第66話 式神と妖狐
「待ってください、ヨシツネさん。うちとしては、綾香と事を構えたくはないのです」
ミツルが制止の声を上げた。
確かに、先ほどの狙撃のターゲットは俺と鰐淵だけだった。
「とはいえ、私を助けてくれたのはヨシツネくんよ?」
白羽が、心外だと言わんばかりに口を尖らせる。
「恩人を売るような、そんな不義理な真似はできないわ」
「それはわかってますが……逃げる、説得する。戦う以外にも方法はあります」
カノンが無言で光の障壁を展開する。確かに無理に戦う必要もメリットもない。
俺が逡巡していると、夜の闇から足音が二つ、静かに近づいてきた。
「──動かないでいただきましょうか」
現れたのは、二人の女学生。
一人は黒髪を低い位置で一つに結い、凪いだ水面のような静けさと、研ぎ澄まされた刃のような空気を纏っている。
もう一人は、肩までの淡い茶髪をゆるく下ろした少女。柔らかな笑みを浮かべているが、その瞳の奥には愛嬌と狡猾さが潜んでいた。
先ほどの狙撃手は、まだ遠くにいる。この二人は前衛か、あるいは交渉役か。
「なぜ、東陵と共にいるのです?」
黒髪の女が、氷のような視線を白羽に向けた。
「元々、うちは東陵とは仲悪くないしー」
白羽が、ぷいと顔を背けてむくれる。
「『不戦』と『共闘』は違います。我々も聖グラディスに侵攻したことはありません。ならば、なぜ天城お姉様の要請に従って、うちと共闘しないのですか?」
「別にー。たまたまよ、たーまーたーまー」
「……九条と組むつもりですか?」
「違うわーよー。なーりーゆーきー」
のらりくらりと躱す白羽に対し、黒髪の女の眉がピクリと跳ねた。
明らかにイライラが募っている。
空気が張り詰める中、ミツルが一歩前に出て、努めて冷静に声をかけた。
「まあまあ、落ち着いてください。我々としては、綾香の皆様と争う気はありません。ここはお互い、見なかったことにして引けませんか?」
「……見なかったことに?」
黒髪の女が、冷ややかに俺を見据えた。そして、宣告するように指を差す。
「そいつだけ置いていってくれるなら、考えてもいいわ」
その言葉を聞いた瞬間、ミツルがふぅ、と深く重い溜め息をつき、冷徹な光を瞳に宿した。
「……それは、出来ない相談ですね」
怒りの滲む声と共に、彼の背後で空間が歪む。
ぬぅ、と虚空から二つの巨大な『腕』が顕現し、主の意志に従って宙に浮いた。
質量を持った殺気が、その場を支配する。
「やるのか?」
俺は刀の鯉口を切り、重心を低くした。
「僕も、ヨシツネさんを売るような真似はできませんから」
ミツルが静かに、しかし断固として告げる。
カノンとアリアも頷く。
全員の意思は固まった。力づくで道を切り開くしかないようだ。
「稲乃、サポートよろしくね」
茶髪の女が、軽い調子で言いながら一歩前へ出た。次の瞬間、彼女の輪郭がぶれる。
コンッ!
愛らしい、けれど獰猛な鳴き声と共に、彼女の頭からふさふさとした狐の耳が生え、スカートの後ろから太い尻尾が現れた。
雰囲気も一変する。柔らかな愛嬌は消え失せ、獣じみた敏捷さと殺気が全身から立ち上る。獣人化──それも、妖狐の類か。
対する黒髪──稲乃と呼ばれた女は、表情一つ変えずに懐から古風な財布のようなものを取り出した。
口を開くと、中から白い紙切れが雪崩のように溢れ出す。
それらは人の形に切り抜かれた紙人形だった。
バササササッ!
数百枚はあるだろう紙人形が、意思を持った生き物のように稲乃と椿の周囲を旋回し、不気味な防壁を形成する。
「椿、東陵だけ捕まえれば良いわ。聖グラディスには手を出しちゃだめよ」
「りょーかい。お姉様方の言いつけは守らないとね」
狐化した椿が、鋭く尖った爪をカチカチと鳴らし、低い姿勢で構えた。
稲乃の周囲では式神がざわめき、いつでも飛び掛かれるように切っ先をこちらに向ける。
交渉の余地は完全に消えた。
開戦だ。
「いくよ、稲乃!」
そう叫ぶと椿が地面を蹴った。
速い。獣人化による脚力強化は伊達ではなかった。残像を残すほどの速度で左右にジグザグと跳躍し、俺たちの側面へと回り込む。
「させません!」
ミツルが背後の『巨腕』を振るうが、椿は紙一重でそれを回避し、嘲笑うようにコンッと鳴いた。
捕まえられない。
さらに、稲乃の周囲から無数の紙人形──式神が舞い上がり、視界を白く埋め尽くす。
「目障りだゾ!」
ベンケイが刀を振るうが、紙人形はひらりと舞って衝撃を殺す。
だが、最大の脅威はそれらではない。
ヒュンッ──!
カノンの展開した光の障壁に、遠距離からの光矢が突き刺さる。
遥か彼方のビル屋上に陣取る、姫野による狙撃だ。
「くっ……! あの一番奥の弓使いがいる限り、うかつに動けません!」
カノンが悲鳴に近い声を上げる。
いっそバリアを拡大し、目の前の敵ごとドームに閉じ込めれば、外部からの狙撃は無効化できる──いや、それは悪手か。
障壁に突き刺さった矢の衝撃を見る限り、相手の威力は桁外れだ。
カノンの盾は、光を極限まで凝縮させることで、何とかあの剛弓と拮抗しているように見える。
もし範囲を広げれば、その分だけ密度は薄まり、強度はガタ落ちになるはずだ。
紙のように薄くなった障壁では、あの矢を防ぎ切れないのだろう。
「カノン、バリアは弓矢に集中してくれ! あの狐は俺たちがやる」
「は、はいっ!」
俺の指示に、カノンは歯を食いしばって障壁の範囲を絞った。
「大人しくその男を引き渡した方がいいんじゃない?」
稲乃が冷徹に告げると同時、椿が地面を蹴った。
一瞬で懐に潜り込み、鋭利な爪が俺の喉元へと迫る。
だが──。
ガギィンッ!
ベンケイが割り込み、その斬撃を長刀の柄で受け止めた。
火花が散る。強烈な力がぶつかり合い、互いの動きがピタリと静止する。
──この瞬間を、待っていた。
動きが止まった今こそが、唯一の好機だ。
「……アリア、今だ!」
「はい!」
アリアが滑り込み、鍔迫り合いをしている椿の足元──その影へ向かって、光の杭を勢いよく打ち込んだ。
「えっ、動けな……!?」
驚愕に動きを止める椿。
その隙を見逃すはずがない。
「オラァアッ!」
ベンケイが勢いよく、無防備な椿へと長刀を振り下ろす。だが、それも敵の想定内か。
キィィィン!
遥か彼方から、救援の光矢が飛来した。
先程より光量が多い、彗星のように長い尾を引き、直視できないほどの光を纏っている。
カノンの光の盾が、ベンケイを守ろうと割り込む。
だが──。
パリンッ!
「えっ……!」
カノンの小さな悲鳴が戦場にこだました。
光の欠片がダイヤモンドダストのように飛び散る。
先ほどまでの牽制ではない、必殺の一撃。カノンの盾をもってしても、防ぎ切ることはできなかったのだ。
勢いを殺しきれなかった矢は、そのまま吸い込まれるようにベンケイの眉間へと迫る。
このまま振り下ろせば、ベンケイが射抜かれる。
回避は間に合わない──誰もがそう思った瞬間。
『位置交換』
脳内の座標がカチリと噛み合う。
対象は、『ベンケイ』と『椿』。
世界が反転した。
「なっ!?」
ベンケイがいたはずの場所に、突如として椿の姿が現れる。
そして椿がいた場所には、ベンケイが転移していた。
姫野の放った矢は、既に止まらない。
その矢が向かうのは──味方である椿の眉間。
「しまっ──!」
稲乃が血相を変えた。
彼女は慌てて式神の制御を変更し、椿を守るために全速力で肉壁として集結させる。
ドガガガガッ!
光の矢が式神の束に突き刺さる。
なんとか相討ちは防いだようだ。冷や汗を流し、稲乃が安堵の息を漏らす。
──だが、その防御行動こそが命取りだ。
稲乃は味方を守るために全神経を使い、自身が疎かになっている。
「二手目だ」
俺は再び能力を発動しようと、稲乃の背後を漂う『一枚の紙人形』に意識を向けた。
だが──能力は発動しない。
(能力とは交換できないのか? ……人間同士限定とかか?)
そんな推測が脳裏をよぎる。
検証している時間はないが、人間同士ならさっき成功した。ならば、確実な手を使うまでだ。
俺はすぐ隣に控えていたアリアに視線を向けた。
この二人なら、いけるはずだ。
『位置交換』
隣にいたアリアの姿が掻き消え──代わりに、驚愕に目を見開いた稲乃がそこに立っていた。
「……え?」
俺は即座に踏み込み、無防備な彼女の喉元へ剣を突きつけた。
同時、離れた場所ではミツルの『巨腕』が、転移させられて混乱している椿を鷲掴みにし、宙へ吊り上げていた。
ベンケイが、動けない椿にトドメを刺そうと長刀を振り上げる。
「殺しちゃダメだ、ベンケイ!」
俺の制止の声に、寸前で刃が止まる。
鼻先で風を切られ、椿が小さく悲鳴を上げた。
人質を取られた以上、遠距離の姫野も手出しはできないだろう。
喉元の刃に動きを封じられ、稲乃が観念したようにゆっくりと両手を上げた。
勝負ありだ。




