第13話|ハブ
蒸気機関車の吐き出す煤煙が、湿った空気に溶けていくのが見えた。
西部戦線、広域ハブ拠点の一つである「第三ハブ補給倉庫」。
私は軍用車両の荷台から降り、目の前に広がる巨大な石造りの建造物群を見上げた。第十四集積所の木造建築や天幕とは規模が違う。ここは帝国西部に延々と続く戦線のうち、第十四から第十七まで、計四つの前線集積所へ物資を送り出す心臓部だ。
鉄道の引き込み線が直接倉庫の中へと消えており、そこから無数のトラックや馬車が蟻の列のように吐き出されている。
私は軍服の裾を整え、管理棟へと足を進めた。
通路ですれ違う兵士たちの視線が、私の肩の階級章――少尉――に一度止まり、一様に興味を失ったか、あるいは明確な「侮蔑」の色を帯びて逸らされた。
彼らにとって、私は帝都からの政治的背景で送り込まれた、現場を知らない「お飾り」の将校に見えているはずだ。それは論理的な推測であり、私が彼らの立場であっても同様の判断を下すだろう。
管理棟の最奥、重厚な扉を叩く。
「第十四集積所より転属いたしました、カレン・ヘイル少尉です。本日付で、当ハブ倉庫の総括実務官として着任いたしました」
返事を待たずに中へ入ると、そこには立ち込める紫煙の向こう側で、数人の将校が地図を囲んでいた。部屋の中央に座る中年の恰幅の良い男が、面倒そうに顔を上げる。この拠点の最高責任者、ミュラー少佐だ。
「……ヘイル少尉か。ヴェーバー中佐から話は聞いている」
ミュラー少佐の声には、歓迎の意など微塵も含まれていなかった。
「中佐が、わざわざ帝都から推薦状を送ってきた期待の『神童』というわけだ。だがな、少尉。ここは前線の吹き溜まりとは違う。四つの拠点を同時に動かす巨大なシステムだ。君のような、帳簿の数字を合わせるのが得意なだけの小娘が口を出して、円滑な運用が止まることだけは避けてもらいたい」
周囲の将校たちから、抑え気味の笑い声が漏れた。
「了解しました。私の役割は『運用を止めること』ではなく、『運用のボトルネックを排除すること』です。少佐の懸念は、私の業務品質によって払拭されるべきであると認識します」
私の淡々とした回答は、彼らにとっては生意気な挑発と受け取られたようだ。
ミュラー少佐は鼻を鳴らし、手元の書類に乱暴なサインをした。
「勝手にするがいい。実務官としての席は用意してある。だが、現場の連中が君の命令に従うかどうかまでは保証できん。ここは、書類ではなく、経験が物を言う場所だ」
私は彼らに敬礼し、背を向けた。
歓迎されていない。それは最初から計算されていた条件だ。組織における「新参者」の導入コストは常に高い。だが、彼らがどれほど感情的に私を拒絶しようとも、この拠点の物流量が帝国予算という絶対的な制約を受けている以上、いずれ彼らは私の論理を必要とすることになる。
私は、自分に与えられた冷え切った小部屋へと向かった。
実務官の部屋は、管理棟の隅にある。
窓からは倉庫の積み込み場が一望できた。私はまず、机の上に置かれていた分厚い「帝国軍後方物流管理マニュアル(改訂版)」を広げた。
それは現場の実態を無視し、帝都の官僚たちが机上の空論を積み重ねて作成した、形式主義の産物。私が第十四集積所で構築した簡潔なスキームとは対極にある。しかし、それがこの国の「公式なルール」である以上、私はまずこの歪んだ地図を読み解かなければならない。
だが、文字を読むだけでは足りない。現状を知るためのインターフェースが必要だ。
私は廊下で、軍帽を斜めに被り、同僚と小声で下品な冗談を言い合っていた若い兵士を呼び止めた。
「あなた。階級と名前、職務を」
「あ……? んだよ、チビ……あ、いや! 第三倉庫検品補助、エリック・ヴァイス伍長であります!」
彼は私の階級章を確認した途端、地元で鳴らしたであろう不良特有の「強い者への機敏な媚び」へと表情を切り替えた。持っていた煙草を素早く隠し、不自然なほど直立不動になる。
「エリック伍長。本日より、あなたを総括実務官付の補佐官に任命します」
「は……? 補佐官? 冗談はやめてくださいよ少尉。俺、あっちで先輩たちに荷物運びの段取り聞かなきゃなんねえし、これでも地元じゃちょっとは通った……」
「命令です。あなたの履歴を確認しました。地元での素行不良による更生枠での入隊。組織のヒエラルキーには敏感なようですね。ならば、伍長よりも少尉である私の命令を優先しなさい。現在の私には、この拠点の非公式なルールを理解するための『現場の目』が必要です」
私は彼を部屋に引き入れ、手元のマニュアルを指し示した。
「早速ですが、キャッチアップを開始します。マニュアルの第十二章。鉄道搬入後の一次検収は一時間以内とあります。ですが、実態は三時間以上のラグがあるように見えます。なぜですか?」
「あー、それっすか……。まあ、上の曹長たちが『抜き』をやってるからっすよ。帳簿に載せる前に、自分たちの縄張りに回すための良いブツを確保したり、馴染みの集積所向けに裏で話を通したり……。軍隊っつっても、結局は先に手を出したもん勝ちなんで」
「恣意的な優先順位の変更。非論理的です」
私はペンを走らせる。
「エリック伍長。わからないことは都度あなたに聞きます。この拠点における『マニュアルと実態の乖離』の全項目をリストアップしなさい。……まずは、過去三ヶ月分の鉄道供給の実績値を。管理官室から取ってきてください」
「えっ、あそこの事務官、マジで性格悪いんすよ! 俺みたいな現場の人間が行っても、鼻であしらわれて終わりっす」
「私の署名入りの請求書を持たせます。断られたら、その人物の役職、名前、および『断る理由』を記述して戻ってください。それが次の変数の処理材料になります。……早く行きなさい」
エリックは「げぇ、マジかよ……」と悪態をつきながらも、私の冷徹な視線に気圧され、結局は軍帽を深く被り直して走り去った。組織を理解するには、まずその末端を捕まえるのが定石だ。私は、エリックが持ってくるであろう「歪んだ現実」を待った。
*
三日が経過した。
エリックが持ってきたデータは、惨憺たるものだった。
公式記録上の補給精度は九五パーセントを超えているが、エリックが現場の伝票をかき集めて再計算した実数値は、七二パーセントまで下落した。
「少尉、これマジでヤバいっすよ。管理官室の連中が数字いじってるのバレたら、俺、先輩たちに消されるんじゃ……」
「不整合を隠蔽する方が、軍に対する重大な反逆行為です。エリック、あなたは私の計算における『正しい入力値』でありなさい。それ以外の心配は不要です」
私は数値を睨んだ。
第三ハブ倉庫は、西部広域戦線の四拠点に対して分配を行っている。
だが、供給頻度は不定期で、精度も低い。前線への距離は、地図上では直線で三〇キロメートルから五〇キロメートルだが、実際の補給路の状態、道路の勾配、ぬかるみによる速度減衰率などの定数が、どこにも記載されていない。
「補給部隊の実際の状態はどうですか」
「正直、最悪っす。トラックは整備不良で半分寝てるし、馬車も蹄鉄すら足りてねえ。でも、上への報告書には『概ね良好』って書いて、予算だけ掠め取ってる奴がいるって噂っすよ」
書類上の「正しさ」が、現場の「真実」を覆い隠している。
これは第十四集積所で見てきたものよりも、ずっと根が深く、質が悪い。一集積所の怠慢ではなく、組織的な構造不全だ。
このままでは、私がどれほど精緻な需要予測モデルを組んでも、出力される「結果」は現場でゴミとなる。
「エリック伍長。私は自分の足で調べることにします」
「……は? どこに?」
「補給路の全行程です。書類は嘘をつきますが、物理的な距離と摩擦係数は嘘をつきません。ハブから四つの前線に至るまでの道のり、および補給部隊の実際の稼働時間を、私自身が計測し、定数として確定させます。これは予測精度を上げるための必要経費です」
「いや、無茶っすよ! 護衛もいないのに前線近くまで行くなんて、自殺志願かよ! それに、ミュラー少佐が許可するわけねえだろ!」
「許可は、事後承諾で十分です。私は総括実務官としての『調査権限』を行使します」
私は立ち上がり、革のブーツの紐を締め直した。
未知数を放置したまま等式を解くことはできない。この拠点が抱えている「曖昧さ」を解決するために、私は管理棟を飛び出した。外には冷たい雨が降り始めていた。
視察の第一歩として、私はまず第三倉庫の「積み出し場」を訪れた。
そこは、戦場の喧騒とは異なる、しかし同じくらい殺伐とした熱気に包まれていた。巨大なクレーンが唸りを上げ、後方から鉄道で届いた物資を、泥にまみれた前線行きの荷馬車へと積み替えていく。
私はエリックを伴い、手元のマニュアルと眼前の光景を照らし合わせた。
「マニュアル第十四条、重量物の積載順序に関する規定が完全に逆転しています」
私は、積み込みの最中の一台の荷馬車の前で足を止めた。
本来、輸送中の安定を考えれば、重い弾薬箱を下層に、軽い食料箱を上層に積むのが物理的鉄則だ。しかし、目の前の馬車には、最下層に脆い木製の食料箱が並べられ、その上に、鉄帯で補強された重い弾薬箱がクレーンで吊り下ろされようとしていた。
「そこ、作業を止めてください。積載順序の再構成を命じます」
私の声に、積み込みをしていた兵士たちが動きを止めた。奥から、油汚れのついたシャツを着た、筋骨隆々の曹長がのっそりと現れた。
「あ? なんだ、チビ助将校。見ての通り忙しいんだ。お遊びなら帝都へ帰れ。伍長、お前も何連れて歩いてんだ」
「ひっ、曹長、これには理由が……!」
エリックが情けなく縮み上がる。私はその前に一歩出た。
「マニュアル第十四条に違反しています。なぜ弾薬箱を上層にするのですか。このままでは輸送時の振動で下層の食料箱が圧壊します」
曹長は鼻先で笑い、顎で山積みにされた物資を指した。
「理屈はいいんだよ。鉄道から下ろした時は『上が軽いもの、下が重いもの』だがな、それをここに積み下ろす時に、先に上の『軽いもの』を地面に置く。その上に『重いもの』を重ねる。そうしねえと、この狭い積み下ろし場で場所を広く使えねえんだよ。で、それを馬車に積む時は、上にある『重いもの』から先に放り込む。それが一番早えんだ。わかるか?」
それは、ハブ倉庫という中間拠点の「手狭さ」という変数を、物理的負荷への転嫁で解決しようとする、怠惰な最適化だった。
後方から届いた際の「重いものが下」という正しい状態を、ハブでの一時保管の際に反転させ、そのまま前線へ送り出す。その過程で、食料箱には許容範囲外の荷重がかかり続ける。
「一時的な空間確保のために、物資の損壊リスクを容認するのは論理的ではありません。ハブでの積み下ろしから積み込みに至るまでの間に、本来の積載順序が維持されないのは、手順の欠陥です。再積載を命じます。これは総括実務官としての命令です」
周囲の空気が、一瞬で氷点下まで下がった。
曹長が、一歩詰め寄った。その巨大な影が私を覆う。エリックが後ろで私の袖を小さく引いた。
「少尉、もういいっすよ……この人、怒らせるとマジで手が出るって……!」
「曹長。命令に従わない場合、軍紀違反として報告し、以後の給養計画において当該部隊の優先順位を下げます」
私は瞬き一つせず、真っ直ぐに彼を見上げた。
沈黙が流れる。
曹長は忌々しげに地面に唾を吐き、部下たちに向かって怒鳴った。
「……ちっ。積み直せ! この『お勉強好き』を満足させてやれ! その代わり、作業が遅れて今日中に終わらなくても、俺は知らねえぞ!」
兵士たちが不貞腐れた態度で荷物を降ろし始める。私はそれを確認し、手元のノートに「ハブ拠点における内部流動の反転現象。空間リソースと作業動線の再設計が不可欠」と書き加えた。
前途多難。その四文字が頭をよぎる。
第十四集積所では、私はただの「うるさい事務官」だったが、ここでの私は、長年積み上げられた「現場の腐敗」という構造そのものを脅かす「敵」だった。
だが、それでも私は止まらない。
私はエリックに、次の倉庫への案内を命じた。私の戦いは、まだ始まったばかりだった。




