第51話 覚悟の門出
「ヨシツネ。準備はいいか? そろそろ時間だ」
重厚な体育館の扉が開き、朝倉優翔が姿を現した。
これから始まる『夜戦』に向け、迎えに来てくれたのだ。
「ああ、悪い。ちょっと待ってくれ、今……」
俺が振り返ると、ユウトがピタリと動きを止めていた。
彼の視線は、俺ではなく、その横に仁王立ちしている〝少女〟に釘付けになっている。
紫がかった癖毛に、宝石のような瞳。紅白の和装に身を包んだ、小学生高学年ほどの美少女。
ユウトは無表情のまま、ゆっくりと視線を俺に戻し──。
「……ヨシツネ」
「なんだ」
「この世界がストレスフルなのは分かる。精神が摩耗するのも理解できる」
「……うん?」
「だが、犯罪はいけない。誘拐か?」
「違うわ!!」
俺は食い気味に否定した。
ユウトの目はこれ以上ないほど冷ややかで、まるで汚物を見るような目だった。
「誤解だ! 頼むからその軽蔑しきった目をやめろ! こいつはベンケイだよ!」
「ベンケイ? ……あのトカゲか?」
ユウトが眉をひそめる。無理もない。さっきまで猫サイズだった爬虫類が、いきなり生意気そうな少女になっているのだから。
「おい、ユウト。オレの姿を見て引いてんじゃねーヨ」
少女が口を開く。
……体だけでなく、態度までデカくなってやがる。その声は、これまで脳内に直接響いていたあの声そのものだ。
しかも、テレパシーではない。空気を震わせ、肉声として発せられている。
「……喋った?」
「ああ。この姿だと普通に会話できるみたいだな」
「なるほど。……にしても、随分と思い切った変化だね」
ユウトが呆れたように、けれど感心したようにベンケイをまじまじと見る。
ベンケイは「フン」と鼻を鳴らし、腰の刀をポンと叩いた。
「驚くのはまだ早いゾ」
言うが早いか、ベンケイの体がポンッ! と白煙に包まれる。
煙が晴れると、そこには──。
「……縮んだ?」
さらに幼い姿(幼稚園児モード)になったベンケイがいた。
さらにポンッ! と音がして、今度は元のトカゲに戻る。
そして最後にまた、さっきの少女姿(小学生モード)へと戻った。
「どうダ?」
「……すごいけど、どういう理屈だい?」
ユウトの問いに、俺は推理する。
「さっき、望月先輩にポイントの使い方を教わってな。能力進化ってやつを、二回やったからかな」
一回につき一万ポイント。計二万ポイントの大量消費。
一回目の進化で『幼稚園児形態』と『会話能力』を。
二回目の進化で『小学生形態』と『戦闘能力』を獲得したのではないだろうか?
「一万ポイントの『プロモーション』を二回……?」
ユウトが目を見開く。
「もしかして、ポイント全部使っちゃったのか?」
「……死んでも復活する保険より、今、勝つための力が欲しいからな」
「ナツキのため、か」
ユウトは短く息を吐き、それから苦笑した。
「相変わらず、生き急ぐね。……ま、その思い切りの良さがヨシツネらしいけどな」
彼は肩をすくめ、出口へと顎をしゃくった。
「行こうか。その頼もしい〝新しい相棒〟のお手並み拝見だね」
「オウ! 任せとけ! オレ様が全部切り伏せてやル!」
見た目は可憐な少女、中身は好戦的なトカゲ。
ベンケイは楽しげに尻尾を揺らしながら、意気揚々と夜の戦場へと歩き出す。
「なあ、ヨシツネ。ベンケイを影に戻しておいた方が良いんじゃないか?」
廊下を歩いていると、不意にユウトが声を潜めて忠告してきた。
「え? なんでだよ。せっかく実体化できるようになったのに」
「だからだよ。……九条先輩に見つかったら説明が大変そうじゃないか?」
「……ああ、なるほど」
九条の、あの妙にテンションの高い笑顔が脳裏に浮かぶ。確かに、それはありそうだ。
ベンケイも危険を察知したのか、スゥッと俺の足元の影に溶け込んでいった。
校舎を出ると、肌を刺すような冷たい夜風が校庭を吹き抜けた。
日が落ちた学園は、昼間ののどかな雰囲気が嘘のように静まり返り、闇に沈んだ全く別の顔を見せている。
やがて、闇の中に巨大な正門が浮かび上がってきた。
学園という『日常』と、戦場という『非日常』を分かつ境界線。
その手前で、ユウトが不意に足を止めた。
「ヨシツネ」
彼は振り返らない。背中越しに、静かな声だけが届く。
「ここをくぐると、もう朝まで戻れないよ」
淡々とした口調。だが、そこには突き放すような冷たさはなく、むしろ親友の身を案じるような重みがあった。
彼はそこで言葉を切り、ゆっくりと振り返った。
真剣な眼差しが俺を射抜く。
「──覚悟は、いい?」
その問いの意味を、俺は痛いほど正しく理解する。
それは単に、「死ぬ覚悟」があるかという問いではない。
誰かを傷つけ、蹴落とし、殺す覚悟。
ナツキを生き返らせるというたった一つのエゴのために、他者の願いを踏みにじる──『奪う覚悟』があるのか。
彼はそう、問うているのだ。
俺は立ち止まり、夜の闇に沈む正門を見上げる。
この門の向こうには、理不尽な暴力と、死の恐怖が待っている。
一歩踏み出せば、もう「普通の高校生」には戻れないかもしれない。
でも。
俺はポケットの中で、強く拳を握りしめた。
さっき消費した二万ポイント。それは、退路を断った証だ。後ろを振り返るつもりはない。
ナツキを取り戻す。そのために、俺はここにいるんだ。
それに、ユウトに重荷を背負わせる気もない。
俺が、必ず、キングを破壊する。
「……行くよ、ユウト」
俺は迷いを振り払い、短く答えた。
ユウトは俺の目を見て──ふっと口元を緩めた。
「オーケー。行こう」
二人で正門へと歩み寄る。
そこにはすでに、圧倒的な威圧感を放つ三つの人影が待っていた。
中央に仁王立ちしているのは、真田剛。
その右には、にこやかな笑顔の冴木楓。
そして左、静かに佇む桐谷小春。
「すいません、手間取りました」
「うむ、顔つきは悪くないな」
真田先輩はニヤリと笑みを浮かべると、バサリと制服の裾を翻した。
彼らからは、微塵の恐怖も感じられない。あるのは、勝利への渇望と、揺るぎない自信だけ。
俺たちは地面を蹴り、夜の闇へと躍り出た。
もう、迷いはない。
終わらない夜が、今はじまる。




