだよね?」

「え?そっち?」

「そっちも何も、問題はそれだけじゃねぇか」

健也が、「呆れた」とでも、言いたげな表情を浮かべる。

こいつら、妖怪のことは知らないのか?さすがに、それは信じていないのか?

そう思って言ってみた。

「えっとさ…信じられないかもしれねぇけど、俺の親父、妖怪なんだって。しかも、ピンクのウサギのぬいぐるみになったんだよ」

「…?知ってるよ。昨日、情報入ったもん」

「すげぇよな。妖怪だって。いるんだな、妖怪って。ま、ピンクのウサギのぬいぐるみって辺りがちょっと、残念だけど。でも、格好良いよな」

「ちゃんと、知ってるってことか?」

「うん」

 綺麗に三人で揃えてくる。笑顔付きだ。

「な、なんなんだよ!お前らまで!!」

 俺は思わず叫んでいた。

俺の混乱の方が正しい反応の筈だよな?

おかしい筈だ。人間が実は妖怪でした、なんて。

なのになんで、母さんや兄貴に加えてこいつらまでこんな反応なんだよ?この町の住人はどうしてこうも……。

何か?やっぱ、俺の反応が間違ってんのか?

親父が妖怪であることって、正しいことなのか?

「なんかさ…」

 そう、勇也は話し始める。

勇也の入れた曲のイントロが流れ始めているが、歌わずに話すことを優先するらしい。

マイクはちゃっかり、握っているけど。

「昨日さ、沢のおじさんが実は妖怪だったっていう内容の回覧板が回ってきた時には、『は?』とか思ったけど」

「ちょ、ちょっと待て!なんだよ、回覧板って。何、個人情報簡単に流してんの?プライバシーの侵害にも程があるだろう!」

「ちゃんと、代表者が沢くんの家に許可取りに行ったって、言ってたよ?」

「は?」

「どうせ、おばさんか、お前の兄ちゃんが出たんだろ?沢くんの所の家族なら、『別にかまいませんよ』とか、普通に言いそうじゃん」

「…」

 言いそう。

というか、確実に言うな。

俺は脱力した。

「かまいませんよ」と言って笑う母さんと兄貴のイメージがかなり精密に頭に浮かんだから。

「話、戻してもいいか?」

「あ、ごめん、勇也。続けてくれ」

「それでさ、『意味わかんねぇ。これっていたずら?』とか思ったんだよ。思ったんだけど、どっちでもいいかなとも思ったんだ」

「ま、勇也にしたら、他人事だしな」

「いや、それもあるけど。…でもさ、別にあんま、変わらねぇだろ?とか思っちゃんたんだよ」

 俺は、意味が分からず、首を傾げた。

「例えば、沢が妖怪で、明日、ウサギのぬいぐるみになってたとするだろ?」

「プッ」

「健也、和也!勝手に想像して、噴き出してんじゃねぇ!」

「だって。…でも、うん。可愛いよ?」

 和也がフォロー?を入れる。

いや、お前の想像の感想なんていらねぇから。ってか、一歩間違えばありえなくもない想像をして欲しくない。

「お前ら、いちいち入ってくんな。話が進まない」

「ごめんね、勇くん。もう噴き出さないから、続けて」

「…それで、ぬいぐるみの沢でも、きっと沢は沢で。俺は俺なんだろうな、と」

「どういうことだ?」

「…」

「それってさ~、『別に人間だろうが、妖怪だろうが、俺とお前が友だちであることは変わらない』って言いたいの?」

 純粋な目で、余計な事を言ってくる和也の頭を勇也が叩く。

あ~赤くなってるよ。

ま、なるか。言われた俺も、恥ずかしいっちゃあ、恥ずかしいし。

言った方はもっと恥ずかしいだろう。

「なんで、叩くのさ!勇くんが言ったこと、通訳してあげただけじゃん。あのね、沢くんおバカさんなんだから、ややこしい言い方じゃ分かんないんだよ」

「お前、さりげなく俺を貶めるな」

「だって、本当のことだもん」

「…ってか、勇也。お前、相変わらず、言うことがクサいな。沢くんにそんなクサいセリフ言っても通じないぜ?」

 軽い口ゲンカを繰り広げる俺と和也。

さらに、俺を貶めつつ、勇也も貶める健也を余所に、勇也は持っていたマイクを口に近付けて歌い出した。

もちろん、その顔は赤いし、不機嫌だ。

あ、俺の知らない曲。

曲は、俺たちが話している間に、二番に突入していた。

綺麗な声が俺の耳に入る。

そういえば、勇也、歌、上手いんだっけ。



 四人で五時間のカラオケ。

いい感じに、喉が痛い。

 カラオケボックスから出ると、夏の暑さを再び感じた。

もう、夕方だと言うのに、勝手に汗が出てくるほど、暑い。

蝉の声も相変わらずうるさい。

 風が吹いて、髪を揺らす。

しかし、この暑さの前では、焼け石に水、といった感じだ。

 健也なんかはこの暑さにイライラし始めている。

イライラしたら、余計に暑いっつーのに、やっぱ、こいつバカだ。

というか、暑いだけでイライラするって、沸点低すぎだろう。

頭がいいくせに、バカ。

ま、それだからこそ、俺たちとつるんでいられるんだろうけど。

「これからどうする?」

「ファミレスでいいんじゃないか?」

 俺の問いに勇也が応えた。他の二人も異論はない模様。

「んじゃ、行くか」 

 四人で並んで歩くには狭い道。

立っている位置関係から、健也と勇也が並んで歩き、俺と和也が後に続く形になった。

夕方で、人が多くなってきているためか、俺たち二人と前の二人の間に距離が開く。

けれど、行く場所は決まっているため、問題はない。

俺と和也はわざわざ、歩く速さを変えたりせず、のんびり足を進めた。

「ねぇ、沢くん」

「ん?」

「俺も、分かるかも」

 和也は、前振りもなく、言う。

「は?」

「勇くんが言ってたこと」

「…あの、クサいセリフのことか?」

「うん」

「ふ~ん」

 なんて返せばいいかわからなかったから、とりあえず相槌を打っておいた。何か話したいことがあるなら、俺の反応に関係なく話すだろう。

伊達に和也と幼馴染はやっていない。

「…確かにね、急に、父さんとか母さんとかに、『妖怪なんだ』とか言われたらさ、これからどうすんの?とか思うと思うんだ。ってか、親が妖怪なんて、絶対、嫌」

…って、おい。

それを俺に言うか?普通。

そう思ったが、和也が真剣な顔をしていたから、口を出すのを止めておいた。

沈黙がしばらく続く。

和也が、笑みを浮かべた。

「でもさ、俺にとって、沢くんは、どんなんでも、沢くんだよ。妖怪でも、犯罪者でも。俺たちは、きっと、ずっと友だちだと思うんだ」

「…なんだよ、犯罪者って」

「だって、妖怪よりは、リアルじゃない?」

「そう言われれば、そうかもしれないけどさ…」

 ま、ケンカばかりしてるしな、俺。

暴行罪とかなら…ありえなくないかも。

「でも、たぶん、大丈夫だよね。沢くん、ケンカした人と友だちになる才能だけは、あるもんね」

「お前、『だけ』を強調すんな」

 俺は和也の髪をぐちゃぐちゃにしてやる。

身長を気にしている和也には、身長差を見せつけてやるのが、一番効くから。

「ちょって、止めてよ!」

 俺の手を振り払い、和也は髪形を元に戻そうと、頑張っていた。

髪を触りながら、言葉を続ける。

「たぶんさ、健ちゃんも、そう思ってるよ。俺や、勇くんだけじゃなくね。…それに、沢くんもそうでしょう?」

「…お前は、そう恥ずかしいことを何回も言うんじゃねぇ!」

「赤くなってる~」

 ニヤリと笑う和也の顔を見て、やっとからかわれていることを理解した俺は、和也の頭めがけて手を伸ばした。

しかし、簡単によけられる。

「そう、何回も喰らわないよ。俺、沢くんより、学習能力あるもん」

 和也はそう言い残し、健也と勇也の所まで走っていた。この暑い中、よくもまあ、そんなに走れるもんだ、と感心してしまう。


「沢くんも、そうでしょう?」

俺の頭の中で、和也の言葉が繰り返された。

少しだけ考える。

俺は、小さく頷いた。

肯定の意。

和也や勇也みたいに、口に出しては言えないけれど、たぶん俺もあいつらと同じことを考えていると思う。

いや、ウサギのぬいぐるみとかになられたら、困るし、犯罪者はもっと困るけど。

それでも、俺があいつらだと認識すれば、どんな姿だろうと、どんなレッテルを貼られていようと、今とまったく同じ対応をするんじゃないかな、と漠然とだが、確信を持って思える。

見た目がどうでも、中身があいつらなら…。

 そこまで思って、俺は恥ずかしくなった。

もしかして俺が一番クサいことを言ってねぇか?いや、声には出してねぇけど。

 絶対、勇也の影響だ。

あいつは思ったことをすぐに口にする。だから、誤解もされやすいし、トラブルにも巻き込まれやすいんだけど。

でも、その素直さを見習った方がいいかも、とかも思うこともあるが。…今のは、影響されすぎだろう。



「おーい」

十メートルほど先から、健也の声が聞こえた。店の前に三人並んで立っている。

「沢くん、早く来いよ」

 人ごみの中、そんなに大きい声出すの止めて欲しいんだけど…。

チラチラ俺を、見てきてる奴、何人かいるし。

 ちょっと、怒りモードに入っている健也と、ニコニコと笑う和也。その隣には、たぶん俺と同じ表情の勇也が立っている。

勇也の正しい反応に少しだけホッとした。

俺の周り、変な奴らだけではなかったと。

 俺は、歩む速度を上げた。

 健也の頭を叩く。

あ~いい音。

「痛ってぇ。なんで、俺が殴られんだよ?遅い沢くんの方が悪いじゃん」

「悪くは、ねぇだろうが。ってか、人ごみで、あんな、大声出すな。恥ずいだろ」

「あ?」

「なんだよ?やんのか?俺より、弱いくせに」

「は?誰が弱いって?」

 ケンカモードに突入しようとしている俺たちを尻目に、勇也が、一つため息をついて、店内に入って行った。

 開けられた扉の内側からは、涼しい冷気。

「…」

「…」

 俺は、健也と目を合わせた。

たぶん、同じことを考えている。

「暑いから、入ろうぜ」

「ああ」

 健也は、頬を二、三回掻いた。照れている時の、健也の癖。

 俺は少し笑って、店の扉を引いた。

 和也の小さな声が、耳に入る。

「ほらね。沢くんは、ケンカした人と、すぐに仲良くなれるでしょう?」

 いや、さっきのはケンカって言わねぇし。しかも、仲良くなるって…なんか意味、違くないか?


 店内に入った俺たちは、ドリンクバーの近くの席を確保した。

まだ、時刻は五時を少し回った所。

夕食には少し早い時間であるため、店内は比較的に空いている。だからこそ、この時間に来たんだけど。

 俺たちは、それぞれに、メニューを頼んで、食べ物を腹に入れた。

ちなみに、俺はビーフカレーを注文。やっぱり、夏と言ったらカレーだろう。

 食べ物が目の前にある時だけは、静かだった。食べざかりの若者だし、食欲には忠実だ。

黙々と箸やらスプーンやらを口に運び、空腹を満たしていく。

十五分くらいで、すでに皿が空になった。

 ウエイトレスが、それを片づけ、テーブルにはドリンクバー用のグラスだけになった。

本来なら、ここで少し休んだら帰るだろう。

 しかし、俺たちにとっては、ここからが、楽しみなんだ。

テーブルに肘を付けて、おしゃべりタイム。

 一般的に、よくしゃべるのは、女性とか言うだろう?

しかし、実際は、そうでもない。

だって、俺たち四人はよくしゃべる。

四人が揃うと、永遠に話し続ける勢いだ。

学校での出来事。家での失敗。昨日のテレビ番組の話…。

他愛もないことから、ちょっとした真面目な話まで、話題はなんだっていい。

俺と勇也、健也と和也はそれぞれ同じ高校だから、お互いがお互いの暴露話をすることもしょっちゅうだ。

勇也の目も当てられないようなテストの点数を面白おかしく話すこともあれば、和也から、健也がどのくらい教師から嫌われているかを誇張付きで聞かされることもある。

本当に四人が揃えば、どんな会話でも全て楽しくなるから不思議だ。

 俺たちは、ドリンクバーのもとを取る気満々で、飲み物を飲みながら、いつも一時間以上店内に居続ける。

食事後、一時間以上、な。

 ま、時々、店の人の視線が痛い時もあるが、それは、若さでカバーってことで。

カバーできてねぇとは思うけど。

でも、ま、痛い視線を感じているくせに、それを無視できるってことが若さなのかも、なんて思わないわけでもない。

 このファミレスには俺たち四人で遊ぶ時、ほとんど毎回来ているから、「長居する四人組」として、ブラックリストに入っているかもしれない。

 けれど、それも、若気の至りって、ことで。

 


俺が、ドリンクバーから、飲み物を持って席に帰ると、もう他の三人は、今日の話題に突入していた。

今日は、ちょっと真面目な話、らしい。

そして、話題の中心は、俺の親父。

どうしても、最近は、俺の親父の話になりがちだ。気持ちは分からなくもないが。

嫌なんだよな。家族の話すんの。

だって、ちょっと、格好悪くねぇ?

 けれど、俺の想いは完全に無視されて、話はどんどん深くなり、互いの家族の話になっていた。

「沢の所は、両親と兄貴だったよな?」

「ああ」

「いいよな、沢くんは。俺だって、兄ちゃんの方が欲しかったぜ。なんで、姉ちゃんなんだろう?しかも、二人」

 健也が愚痴をこぼす。

 俺は、記憶の中にある、健也の姉貴を探した。

健也の三歳と四歳上の姉貴二人を表現する一番適切な言葉は「格好良い」だ。

とにかく、なんでもできる。

中学校では、二代に渡って生徒会長を務めていた。

しかも、美人。いわゆる才色兼備ってやつだ。

そして、厳しい。

人遣いが荒い。

怒らせると怖い。

俺は、健也と幼い頃からずっと一緒にいて、お互いの家に遊びに行くことも多く、そのせいで、もうすでに客人扱いされていない。

和也は気に入られているってか、可愛がられているから(健也や俺と全く別のタイプで、それが新鮮なんだろうな)、ちゃんと客人扱いされてる。

なのに俺と言ったら、完全に弟扱い。ってか、家来?みたいな感じだ。

お金を渡されて、買い物に行かされることもある。客なのに、だ。

けれど、こき使われた後は、必ずと言っていいほど、お菓子なんかをくれる。

そして、「ありがとう」とちゃんと言ってくれる。

その笑顔はとても綺麗で、これならまた言うことを聞いてやってもいいのかもしれないと思えるほどだ。

そう思う度に、やっぱりこの二人は、人の上に立つのが上手いな、と感心してしまう。

「え~お姉ちゃんとかいいじゃん。健ちゃんのお姉ちゃん優しいし。俺も欲しい」

 和也は一人っ子。

だから俺の兄貴もいいなと言うし、勇也の弟、妹も欲しいと言う。

「和くんは、姉ちゃんたちに気に入られてるから、優しいなんて言えるんだよ。あいつら、鬼だぜ?マジ、欲しいならやる。貰って」

「本当に?」

「本当にやる。マジであいつら人遣い、荒いし。昨日だってさ、『私たちも、妖怪見たい』とか言って、俺、二時間以上河原で河童探したんだからな!」

「は?」

 三人の声が揃う。…河童?

「なんだ?それ」

「つーか、沢くんの親父のせいだからな!!お前、責任取れ。俺の労力と時間を返せ」

 いや、そんなこと言われても。

けれど、健也の様子があまりに憔悴しきった感じだったので、俺は何も言えなかった。

時々、こいつがものすごく可哀想に思えるのは気のせいじゃない筈だ。

「ねぇ、なんで河童?」

「…なんかさ、『妖怪って言ったら、河童でしょ?』らしい」

「あ、なんかそれ、分かるかも~」

「ってか、河童って、妖怪か?」

「知らねぇよ。あのバカたちに聞け」

「何で沢のおじさんが妖怪だからって、河童を探しに行かされたんだ?」

「沢くんの家にも一人いるんだから、うちにも欲しい、とか言い出したんだよ。でもって、俺に全部押し付けた」

 思い出した。

最近、家に遊びに行っても、大学生で下宿している健也の姉貴はいないから忘れていたけど、健也の姉貴二人も、健也と同じ人種だった。

 頭はいいのに、バカ。

「あはは…。大変だったな。ちなみに、俺の家の一人は不可抗力だからな。羨ましがられても、困る」

「それも、あのバカたちに言え」

「健ちゃんはさ、どうやって、河童捕まえようとしたの?」

 和也が首を傾げる。

「…きゅうり持って、近くの河原を歩き回った」

「は?」

「だってさ、河童の好物はきゅうりとか言うだろ?だからさ、それ持ってたら、寄ってくるかもしれねぇじゃん」

 寄ってくるかも、って、犬じゃないんだから…。

「近くの河原って…、無理だろう。どう考えても」

 ごく常識的なことを勇也が口に出す。

俺も和也も頷いた。

「だって、俺、どこに河童がいるかなんて知らねぇもん。けどさ、なんか、とりあえず、水辺っぽいじゃん」

「…よく二時間も粘ったな」

 俺は、呆れ八割、感心二割のまなざしを向けた。

「…沢くんだって、知ってるだろ?俺が姉ちゃんたちに逆らえないのを」

 健也が頭をかく。

「ふざけんなよな、あいつら。マジで人遣い荒い。いつか、覚えてろよ」とかなんとか、小声で悪態を付いている。

ま、確かに怒らせると怖いから、従っておくのが無難だ、健也の姉貴たちは。

けれど、それだけじゃない。健也が二人の姉貴のために頑張るのは。だって、悪態を付きながらも、健也の目はどこか温かい。

怖いけど、優しい姉貴たち。

だから、憎めないんだろうな。

小さい頃から、そうだった。

健也は俺たちと一緒にいる時、よく姉貴二人の悪口を言っていた。けれど、最後には決まって、「でも、優しいんだよ」と付け加えていた。

その目がいつも優しくて、大好きなんだな、と感じることができる温かい口調だったことを今でも、覚えている。

 昔は毎日のように健也をこき使っていた姉貴二人も今では大学生で家にいない。

今は、夏休みを利用して帰ってきているようだが、またすぐに下宿先に戻るだろう。

口には出さないけど、健也は少しだけ寂しそうだ。

そりゃ、そうだろうな。

なんだかんだ言いながら、健也たちは仲がいい。いつも一緒だったから。

だからこそ、久しぶりの姉たちの横暴に付き合う気になったのだろう。

さっきの表情は、それを物語っている気がする。

本当に好きなんだろうな、姉貴たちが。

「……なんだかんだ言って、お前シスコンだもんな」

 思ったままの言葉が口から出る。

その言葉に健也が反応した。

「な、違うっつーの。別に、あんな姉ちゃんたち好きじゃねぇし。ただ、怒ると後がやっかいだからおとなしく聞いてるだけだ。…大人の対応ってやつ」

「大人の対応、ねぇ…」

「なんだよ、勇也。言いたいことがあるんなら、はっきり言えよ」

「別に?」

「お前だって、シスコンでブラコンじゃねぇか!」

健也が、「反撃だ!」と言わんばかりに、勇也に向けて叫んだ。

 勇也には、四歳年下の弟と、六歳年下の妹がいる。

勇也の家は共働きで、両親共に帰ってくるのが遅いことが多い。だから必然的に、健也が弟と妹の面倒を見ることになっているのだ。

今では、中一と小五で、それほど手はかからなくなったが、二人が今よりももっと小さい時は、大変だったようだ。

俺たち三人と勇也は、高校の時からの付き合いであるため、その頃のことは実はよく知らない。時々、思い出話として聞く程度。

けれど、お守のためにあまり友だちと遊べなかったということは聞いている。

家に帰って、おやつを作ってやって…、自分だって遊びたいのに、いつだって弟妹を優先して上げなくてはならなかったらしい。

今、ようやく思う存分遊べるようになったと嬉しそうに言っていた。

「は?なんで、俺が」

「だって、勇也この前、俺の所に数学聞きに来たよな?」

「勇也はバカなんだから、それくらい普通だろ?」

「甘いな、沢くん。勇也が持ってきた教科書はな、中一のなんだ」

 勝ち誇ったように言う健也の隣で、勇也の顔が徐々に赤く染まっていく。

弟、妹想いのお兄ちゃんは、それを知られることを嫌うらしい。勇也の場合は、だから一般化できないけど。

 でも、そこをからかうより前に、高二なのに中一の問題が解けないってことを心配しろよ。

って、俺も人のこと言えないけどね。

 というか、健也に親父の知り合いに河童がいることを伝えるの忘れてた。これ伝えたら、健也、喜ぶだろうに。

でも、今話の骨を折るのは、もったいない。

せっかく、面白いのに。

自体が収集したら、教えてやるとするか。

うわ、俺って、いい奴。

「ねぇねぇ、俺も勇くん、シスコンエピソード持ってるよ」

和也が右手を上げて楽しそうに言う。

「いいね、和くん!言っちゃえ!!」

「ちょっ…和は俺の味方だろう?」

 引き攣った表情を浮かべる勇也に、「心底楽しんでます」という笑顔を向けて和也が言う。

「残念でした。俺は、『楽しいこと』の味方で~す」

「それで、どんなエピソードだよ」

 健也の目が輝いている。

さっきやられた仕返しか。

ま、楽しいからなんでもいいけど。

そう思って、俺も好奇の視線を和也に向ける。

「この前、勇くんとゲーセンに行ったんだ。それで、勇くんUFOキャッチャーの所で頑張ってるの。何を取ってるのかな?って見てみたら、クマのぬいぐるみ。なんか、今小学生の間で流行ってるらしいんだよ。三千円くらい使ってたよね?」

「…二千八百円だ」

頬を赤く染めながら、小さく訂正する。

って言っても、たったの二百円しか違わないけどね。

「でもさ、それなら、その金で買った方が速くねぇ?」

「バカだな、健也は。勇也は、『それ、たまたま取ったけど、いらねぇからお前にやるよ』って妹に格好付けたいんだよ」

「沢。お前まで、そっちの味方かよ」

「残念。俺も、『楽しいこと』の味方でーす」

 勇也はイラつきを表すように、髪を片手で、掻いた。

「あー!もー!悪いかよ!!」

 顔がさらに赤く染まっている。

俺たち三人は、それを見て、笑った。

「悪くないよ。勇くんらしい」

「俺らしいって?」

「いいお兄ちゃんってことだよ」

「いつも、『ウザい』とか『むかつく』とか言ってるのにな。なんだかんだで、いい兄貴なんだよな、お前」

「…実際、ウザいし、むかつくぜ?弟の方なんて、軽く反抗期入ってきやがったし。あいつらのせいで俺の自由な時間取られるし。意味なく料理は上手くなるし。ケンカしても絶対俺が悪者だし。…でもさ、あいつらにはいい所見せて、いい兄でいたいんだよな」

 最後のいいセリフだけは小さい声だった。

勇也は耳まで赤い。

けれど、その目は優しい。

なんか、こんな勇也を見てると、「いいお兄ちゃん」なんだと改めて思ってしまう。これ言ったら、キレそうだけど。

「勇也って弟とか、妹とかイジメに遭ってたら、相手ボコボコにしそうだな」

「妹に、彼氏できても、ボコボコにしそうだよ。勇くんなら」

「俺の妹に、彼氏なんてできねぇよ」

 まるで娘を持つ父親のようなセリフ。

小さい頃から見ているから、半分父親のようなものだけど。

 俺と健也と和也は、顔を見合わせ、「プッ」と噴き出した。

「でも、お前の妹、結構顔、可愛いじゃん。すぐに彼氏できるんじゃねぇ?」

 腹を抱えながら、健也が言う。

涙が出るほど、爆笑していた。

「確かに、そうかも」

 俺は勇也の家に遊びに行った時に一度だけ見た、勇也の妹の顔を思い出す。

どこか勇也に似ているその顔は、整っており、可愛いや綺麗という褒め言葉が合う顔だった。

目が大きく、顔が小さい、小動物のような子。

おとなしそうな顔立ちなのに、ハキハキとしていて、しかも、勇也の妹とは思えないほど礼儀正しかった。

あれは、もてるな。うん。

ちなみに、弟も、綺麗な顔立ちをしており、バレンタインにチョコをいっぱいもらっているんだろうな、と思った記憶がある。

しかも、勇也とは違って、気さくだ。あれももてる、絶対。

「健。二度と家に来るな」

「は?ちょ…、なんで?」

「妹、取られるとか思ってるんじゃね?お前、手早いし」

「は?ちょっと勘弁してよ。俺だって、小学生に手は出さねぇよ?」

「ダメだ。二度と俺の妹に近づくな」

 勇也の口調には、怒気が含まれていた。健也は要注意人物としてインプットされたらしい。

ただ、妹を褒めただけなのに。

これで、本当に彼氏を連れてきたら、どうなるんだよ。

「勇くん、大丈夫だって。健ちゃんは年上狙いだからさ」

 和也が思わずフォローに入っている。

俺は面白いので、そのまま見ていることにした。

なんたって、俺は、「楽しいこと」の味方だから。

そんな俺を和也が見る。

「沢くんも手伝ってよ。このままじゃ、勇くん本気でキレそうだよ?」

「それは、それで、面白くないか?」

「勇くんも健ちゃんもケンカ強いんだから、二人がケンカしたら、大変だよ」

 あわてる和也。

二人ともキレたら、とことんやり合うから無理もない。

こいつは平和主義だからな。

 しょうがないな、と俺は小さく息を吐く。

「なぁ、次は、和也の番じゃねぇ?」

 少しだけボリュームを上げて言う。

掴みあいになりそうだった健也と勇也が俺の方を見た。

「お前らさ、からかわれたままでいいのか?和也もからかっとかないと『負け』になるぞ?」

 負け、という言葉を強調してやる。

単純バカには「負け」という言葉が一番効果的なのは、長年の経験で立証済み。

予定通り、二人が和也に視線を向けた。

そこで、もうひと押し。

「健也も勇也も和也にからかわれっぱなしだな。ま、どうせお前らじゃ、口では和也に勝てないもんな。しかたないよな」

 クスッと笑ってやる。

ケンカ勃発直前だった二人は一度目を合わせ頷いた。

和也を見る。

「和は一人っ子だったよな?」

「一人っ子でネタになるのは、やっぱマザコンか?」

「……ねぇ、沢くん。俺、確かに止めてって頼んだよ?頼んだけど、…どうしてこういう状況にするのかな?」

 二人が協力して己をからかおうとしている姿を見て、和也はため息をついた。

「いいじゃん。ほら、俺、『楽しいこと』の味方だし」

「…」

「それに、和也ってあんまり家族の話とかしないから、聞いてみたかったんだよな」

「…俺の所、皆みたいなネタないよ?強い兄姉もいないし、生意気な弟妹もいないもん。父さんと母さんも仕事でずっと一人だし」

「でもさ、和は、しっかりしてるよな。一人っ子って、もっとわがままなイメージがあったけど」

「そうだな。和くんは、門限絶対守るし、酒も飲まないしな」

「成績もいつもいいし、頭、いいもんな、和也は。そのおかげで、俺と勇也は助かってるんだけど。夏休みの課題とか、特に」

「一緒にすんなよ」

「勇也だって、色々助けてもらってんだろうが。同じレベルのくせに何言ってんだよ?」

「は?」

「なんだよ?」

 俺と勇也が睨み合う。

それを見て、和也がため息をついた。

「ちょっと、今度は二人なの?もう、止めなって。…それに俺、そんなにしっかりしてないよ?」

「いや、いや。和也がしっかりしてないってなったら、俺たち三人どうなるよ?」

「は?それ、俺も入ってんの?」

「入ってるに決まってんだろうが」

「俺、テストだけで言ったら、和くんより上だけど?」

「でも、健、成績悪いし」

「こいつ、先公から嫌われるからな。テストができる分、余計に腹立つんだよ。…って、ことでやっぱり総合して、和也が俺らの中で、一番しっかりしてるんだよ」

「ま、この中でなら、当たり前かもしんねぇけど」

 俺は、勇也の言葉に、思わず頷いた。

比べる奴らのレベルが低すぎる。

「俺はね、しっかりしてるんじゃないんだよ。楽、してるんだよ」

 そう言った和也の顔は、どこか悲しそうで、俺は少しの間、言葉を失った。

「楽」なんて、逆だろう?

必死で、勉強して、いつも前向きで、自ら面倒くさい仕事を受け入れている。

高校は違うから、高校での生活ぶりは知らないけど、健也と話していると、やっぱり相変わらず「和也らしい」生活をしているのだと感じていた。

だから、俺には「楽」という言葉と和也は、どうしても結び付けられないのだ。なのに、和也は「楽」だと言う。

 沈黙を破ったのは、和也だ。

苦笑いを浮かべている。

「…本当はさ、父さんも、母さんも俺の妹か弟が欲しかったみたいなんだ。でも、第二子不妊ってやつで、できなかったんだって。…なんかさ、その分の期待とか慈しみとか全部俺に来ちゃってるんだよね。それに、応えたかっただけなんだ。だからしっかりしてるんじゃない。楽してるだけなんだよ」

「…」

 俺たちは何も言えずに、沈黙を作る。

それを破ってくれたのは健也だった。

「…和くん、それって、面倒くさくねぇの?」

 普段の健也とは比較にならないほど、真面目な声。

俺も勇也も何も言えなくなっていた。だから、ここで、健也が聞いてくれて、少し、ホッとする。

「面倒くさいよ?だけどね、楽。だって、言われた通りに行動すればいいからね」

「…」

「…ねぇ、皆は、やっぱりキョウダイと比べられたりした?嫌だった?」

 急に話を振られた。

「……俺は、姉ちゃんたちができたからな。それに比べて劣っているな、とは思ってたけどさ、俺ってこういう性格じゃん?だから、比べられた方が伸びるっつーか。対抗心あった方がいいみたいな所あったてさ。それを親も姉ちゃんたちも分かってるから、何かにつけては比べられたかも。でも、別に嫌だとか思ったことはなかった。先公受けは圧倒的に、姉ちゃんたちの方が上だったけど、頭だけで言ったら、そこまで変わらねぇし。理系に関しては俺の方が上だしな。それにさ、比べられて、それを追い越すのって結構楽しかったし」

「勇くんは?」

「俺は、相手が弟と妹だからな。それに、ある意味俺が保護者だから、比べられるとかはあんまりなかったかも。勉強はできないけど、あいつらのお守はしっかりやってたし。…ま、俺がバカすぎるから比べても意味ないだけかもしれないけどな」

「そっか。じゃあ、沢くんは?」

「俺の場合は、あの親だよ?比較とかするわけないって。『沢くんは、沢くん』って言うに決まってるし。成績とかテストの点数とか、どうでもいいって思ってるから、俺の親」

 俺たちの話を聞いて、和也はフッと笑った。

そして、言う。

綺麗な笑顔で。

「俺はね、比べられたよ」

「…?和也、一人っ子じゃん」

「そうだよ。でもね、比べられた」

「誰と?」

「理想と、ね」

 俺たち三人は、和也の言葉を理解できず、首を傾げるだけだった。そんな俺たちを見て、和也が小さく笑う。

「もっと、子どもが欲しかったのに、できなかった分、俺を『立派な大人』にしたいって想いが強いみたいでさ。父さんと母さんの思う子どもの理想像に沿うように躾られたんだよね、俺。ま、俺も、言う通りにしていれば褒めてもらえるし、俺だけのために、働いて、色々してくれて、甘やかしてくれる二人の期待に応えたいって気持ちもあったから、頑張ったんだ」

「…」

 俺たちは、やっぱり、何も言えなかった。

親の期待を背負う、理想を押し付けられる。それはきっと多くの子どもが経験していること。

たとえ、言葉にしてはいない、と大人が反論しようとも、子どもは聡い。小さな親の表情の変化、想いに気付く。

それを疎く思っても、親に依存している俺たち子どもは、それに従うしかない時もある。

けれど、それでも、「嫌だ」と拒否することだって、できる筈だ。

だって、子どもは、俺たちは、親のおもちゃでも、奴隷でもない。

理想は理想。

俺は俺。

理想の生き方が、万人が思う幸せが、俺の幸せだとは限らない。

だから、俺は思う。

自分なりに、生きてもいいのではないかと。

けれど、実際俺たちはまだ、子どもだ。

高校生でも、立派な子ども。だから、何が自分にとって、幸せなのかを知る術が少ない。自分が何に幸せを感じるのか、自分のことなのによく分からない。

けれど、それでも、親が喜ぶために、とか。

親への感謝のために、とか。

そんな風に思って、自分の歩く道を決めるべきではないのではないだろうか。

きっと、和也だってそう思っている筈だ。

だって、俺たちとあいつの考え方は似ている。

だから、一緒にいる。

 でも、だからこそ、つらく思う。

それでも、そう思っていても、自分の考えを曲げてまで、親の理想に従わなければならなかったのだろうか、と考えると。

「…和くんは、それで、いいのか?…つらくないのか」

「楽、だよ?」

 健也の問いの答えにはなっていなかった。

 健也と勇也の顔から、笑みが消えていた。

だぶん、俺の顔からも。

 静かになった俺たちの耳に、店のBGMが入ってくる。明るいアップテンポの曲。

周りの客も楽しそうに話していた。

女子高生の甲高い笑い声が響いている。

俺たち四人だけが、別の世界に飛ばされてしまったような変な感覚。

「楽…?」

 かろうじて、俺が声を絞り出す。

和也が小さく微笑む。

「うん。だって、歩く道が決まってるもん。なんか、ちゃんと舗装までされてるって感じ。歩きやすいよ」

「…」

「…でも、ね」

 和也は下を向いた。

目の前にあるオレンジジュースの入ったグラスを見ている。

 氷と氷がぶつかり、小さな音が鳴った。

「でもね、それって、つまんないよね」

 そう言った和也の顔からは、先ほどまでの悲しそうな表情がなくなり、いつもと同じような優しげな笑みが浮かべられていた。

俺たちの真面目な顔を見て、声を出して笑っている。

「も~だめ。何、そんなに深刻そうな顔してんの?」

 声を出して笑い始めた。

その様子を見て初めて、和也にからかわれていたのだと気付く。

俺たち三人は、無意識に止めていた息を同時に吐いた。

おいおい、演技、上手すぎだろうが!

その才能、こんなところで、発揮すんな。とか言ってやりたいことは、山ほどあったが、言葉が出なかった。それより、安堵の方が大きかった。

皆で顔を見合わせると、声に出して、笑った。

これが、笑わずにはいられるか、ってな具合に皆で笑った。周りの視線を集めてもおかまいなしに。

「焦った?」

 楽しそうな、実に楽しそうな顔をして、和也が聞いた。

そうだった。こいつは、こういう奴だった。

 確かに、和也はしっかりしている。

けれど、決して真面目ではない。しっかりしている、とは抜け目がない、という意味だ。

真面目に見せておいて、全て完璧だと思わせておいて、手を抜ける所は、誰よりも徹底的に抜く。

そう言えば、頭はいいのに、バカな健也を利用して、課題をやらせることもしばしばだった。

好きなことには一生懸命で、苦手なことは克服するけれど、嫌いなことはやらない。

好きなものを好きと言い、嫌いなものを嫌いと言う。そんな奴だった。

 自分を見極めるのが得意で、自分のことを信じている人間。

よく考えれば和也が親の言う通りの道を無条件で歩くわけがない。

それが自分に合っていて、その道を歩きたい、と和也自身が思わなければ、そこにどんなに感謝の気持ちがあっても、そこにどんなに、信頼関係があっても、和也は歩かない。

それくらい、自分を知っている、自分を信じているんだ、和也は。

「…和也!変な空気作ってんじゃねぇよ!マジでビビったじゃねぇか」

 俺は和也の髪を思いっきりぐちゃぐちゃにしてやる。

「せっかく、髪の毛セットしてきたのに!」と叫んでいたが、知ったことか。

「そうだぞ、マジで。和、泣くかと思った」

「え~、だって、一応嘘はついてないよ?ちょっと、深刻風に言ってみただけだもん」

「なんだ、その深刻風って」

「ちょっと大げさに、暗めにしてみました?」

「なんで、疑問形?」

「…だってさ、父さんと母さんの言ったと通りに動いていれば、楽だし。たぶん、楽に暮らせると思うもん。それに、第二子不妊の話だって本当だし。理想と比べられるのも本当だもん」

「でも、どうせ、和くんはその通りには動かないんだろ?比べられたって、『あ、そう?』ってな具合にかわすんだろ?」

「決まってるじゃん。俺が、人に言われた通りの生き方で満足するような奴に見える?比べたきゃ比べればいい。けど、それに合わせるか、合わせないかは、俺の自由だし。別に俺が理想になる必要はないしね」

「和なら、期待に沿っているように見せて、…遊ぶな、たぶん。ってか、絶対」

「ああ、絶対、な」

 勇也の言葉に健也も俺も頷いた。

「和くんの場合、『期待に沿っているように見せて』、ってとこがみそだよな」

「そう言えば、和也。こないだの試験の結果、全教科七十五点だったとか言ってたよな?」

「うん」

「…それも、どうせ、全部合計計算して、合わせたんだろ?偶然で全部同じ点数なんて、ありえないもんな。あーそうだった。和也は、こういう奴だったんだよ。すっかり、忘れてた」

「なんだよ、その言い方。あのね、あれ、結構大変なんだよ?国語とか変に部分点とかくれる時あるでしょ?だから、そう言う所は完璧にしなくちゃいけないし。それに、数学とか、本当に難しいんだよ?証明とかちょっとでも間違えると、思う通りの点数になんないんだからね。…でもさ、そのくらいの楽しみないと、テストとかやってられないでしょ?」

「ま、俺と沢には、七十五点取れてること自体がすごいんだけどな」

 そう言って俺を見て笑った。

「当たってるけどさ。でも、俺、この前の試験、学年一位だからな。一緒にすんなよ」

「沢くんが、学年一位って…マジで、さすがだな。バカ高」

 健也が笑う。その頭を俺と勇也が同時に叩いた。

なんだ、一応母校愛ってのを持っているわけね、俺たちも。自分たちでバカにするのはいいけど、他人にバカにされるのはむかつくみたい。

特に、この辺りの進学校で一位二位を争う所にいる健也に言われるのは、倍にしてむかつく。

「ね?しっかりはしてないでしょ?」

「しっかりしてないって言うか、…それでも、なんかしっかりしてるというか」

「何それ?」

「でも、門限守るし、酒飲まないよな、和は」

「だって、ちゃんと睡眠取らないと、身長伸びないし。酒なんて飲んだら、身長縮みそうじゃん」

「…なんだ。別に親のためとか、ルール守ってるとか、そう言うんじゃないのか」

「もちろん。大抵は俺の意志でしか動かないよ?」

「なんて言うか…、和くんのイメージ崩れた!こんなんって知ってたけど!!」

「こんなんって、ひどい言い方しないでよね。って、言うか、俺が父さんと母さんの意見を全部聞いていたら、俺、ここにいないんだよ」

「は?ここにいるじゃん」

「大方は聞いてるけど、全部は聞いてないし。俺の考えに沿わないことは聞く必要ないしね」

 両頬を持ち上げ言った。

けれど、結局何が言いたいか分からない。

俺は素直に聞いた。

「どういうことだ?」

「俺、沢くんと健ちゃんと友だちでいること、禁止されてるもん」

「…は?」

「だから、沢くんと勇ちゃんと遊ぶなって言われてるの。それにね、勇くんとは、高校からの付き合いで、勇くんが家に遊びに来てもいつも親がいないから、勇くんのことは何も言われてないけど、たぶん、勇くんと友だちだって知ったら、勇くんともダメって言われると思うよ?」

 あっさり、爆弾発言投下。

おいおい。俺と健也は小学生の頃からの付き合いだぞ?

おばさんも家に遊びに行ったら、「よく来たね」って言ってくれてたじゃん。

そう言いながら、「何、来てんだよ?」とか思ってたってことか?あの受け入れてくれるような笑顔は社交辞令?

大人って、…大人って、怖い。

「な、なんでだよ?和くんとは昔からの仲じゃん」

「うん。小学生くらいのことまでは、何も言われなかったよ?特に健ちゃんは頭良かったし。沢くんも、お兄さんすごいからね。でもさ、中学生くらいから二人ともケンカばっかしてたじゃん。それ父さんと母さん知っちゃって、『そんな野蛮な人たちと一緒にいるの止めなさい』だって」

「…で、和也はなんて答えたんだ?」

「ん~とね。きっと、何言っても反対されると思ったから、聞こえないふりしておいた。でもそうしたら、『うちの和也をたぶらかして』って、勝手に勘違いして、前より嫌ってるみたいだよ」

 たぶらかすって…。俺は思わず肩を落とした。

見れば、もう一人、同じ体制になっている。

特に健也は、和也のおばさんと仲が良かった(つもりだった)から余計にショックが大きいようだ。

他人事ではない勇也も、苦笑いを浮かべていた。

「でもさ、俺は俺だし。一緒にいたい人も、将来も、全部俺が決めるよ。だって、やっぱり、同じ字なら『楽』、より『楽しい』がいいもんね。ま、これはこれで面白いから、ギリギリまで、優等生ぶってるつもりだけどね」

 片頬を持ち上げる和也。

その顔を見て、俺は思った。

「最強、もう一人いたな」と。

そんなに最強ばっかりいたら、もうすでに、「最」じゃねぇ。

 でも、こうして笑う和也が、なんだかとっても和也らしいと思った。

優等生で、なんでもできて、おまけに面倒見もいい。完璧な奴。

けれど、きっと、それだけなら、俺たち三人とつるむことはなかっただろう。

人をからかうことが好きで、楽しいことが好きで、毎日「次は何をしてやろうか」と考えている。楽しいことに貪欲な奴。それが和也だ。

おとなしく親の言うことを「はい、はい」聞いている奴ではない。

 俺は背もたれに体重をかけ、伸びをした。

「なんか、一気に脱力した」

 健也も、勇也も大きく頷いている。

それを見て、和也はまた笑った。

「甘やかされて育ったからね。やっぱ、一人っ子だ。わがままで、自己中にできてるのかも?」

「全国の一人っ子に失礼だぞ?」

「え~勇くんが、先に言ったんじゃん」

「そうだっけ?」

「そうだよ!…でもね、俺。甘やかされて育ったけど、だからこそ、厳しい道を選ぼうって思うんだ。だって、きっとその方が『楽しい』でしょう?」

 そう言う和也の顔が結構マジで、しかもちょっと格好良く見えた。だから、俺は笑ってごまかしておいた。

何を言えばいいか、よく分からなかったから。

「ねっ!次、沢くんの番だよ?」

「は?」

「家族の話。皆話したのに、沢くん逃げる気?」

「俺はもういいだろう?親父のこと話したじゃねぇか」

「それは、沢のおじさんがぬいぐるみに変わった後の話だろう?それに、沢の所には兄もおばさんもいる」

 面倒くさくなりそうだったから、適当にごまかそうと思ってたのに。

鋭い所を的確に勇也がつついてくる。

その鋭さをどうして、他の所で活かせないんだろうか。

「ま、勇也もそう言ってることだし。さー、吐け」

「うぇ~」

「沢、つまらないぞ」

 率直な感想。

健也も、和也も目を細めて、俺を見ていた。

何だ、その、汚いものでも見るような目は!

結構ひねったつもりだったのにな。

「もう、分かったから、その目止めろ」

「うん。いい判断。沢くんが口で俺たちに敵う筈ないんだからね。抵抗は無駄な労力にしかならないんだよ」

「はいはい。で、何を話せばいいわけ?」

「じゃ~まずは、家族構成から?」

「なんで、疑問形?」

「なんとなく?」

「は?…ま、いいか。えっと…家族構成は、父一人、母一人、兄一人、俺一人」

 健也がエアーでメモする振りをする。

さすがにノリがいい。

勇也が「職質」みたいだなと笑った。

いや、その想像ありえそうで怖いんですけど。

「沢くんのお父さんってさ、町内でも有名じゃん。仕事が性格で、優しくて、頼りになる人って。でもさ、お兄さんってどんな人だっけ?会ったことあるけど、あんまり話したことないから、よく分かんない」

「兄貴はな…母さんみたいな人だ」

 俺の言葉に、三人は「あ~」と納得した。

それで理解できるのだからすごい。この三人は俺の家によく遊びに来て、母さんの最強っぷりを目の当たりにしているからな。



 母さんは、最強だ。

それは、俺以外の三人も共通に持っている感想。

どこが?と聞かれると、上手く応えられない。

が、とにかく最強。

自分のペースと雰囲気を持っていて、それに人を巻き込むのが上手い。自分の考えがぶれない。

そして、怒る時は静かに怒る。これが異様に怖い。

しかも、地雷がどこに埋めてあるのか分かりにくいため、余計に怖さが増すんだ。

ま、と言っても、理不尽なことで怒ることはないから、母さんが怒る時はこっちに非があるんだけど。

でも、よく分かんないんだよな。

ちなみに、母さんは、誰であろうが容赦なく怒る。俺や兄貴、親父。近所のマセガキ。マナーの悪い大人まで。

もちろん、健也たち三人もしっかりと地雷を踏んで、爆発させている。

母さんの静かな爆発は、三人の中に「沢田洋一の母=最強」の図式をインプットさせた。

「兄貴は、母さんよりも分かりやすいし、母さんよりも怖くないんだけど、分類すると母さんみたいな人、ってことになるな」

「沢の所も、結構大変なんだな」

 微苦笑を浮かべる勇也。

「まあ、そう言っちゃえば、そうだな。母さんと兄貴は最強で、絶対に勝てないし。ってか、勝負すらさせてもらえないし。親父は親父で、ナヨナヨしてて、にも関わらず頑固者だしな」

「しかも、妖怪だもんね」

 俺は思わず苦笑いをして、頷いた。

「そうだよな。今まででも、大変だったのにさ、なんだよ、妖怪って?しかも、ピンクのウサギのぬいぐるみ」

「でも、沢くん、あんまり気にしてないよな、実は」

「いや、気にはしてるぜ?ぬいぐるみが話すのを唯一見た人間だからな」

「でも、気にしてるの、それだけでしょう?」

 俺は何を言われているのか分からず、首をひねった。

「健の言った『気にしてない』は、ぬいぐるみがしゃべることじゃなくて、おじさんが妖怪ってことを、『気にしてない』って意味だろう?」

 言われて俺は少し考える。

言われてみればそうかもしれない。

さすがに、ウサギのぬいぐるみがしゃべった時には、驚きはしたけど、それ以外は割とすんなり受け入れたような気がする。ま、対応力あるし、俺。


 親父は、親父だ。

姿がどんなんだろうが、そのせいで働けない、だろうが。

別にあまり大きな問題ではないように思える。

姿が、ウサギのぬいぐるみでも、俺が、親父だ、と思ってしまえば、それは親父だ。

自己中な考えに聞こえるかもしれないし、自分でも、「親父の定義なんだよ?」とツッコミを入れたくなるが、ま、俺の考え、俺が中心で何が悪い。

 だから、別にピンクのウサギのぬいぐるみでも、妖怪でも、人間でも、別に関係ねぇ。

ほとんどの人に知れ渡っているんだから、ウサギのぬいぐるみのままで外に出たっていい、とすら思う。

 だって、あれは親父だから。

「あれ」と称してしまうものだけれども、親父だから。

 ただ、俺が現状を嘆いている、とするならば、それは親父がウサギのぬいぐるみ姿の妖怪だから、ということが理由なのではない。

それよにも、『気にしている』ことがある。

親父のひきこもり、だ。

 ひきこもった理由を俺は親父から直接聞いた。

まず、親父の考え方が気にいらねぇ。だって、なんだか、信頼されてない気がする。

 親父にとって、俺は、俺たちは、そんなものなのだろうか?

頼ることもできない存在なのだろうか?

 あ~、なんか、考えたら、イライラしてきた。

そうだよな。

あいつ、俺たちのこと、絶対信頼してねぇ。

うん。むかつく。

そう思ったら、余計にイライラが募る。

一言親父に言ってやらないと気が済まない。んでもって、一発殴ろう。

「おい、帰るぞ」

 さっきまで黙っていた俺が、急に話しだしたから、三人は少し驚いていた。

「沢。帰るって、…話の途中だろうが」

「親父のこと考えてたら、腹立ってきた。一発ぶん殴る」

「…は?な、なんで、そんな結論になってるんだよ?」

「はぁ~あ。沢くん、やっぱり、好戦的」

 二人が、呆れたようにため息をついた。

「おじさんの何にそんなに腹を立ててるんだ?」

「俺らをバカにしている所」

「バカにしてるって何が?」

「親父は、こうなることを予測してたんだよ。ぬいぐるみの姿に戻るってことを。だから、自分がいなくなっても、困らないように、金貯めてた」

「それのどこに怒る要素があるんだ?」

「親父の野郎、俺たち家族と会う時間もないくらい朝から晩まで働いてたんだ。贅沢はできないけど、細々とは暮らしていけるってよ」

「…?え?それってむしろ喜ぶ所なんじゃないの?」

「あいつは、俺らのこと何もできないと思ってやがる。バカにしやがってよ!」

 俺は、無意識に語尾を荒げていた。

 こいつらに、八当たりしてもしかたないのに…。でも、むかつくんだよ。

声に出したら、さらにむかついてきた。

 なのに、三人は、俺の言葉に、「は?」とでも言いたげな顔をして、ポカンとしている。

怒りを共有してほしかったのに、なんだ、その「何言ってんの?」って顔は!

「いや、それはちょっと違うっていうか。むしろ、おじさんの優しさなんじゃ…」

「そんなことされても、嬉しかねぇよ」

 勇也の言葉を遮って声を発した。

 大きな声を出しすぎたらしい。周りの客が、何事かとこっちを見ている。

しかも、この町のネットワークにより、ケンカをすることで有名となってしまっている俺、健也、勇也の三人が揃っているんだ。

何か、始まると思ってしまうのも、無理はないかもしれない。

 あ、隣のおっさん、半分も食べないで逃げるように去って行った。

食べ物残すなっつーの。

あ~あ。周りの視線が、痛い。

 でも、ま、その辺の対処は健也が適当にやってくれるだろう。慣れっこだし、頭の回転速いし、あいつ。

「ちょっ、沢。声大きいぞ」

「うっせぇな。勇也もむかつくと思わねぇ?頼ればいいじゃねぇか。そのくらいの権利持ってるだろうが」

「…そう…だな」

「しかも、ひきこもるってことは人間の姿じゃないと一緒に入れない、って思ってるってことだろう?マジで、なめてやがる。俺らのこと、全く信じてねぇってことじゃん。そう思うだろう?なぁ?」

 俺の剣幕に押されたのか、三人は渋々頷いた。

それを見て、俺は、少しだけ満足する。

そうだ。

俺は、間違ってない。

悪いのは、あの、バカ親父だ。

「じゃ、帰るぞ。一発、ぶん殴ってやる」

「…ふぅ~。はいはい。分かったよ。それじゃあ、健ちゃんも、勇くんも帰ろうか」

「そうだな。というか、俺たち、長居しすぎ。本当にそろそろ帰った方がいいぜ」

 勇也が左腕の時計を見せてくる。

 針は、八時を指していた。

三時間近く居座っていたことになる。

うわ、迷惑な客。

俺はなんだか、急に頭が冷えた。

お店の人、ごめんなさい。心の中で謝罪をしておく。

「ほら、帰るんでしょう?三人とも立って。会計済ませちゃおうよ」

 俺たちは会計を済ませ、外に出た。

一人当たり、千五百円前後の食事。それで、三時間って…。

やっぱり、迷惑な客だな、おい。



 

後編に続きます。ぜひ、後編も見てあげてください

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