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灰燼世界のロジスティクス  作者: 九式


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14/21

第14話|情報の交通整理

 倉庫内は、外の冷気とは異なる種類の、重く湿った沈黙に支配されていた。

 私は手元に支給された「帝国軍後方物流管理マニュアル」を携え、エリック伍長を引き連れて第一倉庫から第四倉庫までを順に巡り始めた。天井まで届く棚に整然と並べられているのは、帝国の経済的限界そのものである物資の山だ。

「マニュアル第九章によれば、可燃性の高い魔導触媒石は、湿度の低い北側区画に隔離保管されるべきです」

 私は歩きながら、剥き出しの壁に染み付いた湿気を確認する。しかし、目の前の現実はマニュアルとは異なっていた。触媒石の入った木箱は、搬入口に最も近い、日当たりの良い南側区画に高く積み上げられている。

「伍長。これは配置ミスですか。それとも物理的なスペースの限界による妥協ですか」

 私の問いに、エリックは頭を掻きながら、倉庫の隅で荷札を整理している老齢の作業員を指差した。

「いえ……あれはヨハンっていう、この道三十年のベテランの判断っす。マニュアルじゃ北側っすけど、あそこは風通しが悪くて、冬場は壁結露が酷いんすよ。触媒石は湿気に敏感だから、あえて日当たりが良くて風が抜ける南側に置いてるって話っす。積み下ろしの動線も短くなるから、積み込み時間も二割は短縮できてるとか」

 私は足を止め、その配置を再計算した。

 マニュアルが想定しているのは、理想的な定温・定湿管理が可能な帝都の最新鋭倉庫だ。この古い石造りの廃墟を流用した倉庫において、文字通りのルール遵守はむしろ物資の劣化を招く。老作業員の「経験」という非論理的な変数が、ここでは合理的な最適化として機能している。

 しかし、視察を続けるうちに、その「合理性」が同時に構造的な脆弱性を孕んでいることも分かってきた。

 第二倉庫の弾薬管理、第三倉庫の保存食管理。どこへ行っても、その区画を仕切る特定の「主」が存在し、彼らの直感と記憶によって在庫が動かされている。

 例えば、前線によって好まれる糧食のブランドが異なり、それはマニュアル上のロット番号には記載されない。それをヨハンや他の作業員が「あそこの集積所はレンガパンを嫌うから、あえて乾パンの箱を下に隠しておく」といった、個人的な配慮で調整しているのだ。

「属人化。これがこの拠点の真の病理です」

 私はエリックに向かって、感情を排したトーンで告げた。

「ヨハン氏の判断は、現時点では最適解に近い。しかし、彼が明日病気で欠勤すれば、この倉庫の効率は三〇パーセント以上低下します。積荷の種類によって個別対応が必要なのは理解できますが、それが特定の個人の脳内辞書にしか存在しない状態は、兵站という巨大な等式において許容できない不確定要素です」

「いや……でも少尉、あいつらの言うことを聞かないと、現場の兵隊たちは動かないっすよ」

 エリックの不安げな表情は、私の演算には何の影響も及ぼさない。

 私はノートに書き込んだ。「個別最適の累積による、全体構造のブラックボックス化」。

 事務室へ戻る通路を歩きながら、私は収集した情報を整理した。

 このハブ倉庫は、単なる物資の集積場ではない。そこには帝国が抱える複雑な社会構造がそのまま縮図となって投影されている。

 一つは、現場を実質的に支配する「叩き上げ」の兵士たち。先ほどのヨハンのような、経験だけを武器にする古参だ。

 もう一つは、管理棟の温かい部屋で紅茶を啜っている、帝都の官僚機構から送り込まれた「天下り」の高級将校たち。彼らは書類上の数字さえ合っていれば、物資が腐っていようが知ったことではないと考えている。

 そして最後は、私のような「専門官」という名の異分子だ。

「エリック伍長。一つ、あなたに重要な任務を与えます」

 私は立ち止まり、彼を真っ直ぐに見上げた。

「は、はい。なんすか」

「私は人付き合いが苦手です。それは極めてエネルギー効率の悪い作業です」

 エリックは嫌な予感がしたのか、じりじりと後ずさった。私はエリックの退路を断つように回り込む。

「ですから、これからの人間関係の調整、各派閥への根回し、飲み会での情報収集、不満の吸い上げ――それらすべての『感情的摩擦の解消』を、あなたに委任します。あなたは私の補佐官として、現場と管理層の間の潤滑油になりなさい」

「……冗談だろ? 俺、地元じゃちょっとした不良だったんすよ? なんでそんな中間管理職みたいな真似……」

「不良であったなら、組織における序列の読み方と、裏側の交渉術には長けているはずです。あなたの履歴に記載された『対人能力の高さ』を有効活用してください」

 エリックの顔が絶望に染まる。彼は、私という理不尽な上官と、一癖も二癖もある現場の古参、そして高慢な上層部の間に挟まれる未来を正確に予測したのだろう。

「少尉……これ、マジで死ぬやつっすよ。俺、どっちからも嫌われて終わる未来しか見えないっす」

「問題ありません。私が提案する最適化案が、彼らに実利をもたらすことを証明し続ければ、いずれ嫌悪感はコストの問題へと変換されます。それまでは、あなたが盾になりなさい」

 私は彼を見捨てて、事務室のデスクに向かった。

 何とかなる、と私は確信している。感情は常に論理によって上書きされるべきであり、そのための時間稼ぎとしてエリックのリソースを消費するのは、組織運営上、極めて妥当な投資だった。私らしくはないが、エリックは憎めない奴だと何となく思った。



 デスクに座った私の前には、第三ハブ倉庫の過去一年にわたる財務諸表と運用費用の内訳が積み上げられている。

 ヒトとモノを精査した後は、カネだ。兵站は予算という燃料なしには一歩も動かない。

「……不可解な項目が散見されます」

 私は鉛筆を走らせ、数字の整合性を確認していく。

 建前上、帳簿は完璧だ。入庫した物資の対価、輸送部隊への給与、施設の維持費。すべてが軍規の範囲内に収まっているように見える。しかし、その「完璧さ」そのものが異常だった。

 消耗戦が続く西部戦線において、物資の破損率や、輸送中の事故によるロスが、毎月一・五パーセントという端数まで一定であるはずがない。

「エリック伍長。ここの馬車の車軸修理費を精査して。修理件数に対し、消費された鉄鋼材の量が二割ほど多い。魔法による金属強化の触媒費用も、使用回数に対して触媒石の摩耗が早すぎる」

「えっ、あー……それは多分、管理棟の連中が裏で横流ししてる分っすね。余った資材を街の商人に売って、自分たちの懐に入れてる。ここの伝統みたいなもんっす」

 エリックは諦めたように肩をすくめた。

 ヒト、モノ、カネ。

 すべてを最適化しなければ、このハブという中流の淀みは解消されない。

 しかし、帳簿の奥に隠された私利私欲という不純物は、単なる数式の組み換えでは排除できないほど深く、構造に根ざしていた。

 天下りの官僚は金を欲し、現場の兵士は自分の権益を守るために嘘をつく。

 私は頭を抱えることはしなかった。ただ、冷徹にその事実を「コスト」として計上した。この不透明なカネの流れを止めることができないのであれば、それを逆手に取って、改善に向けたインセンティブとして組み込むしかない。

「難しい、ですね」

 私は独り言を漏らした。

 第十四集積所での日々は、まだ単純だった。目の前の兵士を食わせ、弾を届けるだけで良かった。しかし、この中流においては、戦争という名の等式の中に「政治」や「欲」といった、極めて定義しづらい不純な係数が紛れ込んでいる。

 翌朝、私は管理棟の多目的室に各派閥の代表者を召集した。

 現場の「叩き上げ」を象徴する老作業員ヨハン、事務方として利権を守る「天下り」派閥の代理人である中堅事務官、そして輸送部隊の分隊長。彼らは一様に不快な表情を浮かべ、腕を組んで私を睨みつけていた。部屋の隅では、エリック伍長が彼らの放つ威圧感に当てられ、今にも逃げ出しそうな顔で壁と同化しようとしている。

「本日より、本拠地の『課題解決チーム』を正式に発足させます」

 私は彼らの冷ややかな視線を無視し、壁に貼り出した巨大なホワイトボードに太い線を引いた。

「目的は、ハブ倉庫の処理能力を二〇パーセント向上させ、四つの前線拠点への供給精度を一〇〇パーセントに近づけることです」

「おいおい、少尉さんよ。朝から何の冗談だ」

 ヨハンが鼻で笑い、椅子を乱暴に引いて座り直した。

「俺たちは先祖代々……とは言わねえが、ずっとこのやり方で回してきたんだ。余計な『チーム』だの『解決』だの、寝ぼけたことを言う前に、帝都の安全な場所へ帰ったらどうだ?」

 事務官もそれに同調するように、眼鏡のブリッジを押し上げた。

「左様ですな。我々の帳簿は軍規に従って完璧に管理されている。外部から来た若造に、我々の仕事の何がわかると言うのです。課題など存在しません。あるのは、慢性的な物資不足という国家レベルの問題だけだ」

 部屋を支配したのは、明確な拒絶と、変化を厭う組織特有の「重み」だった。

 私がどれほど正論を説いたところで、彼らにとってそれは「自分たちの領域を侵す外敵の言葉」でしかない。論理が感情の壁に弾かれる――この非効率な現象を打破するために、私は背後に控える「インターフェース」へ目配せを送った。

「……あー、皆さん。ちょっと、ちょっと待ってくださいよ!」

 エリックが、わざとらしいほど調子の良い声を上げて輪の中心に割って入った。彼は地元で培ったであろう、相手の懐に滑り込む独特の「不良の愛想」を全開にしている。

「ヨハンさん、そんなに怒んないでくださいよ。この少尉、確かに言葉は足りないっすけど、実はあんたの腕をめちゃくちゃ買ってるんすよ! さっきも俺に『ヨハンのやり方こそがこの倉庫の真理だ』って熱弁してたんです。マジで、あんたみたいな熟練の勘がなきゃ、この戦争はとっくに終わってるって!」

 ヨハンが怪訝そうに眉を寄せた。エリックはさらに身を乗り出し、感情に訴えかける。

「いいんすか? あんたが引退したら、この倉庫の知恵は全部消えちまう。そうならないように、少尉はあんたの『凄さ』を体系化して、帝国の標準ルールにしたいって言ってるんす。あんたのやり方が国を救う教科書になるんすよ。それって、男として最高の誉れじゃないすか!」

「……俺のやり方が、標準だと?」

 ヨハンの瞳に、戸惑いと、それ以上に隠しきれない自負の火が灯った。

 私は、エリックが捏造した「熱弁」についてはあえて修正せず、事実関係のみを肯定した。

「エリックの言葉は脚色されていますが、結論は同じです。ヨハン氏。昨日のあなたの配置判断は、マニュアルよりも遥かに合理的でした。私はあなたの知見を体系化し、属人化された『職人芸』を、帝国全軍が利用可能な『構造』へと昇華させたい。あなたの正しさが、帝国の兵站を支える基盤になるのです。それは個人の功績を超え、国家への永続的な貢献となります」

「国家への、貢献……」

 ヨハンは小さく反芻した。叩き上げの兵士にとって、自分の泥臭い経験が「帝国の正しさ」として認められるという誘惑は、金銭以上の価値を持つ。彼は忌々しげに顎を掻いたが、その表情からは先ほどまでの刺々しさが消えていた。

「……まあ、そこまで言うなら、俺のやり方を教えてやらんでもない。お勉強しかできない連中に、現場の凄さってやつを見せてやるのも一興だ」

 事務官も、現場の重鎮であるヨハンが折れたのを見て、妥協点を探り始めた。

「……ヨハン殿がそうおっしゃるのであれば、事務方としても協力せざるを得ませんな。知見の体系化が軍規の改善に繋がるのであれば、それは私の実績にもなる」

 完全な理解ではない。だが、それぞれの欲求と自尊心が、私の提示した「課題解決」というレールに乗った。

「では、まず本日より『課題の洗い出し』期間に入ります。具体案はまだ求めません」

 私はホワイトボードに「現状の課題(未解決)」「担当部署」「優先度」という空の列を書き込んだ。

「各自、自らの業務において『マニュアルと実態が食い違っている箇所』をリストアップし、来週末までに提示してください。さらに、隠れた不具合を見つける活動――『ハイド・ボトルネック・サーチ』も並行して開始します。現場の矛盾を正確に報告した者には、追加の嗜好品配給、あるいは休暇の優先権を付与するよう、ミュラー少佐に具申します」

 もはや拒絶の声は上がらなかった。彼らはまだ疑いを持ってはいたが、少なくとも「話を聞く」姿勢には変わっていた。

 彼らが部屋を出ていくのを見送った後、エリックは深い溜息をつき、その場にへたり込んだ。

「……少尉、マジで心臓に悪いっすよ。あの人たち、プライドの塊なんだから。でも、まあ……とりあえずやる気にはさせたんで、勘弁してください」

「三日の寿命短縮でハブ全体の淀みが解消されるなら、極めて安価なコストです。エリック伍長、引き続き感情の調整とリストの回収を継続してください。私は、収集されるであろう変数を数式へと翻訳する準備に入ります」

 私はエリックの労をねぎらうことなく、ホワイトボードの空白を凝視した。

 ボードに引かれた一本の線。そこに何が書き込まれるかによって、この巨大な中流の澱みが動き出すかどうかが決まる。

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