第50話 祈り、あるいは現実逃避
今日もなんとか、まつりお姉ちゃんを制御することができた。
僕が不本意ながらも『異端審問官派』の筆頭なんて立場に祭り上げられているのは、結局のところ、この幼馴染の泣き落としという、彼女限定の必殺技が使える点が大きい。
他の誰が言っても聞かないが、僕が泣きつけば、彼女は渋々ながらも止まってくれるのだ。
「その飛行船、もう二度と出さないでくださいね。……いっそ捨ててください」
「わかってるわよ。すぐに捨てる。神に誓うわ」
彼女はケロリとした顔で、さらりと言ってのけた。
その言葉に、僕はふと複雑な感情を抱く。
「神、ですか……」
果たして、今のまつりお姉ちゃんは、本当に神を信仰しているのだろうか。
爆音でEDMを流し、おもちゃで遊び、享楽に耽るその姿からは、かつての敬虔さは微塵も感じられない。
今の彼女にとって『神への誓い』は、今日のランチメニューを決める程度の重さしかないのではないか。そう疑わずにはいられない。
一体、何が彼女を変えてしまったのだろうか?
もちろん、現実世界ではこんな風にタガが外れてはいない。
けれど、今にして思えば、変化の兆候は確かにあったのだ。
まつりお姉ちゃんが変わってしまったのは、およそ一年前のこと。対して、僕がこの世界に召喚されたのは半年前。
その間の半年、現実での彼女はどこか元気がなく、あれほど熱心だった祈りも捧げなくなっていた。
当時の僕は、それを単なる受験勉強の疲れや、一時的なスランプだと思い込んでいた。
けれど、それは僕の決定的な勘違いだったのだ。
おそらく、何かがあった。
この半年間、僕はその理由を問いただすことを避けてきた。変わってしまった彼女を直視するのが怖かったからだ。「聖女」ではなくなった彼女を認めることが、僕自身の信仰を揺るがす気がして。
けれど、さっきの無謀な特攻未遂を見て、痛感した。
彼女の心の奥底にある〝何か〟を知らなければ、僕は彼女を守り切れない。このままでは、彼女は遠くない未来に、本当に消えてしまう。
「先輩……いえ、まつりお姉ちゃん。この世界で、一体何を見たんですか?」
勇気を振り絞り、震える声で切り出す。
屋上の風が止んだ。彼女は遠い目をして、ポツリと答えた。
「見たんじゃないの。……会ったのよ」
「……え?」
予想外の言葉に、思考が止まる。
「そ、それは? 主にお会いした、ということですか?」
僕たちの信仰する、唯一神。奇跡の具現。
だが、彼女は悪戯っぽく、けれどどこか冷めた瞳で首を横に振った。
「うーん、違うわね。貴方の言う神様は、もう一段上の存在よ」
彼女は指先で天を指し、それからゆっくりと、地面──この異界の大地を指差した。
「私が会ったのは……この世界や、地球を作った存在」
「……は?」
思考が停止する。
この地球をお作りになったのは、唯一なる神ではないのか?
「神の一段下の存在……精霊、ということですか? もしくは天使とか」
僕が必死に教義の中で解釈しようとすると、まつりお姉ちゃんは困ったように眉を下げ、人差し指で自分のこめかみをトントンと叩いた。
「うーん。これ以上聞くと、また消されるよ?」
「……え?」
ドクリ、と心臓が嫌な音を立てた。
全身から冷や汗が噴き出す。
おかしいと思っていたんだ。
僕の性格なら、彼女が変わってしまった理由や、『何を見たのか』なんて、この世界に来てすぐに問い詰めているはずだ。それを半年もの間、なんとなく先送りにしてきたなんて、あまりにも不自然すぎる。
つまり、そういうことか。
僕は、何度もこの質問をして──その度に、都合の悪い記憶を〝処理〟されていたのか。
「……僕も、その存在に会うことは出来ますか?」
震える声で、核心を避けて問う。これ以上踏み込めば、また僕の記憶は消えてしまうのだろう。
「どうかしら。……そのうち、かもね」
彼女は寂しそうに微笑むだけだった。
重苦しい沈黙を破るように、屋上の扉が開いた。
現れたのは、真面目組に所属する二年生の男子生徒──ハヤト先輩だ。
「雨宮。……ああ、白羽先輩もご一緒でしたか」
彼は一瞬、まつりお姉ちゃんを見て気まずそうな顔をしたが、すぐに真剣な表情で報告を行った。
「予定通り、四隅へのルークの設置が完了したぞ」
「ご苦労様です、ハヤト先輩」
僕が労うと、横からまつりお姉ちゃんがパンと手を叩いた。
「おっ、仕事終わった? じゃあ、あとはパーッと遊びましょ! さっきの飛行船、やっぱり飛ばさない?」
「……すみません。そういう気分じゃないんです」
僕は冷たく突き放すように断った。
今の僕には、彼女の底抜けの明るさが、どうしようもなく恐ろしかったからだ。
「あれ、ノリ悪いわねえ」
不満げな声を背に、僕は逃げるように屋上を後にした。
チャイムが鳴り、空が茜色に染まる頃。
僕は一人、学園の聖堂にいた。
ステンドグラス越しに差し込む夕日が、長椅子に長い影を落としている。ここだけは、外の喧騒が嘘のように静謐だ。
僕は祭壇の前で膝をつき、両手を組んだ。
「……天にまします我らの父よ」
祈りの言葉を紡ぐ。
けれど、脳裏にはさっきの彼女の言葉がこびりついて離れない。
『私が会ったのは……この世界や、地球を作った存在』
もしそれが真実なら、僕たちの信じる教えはどうなっている?
いや、違う。彼女は言っていた。「貴方の言う神様は、もう一段上の存在よ」と。
そうだ。
この異界を作ったのが精霊や天使のような下位の管理者だとしても、その上に唯一なる神は確実に存在するはずだ。
でなければ、僕のこの信仰も、この世界の理不尽も、説明がつかない。
「神よ。迷える我らをお導きください……」
もしかしたら、僕もいつか、その存在にお会いすることができるのかもしれない。 その時こそ、全ての答え合わせができるはずだ。
恐怖と期待、そして縋るような希望を胸に。
僕は初日の無事を願い、ただひたすらに祈り続けた。




