第6話 顕現せし刀
そのとき。
「あのー」
声をかけてきたのは一年の男子。見覚えはある。隣のクラス……だが、名前は出てこない。
──ダメだ。俺は誰とも関わってこなかった。クラスメイトの名前すら覚えていない。
「藤守くん、来てくれてありがとう」
九条がその一年に声をかける。
「じゃあ、三人でいこっか~」
冴木が明るく笑った。
「ヨシツネくん、何かをしたいなら──まずは、強くなりなよ」
九条は手をひらひらと振る。
俺は冴木に連れられ、体育館へ向かった。
扉を開けた瞬間、ひんやりとした空気が肌を刺す。 昼間の喧騒が嘘のように静まり返った空間。
高い天井、軋む木の床。張り詰めた空気が少し心地いい。
「ここは訓練専用に使ってるの。どうせ異世界だから、ちょっとくらい壊しても大丈夫~」
マイペースに説明する冴木。
しかし、その立ち姿には一切の隙がない。柔らかく微笑んでいるのに、なぜか怖い。
「まずは、ベンケイちゃんを呼んでみようか~」
俺は静かに頷いた。 足元の影が揺れ、そこからぬるりと緑の小さな姿が現れる。
ベンケイ──俺の相棒。
『……呼んだカ?』
低く擦れた声が、耳の奥に響く。妙に落ち着く声だ。
「この子に何ができるか~色々試してみようか~。モーリーお願いね~」
「あ、藤守大吾です。1-B、美術部です」
「倉田義経。1-Aです、よろしく」
帰宅部とは言わなかった。
ダイゴはエプロンのポケットから筆を取り出すと、空中にさらさらと絵を描く。光の軌跡が一瞬で形を結び、人型の標的が現れた。
「まずは、ベンケイちゃんを使って、壊してみようか~」
体育館の中央に立つ標的を見つめる。
「気後れしないで。これは訓練用だから」
ダイゴが俺の迷いを見抜いたように言う。
「ああ、わかった」
『……あれを壊せばいいのカ……?』
「そう、頼む」
言葉と同時に、ベンケイが弾けるように跳ねた。 次の瞬間、弾丸のように標的へ飛びかかる。鋭い爪が空気を裂き──
ドガァンッ!
轟音が体育館に響いた。標的の胴体はもげ、床を転がっている。
「わ、わあ……! つよ……っ」
ダイゴが目を丸くする。
「うんうん、いい子だね~。もしかして、お話してるの~?」
「え、こいつの声、聞こえないんですか?」
「話せることはミサッピには内緒にしたほうがいいかも~」
冴木はふわりと笑い、俺の背中を軽く叩いた。
(確かに九条先輩にバレたら「話させて」とか言って、拘束されかねないな)
「じゃあ、倉田くんは指示を出す、軍師みたいな後衛タイプってことですかね?」
ダイゴが尋ねる。
「ん~どうだろ~? ベンケイちゃん、どれくらいツネッチと離れられる~?」
『うーん……あんまり離れたくないゾ』
「あんまり離れたくないそうです」
「じゃあ、あの塔のとこまでは?」
冴木が指差したのは、体育館の外にいる王様。 ベンケイは小さく頷く。
「じゃあ、さっきの大きな木のところは?」
今度はぶんぶんと横に首を振った。
「うーん、50メートル以内ってとこね~。それ以上は無理そう~」
なるほど。俺が近くにいないと力を発揮できないわけか。
「つまりは……俺も一緒に戦わないとってことか」
「ま、そういうことになるかな~。がんばれツネッチ!」
冴木が笑顔で親指を立ててきた。
「そういえば、さっき聞いたけど倉田くんは剣道が得意なんだって? 木刀でも出そうか?」
無邪気な顔で、ダイゴが問いかけてくる。 まるで遊びの誘いのように軽い調子だった。後ろで指示を出す軍師。ぶっちゃけ俺はそんなガラじゃない。やるのであれば自分で、自分の手で戦いたい。
けれど──簡単に割り切れる話じゃなかった。
脳裏に浮かんだのは、さっきナイフを向けてきた少女の姿。 鋭い瞳。彼女にも、彼女なりの理由があったはずだ。
その目が物語っていた。背負ったものがあり、それでも前に進もうとしていた。 覚悟のある瞳だった。彼女のような人と戦うのだろう。
──剣を握ること。
それは、俺にとってただの戦いじゃない。 それは、『あの日』を認めることだ。
思い出す。
悲鳴。
血の匂い。
倒れる音。
手に残る感触。
──やめろ!!
頭の奥で、誰かの叫び声が響いた。あるいは俺の声だったのかもしれない。 俺が……俺のせいで……
後悔だけが、胸の奥に重く沈んでいく。
"ナツキ"の顔が、浮かんだ。 あの日からずっと、俺に話しかけ続けてきた笑顔。
剣道ができなくなった俺に向けられた、あの言葉。
「自分を嫌いにならないでよ。そんなヨシツネ、私は嫌だな」
明るい声に隠れていた、泣きそうな響き。
あれは励ましなんかじゃなかった。
──俺を呼び戻す、必死の願いだったんだ。
ナツキは、どんな想いで最後を迎えたんだろう。 ユウトは、その時、何を感じていた?
もし、俺がその場にいて。
もし、剣を握っていたら──
ナツキを、守れたのか?
胸が締めつけられる。吐き気がこみあげる。
……ふざけんな。
誰に向けた言葉か、自分でもわからない。 ナツキに? ユウトに?
ナツキを奪った敵に?
いや、きっと逃げ続けていた、この俺自身にだ。
影の中から、視線を感じた。 振り向くと、そこにベンケイがいた。 何も言わず、ただ俺を見つめている。
『……ベンケイ』
声には出さず、心の中で問いかける。
『俺は……また剣を握ってもいいのか』
『怖いのカ?』
『……ああ。怖いよ』
怖くないなんて、言えるわけがない。 俺はまだ、あの日の光景に囚われている。
でも──
『それでも、もう……逃げない』
ベンケイは無言のまま、影の中から一本の刀を差し出した。 澄んだ刃に俺の顔がはっきりと映る。
その光に、どこかナツキの面影が重なって見えた。
「……大丈夫」
小さくつぶやいて、ダイゴの差し出した手を制した。
「木刀は必要ないよ。……俺には、俺の刀がある」
刀を握る。
──ナツキに、恥じないように。
──あいつが、誇りに思ってくれるように。
──俺が、俺として戻るために。
もう迷いはなかった。
『大丈夫。今なら……戦える』
あの日よりも。
あの日の俺よりも。
きっと──強くなれる。




