第44話 炎舞
「じゃあ、チロちゃん乗ってく?」
星羅が弾む声で提案してくる。
ここから目的地までは少し距離がある。徒歩で移動するのは面倒だ、渡りに船である。
「ああ、頼むよ」
「はいはい、おいで!」
星羅が手をかざすと、アスファルトの上に幾何学模様の光が走る。
その中からズルリと姿を現したのは、乗用車よりも巨大な白蛇だった。
「よしよし、いい子だね~」
星羅に喉元を撫でられ、白蛇──チロはウットリと目を細めて喜んでいる。
見た目は厳ついが、彼女にとっては可愛いペットなのだろう。
「ここから真っ直ぐ三〇〇メートル、その先の交差点を左に進むと、ターゲットの古本屋『匠文書房』です」
冬香がすかさずナビゲートする。
俺たちは慣れた手つきで白蛇の背に飛び乗った。
「んじゃ、いくよー!」
掛け声と共に、景色が後方へとカッ飛んでいく。
揺れもせず、滑るように。俺たちは白昼の市街地を一気に駆け抜けた。
「あそこですね」
冬香のナビ通り、チロは左折し、しばらく進むと商店街の外れに、ひっそりと佇む小さな古本屋があった。
──木造二階建ての、どこか時代から取り残されたような建物だ。
色あせた板壁は、風雨を受けて深い茶色へと変わり、軒先には長い年月を重ねた木の看板が掛けられている。
「なんとも趣があるねえ」
俺は昔から古い書物にわりと関心を持っていた。もしかしたら、この店の奥にはご先祖さまの書いた本とかもあるかもしれない。
店に入ってじっくりと、思ったその矢先。
店前に描かれた青い円から、一人の少女が飛び出した。
「出たな! 氷女!」
星羅がチロの背中から威嚇する。彼女の呼ぶ「氷女」は、東陵の桐谷小春のことだ。
「あら、久しぶりね。今日も着こなしが素敵よ」
小春は笑顔で応じる。その声にはどこか皮肉めいた響きがあった。
「そうか? えへへ」
星羅はこういう時に、驚くほどちょろい。
冬香は二人を無視し、ホルスターから拳銃を抜き放つ。
パン、パン、パーン!
一瞬の静寂を切り裂いて、銃声が三発響く。顔に一発、心臓に二発。寸分の狂いもない正確な射撃だ。
これは能力というわけではない。警察から拝借した銃器を扱う鴉羽生が、徹底して叩き込まれている基礎技能だった。
しかし、その三発全てが、桐谷の前に瞬時に出現した氷の盾によって塞がれる。
「あらあら」
桐谷は変わらぬ笑顔で、余裕を持って応じた。
「その余裕ぶった顔……腹立ちます」
冬香が珍しく憤りを見せる。いつも冷静沈着な彼女が、この桐谷に対してだけは感情を乱すのは、俺にとって興味深い。
まあ、来年はこの子が東陵のトップだろうし、鴉羽にとって避けられない壁になる。そういう対抗心のようなものがあるのだろう。
とはいえ、ここで彼女に時間をかければ、東陵の増援が来るのは確実だ。
「彼女を倒す必要はないから、ルークだけちょこっと壊して帰ろう」
実際、あの氷の盾は厄介だ。俺の能力では、正面から突破できた試しがない(あくまで正面からの話だが)。
あの盾を純粋に破壊できるのは相馬の張り手ぐらいだろう。
俺は能力で、体を一〇八匹の蝙蝠に分解することができる。
今、古本屋の真上には、警察からくすねた武器を持たせた複数の蝙蝠が待機していた。 そのうちの一体を、小春の背後へそっと呼び戻す。
いままでも彼女には閃光弾や催涙スプレーなど、遊び心溢れる武器を色々食らわせてきたが、成功率は五分五分だ。
「今日のおもちゃは何?」
小春が余裕の笑みを浮かべたまま尋ねるが、その声が途切れる前に、蝙蝠がネットランチャーを撃ち込む。
ネットが小春に襲いかかった。
瞬間、ネットは彼女の能力でそのまま氷に閉じ込められた。その形状は、氷の傘のように、小春の頭上を覆っている。
「ふむ。思った効果ではないが、これは良さそうだ」
俺はチロの頭からその凍った氷のドームに飛び乗る。
「このままルークを破壊する! 星羅、冬香! 援護を!」
その氷を足場にして、そのまま小春の頭上を飛び越え、古本屋の二階の窓を破って店内に入る。
俺の侵入と同時に、星羅は魔法陣から数十匹の小蛇を召喚し、小春の足元を塞いだ。さらに冬香は自動小銃を蝙蝠から受け取り援護射撃に移る。
「やれやれ。結果的には二人について来てもらって良かったかもしれないな」
俺はルークの破壊に意識を集中しながらも、後輩たちの迅速な対応に満足した。
少しずつだが、生徒一人一人の判断がよくなっている。これなら来年も任せられそうだ。
卒業後に学校が破壊されてしまえば、鴉羽を覚えているのは、この世界に来たことのある生徒だけだ。この世界に呼ばれてない生徒たちは皆、東陵や黎明を卒業したと記憶が改変されるのだろう。それは俺にとって、とても悲しいことだ。
この世界でも、現実世界でも、鴉羽での思い出は、俺という人間を形作る大切なものだ。だが俺は卒業する。他人に任せるしかないというのは、どうにも心が落ち着かないものだ。
九条や天城たちも、同じ様な気持ちなんだろうか。卒業したら是非一度、話してみたいものだ。
二階を探ったがルークは見当たらず、階下へ降りる。浴室だろうか、脱衣場の入口の所に、分厚い氷の壁ができていた。
氷の壁の向こう側には人間サイズのルークの駒が置かれていた。
「古本屋というのが裏目に出たね」
体を刃の蝙蝠に変え、店にある本を徹底的に切り刻む。積み上げられた本の山が無造作に切り裂かれていくと、紙片が吹雪のように舞い上がり、空気が乾いた粉塵で満ちる。
ポケットから金属製のライターを取り出す。
カチン、と金属の蓋が弾ける音が響いた。
そのまま投げるとパチリと乾いた音を立て、舞い散る紙片が炎を抱く。
瞬く間に、棚という棚を赤く染めていった。
本が焼ける匂いと、崩れ落ちる木材の軋む音。
外から見える店の窓は、瞬く間に橙色の光に染まっていった。
チロの上に、分離していた蝙蝠が集まり、俺を再構築する。
「ただいま」
「随分、思い切りがいいのね」
小春は蛇と銃撃を防ぎながら、先ほどまでの余裕だった表情を少し曇らせた。ルークの破壊が確実になる、この状況が彼女には堪えているのだろう。
「即断、即決がモットーでね」
俺は笑みで応じ、上空に待機させていた自動小銃を装備した五匹の蝙蝠を呼び寄せた。ルークがあるはずの場所に、容赦なく攻撃を集中させる。
俺の攻撃の意図を察した星羅、冬香も、射線を確保し、同じくルークがあるであろう場所に乱射する。
暗闇の中で燃え盛る炎に蝙蝠が幻想的に飛び回る様はまるで炎舞のようだった。
ゴォッ、という轟音と共に、燃えさかる家が崩れ落ち、そのままルークを破壊した様だ。
体に張り付いていた、嫌な感覚が消え去る。ここはエリア外になったようだ。
「逃げるぞ!」
俺の指示に、星羅と冬香は即座にチロに飛び乗り、その場を後にした。
チロの背に揺られながら、冬香が珍しくご機嫌な顔をする。
「くふふ、悔しそうな顔してたわ」
俺も静かに頷いた。彼女の笑顔は、この電撃作戦の成功を何よりも雄弁に物語っていた。




