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灰燼世界のロジスティクス  作者: 九式


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第11話|余剰のリソース

 情報の伝達速度は、物資の輸送速度よりも常に速い。

 私が作成し、管理官を通じて上申した「兵站標準化プロトコル」――在庫のロット管理、戦況変化による需要予測表、そして触媒石の緊急射出運用――の三点セットは、軍令部の官僚たちの食指を動かしたようだった。

 事務室の片隅で、ハンスが帝都から届いた公報を確認しながら、感慨深げに私の方を振り返った。

「カレン少尉。あなたの書いたあの数式入りのマニュアル、どうやら本格的な試験運用が始まったようですよ。北方戦線の第七集積所と、西方軍の第ニ後方軍。彼らは、あなたのやり方を『ヘイル・システム』と呼んで、かなり重宝しているみたいです」

「システムに個人の名前を冠するのは、非論理的です。それは属人性を排除するという本来の目的に反しています」

 私はペンを止めることなく答えた。

 公報の内容は、私の予測よりも数日早かった。軍令部の兵站総監部は、想像以上にリソースの枯渇に焦っている。私のスキームは、彼らにとって「現場の無能」を統制するための、最も安価で強力な手綱に見えたのだろう。

「いや、名前なんてどうでもいいんですよ。大切なのは、他の戦線でも目に見えて効果が出始めているということです。第七集積所では、端数在庫の不一致が八割も削減されたそうです。西方の事務官たちも、今まで勘でやっていた補給が表一枚で済むようになって、やっとまともに眠れるようになったと喜んでいるそうですよ」

 ハンスの丁寧な口調には、同期としての誇らしさが混じっていたが、同時にどこか遠いものを見るような寂寥感も含まれていた。

 当然の結果だ。

 ロット管理を徹底すれば、現場の兵士が「一袋」を「一箱」と書き間違えるような初歩的なミスは構造的に封殺される。需要予測表は、前線の指揮官が「全滅しそうだ」と叫ぶ主観的な恐怖を、客観的な定数に置換する。

「少尉、他戦線の連中が感謝してるなんて思うなよ」

 物資の棚卸しから戻ってきたニコ・ラングが、泥のついた靴を乱暴に鳴らして口を挟んだ。

「あんたのシステムは、要するに『サボる隙』をなくしたってことだろ。今まで適当に抜いてた連中からすれば、あんたは全軍に監視の目を配ったクソ忌々しい死神なんだよ。感謝どころか、呪い殺そうとしてる奴だっているぜ」

「監視ではありません。最適化です。サボるという行為は、軍組織におけるエネルギーの漏洩であり、熱力学第二法則に従えば、それは全体の崩壊を早めるノイズでしかありません」

 ニコは短く吐き捨て、苛立ちを隠さずに再び作業に戻った。

 私の耳には、他戦線からの称賛も呪詛も届かない。ただ、私が構築した論理が、ヴァルデリア帝国軍という巨大な機械の錆びついた歯車を、わずかに滑らかに動かし始めたという事実だけを、一つの数値的成果として受理した。

 機械が回り始めれば、設計者の出番はなくなる。それが、この第十四補給集積所において、私というリソースが「余剰」へと変化し始める予兆であることを、私はまだ楽観的に捉えていた。



 かつてない事態が発生していた。

 私は、暇だった。

 事務机の上には、以前なら山積みになっていたはずの不整合伝票がない。現場指揮官からの「物資増量の嘆願書」も、需要予測表の導入以来、目に見えて減っていた。彼らは、感情的な訴えが私の前では「変数 0」として処理されることを学習したのだ。

 在庫確認は、ハンスとニコが「ロット単位」で淡々と処理しており、私の検印を待つまでもなく合致している。

 私は立ち上がり、事務室を出た。

 集積所の広場では、兵士たちが整然とトラックに木箱を積み込んでいる。その動きには、無駄な迷いがない。私が作った「標準作業手順書」が、彼らの肉体の一部になっている。

 私の脳という演算リソースが、完全に使用率数パーセントの待機状態に陥っていた。これは国家予算によって飼育されている軍人として、あるまじき「浪費」だ。

「ハンス。何か手伝うことはありますか。現在の兵站処理能力には、三五パーセントの余剰があります。データの二重検証、あるいは過去三年の消耗統計の再整理などは?」

 集積所の出口で積載リストを確認していたハンスが、困ったような、しかし確固たる拒絶を含んだ笑みを浮かべた。

「カレン、手伝う必要なんてありませんよ。……いえ、お願いですから休んでください。衛生兵も言っていたでしょう、あなたが倒れたらこの精緻なシステムを管理できる人間がいなくなる。あなたは、いざという時のための予備リソースとして、今は待機しているべきなんです。事務室に戻って、好きな数学でもしていてくれませんか?」

 ハンスの丁寧な言葉は、親切の形をした「排除」だった。

 次にニコ・ラングのところへ向かった。彼は魔導触媒石の充填率を測っていた。

「ラング補助兵。テスターの校正作業を代わりましょうか」

「あ? やめろよ少尉。あんたが隣に突っ立ってるだけで、出力が狂いそうなんだ。……いいか、今は『異常がねえこと』が一番の成果なんだよ。システム作った本人が現場かき回してどうすんだ。どっか行って寝てろ」

 ニコの指摘は、極めて粗雑だが、論理的には正しかった。

 私は、自分が構築した「完璧な自動機械」にとって、もはや異物でしかないことを理解した。管理者は、管理すべき対象が消失したとき、その存在意義を失う。

 私は事務室に戻り、壁の時計の秒針が刻む音を聞いた。一秒、二秒。私の生命維持コストが、ただ時間を浪費するためだけに消費されている。

 何かをしなければならない。

 だが、この集積所という閉鎖系の中では、私の「正しさ」はすでに行き渡り、飽和していた。

 私は引き出しから私物のノートを取り出した。兵站ではなく、純粋な数学。

 数字は裏切らない。だが、今の私を包んでいるこの沈黙は、かつて孤児院の片隅で感じた、あの「自分はリソースの浪費者である」という冷たい確信を呼び覚ましていた。

 ノートを開き数学に没頭してから数時間が経過した。

 抽象的な数式の海に沈んでいる間だけは、自分が軍服を着た余剰品であるという事実を忘れられた。

 しかし、その静寂は、野卑な笑い声と安っぽいアルコールの匂いによって破られた。

「よう、少尉! 幽霊みたいに籠もって何やってんだ!」

 扉を叩きもせずに入ってきたのは、エルヴィン小隊長だった。その背後には、第一小隊の荒くれ者たちが数人、顔を赤くして立っている。手にはアルコール。

「エルヴィン小隊長。ここは事務室です。アルコールの持ち込みは、軍規第十四条に基づき……」

「固いこと言うなよ。今日は特別だ。うちの小隊が、あんたの『需要予測』のおかげで、一度も弾切れを起こさずに一週間の防御任務を完遂したんだ。みんな、あんたを『不吉だが当たる魔女』だと拝んでるよ」

 エルヴィンの言葉には、嫌味と賞賛が半分ずつ混ざっていた。

「それは単なる、確率論的な収束の結果です」

「暇なんだろ? さっきハンスから聞いたぜ。少尉が仕事を探してうろついてて、みんな怖がってるってな。リソースの有効活用だろ? 兵士の士気を高めるのも、将校の仕事だ。飲みに来いよ」

 エルヴィンの提案には、妙な説得力があった。

 確かに、現在の私の演算能力を数学に割くよりも、前線兵士たちの心理的安定の向上に寄与する方が、軍全体としての利益は大きいかもしれない。

「……理解しました。兵員の心理的充足という変数の観測を目的として、同行します。ただし、一時間限定です」

 集積所の裏手にある、焚き火を囲んだ粗末な宴席。

 私が現れると、一瞬、冷ややかな沈黙が流れた。彼らにとって、私は「物資を出し渋る冷徹な役人」の象徴だったからだ。

「おい、静かにしろ! 今夜の主賓、計算機のお嬢様のお出ましだ!」

 エルヴィンの野太い声が、沈黙を強引に引き裂いた。

 私は丸太の椅子に腰を下ろした。隣の兵士が、鉄のカップを差し出してくる。中には、酒精だけが強い合成ワインが入っていた。

「少尉、あんたのおかげで、俺の相棒は死なずに済んだ。……これは、礼だ。飲んでくれ」

「私は十七歳です。軍規および未成年者保護規定に基づき、アルコールの摂取は禁止されています」

「戦場じゃ死ぬのに年齢は関係ねえ。それに、これは酒じゃねえ、『燃料』だ。あんたの頭を動かすためのな」

 燃料。その比喩は、私の論理回路をわずかに揺さぶった。

 私はカップを受け取った。周囲の兵士たちの視線が、私に集中している。ここで拒絶することは、彼らの「感謝」という名のエネルギーを無効化し、負の補正を加えることになるだろう。

 私は意を決し、その濁った液体を一口、喉に流し込んだ。

 猛烈な熱さが食道を駆け抜け、胃壁を直接殴打したような衝撃が走った。

 エタノールの分子が、血流に乗って脳幹を直撃しているとすら思った。

 周囲が持て囃す中、何故こんな物を美味しそうに飲むのだろうと不思議に思った。

 酒を飲むという行為が一種のイニシエーションだったのだろう、来た時の雰囲気は霧散し、賑やかな飲みの場となった。

「ははっ! もう一杯いけ!」

 二杯、三杯と、カップが重ねられる。

 一時間という制約は、すでに時間軸の歪みの中に消えていた。私の世界を規定していた数字たちが、焚き火の炎に煽られて、不規則に踊り始める。

「……皆さんは、間違っている。戦力比 1:1 における塹壕の維持コストは、本来、兵員の精神力などという不定形なものではなく……。いいですか、エルヴィン小隊長。あなたの髭の密度は、空気抵抗を 0.02 パーセント増大させており、それは突撃時における運動エネルギーの損失を……」

「ぎゃははは! おい、聞けよ! 少尉が俺の髭で物理学の講義を始めやがったぞ!」

 兵士たちが爆笑し、私の背中を叩く。その衝撃で眼鏡がずれ、視界がさらにぼやける。

 私は、自分が何を言っているのか、もはや把握していなかった。

 論理的で、冷徹で、完璧な兵站将校であるはずのカレン・ヘイルは、そこにはいなかった。ただ、酒に酔い、支離滅裂な数式を吐き出す、十七歳の少女が一人、焚き火の前で揺れていた。

 兵士たちは、そんな私を見て、嘲笑ではなく、どこか奇妙な連帯感を含んだ歓声を上げた。彼らにとって、私は初めて「理解不能な記号」から「よく喋る、わけのわからない仲間」へと降格――あるいは昇格したのだ。

 意識が急速に遠ざかる。最後に見たのは、夜空に散る火の粉が、複雑な幾何学模様を描いて消えていく光景だった。

「おい、こりゃひどいな。完全にオーバーヒートだ」

 エルヴィンの呆れた声が聞こえる。そこへ、息を切らして駆け込んできた影があった。

「カレン! 皆さん、彼女に何を飲ませたんですか!」

 ハンスの声だ。彼の口調は依然として丁寧だったが、その響きには明確な怒りが含まれていた。彼は、丸太から滑り落ちそうになっていた私を、素早く抱きとめた。

「ハンス……? 報告します。現在の、私の、意識の、生存率は……」

「いいから黙ってください」

 ハンスは、私を軽々と背負い上げた。

 野次馬のように囃し立てる兵士たちを、彼は鋭い視線で黙らせる。

「どいてください。彼女は将校ですよ。あなたたちのために、倒れるまで計算を続けていた人間を、見世物にするのはやめていただけませんか」

「……ちっ。ハンス、そいつを頼むわ」

 隅の方でニコが、顔を赤くしながらも毒づくように言った。

「まったく、酒に弱いなら最初から断りゃいいんだよ」

 ハンスの背中は、心地よい振動を伴っていた。

 集積所の冷たい事務室、積み上げられた帳簿、そして「ヘイル・システム」。

 それらから一時的に切り離された私は、テントへと運び込まれ、毛布の中に放り込まれた。

「……まったく。明日、あなたが自分の失態をどれほど厳密に分析して後悔するか、今から想像がつきますよ」

 ハンスの溜息混じりの呟きを聞きながら、私は深い、数式のない眠りに落ちていった。

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