第7話 マネキンの森
「え~ずる~い!」
冴木が、ぶーぶー頬をふくらませながら抗議する。
「ベンケイちゃんだけじゃなくて、剣まで出せるの~? 二つも能力あるなんて、ずるい~!」
思わず、俺は苦笑した。
「いえ、これは……俺の力じゃなくて、ベンケイが出してくれたんです」
影の中で静かに佇むベンケイをちらりと確認する。
ダイゴがフォローするように口を開いた。
「なるほど。九条先輩の〈傘〉も、そういう感じですよね」
「じゃあこれはベンケイちゃんの剣なのね~」
冴木は妙に納得した様子で腕を組み、楽しげに指を鳴らした。
「じゃあ──気を取り直して切ってみよ~!」
視線をマネキンに向ける。
ダイゴが手早く描いた人型の標的が、体育館の中央に立っていた。 人形とはいえ──その存在感はまるで本物の敵。
俺は静かに歩み出す。 手にしたのは、百センチほどの大太刀。
ずしりとした重みがあるはずなのに、不思議と体に馴染んでいた。
久しぶりだ。この重さ、この重心、この視界の取り方。 構えた瞬間、背筋が自然と伸び、足が勝手に前へ出る。
明鏡止水──。
師の声が、脳裏に響いた。
「雑念を払え。呼吸を整え、己の心を“無”にせよ」
息を整え、目を細く開く。 マネキンはただ立っている。
だが、剣を構えると同時に、心が静まり、世界が研ぎ澄まされていくのがわかった。
……いける。
一歩踏み込む。刀を振るった瞬間──
「──っ!」
空気が裂ける音がして、マネキンの胴体がスパッと落ちた。
「うわぁ、すごい……!」
「さすが経験者ね〜」
ダイゴと冴木の声が飛ぶ。
「いえ……これは、刀がすごいのかも……」
手の中で刀を見つめる。 真剣を握るのは初めてだった。 この斬れ味……まるで鎧ごと両断できそうだ。
影からベンケイがふわりと現れ、腕を組んでうなずく。
『当然ダロ? これは名刀中の名刀ダ』
(ドヤ顔が凄いな)
『でもナ、刀の質より大事なのは──“呼吸”ダ』
「呼吸……?」
そう言えば、師匠も同じことを言っていた気がする。
『息はナ、吸うと吐くの二種類だけ…… でも実際はもっと奥が深イ。力強く吸えば、闘気が満チ、落ち着いて吐けば刃も澄ム。呼吸は、心の形ダ』
ゆっくりと息を吸う。肺の奥まで空気を満たし、静かに吐く。 たったそれだけで、視界が澄んでいく気がした。
そうだ。力だけじゃない。 間合い、呼吸、視線、気迫、そして──自分の全てを信じること。
今の俺には、あの日の怖さはない。手の震えもない。 ナツキの言葉が導いてくれた道── もう逃げない、目をそらさない。
「剣道の感覚……ちょっとだけ戻ったかも」
ポツリつぶやく俺に、冴木がにっこり笑って寄ってくる。
「じゃあ次は、動く相手でも試してみよっか~」
「え、動く……?」
「モーリー!」
「了解です。じゃあ、本気でいきますよ?」
──まだまだ、訓練は終わらないようだ。 だが、胸はなぜか高鳴っていた。
「それじゃあ、やってみよっか~模擬戦、スタート♪」
冴木の声に合わせ、ダイゴが筆を振るう。 床に異様な気配が広がる。
「戦いは数だからね!」
描かれた五十体近いマネキンが、ギィギィと軋む音とともに立ち上がる。
無機質な顔、節の甘い関節──だが、その数と勢いは圧倒的だった。
「うわっ、多くないか……!」
刀を構える。 ベンケイがくれた大太刀。波打つ刃文が、ひと目で“斬れる”ことを告げている。
『来るゾ……!』
マネキンたちが一斉に突進してきた。
反射的に一閃。風を裂く音とともに、一体が真っ二つに崩れ落ちる。 次、また一体。さらにもう一体。
(動きが単調だ。読みやすい──これなら負けはない)
斬撃は冴え渡る。 少しずつ、昔の勘が戻ってくる。
「……すごいね~ツネッチ、キレッキレ~」
遠くで冴木の声が聞こえた。
(今はそれどころじゃない!)
『……息が上がってきてるゾ』
(くそ……体がついてこない)
帰宅部の限界が、じわじわと足を縛っていく。 斬っても斬っても、次が来る。 終わりが見えない。五十体は、さすがに多すぎた。
……足が重……!
ふらついた瞬間、背後から押され、そのまま数体に押し倒される。
「――はいっ、終了~!」
冴木の声とともに、マネキンたちはフッと消えた。
「……負けたか」
床に仰向けになり、呼吸を整える。 手の震えがじんわり戻る。
「刀さばきは申し分ないけど、体力無いね~、そこからスタートね♪」
冴木はニコニコ笑って、ペットボトルを差し出す。
ダイゴも照れたように近づき、言った。
「本当にすごかったよ……数で押し切っちゃってごめんね」
「いや、ちゃんと負けたよ……今の俺は、君には勝てない」
──体力をつける。それが今の課題だ。 戦うって、思った以上にしんどいんだなと、改めて思った。
「それじゃ、そろそろ、ご飯にしますか」
体育館の床に仰向けになったままの俺と冴木に、ダイゴが声をかける。
冴木はニコニコとこちらを見ていた。
そういえば──腹が減ってる、気がする。 見上げた壁の時計は、針が十二時四分となっていた。
「食堂に行くのは、ちょっと無理そうね〜」
冴木が苦笑する。
「じゃあ僕、持ってきますよ。何がいいですか?」
「色々見たいし、私も一緒に行くわ〜」
二人の声が遠のいていく。
ダイゴがふと振り返った。
「倉田くん? 食べられないものとか、ある?」
「だいたい……食べれる」
酸欠みたいな声で答えると、冴木がふっと笑った。
二人が体育館を出ていき、再び静けさが訪れる。 広く、冷たい空気が肌を撫でる。 まるで世界に自分ひとりだけが取り残されたみたいだった。
──俺は、今、何をしてるんだろう。
説明されたことのどれも、現実味なんてなかった。 けれど、さっき感じた“死”の感触だけは、やけにリアルで。
(俺は……何をしたい?)
復讐か。ナツキの仇を取りたい。 自分も消えたくないし、ユウトを守りたい。
無気力で、生きてる実感もなかった日々。 あの頃は、いっそ消えたいと思っていたのに──。
いざ“消える”ことが現実になると、 こんなにも生にしがみつこうとするなんて。
……俺は、案外、現金な人間らしい。




