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灰燼世界のロジスティクス  作者: 九式


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第20話|摩擦

 第一倉庫の物理的な動線を確保し、安全在庫の一元管理という新たな「循環」を始動させてから数日が経過した。ハブ拠点全体の血流は、数値上では確かに劇的な改善を見せていた。滞留していた物資は行き先を与えられた。しかし、その裏側で、組織の各所には目に見えない「熱」が蓄積されていた。

 これまで各部署が個別に抱えていた「余剰」や「予備」は、組織にとっての防波堤であり、同時に不手際を飲み込む緩衝材でもあった。カレンがそれらを剥ぎ取ったことで、剥き出しになった歯車同士が直接触れ合い始めていたのだ。

 冬の朝特有の、肺の奥まで凍てつかせるような空気の中、管理棟の廊下には異様な喧騒が満ちていた。通常であれば、この時間は各現場の責任者が静かに配給のコーヒーを啜り、一日の作業を確認しているはずだった。しかし今、多目的室のドアの前には、倉庫の伍長や軍曹、そして管理部署の若手書記官たちが列をなし、殺気立った表情で順番を待っていた。

「おい、事務官! 昨日の夕方に届くはずだった防寒具のバッファがゼロってのはどういうことだ!」

「帳簿の入力項目が倍に増えてるぞ! 荷役をしながらこんな細かい数字を追えるか!」

 多目的室の木扉を叩く音は、もはや抗議というよりは、暴力に近い響きを帯びていた。彼らの要求は一様に「以前のやり方に戻せ」というものだった。あるいは、新しいルールがいかに現場の「阿吽の呼吸」を破壊し、疲弊させているかという恨み節であった。

 分隊長が、不機嫌そうに義足を鳴らしてカレンのデスクへと歩み寄ってきた。彼の大きな手には、現場から回収したという苦情のメモが、くしゃくしゃになった状態で握りしめられている。

「少尉、限界だ。各現場から上がってくる不満が、もはや騒音レベルを超えている」

 分隊長は、そのメモの束を叩きつけるように置いた。

「『在庫が少なすぎて不安』『情報の入力に追われて、馬車の出発が三十分遅れた』……。中には、新しいルールを無視して、物資をこっそり空き箱に隠して予備を溜め込もうとする連中も出始めている。少尉、一度ガツンと黙らせろ。軍隊だぞ、ここは。上からの命令に従えないなら、片っ端から営倉送りだ」

 カレンは、積み上げられた汚い紙片の束を、感情の失せた瞳で一瞥した。

「感情的な反発であれば、無視して構いません」

 彼女の声は、冷たい霧のように部屋に広がった。

カレンは手にしていたペンを置き、分隊長を真っ向から見据えた。

「しかし、それらの不満の中に『致命的な不具合』が含まれていた場合、黙らせることはプロジェクトの自死を意味します。システムの論理が、現場の肉体的・物理的な限界を超えて設定されているのであれば、それは運用側の設計ミス、すなわち私たちの瑕疵です」

 カレンは机の上に拠点の全体図と、現在の作業工程図を広げた。

「分隊長、あなたが『騒音』と呼ぶものの中に、我々の論理が拾いきれなかった現場の真実が混ざっている可能性があります。ただ黙らせるのではなく、それらをすべて抽出し、課題化します」

 カレンは、多目的室に事務官とヨハンを緊急招集した。情報のハブである事務官の顔は、かつてないほどやつれ、土気色をしていた。眼鏡のレンズは曇り、指先にはインクの汚れがこびりついている。彼が、現場と上層部の板挟みになり、最も激しい摩擦に晒されているのは明白だった。

「これから、倉庫、管理部署、補給隊の各現場を順に回ります。暫定対応で凌げるものか、それとも設計自体を見直すべき恒久対応が必要なものか。それを、この場で判断し、次の課題として定義します」

 第一倉庫に足を踏み入れると、そこには張り詰めた緊張感があった。整理された棚の間を、兵士たちが無言で行き交っているが、その足取りは重い。ヨハンの部下であるベテランの倉庫兵たちが、カレンの導入した新しいロケーション管理用の看板――白地に黒い数字が並ぶ無機質なプレート――を、親の仇でも見るかのような目で見つめていた。

「ヨハンさんよ、あんたも結局は事務屋の味方になっちまったのか?」

 勤続十五年のベテラン兵が、台車を止めてヨハンに向かって声を荒らげた。彼の指先は、厳しい寒さと連日の作業でひび割れ、痛々しい。

「昔はこの位置に弾薬箱があったんだ。それがどうだ、今はわざわざ新しい番号を確認して、いちいち書類に記入して……。軍手や手袋を外してペンを握るたびに、指の感覚がなくなっちまうんだよ。こんなことしてたら、夕方の補給便に間に合わねえ。効率を上げろって言いながら、やってることは現場への嫌がらせじゃねえのか!」

 この言い分は、一見すると変化を嫌う老兵の愚痴に聞こえた。しかし、カレンは彼の背後で黙ってその一連の動作を観察した。ハンス軍曹が棚から小箱を取り出し、看板を確認し、手元の伝票に数値を記入する。そのプロセスにおいて、彼は確かに「迷い」が生じていた。看板を確認し、伝票の該当欄を探すという一連の認知作業が、極寒の中での肉体労働と競合し、彼らの動作を停滞させていた。そしてその積み重ねが、全体で数時間の遅延へと膨れ上がっている。

「軍曹、あなたの不満は『判断の回数が増えたこと』による疲弊、そして筆記という微細動作への過度な負担ですね」

 カレンが不意に口を開くと、現場の空気が凍りついた。老兵は顔を赤くしてカレンを睨んだが、彼女の瞳には微塵の揶揄もなかった。

「経験則は強力な武器ですが、あなたがいなくなれば、この倉庫の知能は失われる。その不確実性を排除するのが、ロケーション管理の目的です。ですが、現場の肉体的制約を無視したシステムが効率を下げるという指摘は、正当です」

 カレンはヨハンに指示を出した。

「暫定対応を指示します。まず、ロケーション看板の配色を変更してください。弾薬は赤、糧食は青、被服は緑。文字を読んで理解する前に、視覚的な直感で動けるようにします。さらに、現場での記入作業を全面的に廃止します。その代わりに、あらかじめ数値を刻印した木札を用意し、箱を動かすたびにそれを抜き取る、あるいは差し込むだけの方式に変更してください。厚手の軍手をはめたままでも行える動作に、入力を簡略化します」

 老兵は、予期せぬ「具体的な改善」の提示に、振り上げた拳を下ろすタイミングを失ったようだった。カレンは彼に歩み寄ったのではない。

「……しかし、ヨハン氏。これらはあくまで対症療法です」

 カレンの声は厳しさを増した。

「配色の追加も木札の管理も、長期的には新しい管理コストを生みます。また、物資の種類が増えれば配色の数も限界に達するでしょう。恒久的には、『個人の習熟度に依存しない、物理的な動線に直結した作業設計』と『肉体的制約を考慮した入力方式の抜本的な開発』が必要です。これを次の優先課題としてリストアップしてください。我々が挑むのは、人間をシステムに合わせることではなく、システムを現場の物理法則に適合させることです」

 次に訪れた管理部署の執務室は、倉庫とは別の意味で熱を帯びていた。若手から中堅までの事務官たちが、膨大な情報の洪水に溺れ、血走った目で計算用紙と格闘していた。

「少尉、もう限界です! 」

 二十代半ばの書記官が、カレンの姿を見るなり悲鳴に近い声を上げた。彼のデスクには、現場から届いたという「生データ」のメモが散乱している。

「リードタイムの変動を反映させる週次計算自体は良いです。しかし問題は、計算の元となる現場の数字です! ヨハンたちの部下が書いてくる数字は、端数が合わない、字が潰れて読めない、中には『大体これくらい』という主観的なメモまで混ざっている。これらをそのまま動的安全在庫の計算に組み込めば、誤差が膨れ上がり、数週間後には帳簿に修正不能な空白が生じます。現場の不始末で、我々が後方から『横領』を疑われるのは真っ平です!」

 管理部署の不満は、情報の「精度」に対する根深い不信感だった。これまでは事務官が現場を「信用に値しない存在」と断じ、独自の安全バッファを帳簿に上乗せすることで、現場のミスを隠蔽し、自らの保身を図ってきた。しかしカレンの一元管理化によって、現場の生データがダイレクトに計算結果へ影響を与えるようになり、彼らは「他者のミスによって自分の首が飛ぶ」という、官僚的な恐怖の極北に立たされていた。

「帳簿の美しさは、軍の勝利に寄与しません。あなたがたが守りたいのは帝国ですか、それとも自分の人事評価ですか?」

 カレンの問いに、書記官は言葉を詰まらせた。

「現場の数字が不正確なのは、あなたたちが現場を『信頼』という曖昧な情緒で評価しようとしているからです。計算とは、不純物が混ざることを前提として行われるべきものです。暫定対応として、現場からの報告データに一定の『誤差許容範囲』を設定します。微細なズレはシステム上の端数として自動処理し、その範囲内であれば担当者の責任は一切問いません。帳簿を現実の揺らぎに合わせるための、許容という概念を導入してください」

 事務官たちが、蜘蛛の糸を掴むような面持ちで顔を見合わせる。

「しかし、これも本来あるべき事務の姿ではありません」

 カレンは事務官を見つめ、釘を刺した。

「誤差を許容し続ければ、それはやがて巨大な使途不明在庫の闇となり、腐敗の温床になります。恒久的には、『情報の履歴の完全な可視化』と『責任分界点の厳密な再定義』などが必要です。ミスを隠すためのバッファを認めるのではなく、ミスが発生した際、その原因が現場の数え間違いなのか、輸送中の紛失なのか、あるいは事務官の計算ミスなのかを、誰の目にも明らかな形で切り分けられる仕組み。犯人探しのためではなく、どこにリソースを投入して再発を防ぐかを判断するための、情報の透明化。これを次の検討課題として定義します」

 最後に訪れたのは、分隊長が管轄する補給隊の待機所だった。そこには、他部署のような激しい怒号や叫びはなかった。代わりにあったのは、不気味なほどの静寂と、凍りついたような「無関心」だった。御者や護衛兵たちは、自分たちの馬車を整備し、黙々と荷積みを手伝っているが、その目はどこか遠くを見ている。

「少尉、ここは一見、一番平和に見えるだろう?」

 分隊長が、義足の接合部を気にしながら苦々しく言った。

「トラブルは起きてねえ。輸送スケジュールは守らせてるし、遅延の報告も、お前の言う通りにやらせてる。だがな、うちの連中は、自分がこの立派な改善とやらにどう貢献してるのか、これっぽっちも分かってねえんだよ。倉庫や事務屋が血眼でバタバタやってるのを、遠くの対岸から眺めてるような気分さ。まるで、自分たちだけがこの拠点の仕組みから切り離された『蚊帳の外』に置かれてるようにな」

 ハブ拠点内での情報の同期が進み、内勤の結束が強まるほど、物理的に拠点を離れることが多い彼らは、自分たちがシステムの一部であることを実感しにくくなっていた。これは兵站における致命的な病理――「報告しても何も変わらない」という諦念――を招く兆候だった。

「分隊長、その孤立感は、いずれ報告の怠慢、さらには現場判断での独断専行となって現れます。自分が何を伝えても、システムは変わらないと彼らが思い始めたとき、この改善は死にます」

 カレンは即座に対応案を提示した。

「各領域の壁を物理的に壊すために、領域を横断して情報を繋ぐ人間を、各部署から意図的に選出します。これを『物流連絡官』と呼びましょう。補給隊からも、倉庫の荷受状況を監視し、事務官の入力補助を兼任する物流連絡官を出してください。自分たちが命がけで届けた遅延報告が、事務室でどう処理され、ヨハンの倉庫でどう作業の優先順位を入れ替えたか。その結果を現場にフィードバックさせる仕組みを構築します」

 カレンは、分隊長、事務官、ヨハンに、この制度をハブの公式な組織構造として組み込むことを指示した。領域を横断する人間を意図的に増やすことで、全体最適の視点を現場レベルで共有させるのが狙いだった。

 分隊長が部下たちを呼び集め、カレンの意図を伝えた。物流連絡官に指名された者が、戸惑いながらも自分の役割が「単なる運び屋」以上の意味を持つことを理解し、わずかに背筋を伸ばした。それは誇りではなく、自分の行動が全体に波及するという責任の自覚だった。



 一日の巡回を終え、多目的室に戻った五人。窓の外では、夕闇が拠点を包み込み始めていた。冷めたコーヒーを啜りながら、ヨハンがふと、どこか自嘲気味な笑みを浮かべて口を開いた。

「……ところで少尉。今日一日現場を回って、一つ確信したことがある。不満の半分以上は、あんたが言うような立派な理由じゃねえ。もっと単純で、どうしようもねえもんだったぜ。要するに、『サボる時間がなくなった』ってやつだ」

 分隊長も、煙草の煙を吐き出しながら頷いた。

「ああ、俺のところでもそうだ。以前は輸送の合間に、積み込みを待つふりをして一服する余裕があった。だが今は、物流連絡官だなんだと報告に追われ、次の一手が決まるのを待つ余裕もねえ。奴らにしてみれば、少尉の改善ってのは、自分たちの貴重な自由時間を奪い、常に監視し続ける悪魔の所業に見えてるんだろうな」

 カレンが答える前に、事務官がそれを冷徹に遮った。

「それは、許されざる甘えだ」

 彼の声には、自身もまた余裕を奪われた者としての、硬質な怒りが混じっていた。

「諸君、我々が今、どのような絶壁に立っているか忘れたわけではあるまい。帝国の財政は既に破綻し、後方の国民は飢えを堪えて物資を送り出している。以前の『融通』や『サボり』は、単なる休息ではない。それは供給網という巨大な機構に生じた、致命的な『漏れ』だ。その漏れが集まって、前線の塹壕で弾丸を求めて死んでいく戦友たちの叫びになっている」

 事務官は、壁に貼られた帝国の物資消費率のグラフを指差した。

「業務が忙しくなったのは、諸君らがようやく、軍隊という名の冷徹な機能の一部として、正常に稼働し始めたということだ。帝国が負ければ、サボる時間どころか、我々が人間として存在する時間さえ奪われる。それを理解できない者は、このハブには不要だ」

 ヨハンも真剣な面持ちで同意した。

「俺も連中に言ってやったよ。サボる暇があるなら、一発でも多く弾を前線へ送る計算をしろ。現場が楽をしているとき、誰かがその皺寄せで死んでいるんだとな。……だがこれを当たり前にするには、まだ時間がかかりそうだぜ」

 カレンは彼らの言葉を聞きながら、ホワイトボードに整理された課題リストに最後の一線を引いた。改善は現場の休息を奪い、人間を純粋な「機能」へと変容させていく。それは正しい判断だが、同時に彼らの人間性を摩耗させる残酷なプロセスでもあった。しかし、今の帝国に、その痛み以外に選択肢は残されていない。

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