第62話 不自然な挙動
「第一回戦。……ベットしてくれ」
鰐淵が促すと、マネキンのディーラーが恭しく一礼し、鉄の球を手に取った。
「まずは挨拶代わりといこうか」
鰐淵は手遊びにチップを弾くと、迷うことなく『赤』のエリアに一枚を置いた。
確率は約二分の一。最も堅実で、運試しに適した一手だ。
「俺は赤に賭ける。お前はどうする?」
「そうだな……」
俺は手元のチップを握りしめる。
ルールは分かったが、どこに賭ければいいのか見当もつかない。
俺はテーブルの下で、隠し持った奇妙な形状の剣の柄を強く握り直した。
(頼むぞ、神様の剣……!)
念じる。
すると、剣がドクンと脈打った気がした。
まるで磁石に引かれるように、俺の手が勝手に動く。
「……なら、俺は『黒』だ」
俺は鰐淵の対抗馬となる『黒』のエリアにチップを置いた。
赤か、黒か。
盤面は二色に分かたれた。
「シンプルでいいな。さあ、回してくれ」
鰐淵が合図を送ると、ディーラーが円盤を回転させ、逆方向に球を投げ入れた。
カラカラカラカラ……ッ!
乾いた音がフロアに響き渡る。
回転する円盤の上を、鉄球が目にも止まらぬ速さで駆け巡る。
俺も、ミツルも、カノンとアリアも、固唾を飲んでその行方を見守った。
やがて回転が緩まり、球がポケットへと落ちていく。
カッ、コン……。
球が弾かれた。
赤いポケット──『一四』の縁に当たり、吸い込まれそうになる。
(しまっ──!)
赤だ。
物理法則に従えば、間違いなくそこに着地する軌道だった。
鰐淵が勝利を確信して口元を歪める。
だが、その瞬間。
俺の手の中にある剣が、カチンと微かな金属音を立てた。
ヒュンッ!
突如、あり得ない横風が吹いたかのように、球が不自然な挙動を見せた。
赤いポケットから弾き出され、まるで何かに蹴飛ばされたように隣のポケットへ滑り込む。
そこは──『黒』。
コトリ、と音がして球が静止する。
落ちた場所は『黒の三一』。
「──黒の三一です」
無機質なディーラーの声が響いた。
バニーガールが棒を伸ばし、鰐淵のチップを回収して、配当と共に俺の元へと押しやる。
「……ほう?」
鰐淵が片眉を跳ね上げ、ちらりとミツルの天秤を確認する。
だが──天秤は微動だにしていない。
水平を保ったまま、沈黙している。
明らかに『赤』に入る流れだった。今の挙動は、かなり異常だったはずだ。
「……運が良かったな」
「ああ。どうやら、今日の女神様は黒がお好きらしい」
俺は平然を装って答えたが、内心では冷や汗をかいていた。
これが聖剣の力か。
手元のチップが増え、これで俺が六枚、鰐淵が四枚。
まずは一勝だ。
「第二回戦だ」
ディーラーが再び球を構える。
だが、俺はチップに手を伸ばさず、鰐淵に視線を送った。
「ちなみに、チップを賭けずに『様子見』することは可能か?」
「……パス、だと?」
「ああ。今は俺がリードしている。無理に勝負に出る必要はないからな」
俺の手元には六枚、鰐淵は四枚。
このまま差を維持できれば俺の勝ちだ。リスクを避けるのは戦術として間違っていない。
セコいと言われようが、命がかかっている以上、使える手は全て使う。
鰐淵は少し意外そうな顔をしたが、すぐにニヤリと笑って肯定した。
「もちろん、構わんよ。賭けるか、降りるか。それを選ぶのもギャンブラーの権利だ。勝敗はあくまで、ルーレットが五回回った後の『総枚数』で決まる」
彼は手元のチップを一枚摘まみ上げ、盤面を覗き込む。
「だが──俺が一人勝ちして逆転するのを、指をくわえて見ていることになるがな」
鰐淵がチップを置いたのは、赤黒のエリアではなかった。
『1st 12』──数字の一から一二までの範囲を指定するダズン・ベット。配当は三倍だ。
「臆病者には、罰が下るぜ?」
「ご忠告どうも。お手並み拝見といこうか」
俺が静観を決め込むと、ディーラーがウィールを回転させ、球を投げ入れた。
カラカラカラ……ッ!
乾いた音が響き、球が回る。
俺は神剣の柄から手を離し、その軌道をじっと目で追った。今回は干渉しない。ただの結果を見届けるだけだ。
やがて球の勢いが落ち、ポケットの縁を弾き始める。
カッ、コン……カコン……。
コトリ。
球が落ちたのは『七』の赤いポケット。
見事に『1st 12』の範囲内だ。
「赤の七です」
無機質な宣言と共に、賭けられた一枚のチップが、三枚になって鰐淵の手元に戻される。
これで俺が六枚、鰐淵が六枚。
俺は反射的にミツルを見る。
だが、『天秤』は水平を保ったまま微動だにしていない。イカサマではないようだ。
「これで振り出しに戻ったな、第三回戦といこうか」
俺は手持ちのチップから三枚を掴んで『赤』に置いた。
勝負に出る。ここで勝てば、失ったリードを取り戻せる。
「大きく出たな。なら俺は『黒』だ」
鰐淵が涼しい顔で対抗する。
ディーラーが球を投げ入れた。
カラカラカラッ……!
球が回る。俺はテーブルの下で『神剣』を強く念じた。
頼む、赤に入ってくれ。
神剣が脈動する。
球は『赤の一九』に吸い込まれる軌道を描いた。よし、入る──そう確信した瞬間だ。
カコンッ!
ウィールの縁にある金属の仕切に当たった球が、あり得ない角度で真上に跳ねた。
不自然なバウンド。
まるで透明な指で弾かれたかのように、球は赤のポケットを飛び越え、隣の『黒』へ滑り落ちた。
「──黒の二二です」
無情な宣告。
俺の三枚が没収され、倍になって鰐淵の元へ移動する。
俺は思わずミツルの方を向く。
だが──『天秤』は微動だにしていない。
鰐淵はイカサマをしていない。嘘もついていない。
だが、今の挙動はどう考えてもおかしい。
疑念が渦巻くが、証拠がない。
天秤が反応しない以上、ルール上は「不運なバウンド」で処理される。
「どうした? 随分とツキに見放されてきたな」
鰐淵が愉しげに笑う。
これで俺の手持ちは残り三枚。鰐淵は九枚。
形勢は完全に逆転した。




