第73話 罪の選択
俺はおもむろに、近くにいた二体のヒーローを指差し、要塞へ向かって突撃させる。
命令を受けた人形たちが、要塞の鉄壁に取り付いた瞬間──。
──『位置交換』。
ヒュンッ。
世界が反転する。
俺たちは一瞬にして包囲網の内側へ飛び込み、要塞の装甲板の上へと着地していた。
「ベンケイ、こいつを切り裂いてこじ開けれるか?」
「ム……」
俺の指示に、ベンケイが剣の切っ先で装甲をコンコンと叩く。
その眉が、困ったように寄せられた。
「これは……斬るのは厳しいゾ。物理的な硬度もだけど、複数の能力者によるバフのようなものが幾重にも施されていル」
「私の氷でも、外から壊すのは骨が折れそうね」
小春も掌を装甲に当ててみるが、冷気は表面を白く曇らせるだけで、内部までは浸透しないようだ。
流石は工科高校の拠点、見た目以上に堅牢な作りだ。簡単にはこじ開けられそうにない。
「──おい! そいつらを止めろ!!」
侵入者に気づいたのか、真田と殴り合っていた義腕の男が怒号を上げた。
それに呼応し、周囲を浮遊していたドローンや、残存していたゴーレムが一斉に砲口をこちらへ向ける。
「あら、邪魔しないでくれるかしら?」
小春が億劫そうに片手を振るった。
カォォンッ!!
大気中の水分が瞬時に凍結し、要塞の周囲を取り囲む巨大な『氷の城壁』が出現する。
二百体のヒーローによる『肉の壁』。小春による『氷の壁』。
二重の遮断壁によって、俺たちと『キング』は、敵の戦力から完全に分離・隔離された。これでもう、誰も手出しはできない。
「……とはいえ、中で悠長にしている時間もないか」
どこかの戦場で倒された黎明の生徒たちが、復活地点であるこの『キング』のそばで再構成されようとしているのだ。
出てきた瞬間に飛ばすか、ベンケイが首を刎ねればいいだけの話ではあるが。
言うが早いか、俺は光の粒子が収束し、人の形を成そうとしていた空間に指を向ける。
ヒュンッ。
実体化しかけていた黎明の生徒と外のヒーロー入れ変える。
「雑魚の処理は俺がやります。二人は『壁』のこじ開けをお願いします」
「こじ開けると言っても、斬れないものは斬れないゾ」
ベンケイが唇を尖らせる。だが、物理でダメなら科学で攻めればいい。
「物理法則を利用しましょう。『熱衝撃』です」
「……何それ?」
小春が首を傾げる。
「キンキンに冷やしたガラスに熱湯をかけると割れるでしょう? あれと同じことを、この装甲板でやるんです。桐谷先輩が極限まで冷やし、ベンケイが急速に加熱する」
俺の説明に、二人が顔を見合わせた。
「なるほど、そういうことなら私の得意分野ね」
「熱する役目、引き受けタ!」
役割分担は決まった。
まず、小春が要塞の装甲に両手を添える。
「──『絶対零度』」
パキパキパキッ!!
凄まじい冷気が装甲板の一点に集中する。障壁が軋みを上げ、鋼鉄の分子運動が強制的に停止させられる。黒鉄色だった装甲が、瞬く間に白霜に覆われ、蒼白く変色した。
「今だ、ベンケイ!」
「任せロ!!」
ベンケイが刀を上段に構える。
その瞳がギラリと輝き、彼女は厳かに告げた。
「我が剣は、かつて火の神を屠りし神剣──。その身に浴びた神の血潮は、数千年を経ても未だ熱く滾っているゾ!」
刀身がカッと赤熱し、神代の炎が刃を包み込む。
「ハァッ!!」
極限まで冷却されたポイントへ、灼熱の斬撃が叩き込まれた。
絶対零度と神代の劫火。
相反する二つのエネルギーが同時に与えられた物質は、その急激な膨張と収縮の差に耐えきれない。
キィィィンッ──ドォォォォンッ!!
金属の断末魔のような高音と共に、装甲板が爆散した。
斬れたのではない。急激な温度変化によって、分子レベルで結合が崩壊したのだ。
「……理科の実験成功ですね」
俺はもうもうと上がる蒸気と粉塵を払いのけ、装甲に開いた大穴──要塞の中枢へと足を踏み入れた。
そこには、人間大のチェスの駒──黎明工科の『キング』が鎮座していた。
守る者はもういない。邪魔する者は何もいない。
「……寒いですね」
吐く息が白い。
小春先輩が放った『絶対零度』の余波だろう。部屋全体が冷凍庫のように冷え切っており、鉄の床にはうっすらと霜が降りていた。
だが、俺の震えは、寒さのせいだけではなかった。俺は刀を握りしめ、目の前の『キング』を見据える。
これを破壊すれば、勝負は決まる。俺たちの勝利だ。ナツキを取り戻せる。
だがそれは同時に、黎明工科の全生徒、その数百人の「存在」を、この世界から消滅させることを意味していた。
脳裏に、先ほどまで戦っていた生徒たちの顔がよぎる。
多脚戦車に乗っていた男、逃げ惑っていたゴーレム使い、必死に校門を守っていた者たち。
彼らにも、俺と同じように日常があり、友人がいて、叶えたい願いがあってこの戦場に立っていたはずだ。
明日テストがあるかもしれない。週末にデートの約束があるかもしれない。
俺の一振りは、その全てを無慈悲に断ち切るのだ。
殺人よりもタチが悪い。「最初からいなかったこと」にするのだから。
「ッ……ぅ……」
胃の奥から、酸っぱいものが込み上げてくる。
剣を持つ手が、鉛のように重い。
これが「奪う」ということの重さか。
俺は今、数百人の未来を踏み躙り、その骸の上に立とうとしている。
ふと視線を感じて横を見ると、小春がじっと俺を見つめていた。
その瞳に、非難の色はない。かといって、推奨する色もない。
ただ静かに、底知れぬ深淵のような瞳で、俺という人間がどちらを選ぶのかを観察している。
──『背負えるの?』
そう、問われている気がした。
正義も大義もない。ただの私欲のために、これだけの犠牲を払う罪を。
(……世界は理不尽だ)
以前、望月先輩が言っていた言葉を、縋るように反芻する。
死にたくなくても死ぬ人間がいる。理不尽な暴力で、明日を奪われる人間がいる。
今この瞬間も、世界のどこかで戦争が行われ、搾取が行われている。
それが世界の真理だ。綺麗事じゃ守れないものがある。
(──ナツキ)
あの日、理不尽に消された彼女の笑顔を思い出す。
もしここで俺が躊躇えば、俺は「いい人」でいられるかもしれない。だが、ナツキは永遠に戻らない。
誰かを救うということは、別の誰かを見捨てるということだ。
俺は、選ばなければならない。
数百人の赤の他人の未来か、たった一人の大切な少女か。
「……ごめん」
誰に対する謝罪だったのか、自分でも分からなかった。
俺は奥歯が砕けるほど噛み締め、震える腕に強引に力を込めた。
俺は英雄にはなれない。
彼らにとっての、理不尽な災害になるしかないんだ。
「──ああああああっ!!」
俺は咆哮と共に、罪の重さを乗せた刃を振り下ろした。




