第64話 甘い報酬と偽りの囚人
鰐淵が俺を睨みつける。
その目は明らかに言っていた。「イカサマをしていただろう」と。
だが、それを口にすることはできない。なぜなら、先に仕掛けたのは彼らであり、証拠を残さずにそれを叩き潰された以上、文句を言う権利は敗者にはないからだ。
「……ギャンブルの神様は、どうやら俺に微笑んだようだな」
「ハッ、神様ねぇ……」
鰐淵はふぅ、と大きく息を吐き出し、天井を仰いだ。
憑き物が落ちたような顔だった。
「わかったよ。俺の負けだ、完敗だよ」
彼が降参を宣言した、その瞬間だ。
パリーンッ!
硬質な音が響き、ガラスケースが内側から砕け散った。
同時に、幾重にも巻き付けられていたはずの拘束の鎖が、枯れ木のように容易くへし折られる。
「ん〜っ! やっと出られたわね」
硝子の破片がキラキラと舞う中、白羽まつりが優雅に伸びをしながら歩み出てきた。
「これで自由ね」
白羽が悪戯っぽく、鰐淵にウインクを投げかける。
鰐淵は引きつった笑みを浮かべるしかなかった。
「ああ……そう、だな」
「さあ、帰りますよ」
ミツルが冷静に急かす。
これ以上の長居は無用だ。俺も同意して踵を返そうとした時、背後から声がかかった。
「おい、待てよ。……良ければ、飲み物でも飲んでいけ。デザートもそっちにある」
鰐淵が壁際のバーカウンターを指差した。
敵意は消えている。純粋な労いのようだ。
「毒とか入ってませんよね?」
ミツルが天秤をかざす。
「酷いな、純粋な善意だよ。誰もなにも入れてない、保証する」
やれやれと首を振る鰐淵。
言われてみれば、極度の緊張の連続で、喉がカラカラに乾いていた。
「わぁ! ケーキがある!」
カノンが目を輝かせ、嬉しそうにカウンターへと駆け出していく。
アリアも呆れつつ、その後を追った。
俺とミツルも顔を見合わせ、苦笑しながら彼女らに続く。
***
俺たちがカウンターへ移動し、ルーレット台の周りには鰐淵と白羽の二人が残された。
喧騒から離れた場所で、鰐淵が低い声で問う。
「おい……鎖、最初から外せたのか?」
「うん。ごめんね〜」
白羽は悪びれもせず、クスクスと笑った。
最初から、彼女は捕まってなどいなかったのだ。ただ、状況を楽しんでいただけ。
鰐淵は深い溜め息をつき、頭を抱えた。
「アンタ、一体なにがしたいんだ?」
「そうねぇ。あなたの能力も悪くないけど……」
白羽の視線が、カウンターで水を飲むヨシツネの背中に向けられた。
「あの子の方が、もっと良さそう」
「……あいつ、一体どんなイカサマをしたんだ?」
「さぁ? でも、凄い能力なのは間違い無いかな」
白羽は妖艶に微笑むと、興味深そうに目を細めた。
「……ちなみに、あのまま俺が勝ってたらどうするつもりだったんだ?」
白羽は小首を傾げ、鈴が鳴るような声でさらりと言い放った。
「そりゃ、殺してたわよ。あなた、イカサマばっかりするんだもん」
その時、カウンターの方から無邪気な声が飛んでくる。
「まつり先輩ー! アップルパイもありますよー!」
カノンがフォークを片手に手を振っていた。
白羽の表情が、ふわりと優しいものに戻る。
「はーい、今行くわー!」
彼女は軽やかな足取りで、デザートを取りに向かう。
取り残されたカジノの主は、空になったルーレットの皿を眺め、背筋の悪寒を払うように、もう一度小さく溜め息をついた。
***
バーカウンターでは、先ほどまで「囚われの姫君」だったはずの女が、優雅にフォークを動かしている。
「ん〜っ! このアップルパイ、林檎がシャキシャキで絶品ね!」
白羽は、パイを頬張りながら満面の笑みを浮かべている。
その隣で、ミツルは憤怒の形相を浮かべていた。
「……まつりお姉ちゃん。もう絶対に、勝手に、一歩も、学校を飛び出さないでくださいね。心臓がいくつあっても足りません」
「はいはーい。分かってるってば」
白羽は軽い調子で聞き流すと、視線を俺の方へと向けた。
「で、助けてくれたこの人は? 私の白馬の王子様?」
「……ああ。ここに来る道中、暁天の連中に攻撃されていたところを助けてくださいました。彼がいなければ、ここまで辿り着けなかったでしょう」
ミツルが紹介すると、白羽は興味深そうに俺を値踏みした。
俺は軽く頭を下げる。
「東陵一年、倉田義経です。王子様って柄じゃないですがね」
「ふふ、謙虚なこと。それで、東陵の子がどうしてこんな場所に?」
彼女が首を傾げる。
俺は単刀直入に切り出した。
「人を探しているんです。うちの生徒を、この界隈で見かけませんでしたか?」
「東陵の生徒……」
白羽はフォークを口に咥え、少し考える素振りを見せた後、ポンと手を叩いた。
「ああ──あの『二年生の氷使い』の子? それなら会ったわよ」
氷使い。 間違いない。桐谷小春先輩だ。
「パトカーに乗ってみるかって聞いたら、丁重に断られちゃったけどね」
「そ、それで、その先輩とは、何処で会ったんですか?」
「さぁ? 詳しい場所までは覚えてないけど……」
白羽は最後のパイを飲み込み、ナプキンで口元を拭った。
「たしか、『東陵のエリアまで戻る』って言ってたわよ」
東陵へ戻る。
なるほど、入れ違いになっていたか。なら、俺もルークまで戻るのが得策だろう。
「……わかりました。情報感謝します」
俺は礼を言い、出口の方角を見た。
ここでの用事は済んだ。エリアへ戻り、戦況を立て直す必要がある。




