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灰燼世界のロジスティクス  作者: 九式


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第18話|供給

 「課題の洗い出し」期間として設定した延長週の三日目。多目的室のホワイトボードには、ヨハンが絞り出した現場の歪みと、事務官が差し出した帳簿の不整合が並んでいる。最後に残った一列――輸送分隊長の領域は、未だに空白だった。

 分隊長は、椅子を大きく傾け、組んだ足を机の上に乗せたまま動かない。その左脚は、膝から下が義足だ。数年前のレンボルグ戦線で砲弾の破片を浴び、前線を退いた「叩き上げ」の残滓である。

「少尉さんよ。俺に何を書けってんだ。俺の仕事は、届いた荷を前線へ叩き込むことだ。そこにあるのは泥と血と根性だけだ。ヨハンのような小理屈も、事務官のコソ泥のような計算も、戦場じゃあ何の役にも立たねえ」

 分隊長の視線には、明確な軽蔑が宿っていた。彼は、命を懸けていない後方の人間すべてを、戦場の純粋さを汚す不純物だと見なしている。

「俺はあそこ(前線)で死ぬべきだったんだ。こんな埃っぽい倉庫で、紙切れと睨めっこするために生き残ったわけじゃねえ」

「分隊長。あなたの死生観は、システムの運用においてノイズでしかありません」

 私は、彼の義足を真っ直ぐに見つめて言った。

「あなたが前線で死にたかったというのは、単なる自己満足です。戦士としての名誉を優先し、管理という責務から逃避しているに過ぎない。本当に帝国のためを思うなら、あなたがすべきことは華やかな死を夢見ることではなく、一発でも多くの弾薬を、一秒でも早く、一人の死者も出さずに送り届けるための最適解を導き出すことです」

「なんだと……?」

 分隊長が椅子を戻し、机を叩いて立ち上がった。威圧感。だが、私の演算回路に恐怖というパラメータは存在しない。

「あんたに何がわかる。泥水を啜り、隣の戦友が肉塊に変わるのを見ながら、それでも引き金を引く連中の気持ちが!」

「気持ちは理解の対象ではありません。事象の対象です」

 私は淡々と続けた。

「前線の兵士が飢えているのは、あなたの情熱が足りないからではなく、輸送効率が低いからです。あなたが後方を軽蔑し、管理を怠ることは、間接的に前線の戦友を見殺しにしていることと同義です」

「……少尉の言う通りっすよ、分隊長」

 ドアのそばでナイフを弄んでいたエリックが、気だるげに声を挟んだ。

「自分も前線にいましたがね、分隊長が『前線最高!』って叫んだところで、腹は膨らまねえし、銃は撃てねえんっすよ。あんたが今やるべきなのは、英雄の真似事じゃなくて、このクソみたいなハブの『目詰まり』を直すことじゃないんすかね」

 分隊長は、私たち二人を交互に睨みつけ、荒い呼吸を繰り返した。やがて、彼は毒気を抜かれたように力なく椅子に座り直した。

「……効率、か。俺が一番嫌いな言葉だ。だが……前線の連中を見殺しにしてるってのは、癪だが否定できねえな。だがな、あんたは人としておかしい」

 頭を冷やしてくると言って分隊長は部屋を出ていった。



 三十分後、私は分隊長と共に、馬車とトラックが入り乱れる積み込みプラットフォームに立っていた。分隊長は休憩の間に何かあったのか、少し落ち着いたようだった。

「分隊長。供給業務、すなわち前線への物資輸送プロセスを分解します。積載、経路選択、移動、そして引き渡し。これら一連の工程を、単なる『根性』ではなく、リスク管理の観点から再定義してください」

 私は手元のクリップボードに、輸送路の地図を広げた。

「一般的なロジスティクスに加え、この拠点には『戦場』という変数が加わります。敵の魔導観測、長距離砲、そしてぬかるんだ未舗装路。これらを考慮した上で、供給ラインの脆弱性を可視化する必要があります」

 分隊長は、渋々と地図を指差した。

「……例えばこっちの戦線に行く時の経路はこの一本道だけだ。ここが敵の観測ポイントに晒されている。一日に三回、定時で砲撃が来るが、運搬兵たちは『運が悪ければ死ぬ』と笑いながら通ってる。荷を積むのに時間がかかれば、その分、砲撃の時間帯に捕まる確率が上がる」

「それは『運』ではなく、『確率統計』の問題です」

 私は彼の言葉を遮り、数値を書き込んだ。

「積載作業に三十分の遅延が発生すれば、敵の砲撃サイクルと重なるリスクが六割上昇する。つまり、倉庫内の作業効率は、そのまま運搬兵の生存率に直結します。補給部隊という業務を、単なる『命懸けの作業』として美徳化するのではなく、いかにしてそのリスクを最小化するか。その視点で現場を見てください」

 分隊長は、私の言葉を噛みしめるように、出発していく馬車列を眺めた。馬の嘶きと、積み荷のぶつかり合う音。そこに、彼はかつての自分を投影しているようだった。

「……リスクの最小化、か。俺たちは、死ぬことを前提に動いていた。だが、死なないことを前提に組み立てろって言うんだな、少尉」

「その通りです。管理者の仕事は、部下に命を懸けさせることではなく、命を懸けなくて済む仕組みを作ることです」

 「……噂で聞いたが、あんた、現場の確認のために最前壕まで赴いたことがあるそうだな」

 分隊長が、品定めをするような昏い目で私を見た。義足の膝を乱暴に叩き、鼻で笑う。

「お偉いさんの『視察』ってやつか? 護衛に囲まれて、綺麗な長靴を汚さないように安全な場所から眺めるだけの、形ばかりのピクニックだろ。そんなもんで前線を知ったつもりになられちゃあ、たまらねえな」

 私は淡々と事実のみを返した。

「前線の小隊長に連れて行かれました。私の未熟さで現場に混乱を招いたのがきっかけですが」

「前線で計算をしていたと聞いたが、隊を危険にさらすと思わなかったか?」

「確かに私の行動はあの場においては誤りでした。不確実な需要と限界ある供給の間のギャップを埋める動的システムこそが本質だと、それの実現可能性の方が気になってしまいました」

 分隊長は、喉を鳴らした。

「……あんたは何があっても数字通りに、届けると聞いた」

「絶対ではありません。私が行ったのは需要予測の精度向上と、不足時の緊急補給の考案です。なるべく不足しないようにして、いざとなったら届けるというものです」

「絶対はない、そうだな。噂通りあんたは本当にこの『物を届ける』ってことに命を懸けたんだな」

 分隊長は椅子を深く鳴らし、天井の低い梁をじっと見つめた。その眼差しから、先ほどまでの攻撃的な熱が失われ、重苦しい沈黙が部屋を支配した。



 数時間の観察を経て、分隊長の態度は明確に「実務的」なものへと変容していった。かつて前線で小隊を率いていた時の、鋭い観察眼が蘇っている。私が出す観点に対し、彼は現場の生々しい実態をぶつけてきた。

「分隊長。『輸送具の稼働率と、メンテナンスコスト』という観点だとどうでしょう」

「ああ、それなら課題がある。トラックの半分が整備待ちで止まってる。予備部品が事務方の帳簿ミスで届かねえからだ。動かせる車両に無理やり荷を積み込むから、さらに故障が増える。悪循環だ」

「補修部品の欠乏による、特定車両への過負荷と故障率の増大ですね」

 私はノートに記した。今度は分隊長が、積み込み場の一角を指差した。

「少尉、あそこを見ろ。荷台の端までぎりぎりに箱を積んでる。前線が『もっと送れ』とうるさいから、過積載を承知で出してるんだ。だがな、あの重さじゃ、例のぬかるんだ地点で車軸が折れることがある。結局、荷は届かねえし、道も塞がる」

「『過積載による途上破綻リスクの無視』。目的地に届く数量の期待値を下げる、典型的なエラーです」

 私たちは、互いに言葉を交わしながら、輸送ラインに潜む「無理・無駄・ムラ」を抽出していった。分隊長は、これまで「戦場の厳しさ」として片付けていた事象の多くが、実は事前の準備と管理で軽減できるものであることに気づき始めていた。

「もう一つ。前線の受領担当との連携だ」

 分隊長が吐き捨てるように言った。

「あいつら、届いた荷を降ろす人員を確保してねえんだ。運搬兵が銃火の中で、自分たちで荷下ろしをしてる。その時間が一番危険なんだ。これも課題か?」

「『末端拠点における荷役人員の不足と、滞留時間の増大』。情報の断絶がここにも現れていますね」

 分隊長の表情に、かつての絶望ではなく、ある種の「解決への意欲」が宿りつつあった。

 夕刻、分隊長は私を連れて、出発直前の補給部隊が集まる待機所へ向かった。そこには、泥に汚れ、疲弊した顔をした若者たちが、粗末なスープを啜りながら出撃の合図を待っていた。

「少尉。こいつらが、俺が預かっている連中だ」

 分隊長の声は低かった。彼は、一人一人の顔を指差し、その名前と出身地を小声で教えてくれた。皆、前線で戦う能力を失った者や、徴用されたばかりの農家の息子たちだ。

「分隊長。あなたに聞きます」

 私は、震える焚き火の光に照らされた彼らを見つめながら言った。

「あなたは管理者として、彼らの命を握っている自覚はありますか。あなたが『華やかな死』を望み、後方のルーチンワークを軽視していた間、彼らはその代償として、不必要な砲火に晒され、折れやすい車軸の上で命を弄ばれていた。その自覚はありますか」

 分隊長は言葉を失った。彼は、自分が「前線への未練」という個人的な感情に溺れることで、最も守るべき部下たちを「不条理な確率」の中に放置していたことに、今、気づかされたのだ。

「……俺は……」

 分隊長は、大きく、歪な手で顔を覆った。

「俺は、こいつらと一緒に死ねればそれでいいと思っていた。だが……それは違うな。俺の仕事は、こいつらを一人残らず、安全に帰すことだったんだ」

 分隊長は、ゆっくりと歩みを進め、補給部隊の若者たちの前に立った。兵士たちは、厳格な上官の突然の接近に緊張し、背筋を正した。

「……野郎ども、聞け」

 分隊長の震える声が、待機所に響いた。

「今まで、すまなかった。俺が不甲斐ないせいで、お前たちに不必要な危険を強いてきた。俺は……俺はこれからは、お前たちが一秒でも早く安全な場所へ戻れるよう、死に物狂いでこの倉庫のクソったれな仕組みを叩き直す。約束する」

 分隊長は、深々と頭を下げた。階級も年齢も上の上官が、二等兵たちに謝罪する姿に、待機所は静まり返った。エリックですら、皮肉な笑みを消し、静かにその光景を見つめていた。

「少尉。ホワイトボードを埋めてやる。俺にしか見えない、泥と血の中の課題を全部だ」

 分隊長が振り返った。その目には、英雄への憧憬ではなく、冷徹な管理者としての覚悟が灯っていた。

 一週間後。多目的室のホワイトボードは、ヨハンの「現場」、事務官の「帳簿」、そして分隊長の「供給」という、三つの異なる視点から導き出された膨大な課題で埋め尽くされていた。

 私は、その混沌とした文字列を眺めた。

「……課題の洗い出しを終了します。これより、優先順位の策定と、具体的改善案の構築へ移行します。これまでの『当たり前』を、全て破壊しましょう」

 帝国は依然として逼迫し、戦争は悪化の一途を辿っている。だが、このハブ拠点という一つの細胞において、情報の血流が、わずかに、確かに熱を帯び始めた。

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