第75話 願いの行方
「グフッ……」
膝をついた玄田の口から、どす黒い血が噴き出した。
鋼鉄の腕は砕け、自慢の重機武装も解除されていく。もはや戦う力は残っていないようだ。
「くそ……。皆川の能力が急に使えなくなって、黒沼の野郎も役に立たねぇ……。なんなんだよ、今回は」
玄田は息も絶え絶えに、血に濡れた顔を上げ、こちらを睨みつけた。
本来なら完璧な布陣だったはずの防衛線が、何一つ機能しなかったことへの理不尽さが、その瞳に滲んでいた。
彼は俺ではなく、俺という「異常な現象」そのものを見るような目で問いかけてきた。
俺は血振るいを終えた刀を鞘に納め、静かに答えた。
「運が……良かったんですね」
「ハッ……運、ねぇ……」
玄田は自嘲気味に笑うと、力が抜けたように仰向けに倒れ込んだ。
その体から、光の粒子が溢れ出し始める。
終わりの時だ。
「……負けたよ。黎明の……終わりだ」
その言葉を最期に、玄田の輪郭が光の中に溶けていった。
同時に、周囲の真っ白な空間に亀裂が入り、ガラスが割れるように崩壊していく。
パリンッ、と世界が砕ける音がした。
──勝負あり、だ。
強烈な白い光が収まると、そこは先ほどの真っ白な空間とも、要塞の内部とも異なる場所だった。
足元には、黒と白の正方形が無限に広がる幾何学的な大地。
まるで、巨大なチェス盤の上に立っているようだ。
「ここはどこだ?」
俺はすぐに隣を確認する。
「ベンケイ、無事か?」
「ああ。だガ、見たことのない場所だナ。今まで来たどの世界とも違ウ」
ベンケイも警戒心を露わにし、油断なく周囲を見渡している。
その時だった。
『おめでとう。君が新しい”王”かな?』
どこか楽しげな声が、脳内に直接響いてきた。
方向感はない。まるで空間そのものが喋っているかのようだ。
「王? ……あんたは誰だ?」
『うーん、ここに来る人間たちには”神様”とか呼ばれるけど。私自身はそんなつもりはないんだけどね』
神。
その響きを聞いた瞬間、俺は反射的に背筋を伸ばし、頭を下げていた。
『神仏は尊べども頼らず』。
それが俺のスタンスだが、もし目の前に本物がいるのであれば、敬意を示すべきだろう。少なくとも、これから願いを叶えてもらおうという相手に、無礼を働くメリットは何もない。
「……えーと、一つお尋ねしても良いでしょうか?」
『ふふ、そんな畏まらなくても良いよ。敬語もいらない。対等な”プレイヤー”として話そう』
声の主は、俺の恭順を面白がるように笑った。
悪い相手ではなさそうだ。俺は顔を上げ、単刀直入に核心を問うことにした。
「あ、あの。この世界で消えた人間を、復活させることは可能ですか?」
『あー、そんなこと? 造作もないことだよ』
軽い。まるで今日の天気を答えるような気軽さだった。
死者の蘇生、あるいは消滅した存在の復元。それが神にとっては、指先一つ動かすほどの手間でしかないらしい。
『ただし──願いは一つしか聞かないよ?』
一つだけ。
つまり、選択しろということか。
脳裏に、様々な欲望がよぎる。
例えば、一生遊んで暮らせるだけの大金。あるいは、誰も逆らえない絶対的な権力。
「神」と言うからには、そういった俗物的な願いも叶うのだろう。
(……いや、聞くだけ野暮だな)
俺は即座に首を振った。
考えるまでもない。そもそも俺がここに来た理由は一つだ。
世界の全てと引き換えにしても、ナツキ以上の価値なんてないのだから。
「佐倉夏希──」
俺は、噛み締めるようにその名を告げた。
「今年の夏頃に、この世界で消失した女の子です。彼女を、蘇らせてください」
「わかった」
間髪入れず、軽い返事が返ってきた。
空が割れるような雷鳴も、神秘的な光の柱もない。
『はい、完了。君の陣地のキングの近くに復活させといたから』
「……え?」
随分と、あっさりと。
あまりにあっけなさすぎて、実感が湧かない。
俺が命懸けで掴み取った勝利も、数百人の犠牲の上に成り立つ罪も、この存在にとってはエンターキーを一度押す程度の労力でしかないらしい。
『いやー、それにしても君は随分とサッパリしてるねぇ』
呆然とする俺に、声の主は感心したように言った。
『前の子はさ、根掘り葉掘り世界の仕組みを聞いてきて、結局三日くらいここに居座ったんだよ? それに比べて君は、迷いなく女の子一人だもん。愛ってやつかね』
「……ッ?」
その言葉に、思考が停止していた脳が動き出す。
そうだ。俺はナツキのことしか頭になかったが、ここは世界の深淵に触れられる場所だ。
なぜこの世界があるのか。なぜ俺たちが戦わされているのか。その真実を知る絶好の機会だったのではないか。
「待っ──神様は……」
『だから、神ではないってば』
俺の言葉を遮り、声の主は悪戯っぽく笑った。視界が少しずつ歪み、声が出せなくなる。
『君たちがフィールドで泥にまみれる”選手”だとしたら、僕はベンチで采配を振るう”監督”に過ぎない』
俺たちが、ゲームの駒だとでも言うのか。
世界が遠ざかっていく。
『君らが言う”神”っていうのは、競技を定義した”ルール”か、あるいはそれを執行する”審判”のことだろう?』
俺の意識が、強制的に元の世界へと弾き出されようとしていた。
『って、前に来た子の受け売りだけど』
彼は笑う。
ブツンッ。
唐突に通信が切れるように、俺の意識はブラックアウトした。
強烈な眩暈と共に、意識が肉体へと引き戻される。
まばたきを一つすると、そこは再び、冷気漂う要塞の中枢だった。
「……終わったの?」
小春の声が鼓膜を打つ。
俺の目の前には、真っ二つに斬り裂かれた『キング』の残骸が転がっていた。
断面からは火花が散り、動力源の光が急速に失われていく。
「ええ、終わりました」
俺は深く息を吐き出し、刀を納めた。
同時に、外から響いていた激しい戦闘音が、嘘のようにプツリと途絶える。
キィィィィン……。
どこか悲しげな高音が、学園全体に響き渡った。
それは、敗者への鎮魂歌か、それとも退場の合図か。
「見て、外を」
小春に促され、装甲の大穴から外を見る。
そこには、残酷で美しい光景が広がっていた。
校庭で戦っていた黎明工科の生徒たちが、次々と光の粒子に変わっていく。
誰一人として例外なく、その輪郭を保てなくなっていた。
悲鳴はない。恨み言もない。ただ静かに、最初からいなかったかのように世界から削除されていく。
後に残ったのは、主を失った無人の兵器と、静寂だけだった。
「……これが、『敗北』ですか」
俺はその光景を目に焼き付ける。
俺がやったのだ。俺が、彼らを消したのだ。
手のひらに残る剣の重み。
それが、数百人の未来を奪った重さだと自覚しながら、俺は拳を握りしめた。




