第4話 死線上のチェス
空気が妙に澄んでいた。だが、それは心地よい清涼感ではない。 むしろ、肌に薄い膜が張られたような、不自然な静けさだ。
「……ここ、どこだ?」
意識が戻ると、土の匂いが鼻をくすぐった。見上げると、大きな木のシルエット──間違いない、俺の母校の校庭だ。
隣でユウトもゆっくり身を起こす。
「……生きてるってことでいいのか?」
「ヨシツネ、無事か?」
ユウトの顔には心からの心配が浮かんでいた。
校庭を見渡すと、生徒の姿がちらほら。 だが、いつもの光景と決定的に違うものがあった。
──校庭の真ん中に、まるで巨神の墓標のような石の塔。頂上にあるのは十字架だろうか? 異質な静寂を周囲に広げていた。
「……なんだ、あれ?」
薄気味悪さを感じながら塔を見つめる。
「──おや? 新入りかい?」
声が降ってきた。艶やかで、どこか芝居がかった口調。
振り向くと、真紅の蛇の目傘を片手にした三年生──九条心咲が立っていた。
濡羽色の長髪、整いすぎた顔立ち、軽やかな足取り。傘を持ったその姿は、和風の人形のようだ。
「九条先輩……?」
思わず声が漏れる。東陵高校の生徒なら誰もが知る、文武両道の完璧な生徒会長だ。
その隣に立つのは、真逆の印象を放つ男──応援団長の真田剛。
鋭く吊り上がった眉、まっすぐな瞳、狼のように無造作な長髪。胸元から覗く筋肉が「俺こそ応援団長だ」と叫んでいる。
鉄の柱のような腕にゴツゴツした拳、制服越しにもわかる背筋の隆起。190cm近い巨体は、まるで建設現場から抜け出した"重機"のようだ。
二人が並ぶだけで圧巻──東陵高校の有名人ツートップ、完璧会長と暴風団長だ。 他人に興味のない俺でさえ、その名と存在を知っている。
「……ここはどこなんですか?」
俺の問いに、九条は傘の先で石の塔を軽く叩きながら、冷静に言った。
「あなたが選ばれるなんて、少し驚いたけど…仕方ないわね」
その目の奥に温かさを感じた。少し安心し、深呼吸をする。 完璧超人の九条先輩が冷静にしているから、なんとかなる気がしたのだ。
「うーむ。仕方ないだろう、神とやらは意地悪らしいな」
真田は豪快に笑った。
「あの、九条先輩も真田先輩も、俺のこと知ってるんですか?」
二人はどこか悲しげな表情をする。
「ああ……まあ、そうだな……全国区の選手と言えば普通に有名人だろ」
真田が少し気まずそうに絞り出す。剣道をしていた頃の話だが、学校の有名人たちに有名人と言われると、少し恥ずかしい。
「昔の話です……それより説明をお願いできますか」
横から、別の三年生が声をかけてきた。
「私が話すわよ~。心咲と剛は戻っていいわよ~」
「だから、ツヨポンって呼ぶな!」
「ボクはミサッピって呼ばれるの好きだよ」
心咲でミサッピ、剛でツヨポンらしい。 1年生から尊敬と恐れの目で見られている二人だが、同級生と話す姿は日常そのもの。 少し安心する。
「私は冴木楓、よろしく~」
もこもこカーディガンにゆるふわパーマ、羊のようなおっとりした印象。ゆるキャラ感がすごい。
「その前に〜誰に殺られたのかな?」
九条が無邪気に尋ねる。
「女学院の弓姫様ですよ」
ユウトが吐き捨てるように言う。姫とは言うが敬意も畏怖もなく、むしろ小馬鹿にした響きだ。
冴木は「ああー」と達観した表情。 ──殺されても当たり前と言いたげな顔だ。
「じゃあ、ユウトはこのまま連れてくぞ。ノルマを達成しないとな」
真田が笑いながら、ユウトの肩に腕を回す。 ユウトも180cm近いはずだが、真田と並ぶと小さく見える。 不思議だ。
「ボクは、長谷川くんが来るまでここで待ってるよ」
九条がひらひら手を振る。
「じゃあ、行こっか~」
冴木に促され、俺は校庭の隅の大きな木の下へ移動することにした。
ユウトは「学校なら大丈夫」と言うと真田に連れて行かれた。 さっきから何が大丈夫なのかもわからないが、校内は安全圏らしい。
ユウトの落ち着いた様子や、冴木の柔らかな口調から、そう感じ取れた。
……今のところは、だけど。
「さて、はじめに言っておくけどね~。 私にもわからないことは、ほんとにわからないからね~? なんで? って聞かないでね~」
冴木はニコニコしている。
「倉田義経です。まず最初に、ここは一体どこなんでしょうか?」
ずっと喉に詰まっていた疑問を吐き出す。
「義経ね~、ここはね~……異世界かな~」
(ツネッチ……いや、まぁいいけど。問題はそこじゃない)
勝手につけられたあだ名以上に、さらっと言われる"異世界"という単語に驚く。
「い、異世界……?」
「でも安心して~、元の世界にはちゃんと戻れるからね~」
「戻れるんですか? だったら今すぐ戻してほしいんですが。俺、変な女達にナイフや弓で──もう殺されかけたんですよ……!」
「かけたんじゃなくて、1回殺されたんだけどね~」
屈託のない笑顔で、とんでもないことをさらりと言う。
「帰りたくてもすぐには戻れないの~"王様"の気分次第~」
冴木が校庭の中央に浮かぶ塔を指差す。
「……オウサマ?」
「うん、王様。チェスやったことない?あれ」
ああ、何か見た記憶があると思ったら、あの塔はチェスのコマか。
「戻るまでの時間は毎回違うけど、最低3日以上かな〜」
つまり──時間がたてば勝手に戻れるようだ。とは言え3日? そんなにここにいろと?
「……さっき、殺されたって言ってましたけど、俺は生きてますけど……?」
「うんうん、ツネッチはライフがまだ残ってるからね~」
「最初はライフが6から始まって、死んだり殺したり、エリアを奪ったり奪われたり。功績で回復するの~」
「……なるほど、まるでゲームですね」
いや、なるほどではないが。ここはとりあえず納得しておこう。冴木は「そうそう」と嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、このまま何もせず、3日くらいここにいれば──元の世界に戻れるってことですか?」
「ん~、今回は大丈夫だと思うわ~」
……"今回は"。
その言い方が、妙に引っかかる。
「……今回はって、どういう意味ですか?」
「うーんとね、ツネッチはもう、"選ばれちゃった"のよ~。だから、これからもちょこちょこ、こっちに呼ばれると思う~」
「は? なんでですか?」
思わず抗議の声を上げる。
だが──
「なんで禁止~♪」
満面の笑みで、指をさされて、ふざけた校則みたいなことを言われた。
「あっ……すみません」
言葉に詰まった俺に、冴木がふんわりと微笑む。
「勝手に理不尽に異世界に召喚する王様ってどこかで見たことあるような話よね〜」
「そう……ですね……。それで"今回は大丈夫"ってことは、次は"大丈夫じゃない"可能性もあるってことですよね?」
少し間を置いてから、俺は問い返す。
「うんうん~。さっきツネッチのライフは6じゃなくて5になっちゃったの~」
「じゃあ、それが0になったら……もう、戻れない……?」
「ううん、消えるの~」
「……消える?」
「存在そのものが、無くなるの。現実世界でも、こっちの世界でも。誰も覚えていないし、記録も何も残らない。まるで最初から、存在してなかったみたいに──」
喉の奥まで「なんで」が込み上げる。
「それでね、ツネッチには──決めてもらわなきゃいけないの~」
そう言って、冴木はぱんっと手を打った。軽快な音が空気を裂く。声は朗らかだが、目は凍てつくように真剣だった。
「もし生き続けたいなら、他校の生徒を殺すしかないの~。でも、人を傷つけたくないなら……静かに自ら消えるのも自由~」
選択を迫られている。 命の重みと引き換えに。
「だから、選んでね~。王の兵隊として戦って、生きるか。それとも……潔く、消えるか」
その問いに、俺はすぐには答えられなかった。




