第48話 プライスレスな宴
古書店の跡地から少し離れた公園。そこで星羅たちと合流する。
「あー、こっちはダメだったー!」
星羅がケラケラと笑いながら報告する。失敗したというのに、悲壮感は皆無だ。
「というより、戦闘状態になる前に離脱しました」
冬香が眼鏡の位置を直しながら、淡々と補足する。その言葉の裏にある事実に、俺はすぐに思い当たった。
「……まさか、彼らを囮にしたのかい?」
「ええ。何か問題でも?」
悪びれる様子もない。まったく、冬香は冷血で合理的だ。
暁天とはこれからも仲良くしていきたいのだが、これでは先方が怒るかもしれないな。そうなったら冬香のせいだろう。困ったものだ。
「まあ、これだけ暴れれば、黎明への義理は果たしただろう」
俺は羽織の埃を払いながら、一仕事終えた充足感に浸っていた。だが、冬香がタブレットを見ながら、無情な事実を告げる。
「それが……残念なお知らせです。先ほど、黎明の最後のルークもやられたみたいですね」
「……はあ」
俺は深い嘆息を漏らした。
これだけ援護射撃をしてやったというのに……黎明は全くもう。がっくりだ。もう少し粘りを見せてほしかった。
「やれやれ。じゃあ、今日は夜戦か。仕方ない、夜も援護に行こうか」
気を取り直して車に戻ると、後部座席に見慣れた箱が鎮座していた。
さっきのファミレスの屋上で、真田と対峙した時に置いて来てしまったクーラーボックスだ。
「おや? これはもしかして」
「美味しそうなお肉だったので、回収ってきました」
冬香が真顔で、小さくVサインをする。
抜け目がないというか、ちゃっかりしているというか。
「星羅が食べたがっていたので」
「冬香マジ神!」
星羅が歓声を上げる。
まあ、これくらいの役得はあってもバチは当たらないだろう。これから始まる長い夜への、せめてもの腹ごしらえだ。帰りは冬香が運転手をかってくれた。
ふと、車の揺れに身を任せながら考える。
もし、好きなことを好きなだけできるとしたら、俺はどうするだろうか? 何が欲しいだろうか?
この世界に来る前なら、即答で「金」だった。金こそが力だ。
没落した家門を再興するために、事業で稼いで、稼いで。かつての土地も、名誉も、あらゆるものを金で買い戻してやる。
そう思っていた。金が沢山あることこそが、強さの証明だと思っていたからだ。
でも、今は違う。
相馬に出会い少し考えが変わった。あいつを見ていると思うのだ。純粋な〝強さ〟というものは、何かを手に入れたとか、そういったこととは違うのではないだろうか。
何も持たずとも、ただそこに在るだけで揺るがないもの。
誰に媚びず、何にも染まらず、ただ己として屹立する大樹のような在り方。
それに……天城、九条、白羽。
あいつらは、多分〝ナニカ〟を見ている。 ……人の営みを超えたモノ。
相馬の四股も、結局はそこに通じている気がするんだ。
俺が本当に欲しかったのは、金で買える安っぽい力ではなく──そういうものだったのかもしれない。
美味い食事、高級車、スイートルーム。仮初ではあるが、こっちの世界で手に入る贅沢はあらかた堪能してみた。だが、すぐに飽きたよ。
結局、そんなものは自分を大きく見せるためだけに、ガワを取り繕った虚飾でしかないのだ。
飲む、打つ、買う。酒とギャンブルと女遊びだけは手を出すなというのが、没落したとはいえ黒沼家の厳格な家訓だ。それを守るなら、金の使い道なんてたかが知れている。
さて、あと、この世で金で何を買えば俺は幸せになれる?
金で一体、何ができるというんだ?
「リク先輩? もしもーし? 生きてるー?」
目の前で手をヒラヒラと振られ、俺は思考の海から引き戻された。
助手席から星羅が心配そうに覗き込んでいる。
「……ああ、すまない。少し考え事をしていた」
「マジでシケた顔してたよ? お金落とした時みたいなお顔」
「失敬な。僕が落とすのは女の子くらいだよ」
「はいはい、ウケるー」
星羅がケラケラと笑い、隣で冬香が呆れたように溜息をつく。
車内を満たす、この騒がしくも心地よい空気。
ふと、肩の力が抜けていくのが分かった。
車は滑らかに鴉羽高校の敷地内へと戻り、校庭に停車した。
「おーい! みんな聞いて! 高級肉ゲットしてきたよー!」
車を降りるなり、星羅が高らかに宣言する。
その声を聞きつけ、校舎や道場から生徒たちがわらわらと集まってきた。
「マジすか! すげぇ!」
歓声が上がる。
いつの間にか用意されたコンロに火が入り、ジュウジュウと脂の焼ける音が響き始めた。
「……おかえりなさいッス」
人混みをかき分け、巨体が近づいてくる。相馬だ。
稽古を終えたのか、その体からは湯気が立ち上っている。
「ただいま、相馬。ほら、君の分も焼けているよ」
俺が皿を差し出すと、相馬は「頂きます」と短く言い、豪快に肉を頬張った。その表情が、僅かに緩む。その至福の表情は、見ているこちらまで腹が減ってくる。もしこれがCMなら、間違いなく売り上げは爆増だろう。
それを見て、周囲の後輩たちもドッと笑い声を上げた。
煙と、肉の匂いと、馬鹿騒ぎ。
ここには、高級ホテルのような静寂も、洗練されたサービスもない。
あるのは、泥臭い連中との束の間の宴だけだ。
だが──不思議と、悪くない。
かつて俺は、金こそが全てだと思っていた。
金で買えないものはない。愛も、名誉も、力も。
だが、今目の前にあるこの光景には、値札がついていない。
相馬の信頼も、星羅の笑顔も、冬香の忠誠も。
どれだけ金を積んでも、決して手に入らない〝価値〟がここにはある。
(……そうか)
俺は、金で幸せを買おうとしていたんじゃない。
誰かと共に笑い、誰かと共に歩む。そんな当たり前の〝居場所〟を、金という代用品で埋めようとしていただけなのかもしれない。
「先輩! パイナップルも焼きますかー?」
星羅がトングを片手に叫んでいる。
「ああ、頼むよ。よーく焼いてくれ」
俺は微笑み、輪の中へと歩き出した。
金ではなく、仲間と歩む。
この理不尽なゲームが終わるその時まで、この愛すべき馬鹿騒ぎを守り抜くのも、悪くない卒業制作だ。
日は完全に落ち、夜の帳が下りる。
まもなく、長い夜戦が始まる。だが、今の俺に迷いはなかった。




