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灰燼世界のロジスティクス  作者: 九式


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第15話|計測

 第三ハブ補給倉庫の「課題の洗い出し」に設定した一週間の初日。私は管理棟の事務机に釘付けになることを止め、倉庫の外縁部へと足を運んだ。論理の整合性を確認するためには、まずその論理が展開される物理的なフィールド――すなわち「大地」を正しく定義しなければならない。

 石造りの倉庫群の裏手には、帝国中央の帝都から延々と続く複線の鉄道引き込み線がある。そこは、絶え間なく蒸気機関車が吐き出す重く黒い煤煙と、鉄が擦れ合う悲鳴のような金属音が支配する空間だった。

 巨大な貨車から荷下ろしされるのは、重工業地帯で鋳造された鋼材、広大な農地で収穫された小麦粉の袋、そして軍事機密として厳重に封印された魔導触媒石のコンテナ。これらは帝国の「血流」そのものだ。中央の豊かな資源が、この細い鉄の道という血管を通じて、飢えた西部戦線へと送り込まれている。

 私は、バラストが敷き詰められた線路脇を歩き、レールの継ぎ目を確認した。摩耗は激しい。帝国の財政逼迫により、保守点検の頻度が下がっていることが、枕木の腐食具合からも見て取れる。

「……壮観だな、とか思うんすか? こう、国のデカさを感じるっていうか」

 私の数歩後ろを、エリック伍長が軍帽を指先で回しながら、退屈そうについてくる。

「いいえ。私は、この鉄道の輸送能力と、ここから先の未舗装路の輸送能力の圧倒的な剥離を確認しています」

 私は立ち止まり、ノートにペンを走らせた。

「鉄道は一度に数百トンの物資を定時で運べますが、ハブから先の四つの前線拠点へは、泥濘に足を取られる馬車と、整備不良のトラックが主役です。このハブ倉庫は、高速で流れる太い幹線道路を、細く詰まりやすい四本の毛細血管へと無理やり変換する、極めて負荷の高い変電所のような役割を果たしている。その変換プロセスにおける『摩擦損失』が、この拠点の非効率の正体です」

 プラットホームの端で、エリックが馴染みの鉄道員を見つけ、何やら話し込み始めた。

「よお、昨日の酒場の女、どうだったよ」

「最悪さ。あんなに不味い酒でよく金が取れるもんだ。おまけに憲兵がうるさくて、ゆっくり脱走の相談もできねえ」

 低俗な世間話と、冗談とも本気ともつかぬ愚痴。私には全く理解できない、時間の浪費でしかない会話の断片が耳に入る。エリックは時折こちらを指差し、鉄道員とニヤニヤしながら何かを囁いている。おそらくは「新しい上官がどれほど融通の利かない人間か」という情報を、彼らなりの通貨として交換しているのだろう。

 私は彼らの輪から物理的に十メートルほどの距離を置き、線路の継ぎ目を凝視し続けた。

 居心地が悪い、という感覚。それは私が周囲の「無意味な社交」というノイズに適応できていないことを示す指標だ。彼らの笑い声が風に乗って聞こえる。

 私はノートを閉じ、エリックに声をかけた。

「伍長。社交による情報交換は終了しましたか。次へ移動します」

「……あ、はいはい。もう終わりっすよ。冷てえなあ、少尉。たまにはこういう雑談から、鉄道の遅延予定とか、上の連中が隠してるトラブルとかが拾えることもあるんすよ?」

「その情報が『昨夜の酒の味』を媒介にしなければ得られないものであるならば、情報の精度に疑問が残ります。移動します」

 私は、自分のブーツの音だけが規則正しく響く道を、足早に歩き出した。背後でエリックが「マジで機械だな……」とこぼすのが聞こえた。

 午後。私はハブの物資集積状況を俯瞰するため、拠点を囲む丘陵地帯へと登った。

 管理棟から持ち出した古い地勢図を広げ、目の前に広がる景色を「リソースの分布」として再構築する。

「エリック伍長。この拠点の東側を流れるあの川について。喫水はどれほどですか。平底船の航行は可能ですか?」

 私は、地図上に引かれた青い線を指差した。

「あー、あの川っすか? 春の雪解け時期は増水しますけど、今は浅いっすね。昔は小さな荷船が通ってたらしいっすけど、今は鉄道があるから誰も使ってねえっす。岩も多いし、座礁のリスクを考えたら馬車の方がマシですよ」

「北側の山系はどうですか。植生は。燃料としての木材、あるいは要塞化のための石材の自給は可能ですか?」

 エリックは困惑したように後頭部を掻き、山の斜面を眺めた。

「山は……まあ、木は腐るほど生えてますよ。でも、わざわざここで切り出す人手も機械もありゃしません。中央から運ばれてくる建材を使ったほうが早いっしょ。畑だって、村の連中が細々と自分たちが食う分のジャガイモ作ってる程度っす」

 私は地図上に資源分布図を脳内で重ね合わせた。

 現在は全ての物資を帝国中央からの補給に依存している。だが、戦争がこのまま膠着し、鉄道網が敵の長距離魔法や空挺攻撃で寸断された場合、このハブは完全に孤立する。そのリスクを最小化するためには、このハブ周辺で一部の物資を生産できるようになるべきだ。

 例えば、周辺の村々にジャガイモの増産を命じ、ここで乾燥糧食への加工を行う。あるいは、山の木材を使って梱包用の木箱を自作する。魔法によって木材の乾燥を促進させれば、数ヶ月の工程を数日に短縮できる。

「地産地消による兵站線の短縮……」

 いつか、この拠点の運用が安定した暁には、そうした「生産機能を持つハブ」への拡張を提言すべきかもしれない。生産と分配が同一地点で行われれば、輸送に伴うリスクとコストは劇的に低下する。

 もちろん、それは今の泥沼のような混乱を脱した後の、遠い未来の話だ。今はまだ、目の前の「流れてくるものを、正しく分配する」ことだけで手一杯だ。

「少尉、何難しい顔して村の畑見てるんすか。まさか、自分で耕すつもりじゃないっしょ?」

「……将来の定数を検討していただけです。移動します」

 私は、現実味のない理想論を一度切り捨てた。現在、私に与えられた権限は「運用」であり、「経営」ではない。しかし、この地形のポテンシャルを記憶しておくことは、将来的な全体最適化において無駄にはならないはずだ。

 夕刻、私は事務室に戻り、収集した物理データを元に「供給手段の比較表」を作成し始めた。ランプの灯りに照らされた机の上で、ペンが規則的な音を立てる。

 四つの前線拠点(第十四~第十七)へ物資を運ぶための手段は、現在三種類に分類される。

 第一に、馬車。

 これは西部戦線の最古参であり、最も信頼されている。

 メリットは、未舗装路、特に春や秋の泥濘期における走破性が高いことだ。魔法で脚力を強化した軍馬は、泥に足を取られながらも着実に進む。また、燃料を必要とせず、飼料を現地調達できるため、兵站線が伸びきっても死なない。

 デメリットは、圧倒的な速度不足だ。一日の移動距離はトラックの数分の一に過ぎず、運べる重量も限られる。また、馬は生き物であるため、疫病や過労、あるいは敵の銃声によるパニックという、予測困難な心理的変数を抱えている。

 第二に、トラック。

 メリットは、平坦な道における圧倒的な積載量と速度。これ一台で馬車数台分の物資を一気に運べる。

 デメリットは、脆弱性だ。帝国の財政逼迫により、提供される燃料は不純物が多く、エンジンは頻繁にノッキングを起こす。また、西部戦線の劣悪な道路状況では、車軸の破損が頻発する。さらに、これの整備には高度な専門技能が必要であり、前線付近で故障すれば、それはただの重い鉄の塊と化す。

 第三に、鉄道(ハブから前線近くまでの支線)。

 メリットは、大量輸送におけるコストパフォーマンスが最高であること。

 デメリットは、固定された経路ゆえの狙われやすさだ。レンボルグ軍の小規模な魔法部隊による線路破壊が、週に一度は発生している。修復には多大な人手が必要であり、その間、供給は完全に停止する。

 私は、これらの特性を組み合わせた「目的別・緊急度別」の多層的供給モデルを検討した。

「食料や衣類といった低緊急度・高重量の物資は、週二回の定期馬車便で。弾薬や医療品といった高緊急度の物資は、整備状態の良いトラックに限定して積み込む。鉄道支線は、大規模な攻勢時にのみ、リスクを承知で魔導触媒石の集中搬送に使う……」

 数式を組んでいくうちに、目の前のノイズが整理されていく。

 エリックは隣で、私が書き殴る複雑なグラフを覗き込み、「少尉、これ、誰が理解できるんすか……。俺、地元の不良仲間に見せたら、呪文の書だって言われますよ」と絶望的な溜息をついていたが、私は構わず続けた。

「理解の必要はありません。私が『どの荷物をどの車両に積め』と指示を出したとき、現場が迷いなく動ける仕組みさえあればいい。理解ではなく、服従をデザインするのが私の仕事です」

 翌日からの三日間をかけて、私は実際に四つの供給路を全て視察した。軍用車両の助手席に座り、振動で跳ねるノートを押さえながら、路面の凹凸、橋梁の耐荷重、隘路の幅を全て記録していく。

 その行程には、かつて私がいた第十四集積所も含まれていた。

 第十四集積所のゲートが見えたとき、私の胸に去来したのは、郷愁ではなく「数値の確認」だった。

 私が去ってから一週間。私の残したシステムは、まだ機能しているようだ。積み上げられた木箱の角度、兵士たちの無駄のない動き。ハンスやニコの姿を遠目に見ることもあった。

 しかし、私は車から降りて声をかけることはしなかった。

 今の私は、彼らにとって「物資を降ろしてくれる上流」の一員であり、個人的な感傷で時間を割くことは、物流の停滞を意味する。

「……行かなくていいんすか? 結構仲良かったんでしょ? みんな、少尉の顔を見たら喜ぶっすよ」

 運転席でエリックが不思議そうに尋ね、ブレーキを緩めた。

「必要ありません。彼らがマニュアル通りに動いていることは、視覚的に確認できました。それで十分です。喜ぶ、という感情は、弾薬の供給精度を向上させません。次の第十五拠点へ向かいましょう」

 私の言葉に、エリックは「冷てえ……」と呟き、アクセルを踏み込んだ。バックミラーに映る第十四集積所が小さくなっていく。それは私の過去が、物理的な距離として遠ざかっていく光景だった。

 四つの前線へ至る道は、それぞれに異なる「性格」を持っていた。

 第十五集積所への道は、急激な勾配が続き、トラックのブレーキパッドが焼ける臭いが漂う。ここでは馬車による補助が必須だ。

 第十六集積所への道は、川沿いの低地を通る。一昨日の雨で、地盤が緩み、すでにトラックのタイヤ痕が深く刻まれていた。本格的な降雨があれば、ここは数日間通行不能になるだろう。

 第十七集積所への道は、最も前線に近く、遠くからレンボルグ軍の砲撃音が断続的に聞こえてくる。ここでは常に敵の観測気球からの視線を意識し、夜間輸送をメインに据える必要がある。

 三日間にわたる実地踏査が完了したとき、私のノートは土埃と跳ねた泥、そしてインクの染みで真っ黒になっていた。

 地図上の直線距離は全て嘘だった。

 「三〇キロメートル」という距離は、第十五への道では二時間の行程であり、第十六への道では、ぬかるみ一つで一日の強行軍を意味する。私はそれら全ての変数を、自分の肌と時間で確定させた。

 ハブ倉庫に戻り、私は一週間の「課題の洗い出し」期間の半分が経過したことを確認した。

 手元には、物理的な制約という、誤魔化しようのない「土台」が完成している。

 あとは、この土台の上に、ヨハンたちの経験(職人芸)から抽出したデータと、事務方の利権カネの動きをどうパズルのように嵌め込み、一つの巨大な歯車として回転させるかだ。

「エリック伍長。明日から、収集した課題の数値化と、改善案のコスト計算に入ります。準備を」

「……はいはい。少尉の『実測地獄』の次は『計算地獄』っすね。付き合いますよ。どうせ逃げられないし」

 私は窓の外、闇に沈む巨大な倉庫群を見つめた。

 そこはもう、ただの石造りの建物ではない。私が統御し、前線を生かすための、巨大な演算装置の一部へと変容しつつあった。

 外では蒸気機関車の汽笛が、夜の冷たい空気を切り裂いていた。帝国は今日も物資を吐き出し、私は明日もそれを捌き続ける。

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